第4章:25 『遊戯へのお誘い』
「いつ、の間に……」
「んー? 普通に歩いててー、中庭に二号くんの姿が見えたからー、普通に歩み寄って座っただけだけどー?」
驚愕に目を見開くシンゴの言葉に、ラミアは何も特別な事はしていないと告げる。しかしそれで納得出来るほど、シンゴの被った衝撃は小さくない。
何も感じなかったのだ。歩み寄る音も、気配さえも。声を掛けられて、初めてその存在に気付いた。これほどまでに接近されているにも拘わらず、だ。
もしもこの二人が害意を持ってシンゴに近付いていれば――そう考えただけで、背筋にひやりとしたものが走る。
「そんな事よりさー、ラミアたちと一緒に遊ぼうよ、二号くん!」
「……は?」
警戒のレベルを最大まで上げていたところに、ラミアのその誘い文句は完全に不意打ちだった。
目を丸くして、呆けた声を漏らすシンゴだったが、もう片方の席を埋めるレミアが勢いよく立ち上がった事で、ビクリと肩を縮める。
一方、立ち上がったレミアはその無表情な顔に微かな焦りのようなものを滲ませ、姉に詰め寄るように一歩前に進み出た。
「待ってくださいラミアお姉さま! いくらイチゴさんのお兄さんとはいえ、レミアはこんな不気味で得体の知れない人と遊ぶのは反対です!」
「えー、いいじゃん別にー。不気味でも得体が知れなくても、イチゴのお兄さんなら大丈夫だってー。それにもし襲い掛かってきても、どうせラミアには勝てないんだしさー」
「確かに、ラミアお姉さまが負けるなんて事、億が一にも有り得ないですけど……」
不気味だとか、得体が知れないだとか、散々な言われようである。
ここでシンゴが抗議の声を上げたとしても、誰からも文句を言われる筋合いはない。しかし現状、この二人に対してその選択は危ういと、そうシンゴの本能が警鐘を鳴らしていた。
特に、姉の説得に失敗してシンゴを鋭く睨んでくるレミア、この少女が危険極まりない。文句ではなく、物理的な理不尽に訴えてきそうな雰囲気があるからだ。
故にシンゴが選んだのは、先ほどからラミアが連呼しているとある単語、その真意について尋ねる、だった。
「な、なあ……その『二号くん』って、もしかして俺の事か?」
「そーだよ?」
「えっと……どういう意味だ?」
ジッと睨んでくるレミアを極力意識しないように、シンゴは比較的友好そうなラミアとの会話を選択した。
問われたラミアは、「あー」と顎に人差し指を当て、考えるように視線を宙に向ける。しかしその視線の先に何かを見つけたらしく、顎に当てていた指を「あ!」とシンゴの後ろに向けて言った。
「一号!」
「え?」
その指の先を追ってシンゴが振り返ると、中庭へと繋がる廊下から、ちょうど一人の少女が顔を出したところだった。
少女はきょろきょろと何かを探すように辺りを見回し、やがてシンゴの視線に気付くと、パッと笑みを咲かせた。そしてそのまま手を振りながら、こちらに駆け寄ってきて――、
「――お兄ちゃん!」
「……イチゴが、一号?」
判明した『一号』の正体を受け、シンゴは困惑に眉を顰める。
そんなシンゴの元まで駆けて来たイチゴは、シンゴが一人でない事に気付くと、「あれ?」と眉を上げた。
「ラミアとレミアも一緒だったんだ?」
「うん! 今から二号くんと一緒に遊ぶとこなんだー!」
「……二号?」
もはやシンゴの意志など関係なく、シンゴが遊びへ参加する事はラミアの中では決定事項らしい。
遊んでいる暇などない、というのが正直なところなので、是非ともレミアには引き続き姉の説得を頑張ってもらいたい。
「それはそれとして、どうしてイチゴが一号で、俺が二号なんだ?」
「簡単だよ! イチゴが一号で、二号くんは一号のお兄さんだから、二号くんなのだー!」
「いや、なのだー! って言われても……」
手を上げ、無邪気に笑うラミアに、シンゴは思わず毒気が抜かれてしまう。
