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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:28 『大胆な隠密行動』

 自発的な発動に成功した『激情』、その権威に付随する悪意を読み取る力のおかげで、一階へと続く階段までの安全は保障された。

 そんな折に、ベルフが肉体の主導権を譲って欲しいと申し出てきた。その真意を問うと、ベルフは念話にて『無駄の省略』だと説明する。


 疑問は解消されず、むしろ深まる一方だが、ここで時間を食い潰すのは愚行だ。

 行動するなら急がねば、左の通路に進んだ見張りの吸血鬼が戻ってきてしまう。いや、今から向かうのは右側の通路なのだから、振り向かれた時点でアウトだ。

 そこまで考察すると、シンゴは一旦、疑問を頭の中から弾き出し、『いいぜ』と肉体の主導権をベルフに明け渡す事を了承した。


『――いくぞ』


 シンゴの返答を受け、ベルフが合図。肉体の主導権がベルフへと譲渡される。

 これは、別に魂が入れ替わるような類のものではない。シンゴの自意識は変わらず身体の中にあり、五感から受け取る情報等もそのままだ。

 ただ、肉体が脳の命令を一切受け付けなくなる。代わりにその身体を動かすのは、当然ながら肉体の主導権を譲られたベルフだ。

 例えるなら、操縦席に座ったまま肉体という名の機体を第三者に遠隔操作される、そんな感覚に近いだろうか。


「――――」


 そんな事を考えている間にも、ベルフは主導権を得たシンゴの身体、その手の平を開閉させたり、かかとを上げたり下げたりしている。

 『激情』による身体能力強化にはバラつきがある為、ベルフはその感覚の誤差を修正しているのだろう。


 やがて、三秒にも満たない確認作業を終えたベルフが、念話にて『行くぞ!』と合図してきた。それに同じく念話で返そうとするが、次にベルフが起こした行動を受け、シンゴは驚愕のあまり言葉を詰まらせる。

 何故なら、あろう事かベルフは――、


『全力ダッシュぅ――!?』


 惚れ惚れする洗練されたフォームにて、ベルフの操縦するキサラギ・シンゴが『激情』で強化された脚力を如何なく発揮し、長い廊下を一瞬にして走破した。

 そしてそのまま制動を掛ける事無く、突き当りの壁に向かって跳躍。軽やかに壁を蹴り付け、右の通路――その右側の壁を蹴るワンクッションを挟みつつ、速度をほとんど殺さないまま右折を成功させる。


『――!』


 ふとこのタイミングで、シンゴは驚くべき事実に気付いてしまった。

 ほとんど全力疾走に近いも拘わらず、本来なら必ず聞こえなければならない大きな足音が、自分の身体からは一切聞こえない事に。

 その違和感に気付いてしまえば、無音のまま恐ろしいスピードで廊下を疾走するこの状態に、何とも言い難い気持ち悪さを覚えてしまう。


『もう少しだ、我慢しろ!』


『あ、ああ、わか……!? ベルフッ!!』


『――!』


 ベルフの言葉に応じようとしたシンゴは、徐々に遠ざかっていた背後の黒い靄――見張りの悪意が動きを止めたのを感知し、慌ててベルフの名を叫んだ。

 ベルフはそれだけで、背後の吸血鬼が振り返ろうとしている事を察したらしい。空気抵抗を減らす為か、より前傾姿勢となり、更に加速した。

 無音の疾風となり、暗い廊下を疾駆するその姿は、とても自分の身体が成している光景だとは思えない。


『――! 階段だ!』


『シンゴ、階段下に悪意は!』


『……ねえ!』


『よし、このまま一気に行くぞ!』


 階段下の悪意の有無を尋ねるベルフに、シンゴは慌てて悪意を探り、悪意は感じられない――つまり、見張りはいない事実を伝えた。

 それを受け、ベルフが一段と加速。階段に差し掛かると、先ほどの右折同様に制動をかける事なく、そのまま段差を無視して跳躍した。

 折り返し構造となっている階段、その折り返し部分の壁に身体を真横にしながら無音の着地。続いて、残りの段差も全て無視した二回目の跳躍を敢行し、これまた無音の着地にて一階への到達を完了させた。


