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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:21 『兄と妹の軌跡』

「――今晩、お兄ちゃんと一緒に寝てもいい?」


「…………」


 最愛の妹から告げられた衝撃の一言に、シンゴは笑顔のまま硬直していた。

 確かに、イチゴとは一緒に寝ていた時期もあった。しかしそれは大昔、イチゴがまだ小さかった頃の話だ。それが何の気まぐれか、イチゴは一緒に寝たいと言う。

 こればかりは、返答に窮するシンゴを責められる者はいないだろう。


「……だめ?」


「構わんよ」


「口調、変なんだけど……」


 不安げに小首を傾げられ、シンゴは思わず即答。しかし動揺が口調に出てしまっていたらしく、そこをイチゴに指摘される。


「ま、まあ、なんだ……急にどうした?」


 必死に動揺を誤魔化しながら、本来最初に口にすべきだった質問をする。

 すると、イチゴは目を逸らし、恥ずかしそうに俯くと、ちらりと窺うように見てきて――、


「……だめ?」


「よし、兄ちゃんと一緒に寝ようか」


 理由の追及を放棄し、シンゴは爽やかな笑みと共にサムズアップ。それを受け、イチゴがぱっと笑みを咲かせた。

 この笑顔を見られたのだから、この際、理由などもう些細な事だ。そう自分を無理やり納得させ、シンゴが穏やかな笑みを浮かべていると――、


「じゃ、すぐ寝巻きに着替えるから、ちょっと待ってて!」


「待つのはお前だ!」


 くるりと背を向け、ベッドの端に置かれた持参したらしき寝巻を手に取るイチゴへ、シンゴは素早く待ったを掛けた。


「――? なに?」


「いや、なに、じゃねえよ! お前まさか、ここで着替えるつもりか!?」


「そうだよ、当たり前じゃん。何言ってんの?」


「さも俺が間違ってるかのような言われ方に納得いかねえ……!」


 怪訝な顔を向けてくるイチゴに、シンゴは頭痛を覚えて眉間を揉む。

 するとイチゴは、そんなシンゴの態度を見て何を思ったのか、さっと自分の身体を隠すように持っていた寝巻でガード。そして、スッと瞳を細めると、


「……まさかとは思うけど、私の着替えるところを見ようだなんて考えてないよね?」


「は? だってお前、ここで着替えんだろ?」


 というシンゴの返しに、イチゴの目尻が鋭く吊り上がった。


「そうだよ! だからお兄ちゃんは後ろ向いてて! 当たり前でしょ!?」


「……へいよ」


「ねえ、なんで今ちょっと残念そうな顔したの!?」


 大人しく後ろを向くシンゴに、イチゴはぎゃーぎゃーとしばらく喚いていたが、やがて諦めたように嘆息をこぼして着替え始めた。

 後ろから聞こえてくる衣服の擦れる音をなるべく意識しないように、シンゴが何か別の事を考えようとした、その時だった。


『お前の妹は……なんというか、騒がしいな』


「俺の世界一可愛い妹の侮辱は許さねえ」


「この状況でそんな事言わないでよ!?」


 脳内に響いたベルフの『声』にうっかり返答を口にしてしまい、それを聞いたイチゴが後ろでバタバタと慌てふためく。

 あらぬ誤解を与えてしまったようだが、それを弁明するにはベルフの存在を明かさなければならない。しかし説明が長くなりそうなのと、先の発言に嘘偽りはないので、とりあえず弁明は後回しにする。