ただし、未だにジッとシンゴの事を睨んでいるレミアに対しては、警戒レベルを維持しておいた方がいいだろう。
「よーし! じゃ、さっそく遊ぼっかー! 下僕一号、二号! 何して遊びたいー? えっと、ラミアはねー」
「ちょい待った! 今さらりと聞き捨てならねえ肩書きが聞こえたんだけど!?」
「二号くん、私語は慎むように!」
『一号・二号』が何を指すのかが期せずして判明し、シンゴは思わず目を剥きながら声を荒げて指摘する。対するラミアは、先生ぶった態度で指を立て、叱責の声と共に立てた指をシンゴの口元に当ててきた。
喉を詰まらせて硬直するシンゴだったが、レミアの射殺すような視線に気付き、慌ててラミアの指を振り払う。そして困ったように頭を掻くと、大前提の誤解を解くべく口を開いた。
「俺、まだ一言も参加するなんて言ってねえんだけど……」
「えー!? 二号くん遊んでくれないのー!?」
シンゴの告白を受け、ラミアが悲壮な顔で不満の声を上げる。
しかし次には何を思ったのか、ニヤリと悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべ、「ね〜え〜」と猫なで声と共にすり寄ってきた。
そしてそのまま絡み付くように、シンゴの腕に抱き付いてきて――、
「もしも二号くんが遊んでくれたら、も〜っといい遊び、ラミアが教えてあげるよ〜?」
「――――」
「……お兄ちゃん? どうしてそこで、そんな鬼気迫る顔で黙り込むのかな?」
その幼い見た目に見合わぬラミアの甘い声に、気付けばシンゴは真剣な表情でその申し出を検討していた。
しかしイチゴの、顔は笑っているが目が笑っていない問いかけと、レミアからの殺気がもはや視認できるレベルにまで膨れ上がったのを受け、シンゴは慌ててラミアから離れると、わざとらしく「ちなみに!」と指を立てて話題転換を試みた。
「遊びって、ラミアは何をするつもりだったんだ?」
「鬼ごっこ!」
「それは……俺、圧倒的に不利じゃね?」
本物の鬼であるラミアとレミアに追われれば、シンゴなど一瞬で確保される。そして紛い物の鬼であるシンゴが二人を追いかけたところで、追い付く事など一生出来るはずもない。
鬼役と逃げ役がずっと固定される。これでは、『鬼ごっこ』という遊びの定義、その根本が崩壊してしまっているに等しい。
それに、シンゴには遊びにかまけている時間などない。
遊びに際して二人と話し、何か使えそうな情報を探るというのも手だが、その遊びが鬼ごっことあっては、会話する機会などほぼ皆無だ。
どんな反応が返ってくるか想像するだけで恐ろしいが、ここはやはりきっぱりと断るのが正しいだろう。
「悪いけど、俺は――」
『――待て。断るのは早計だ』
「――!」
ラミアに断りを入れようとした瞬間、今まで沈黙を守っていたベルフが急に待ったを掛けてきた。
驚きに言葉が途中で切れてしまい、ラミア達三人が「?」と揃って首を傾げる。
訝しげな三人にシンゴは苦笑いでお茶を濁しつつ、早口の念話で先の言葉の真意をベルフに尋ねた。
――――、
――――――――――、
――――――――――――――――――――。
「――なるほど」
簡潔に纏められたベルフの説明を頭の中で聞き終え、シンゴは相棒の頼もしさに思わず頬を緩めた。
そして、困惑を深める三人の前で立ち上がると、ぐっと親指を立てて言った。
「よし、遊ぶか!」
「ほんと!?」
シンゴの遊びへの参加表明を受け、ラミアも立ち上がり満面の笑みを咲かせる。が、シンゴは立ち上がったラミアの眼前に、「ただし」と人差し指を立て――、
「やるのは――かくれんぼだ!」
遊びの内容、その変更を提案するのだった――。
――――――――――――――――――――
「――かくれんぼ?」
シンゴの提案した変更内容を聞き、ラミアが眉を顰めながら小首を傾げた。
