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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
143/214

第4章:30 『上から二番目の、最悪の遭遇』

「――え?」


『――? どうした?』


 足を止め、疑問の声を漏らすシンゴに、ベルフが訝しげに声を掛けてきた。

 中庭に隠されたギミックをベルフの得体の知れない記憶を頼りに解き明かし、地下へと続く階段を見つけたまではよかった。しかし、いざその階段に足を踏み入れると、前触れなく入り口が塞がり、地下に閉じ込められるという不測の事態に見舞われてしまった。


 閉じた天井は『激情』の力を以てしても壊す事は出来ず、シンゴは残された道――地下へと続く階段を下る選択をした。

 そうして、肌寒い空気の充満する階段を下へ下へと進んでいた最中だ。ふと違和感を覚え、シンゴが足を止めたのは。


「何か、聞こえなかったか? その、声みたいなのが」


『……いや、私には何も聞こえなかったが?』


「……気のせい、か?」


 首を傾げつつ、シンゴは歩みを再開させる。

 最初は弧を描くように伸びていたこの階段も、今では直線になっている。当然ながら明かりはなく、右目の暗視能力がなければ確実に滑り落ちていただろう。

 階段に自生する苔も滑落の危険性をより高めており、見えるからと言って注意を怠れば、痛い目を見るであろう事は想像に難くない。


「――ッ!?」


 足元を確認しながら、足裏に意識を集中させて階段を確実に下っていたシンゴは、鋭く息を詰めて再び足を止めた。

 全身から嫌な汗が吹き出し、喉が干上がるように乾いていく。心音が耳にまで届き、自然と息遣いは荒くなる。


「やっぱり、聞こえる……!」


『――落ちつけ、シンゴ。怖いと思うから怖いのだ。心を強く持てば、幻聴など』


「聞こえるんだよぉ――ッ!!」


 シンゴの大声が木霊し、狭い空間に反響する。その反響の残滓さえも恐怖を助長させる材料となり、シンゴは耳を押さえて蹲った。

 どうして、ベルフにはこの『声』が聞こえない。さっきからはっきりと、これほどまでに強く訴え掛けてきているではないか。



 苦痛に喘ぐ『声』が。絶望を嘆く『声』が。悲哀に打ち震える『声』が。怨嗟に塗れた『声』が。憤怒に煮える『声』が。悔恨に捻じれる『声』が。発狂に溺れる『声』が。『声』が。『声』が。『声』。『声』。『声』『声』『声』『声』『声』『声』『声』――――。