『前々から言おうと思っていたのだが、別にいちいち口に出さずとも、強く言葉を念じれば会話は可能だぞ?』


「なんでそんな重要な事を最初に言わねえ!?」


「言わなくても普通分かる事だよね!?」


 ベルフの活躍により重なる誤解。シンゴの兄として威厳が地に落ちていく。

 若干イチゴが距離を取る気配を背後に感じ、シンゴはこれ以上何があっても口を開くまいと、やや半泣きで唇を固く閉ざした。

 ベルフが『す、すまない』と謝罪してくるのにも一切応じず、イチゴが着替え終えるまで、シンゴはひたすら沈黙を守り続けるのだった。



――――――――――――――――――――



「――――」


「…………」


 シンゴはベッドの上にあぐらを掻いて座りながら、ひどく困惑していた。

 目の前には、正座した状態で前のめりになり、食い入るようにシンゴの事を見つめるイチゴがいる。

 シンゴの困惑は、この無言の視線が原因だ。


 イチゴは着替え終えるなりベッドに上がってきて、ずっとこの体勢のまま固まっている。

 シンゴもシンゴで、イチゴから発せられる無言の迫力に気圧されてしまい、何も言葉を紡げないでいた。


 ――結果、互いに黙って見つめ合う兄妹という図が完成してしまった。


「――――」


「……ッ」


 さすがに居たたまれなくなり、シンゴが何か言おうと口を開きかけた時だ。

 不意にイチゴの手が持ち上がり、スッとシンゴの右目を――真紅に染まる瞳を指差した。

 そして、目を丸くするシンゴに対し、イチゴはどこか寂しげな苦笑をこぼして、


「本当に、吸血鬼になっちゃったんだね……お兄ちゃん」


「――ッ!?」


 イチゴの言葉を受け、シンゴは先ほど壁に顔面をぶつけてからずっと、右目を真紅にしたままだった事に今更ながら気付いた。

 気を失うなどして意識が途切れる場合を除けば、基本的に瞳の色の切り替えは自らの意志で行わなければならない。

 最近はようやくこの体質にも慣れてきて、意識して瞳は元に戻すように心がけているのだが、先ほどは寝ぼけていた所為もあり、完全に忘れてしまっていたようだ。


「……そういやお前、俺が吸血鬼になったって言った時、特に驚いてなかったよな?」


 瞳の色を元に戻したシンゴが触れたのは、ガルベルトに『選別の境界』をどうやって越えたのかを詰問された時の事だ。

 シンゴの自分は吸血鬼であるという告白を聞いても、イチゴから目立ったリアクションはなかった事が思い出される。

 が、当のイチゴは苦笑交じりに首を横に振ると、


「ううん、あれはただのポーカーフェイス。大事な話みたいだったから、変に会話が脱線しないように我慢してただけ。でも私、内心ではすっごい驚いてたんだよ? だって、あのお兄ちゃんが吸血鬼だもん」


「…………」


 そう言って笑うイチゴに、しかしシンゴはすぐに返す言葉を口に出来なかった。

 兄が吸血鬼になりました、などと突然言われ、驚かない訳がない。シンゴだって、イチゴが吸血鬼になった、などと言われれば途方もない衝撃を受けるだろう。

 だからこそ、どんな言葉を返せばいいのか、すぐには分からなかった。


「――ねえ、聞かせてよ。あの神社の夜から、ここに至るまでに、お兄ちゃんが経験してきた事、全部」


 必死に言葉を探してシンゴが眉間に深い皺を刻んでいると、イチゴが一足先にベッドへ横になり、ねだるように微笑みながら言ってきた。

 その言葉を受け、シンゴはしばし呆然としていたが、やがて枕元の灯りを落として自分も横になると、掛布団を引っ張り上げながら「そうだな……」と過去に視線をさまよわせ――、


「ちょっと、長くなるぞ」


 そう前置きしてから、シンゴは自身の軌跡について語り始めるのだった。



――――――――――――――――――――



「――バカ!!」


 あの神社での一件から、ここに至るまでのシンゴの軌跡。それを語り終えた途端、シンゴはイチゴに罵倒を叩き付けられた。

 驚きのあまり目を丸くし、呆けたように口を開けたままのシンゴに対し、イチゴはその瞳に怒りの炎を宿しながら鋭く睨み付けてくる。


「ば、バカって……そんなガチで言われなくても、俺だって悲しいけどその自覚は」


「私はそんな事を言ってるんじゃない!」


「――っ!」


 動揺を誤魔化すように苦笑して、シンゴが口にした自己評価をイチゴは厳しく否定。その苛烈な剣幕に、シンゴは思わず息を詰めた。

 怒りの形相でシンゴの事を睨み付けながら、イチゴの口がゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「……死んだんだよね? いっぱい、死んだんだよね!?」