この城から脱出する為にやらなければならない事は多く、いくら時間があっても足りない。そんな切迫した状況の中で遊びに割く時間はない、そう結論を出そうとしたシンゴが考えを曲げたのは、ベルフの助言があったからに他ならない。
『この少女の申し出は受けた方がいい。そうすれば、大義名分が得られる』
大義名分――そう言ったベルフは、困惑するシンゴにこう続けた。
『要するに、だ。鬼から逃げている、もしくは逃げた相手を探している、という口実さえあれば、城内の探索が合法的に可能になる。咎められたとしても、厳重注意が関の山だろう。なにせ、嘘は何も吐いていないのだからな。大義名分などと大仰に言いはしたが、要は保険のようなものだ』
というベルフの説明を聞き終え、シンゴは唖然として数秒ほど固まった。
時間の無駄としか思えなかった鬼ごっこを、ベルフは城内探索、その隠れ蓑として逆に利用しようと言っているのだ。
とてもではないが、シンゴの頭では思い付く事のない、まさに逆転の発想と言っていいだろう。
そこからかくれんぼへと発想が至ったのは、どうせならもっと探索に専念したいという、シンゴの欲深さから生じた偶然の賜物である。
かくれんぼの方が、見つかり難い隠れ場所を探す為に、また、隠れた相手を探す為に色んな場所を巡る事が出来て、城内の探索という目的により適した内容となっている。
――以上の脳内会議を終え、シンゴはラミアの誘いを受けると同時に、かくれんぼへの内容変更を提案したのだ。
「――どうだ? さっきラミアは、俺らにもどんな遊びがしたいかって聞いてたろ? 鬼ごっこも悪かねえけど、さすがに吸血鬼のお前らと中途半端な吸血鬼の俺じゃ、純粋な走力で競ってもたぶんつまんない結果になると思う。対してかくれんぼなら、身体能力の差は気にしなくていい。ちっとばかし、この城の内部に詳しいお前らの方が有利なるだけで、それでも鬼ごっこよりはまともなもんになると思うぜ?」
「分かった! んじゃ、かくれんぼに決定―!」
「それに、かくれんぼって一見して地味だけど、それでもかくれんぼにはかくれんぼならではの楽しさが――って、え? あ、いいの?」
説得の為に長々と言葉を紡いだシンゴだったが、ラミアがあっさりと受諾した事で、肩透かしを食らって呆けた返事になってしまう。
対するラミアは、何故か偉そうに腰に手を当ててふんぞり返り、
「いいよー! それとも、二号くんは他に何か文句あるのかなー?」
「全然! 微塵も、これっぽっちも! か、かくれんぼよっしゃあああッ! 燃えてきたぜぇぇ――ッ!!」
「きたぜー!」
ラミアの問いに高速で手と首を横に振り、動揺を誤魔化すように声を張り上げて、シンゴは拳を空に向けて振り上げた。
そんなシンゴに続き、ラミアもノリノリで片手を突き上げる。
「お兄ちゃんはともかく、ラミアまで何やってんの……」
「無邪気なラミアお姉さま……可愛い」
「お兄ちゃんとラミアも大概だけど、レミアも歪みないよね!?」
シンゴとラミアのハイテンションに、呆れ顔でコメントしてくるイチゴ。
しかしその隣、うっとりと頬に手を当てて、飛び跳ねる姉に熱い視線を送るレミアのセリフを受け、さすがに堪え切れなかったらしくイチゴが声を荒げる。
わざとではないとは言え、この状況を作ってしまったのはシンゴだ。収めるのもまた、発端であるシンゴの役目だろう。
「よし! それじゃあ早速、鬼を決める為にじゃんけんだ!」
「おー!」
――盛大に失敗した。
むしろ、ラミアのテンションが跳ね上がるという結果を招いてしまった。
そして気が付けば、先ほどはあれほど強く反対していたレミアが、何故か頬を紅潮させてじゃんけんの輪に加わっている。
さらに――、
「ほら! イチゴも早くー!」
「え゛っ……私もやるの?」
まさかの飛び火に、イチゴの顔が引き攣った。しかし抵抗する暇もなく、速攻でラミアに腕を掴まれ、強制連行――もとい、強制参加を余儀なくされる。