「う゛あああああああああああああああああああああああああああああッ!?」


『シンゴ――!?』


 頭蓋が軋むような感情のうねりに、シンゴは涙を滲ませて堪らず絶叫した。

 抱えた頭を振り回し、涙と涎を垂らしながら、シンゴはこの強すぎる想いの渦から逃れようと必死になる。


「ぁ――」


 次の瞬間、暴れ過ぎた反動で、支えにしていた膝がずるりと階段を滑った。

 咄嗟の対応も出来ず、シンゴはゆっくりと傾ぎながら、そのまま――、


「あ゛がぁっ!? う゛づっ、ぶぁっ!? あ、い゛ぉ、み゛ゅぶ――ッ!?」


 全身を万遍なく打ちつけながら、シンゴは長い階段を一気に転げ落ちる。

 回る視界。回る意識。回り、回り、回り続け、そして――、


「う゛ぁ――ッ!?」


 平面に叩き付けられた強烈な衝撃で、シンゴの混濁する意識は容赦なく無の彼方へと弾き飛ばされた。



――――――――――――――――――――



 ――鉄格子越しに、一人の女を見ていた。


 女は一糸まとわぬ生まれたままの姿で、椅子に座っている。

 いや、その表現では少し語弊が生じる。何故なら女は、椅子に手足を縛り付けられ、目隠しをされた状態で座らされているのだから。

 力なく項垂れる女の顔は茶色い髪で覆われ、その表情を窺い知る事は出来ない。


 そんな女の前に佇むのは、美しい白髪を持つ男だ。

 その男のすぐ傍らには、小さな台が置かれている。その台の上に鎮座するのは、女に苦痛を与える事を目的としたおぞましい道具の数々だ。


 ――拷問。その単語に辿り着くのにそう時間は掛からなかった。


 男の口が動き、女に何事かを問いかける。

 その問いに対し女は、無言を貫く事で拒絶の意を表明した。

 そんな女の反応に男は怒るでもなく、ただ淡々と、台の上に並べられた道具を用いて女に苦痛を与え始める。


 凄惨な女の絶叫が、部屋の中に耳障りなほど大きく反響した。

 それでも女は、男の問いかけに口を割ろうとしない。


 繰り返される男の質問。繰り返される女の黙秘。繰り返される絶叫。

 繰り返され、繰り返され、繰り返され――。



――――――――――――――――――――



「――っああッ!?」


 ぶつり、とチャンネルが強引に切り替わるようにして、キサラギ・シンゴの意識が現実へと回帰した。

 顔を跳ね上げ、荒い息を吐くシンゴの耳には、あの臓腑を掻き毟りたくなるような女の絶叫、その残滓が今もこびり付いている。

 当然、その光景もはっきりと、脳の奥に焼き付いていて――。


「う゛っ――」


 胃が搾り上げられる感覚に、シンゴは顔を歪めて口を押さえた。

 込み上げてくる吐き気に、堪らず吐瀉物をぶちまける――その寸前だった。


「――ッ!?」


 ふと、目の前の光景に嘔吐が中断される。それほどまでに、眼前の光景から受けた衝撃は途方もなかった。

 何故ならそこは、その鉄格子越しに見える部屋は、先ほど見た光景と寸分違わず一致していたのだから。


 床にこびり付いた生々しい血の跡。人の身体を容易く破壊出来る道具の数々。そして中央に鎮座するのは、あの女性が座っていた椅子で――。


「ひっ、ぃ、あああ――ッ!?」


『落ちつけ、シンゴ! ――シンゴッ!!』


 頭の中でベルフが叫ぶが、それで心が平穏を取り戻す事はない。

 何故ならば、ベルフの『声』を掻き消すほどに強く、より多くの、あの濁り切った『声』が頭蓋の中で反響しているからだ。


「や、だ……嫌だぁッ!? い、痛いッ……許し、て……死にたく……やめ、も……もう殺せよぉぉぉ――ッ!?」


『シンゴぉ――ッ!!』


「い゛あだぁぁあああああああああああああああああああああああッ!!」


 髪を引き千切らんばかりに頭を掻き毟りながら、額を床に叩き付けて絶叫する。

 狂い飛びそうになる意識を痛みで繋ぎ止める為に。頭の中を犯し尽くさんとする『声』を絶叫で掻き消さんが為に。


「死ね、死ねってぇッ!! 俺、僕を、私もぉ? あー死ぬ、あ〜……疾く死んでたもうぅ……解放し許せってくれべえええええええッ!?」


『くっ……代わるぞ!』


 凄絶な負の感情に脳を掻き混ぜられ、理性が危うくなり始めたシンゴに、ベルフが咄嗟に『憑依』を行使してきた。

 先ほどの『憑依』からまだそれほど時間は経っておらず、おそらくこの『憑依』の持続時間は限りなく短い。

 だとしても――、


「ここに居てはならない――っ!」


 強引に肉体の主導権を奪い取ったベルフが額から伝う血を拭い、シンゴの身体を操りその場から逃げるように駆け出した。

 とは言っても、先ほどシンゴが転げ落ちてきた階段と、あとはどこに通じているかも分からない錆びた鉄の扉しか逃げられる先はない。

 元来た階段を戻ったとしても、地上に出られない以上またこの部屋に戻って来なくてはならない。ならば、選ぶべき道は必然的に――、