 これには思わず――、


『忍者かよ……』


『ふざけている暇はないぞ! すぐに悪意の感知だ!』


『お、おう……!』


 ベルフに一喝され、シンゴは慌てて気を引き締めた。

 先ほど見張りが立ち止まるのを感知出来た事から、この状態でも悪意を読み取る事は可能であると判明している。

 それを踏まえた上で、悪意を探ってみると――、


『――っ!? やべえ、こっちに来る!』


『どっちだ!?』


 こちらに近付いてくる悪意を察知し、シンゴは焦燥感に満ちた声を上げた。

 現在シンゴ達がいる位置から、廊下は双方に伸びている。そのどちらにも警戒の眼差しを向けながら、ベルフが見張りの位置について問うてきた。

 しかし、ベルフのその問いは意味がない。何故なら――、


『両方だ! ――挟まれてる!』


『なんだと!?』


 一本道の廊下、その真ん中にシンゴを置いて、二つの悪意が逃げ道を塞ぐように徐々に接近して来ていた。

 ここで選択肢として真っ先に思い浮かぶのは、今しがた下りてきた階段に戻る事だ。――が、悪報は重なる。


『ああ、くそッ! さっきの見張りもこっちに向かって来てる……ッ』


 上階の悪意がちょうど真上に来たのを感知し、シンゴは苛立たしげに舌打ち――は、肉体がないので叶わず、もう一度『くそッ!』と思念で毒づく。

 が、その直後だ。シンゴはハッとなり、先ほど自分がベルフに対してこぼした一言を思い出した。


『忍者……そうだ、忍者だ! ベルフ! お前、さっきの足音を消すやつみたいに、なんか色々すげえ技とか持ってんじゃん! その中に、暗殺術みたいなもんとかねえのか!?』


 逃げ道が無いのなら、作ればいい。その為には、他の二人には気付かれないよう穏便に一人を処理する必要がある。

 暗殺術と言いはしたが、殺す訳ではないし、そもそも吸血鬼相手ではそれも難しい。その意識を刈り取る事、それこそが狙いだ。

 そしてベルフは過去、幾つもの『技』を披露してきた。先の足音を完全に殺す技術のように、何か有用な技があるのでは、という考えから出たシンゴの発言だったのだが――。


『確かに、先ほどの『潜脚せんきゃく』は潜入や隠密に用いられる技だ! しかし、生憎と今の私に暗殺術のような技は使えない! 思い浮かばないのだ! そして思い浮かばないという事は、その時ではないという意味だ!』


『意味分かんねえよ! なんだ、お前の技って全部、その場での即興だったって事かよ!?』


『そういう意味ではない! ふと思い出すように……待て、こんな事を話している場合か! それに、ここで見張りを穏便に処理したところで、後々問題になるのは明白だ! 今は逃げ一択だ!』


『……ッ』


 名案だと思ったが、ここはベルフの言い分が正しいか。

 逃げ道は完全に塞がれ、見張りの無力化もしてはならない。完全に詰みのこの局面に、シンゴの心は焦燥感に焼かれる。


『――! おいベルフ、そこに扉があんじゃねえか!?』


 ふと、すぐ近くに部屋が一つある事に気付き、シンゴは声を上げる。

 その扉の奥から悪意は感じられず、中に誰もいない事はすぐに察する事が出来た。まるで、地獄の底に下ろされた蜘蛛の糸のようだ。

 しかし、ベルフは――、


『悪意が感じられないからと言って、中に誰も居ないとは限らない! 見張りの吸血鬼は警戒心を抱いているからこそ、お前はその存在を感知する事が出来る! しかし、見張りでない者が常日頃から邪な想いを胸に秘めているなど、まず有り得えない!』


『だったら、他にこの状況をなんとかするいい案でもあんのかよ!? 時間もねえ、逃げ道も他にねえ、打開策もねえんなら、もうイチかバチかで飛び込むしかねえだろうが――ッ!!』