そして、早く遊びたくて堪らなかったのか、イチゴを引きずって来た流れで早速ラミアが「じゃーんけーん」と音頭を取った。
『――分かっているな?』
慌てて対応するシンゴの脳内に、ベルフの念押しする『声』が響く。
無論、言われなくとも分かっている。隠れてしまえばその場から動く事が出来ず、一度見つかってしまえばそれで終了の隠れる側よりも、隠れた相手を探す為にあらゆる場所を調べる事が出来て、かつ全員を見つけるまで続行可能な役――つまり、シンゴが狙うのは。
『鬼だろ――っ!』
念話でベルフに応えつつ、シンゴは万感の思いを込めて拳を突き出した。
ちなみに、シンゴが選んだのはチョキだ。何故チョキなのかと言えば、イチゴが最初に必ずパーを出すと知っているからである。
参加しているのはイチゴだけではなく、ラミアとレミアもいる。必ずしもシンゴの思惑通りに事が運ぶとは限らないが、それでも勝率を少しでも上げる努力は怠らない。
そんな、ある意味では最大の難関であるじゃんけん、その結果は――、
「よっしゃあああああ――――ッ!!」
――シンゴ以外、全員パーだった。
己が決して運に恵まれた方ではないという自覚があっただけに、この結果には思わず両手を振り上げ、シンゴは天に向かって快哉を叫んだ。
まさか、じゃんけんでこれほど喜ぶ事になるとは夢にも思わなかった。しかしそれほどまでに、このじゃんけんは重要だったのだ。
そしてシンゴはそれを制した。これが喜ばずにいられようか。
「やるねー、二号くん。でもラミアだって、次は絶対に勝つもんねー!」
「――は?」
清々しい達成感に満足していた直後、ラミアの発したその一言に、有頂天だったシンゴの意識は一気に現実へと引き戻された。
見れば、既に勝敗は喫したにも拘わらず、何故か二回目のじゃんけんが行われようとしていた。そして誰一人として、その事に疑問を抱いていない様子だ。
たった一人、シンゴを除いては――。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待った!?」
「――? どしたの、お兄ちゃん?」
「いや、どしたの? じゃねえって! なんで二回目やろうとしてんだよ!?」
「なんでって、かくれんぼに鬼は一人しかいないんだよ? だったら、その一人を決めないとダメじゃん」
なに言ってんの、とでも言いたげな顔でイチゴが首を傾げてきた。しかし、首を傾げたいのはむしろシンゴの方である。
何故なら、鬼はシンゴで決定したはずだ。にも拘わらず、じゃんけんを続行しようとする三人。もしかして、自分に追いかけられるのがよっぽど嫌なのだろうか、とシンゴは内心ショックを受けるが――。
「――普通、じゃんけんで負けた人が鬼でしょ?」
「――ぁ」
イチゴの告げたその一言に、シンゴは自分の認識違いを自覚した。
確かにこういった場合、負けた者が鬼となるのが暗黙の了解だ。人によっては鬼の方がいいと言う者もいるかもしれないが、大半の者が隠れる方が楽しいと思っているはずである。無論シンゴも、平素なら鬼より隠れる方がいい。
事情があり、今は猛烈になりたい鬼役でも、普通は敬遠される役どころ。ならばその嫌われ役は、敗者が担うのが道理である。
つまり、一人勝ち抜けして喜んでいたシンゴは、実は隠れる側であり、鬼はまだ決まっていなかった――故に、じゃんけんは続行されたのだ。
「はは……そういや俺、昔から最初の鬼決めじゃんけんで勝った記憶ねえわ」
「というか、お兄ちゃんがじゃんけんで勝ったこと自体、これが始めてじゃないっけ?」
「ある意味では連敗記録更新されたよちくしょう――ッ!!」
虚しい事実を遅まきながら思い出し、空笑いするシンゴにイチゴの追い打ち。
堪らず絶叫し、シンゴは膝を折ると、柔らかな芝生に拳を叩き付けて嗚咽を噛み殺すのだった――。
――ちなみに鬼は、ラミアに決定した。