「こっちだ――ッ!!」


 ベルフは扉に駆け寄り、一気に開いた。最悪、施錠されている可能性もあったが、どうやらその心配はなかったようだ。

 扉の奥には暗闇が広がっていたが、右の視界だけは昼間のように明るく鮮明だ。そしてその右目が映したのは、真っ直ぐに伸びる狭い通路である。


『助けて助け蹴ってタスケケケ竹吸っテッて手テ多々透けTあすKっツeすゥ?』


「シンゴ……! 待っていろ、すぐにここを離れるぞッ!!」


 念話が上手く機能せず、シンゴから壊れた言語が届けられ、ベルフは声に焦燥感を滲ませつつ通路を走り出した。

 そのまま走り続けていると、やがて通路は弧を描き、かと思えば上り坂になったり、途中で分岐したりと統一性が怪しくなっていく。

 こんな迷路じみた通路を考えなしに走る事は本来ならしたくない。だが、今は緊急を要する非常事態だ。四の五の言ってはいられないだろう。


「っ……! もう、限界なのか……!」


 ぐらりと意識が傾ぐ感覚に、ベルフは『憑依』のタイムリミットが近い事を悟り、焦りに顔を歪める。

 加え、リミットが近いのは『憑依』の持続時間だけではない。


 今までの経験上、『激情』は発動中でもシンゴの感情の昂ぶりに呼応してその効力、及び持続時間が延長する事が判明している。

 しかしこの『憑依』状態ではその限りでないらしく、いくらシンゴの感情が高ぶっても、効力も持続時間も上昇する気配がない。どころか、徐々に全身に巡る力は薄まり、いつ切れてもおかしくない状況だ。


「出口はないのか……!」


 先ほどの部屋からどれだけ離れても、シンゴの症状は回復に向かわない。

 この地下空間から脱出する必要がある、そう判断したベルフは、全力であの部屋から離れていた最初と違い、今は必死に出口を探している。

 と、そろそろ『憑依』が限界を迎える、その間際に――、


「あれは――!?」


 四本に分かれた分岐路、そこでどの道を進むべきか一瞬の考慮に立ち止まったベルフは、左から二つ目の通路の奥に微かな光を見つけた。

 そこからは早かった。残った『激情』と、効率的に全身の力を推進力へと変換するフォームを意識しながら、ベルフは一直線にその光へと走った。

 すると、ベルフが近付くにつれ、その光は徐々に大きくなり、そして――、



――――――――――――――――――――



『――ゴ。シンゴッ!!』


「――ぅ?」


 頭の中で名を呼ぶ声で、シンゴの意識は覚醒を迎えた。

 どうやらうつ伏せに倒れているらしく、シンゴは重い疲労感が支配する身体に鞭を打ち、苦鳴を漏らしながらゆっくりと起き上がった。


『起きたか。一時はどうなるかと思ったぞ?』


「ここ、は……」


 鈍痛の残る頭に手を当て、首を振りながら顔を上げたシンゴは、自分が見知った部屋にいる事に気が付いた。

 先刻、使えそうな物や情報は存在しないと判断し、早々に見切りを付けた応接間――その壁際近くにシンゴは倒れていた。


「なんで俺は、こんな所に……?」


『どこまで覚えている、シンゴ?』


「たしか、中庭に出て……それで……」


 ベルフの得体の知れない記憶を頼りに、地下へと続く階段を見つけて、閉じ込められ、下りている最中に『声』が――、


「っ――は、ぁ……ッ!?」


『落ちつけ! ゆっくり息をしろ!』


 何があったのかを思い出し、苦しげに胸を押さえて呼吸を乱すシンゴに、ベルフが鋭い声で深呼吸を促してきた。

 痙攣する喉を無理やりこじ開け、空気を必死に取り込む。そして震える息を吐き出し、それを何度か繰り返して落ち着きを取り戻したシンゴは――、


「ベルフが、俺を助けてくれたのか……?」


『錯乱するお前に『憑依』を使い、入り組んだ通路を走った私は、偶然にもこの応接間に辿り着いたのだ』


「偶然、ここにか……?」


『――後ろを見てみろ』


「――?」


 言われて振り返ってみると、そこには火の灯っていない暖炉が存在する以外、特に何も変わった所は見受けられない。

 困惑に眉を寄せるシンゴに、ベルフは驚くべき事実を告げてきた。


『私は、その暖炉の裏にあった隠し通路を通り、ここへやって来たのだ』


「なっ……隠し通路!?」


 驚きに叫んでから、ベルフに『声を抑えろ』と注意され、慌てて口を噤む。

 そして、改めて念話に切り替えてから――、


『でも、今は閉じてっけど……これ、開けられるのか?』


『断言は出来ないが、この部屋のどこかに扉を開閉させるギミックが隠されている可能性は高いだろうな。だが、それが目に見える類のものではなく、中庭のようなギミックであるのなら、完全にお手上げだ』


『……お前の、記憶には?』


『この部屋の事については何も知らない。いや、思い出せないだけで、もしかしたら記憶は有している可能性もあるが、残念だが今は何も分からない。……力になれず、すまない』