『それは……っ』


 迫る悪意、迫る刻限、その焦りから、シンゴは他の選択肢を考える事を放棄。中の様子を窺い知る事の出来ない部屋に固執する。

 しかし現状、それ以外に取り得る選択肢が残されていないのもまた事実だ。故にこそ、ベルフも返答に窮したのだろう。

 そしてその逡巡も僅かに一瞬の事で、意を決したらしく、ベルフが伏せていた顔を上げると同時に動いた。足を向けた先は、何が待ち受けるか未知数の部屋だ。


『――――』


 音を立てないよう慎重に、身体が通る分だけ扉を開け、その中へ素早く身体を滑り込ませると、そのまま閉じた扉に背を付けて気配を殺す。

 どうやら見張りにはバレなかったらしいが、まだ安心は出来ない。この部屋の中の安全を確かめ、問題があった場合にはすぐ対処しなければならないのだから。


『――――』


 部屋の中は暗いが、シンゴの右目には暗視能力がある。ただし、それはこの城に住まう住人全てに当てはまる事でもあり、アドバンテージは相殺されている。

 故に、中に誰か居た場合、先に気付いて先手を取った方が――。


『……便所じゃん』


『……の、ようだな』


 目の前に鎮座する洋式使用のトイレを見て、シンゴはほっとするような、肩透かしを食らったような、なんとも言えない感情に渋みを覚える。

 そのシンゴの呟きに応えるベルフの声も、どこか似たような響きを孕んでいた。


『『…………』』


 便座を見つめながら、二人して長めの沈黙。

 一見シュールな光景に映るが、扉一枚を隔てた外では三つの悪意が重なっており、見張りの三人が合流したらしい事が窺える。

 耳を澄ませると、男が二人、女一人分の会話が聞こえてきた。



――――――――――――――――――――



「お疲れさん。そっちの首尾はどうよ?」


「こっちは特に問題ないわ。あんたの方は?」


「同じくだ」


「ったく、夜の巡回なんて普段しねえから、眠くて眠くてしょうがねえぜ。なあ、本当にこんな事する必要あんのかねぇ?」


「私たちは命令に忠実でいればいいのよ」


「つってもなぁ……一体何に対して警戒すればいいのかも教えてくんねえし、こちとらモチベーションとかの問題が……」


「おそらくだけど、外から来たって言うあの二人の同胞に何か関係があるんじゃないかしら?」


「俺も同じ意見だ」


「それってアレだろ? リノア様似の嬢ちゃんと、イチゴちゃんの兄貴。前者はともかく、後者に関しては、なんかリノア様とガルベルトさんに盾突いて呆気なく返り討ちにあったって話じゃん。ここまで警戒する必要があんのかどうか……」


「バカ。その子じゃなくても、あのお二人が相手なら私たちだっておんなじ結果になるじゃない」


「全くだ」


「んー、まあとにかく、期間は一週間って話だし、それまではお勤め頑張るとするか。……っと、これ以上ここで駄弁ってて、後でドヤされるのも御免だしな。そろそろ巡回に戻ろうぜ」


「ええ、そうしましょう」


「ああ」



――――――――――――――――――――



『……ベルフ』


『分かっている』


 再燃し、遠ざかって行く三つの警戒心、その三人が今しがた語った内容を受け、シンゴは重々しい口調でベルフの名を呼んだ。

 それに応じるベルフの声には険がこもっており、どうやらシンゴと同じ見解に達したらしい事がその声音から窺えた。


『――ガルベルト・ジャイル。あの者は、未だにお前たちの事を警戒している』


 先の会話から、彼らにこの夜勤を命じたのはガルベルトだと判明した。

 そして巡回の期間は一週間だという点から、おそらく巡回が始まったのはシンゴ達がこの城に訪れてからだ。

 今しがたベルフが述べた通り、ガルベルトは未だにシンゴ達に対する警戒を全く緩めていない。


『ここまでする理由って……』


『昼間、敢えてあの男に近付いてみるのも手かもしれん。ここまで用心する理由についてもそうだが、少しでも信頼を勝ち取る事が出来れば、今後の行動にある程度の自由が生まれる可能性もあるからな』


 と、ここでベルフは『ただ』と声のトーンを落として繋げ、


『これは、完全にお前のコミュニケーション能力に全依存する形になる』


『……俺がそんなに口が達者な方だと思うか?』


『思わんな。すまない、忘れてくれ』


『俺の心に刻まれた余計な傷はそう簡単に忘却できねえ深さなんだけど!?』


 堪らず不満を叫んだ――その直後に、それは起きた。


『う……?』


 ぐらりと、酩酊感のような揺らぎを覚え、シンゴは無理解の声を漏らした。

 その酩酊感はシンゴの錯覚などではなく、どうやらベルフにも訪れたらしく、シンゴの身体がふらりと揺れる。


『どうやら、入れ替わりに限界がきたようだ……っ』


『げん、かい……?』


『前にも言ったと思うが、私とお前のリンクは完璧ではない。本来ならば、既に互いの存在は馴染み切っていたはずなのだが……』


『お前がイブリースに拘束されていた空白の時間が、遅延の原因になっているって話だったっけ……?』


『ああ、そうだ』


 一時期、ベルフは『激情』を司るイブリースにより拘束され、シンゴとのリンクが完全に途絶した状態に置かれていた。

 その間、『怠惰』の権威はシンゴに馴染み続け、権威とベルフの馴染み具合にはズレが生じる結果となってしまったのだ。


『こればかりは、時が満ちるのを待つしかない』


 そう結論を述べると、ベルフはそのまま『返すぞ』と返還を宣言――肉体の主導権がシンゴへと戻される。

 まるでせき止められていた水が急に流れ出すように、シンゴの意志が肉体へと開通した。同時に全身を襲うのは、重くのしかかるような疲労感だ。


『今までは意識する機会がほぼなかったけど、こうして落ち着いて『憑依』を解除されると、疲労感が半端ねえな……』


『それも、私とお前のリンクが完璧ではない為に起こる弊害だろう。……ところで、その『憑依』という名称だが』


『今考えた。名前あった方が何かと便利だろ?』


『……それだと、私が霊の類に聞こえるが?』


 ベルフはご不満な様子だったが、今は再検討してやれる暇も余裕もない。

 そろそろ先の見張り達も十分に離れた頃だろう。現在シンゴが感知可能な範囲に悪意は感じられない。動くなら今しかない。


『さすがに便所に長居もしたくねえしな。疲労感の方も、『激情』のおかげで騙し騙しいけそうだし』


 慎重に廊下へ出ると、シンゴは真紅の右目を薄暗い廊下に向けた。

 そして疲労感を誤魔化すようにぐるりと肩を回すと、口元に挑戦的な笑みを無理やり浮かべて――、


『そんじゃまあ、本格的に探索と行きますか――!』


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