「あ、ああ……でも、俺には不死身の権威が」


「死なないからいいってもんじゃないでしょ!」


「――ッ!」


 シンゴの顔を挟み込むように両手で掴み、鼻先数センチの位置まで顔を寄せたイチゴが、堪えきれないように怒鳴り声をぶちまけた。

 やがて、言葉を失うシンゴの頬から手を離すと、イチゴはそのままシンゴの胸に顔を埋めてきて――、


「死ななくても、お兄ちゃんが死んじゃうなんて……そんなの私、やだよ……ッ」


「…………」


 密着したこの状態だからか、イチゴの身体の震えがはっきりと伝わってきた。

 そして、その悲しみに暮れた震える訴えも、はっきりとシンゴの鼓膜を震わせ、胸の奥深くを鋭く穿っていく。

 その痛みに顔を顰めるも、すぐに柔らかな笑みで上書きして、シンゴはイチゴの頭を優しく撫でると――、


「俺だって、痛いのも、苦しいのも、辛いのも、全部嫌だよ」


 分かっている。分かってはいるのだ。でも、だとしても、もしもその時がくれば、きっとシンゴは躊躇わない。

 だって、それだけが、キサラギ・シンゴに与えられた、唯一の存在理由で、存在価値なのだから。


「俺は、俺が嫌だって思う事を、全力で否定するよ。――だから、安心しろ」


 使命を全う出来ず、覚悟が決まらず、有限を失うくらいなら、無限を削り、恐怖を呑み込んででも、一時の苦しみに耐えるだけだ。

 一瞬の『嫌』で、その先に待ち受ける永劫の『嫌』を退けられるならば、喜んで『嫌』を受け入れよう。


 だって――、


「――俺は、不死身だからな」


「――!?」


 それを告げた瞬間、シンゴの胸を突き飛ばすようにしてイチゴが身を離した。

 イチゴは目を押し開き、驚愕の眼差しをシンゴに向けてくる。まるで自分のよく知るものが、知らない何かになっていた事に気付いてしまったように。

 その驚愕の真意は分からなかったが、あまり居心地のいい視線でなかった。故にシンゴは、こほんと咳払いをして話題を切り替える。


「イチゴ。あの女の事だけは、常に頭の片隅に入れておけよ」


「……沢谷優子さん、の事?」


「ああ……その沢谷優子さんの事だ」


 どこかぎこちなくはあるが、シンゴの話題転換に乗ってきてくれたイチゴ。それに内心ほっとしつつ、シンゴはあの全ての元凶である女の事を思い浮かべる。

 先ほどシンゴがイチゴに語り聞かせた事の中に、沢谷優子の事もあった。伝えるべきか悩んだが、やはり当事者であるイチゴには話しておくべきだと判断したのだ。


「まさか、沢谷優子さんもこっちに来てるなんて……」


「偶然が重なった結果だ。そこはもう割り切るしかねえよ。ここに居る限り、あいつは『選別の境界』を越えてはこれねえから、ひとまず安心だけど……」


 なんの因果か、沢谷優子はシンゴと同じ『罪人』となっていた。

 シンゴが『怠惰』と『激情』という特殊な力を扱えるように、あの女もまた、『羨望・嫉妬』という二つの権威を振るえる。


 その能力は他人への変身能力に、攻守に秀でた奇妙な赤い紐を自在に操る力だ。

 特に赤い紐の方が厄介極まりない。『激情』で底上げされたシンゴの攻撃すらも易々と凌ぎ切る恐るべき強度。それが全身をくまなく覆っているのだから、いくらシンゴが身体能力の限界値を上げたところで太刀打ち出来ない。


 あれを突破するには、シンゴ一人の力では不可能だ。

 現状で唯一可能性があるのが、かつてイレナが『ゼロ・シフト』の応用でカワードに放った、強制的な次元追放とでも言うべき手段のみだろう。


 だが、『ゼロ・シフト』の発動条件は対象に触れる事である。あの無尽蔵に増え続ける赤い紐の猛威を掻い潜り、沢谷優子の懐に潜り込むのは至難の業だ。そして潜り込めたとしても、赤い紐で覆われた身体に触れるのはリスクが大きすぎる。


 ――はっきり言って、現実的ではない。


 それでは、ただ逃げるしかないのかと問われれば、そうとは言い切れない。

 たった一つだけ、あの女に対抗できるかもしれない力がある。それは未知数で、存在すら怪しい力だ。しかし、沢谷優子と捏迷歪の存在が、シンゴにその力が存在する可能性を示唆していた。


 沢谷優子の『羨望・嫉妬』。

 シンゴの『怠惰』と、捏迷歪の『堕落』。


 この法則から導き出される可能性、それを確かめる為には、もう一度『アレ』と会わなければならないだろう。


「……お兄ちゃん?」


「っと、悪い。ちょっと考え事してた」


 訝しむイチゴの声で、シンゴの意識は現実へと引き戻された。

 先ほどの考えは、今後その機会があれば試みてみようと結論付け、シンゴはずっと気になっていた件について尋ねるべく、イチゴに向けて口を開いた。


「なあ、イチゴ。今度は、お前の話を聞かせてくれよ」


 この世界に迷い込んでから、イチゴがどういった経緯を辿り、この城に招かれるに至ったのか。イチゴを見つけたら、ずっと聞こうと思っていた事だ。

 一方のイチゴは、シンゴの申し出に対してしばらく黙り込んでいたが、やがて吐息すると、シンゴとの間に開いた距離を埋めるべくすり寄ってきて、


「ん、分かった」


 という短い返事と共に頷き、遠くを見るように細めた目を窓の外に向けた。

 それに釣られ、シンゴも窓の外を見る。

 透き通るような夜空には、満天の星々が瞬いており、その光景はどこか、あの始まりの神社の夜をシンゴに想起させた。


「私は――」


 語られるのは、キサラギ・シンゴの歩んだ軌跡とはまた別の軌跡――あの神社の夜を基点に分岐した、キサラギ・イチゴの物語だ。


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