 謝ってくるベルフに、シンゴは『いいって』と苦笑した。

 シンゴにはあれだけ前向きな言葉を掛けてくるのに対し、ベルフは自身に関しては少々勝手が違うらしい。

 それにそもそも、再び隠し通路を開く事に成功したとしても、その先に進むのはシンゴの心情的にかなり厳しいものがある。


『正直、すぐにってのはたぶん無理だ。それに、あの悪意というか、怨念というか、あれの中でまともな意識を保ってる自信が微塵もねえよ……』


『……これは私の推測なのだが、お前にだけ『声』が聞こえるのは、お前が悪意を認識出来るが故に起こった事ではないか?』


『それは……ありえる、かも』


 あの『声』に込められた想いを全て悪意、と一括りにするのはどうかと思うが、正と負で分類すれば、間違いなく全て負に分けられる。

 元々あの力はシンゴのものではない。故に、その概要を把握出来ていないのだから、悪意“だけ”を読み取る力だとは限らない。

 そんな事をシンゴが考察していると――、


『あの拷問部屋の存在にしても、吸血鬼を脅すには不足だろうな。開き直られた場合、そこでこちらの優位性は完全に失われる。どころか、こちらの思惑に勘付かれかねない。――リスクが、あまりにも大きい』


 あれほど多大な精神的ダメージを負ったにも拘わらず、得る物はなく、むしろ貴重な時間を失っただけ、という訳か。


『いや、一つだけ収穫はあったぞ。――希望、という収穫だ』


『希望……?』


『考えてもみろ、シンゴ。中庭の隠しギミックに続き、この応接間の暖炉裏にある隠し通路だ。これらから導き出せる結論は――』


『……他にも、この城には隠されたギミック的なもんがある、って事か?』


『その通りだ』


 生徒と教師のように、ベルフとの答え合わせを終えたシンゴは、顎に手を当てて「なるほど……」と静かに呟いた。

 ベルフの言う『希望』とやらは、確かに今後の城内探索にあたり大きな心の支えとなる。『ある』という希望があって臨む方が、探索も捗るというものだ。


『――ひとまず、今日はここまでにしておこう。度重なる『憑依』の弊害による疲労に加え、『激情』の源であるお前の心の摩耗も無視できない』


『いや、俺はまだ……』


『シンゴ。お前をあの地下に誘い、不要な心の消耗をさせたのは私だ。そんな私が何を言っても嫌味にしかならないと思うが、それでも私は言おう。――休息も、この戦いには必要だ』


 ベルフの言葉を受け、シンゴは目を丸く開いて固まっていたが、やがてふっと唇を緩めると同時に肩を竦めて、


『前向きなんだか、後ろ向きなんだか……あべこべじゃねえか』


『む……そう、か?』


『ああ、そうだよ』


 ベルフと軽口を交わしながら、シンゴは震える腕に爪を食いこませた。動揺が、ベルフに伝わらないように。

 拷問部屋――その存在から、シンゴはベルフの語る明るい希望とは裏腹に、有り得たかもしれない恐ろしい可能性に気付いてしまったのだ。


「――――」



 もしもあの時、ガルベルトの質問に対して、イレナが『ゼロ・シフト』の事を正直に明かしていなければ、今頃あの拷問部屋では――。



『――シンゴ?』


『さて! 応接間って事は、ここは一階だから、二階の寝室まで帰らねえとだぜ! 帰るまでが遠足だろ?』


 背筋に走った戦慄に思わずぶるりと肩を震わせてしまい、それに勘付かれたのか、ベルフが不審げに声を掛けてきた。

 余計な心配は掛けまいと、シンゴは努めて明るく、おどけるような声で誤魔化しを入れた。そうして、サムズアップと共に『な!』とダメ押しする。


『…………』


「――――」


 居心地の悪いベルフの沈黙に、何か別の話題を振るべきか、とシンゴが内心焦りまくっていると、やがて――、


『そうか……帰りも、あるのか……』


『――頼むぜ、相棒?』


 安堵した事を悟られまいと、シンゴは苦笑を滲ませつつベルフに声を掛けてから、己の内側へと意識を集中させた。

 探索開始時よりも容易に『激情』を発動させ、シンゴは目を閉じると、部屋の外の悪意を探る。


『――よし。外には誰もいねえみてえだな』


 部屋の外から悪意は感じられず、見張りが近くにはいない事を確認してから、シンゴはゆっくりと扉を開けた。


「――? イチゴの兄?」


「――ッ!?」




 ――考えられる中で、上から二番目の、最悪の遭遇だった。


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