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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:16 『八百年前』

 千八百年前に起きた『聖戦』は、吸血鬼の起源に纏わる話だった。それに続き語られるのは、今度は八百年前の出来事だ。


「その、でぃしーなんじゃらって神を、一人の『真祖』が自分の身体に降臨させたのが事の始まり……いや、再開なんすね?」


「『DCL16』でございます」


 物覚えの悪いシンゴの言葉を、すかさずガルベルトが訂正した。

 不可解なアルファベットと数字の羅列、それらで形成される邪神の呼び名。暗号めいたそれに、謎を解き明かしたいという男心がくすぐられるが、話の脱線を招くとシンゴは自戒する。


「えっと、その邪神がまた出てきたって事は、『聖戦』みたいな戦いもまた起こったって事ですよね?」


「いえ、起こりませんでした」


「……え?」


 尋ねるシンゴに首を横に振り、ガルベルトが『聖戦』のような戦いは起きなかったと断言する。

 だが、それはおかしい。邪神が復活したとなれば、必ず世界に多大な影響を及ぼすはずだ。しかし現在、この世界にそのような気配は微塵も感じられない。


 となれば、再復活を果たした邪神は、またもや無力化された事になる。千八百年前と同じように封印されたのか、それとも完全な消滅だったのかは定かではない。

 ただ一つ言えるのは、強大な邪神を封印、あるいは滅ぼすにあたり、『聖戦』に勝るとも劣らぬ規模の戦いが――神との戦いがあって然るべきはずだ。

 それがなかったと言われれば、首を傾げたくなるのも当然だろう。


「――もしかして、そこにリアス・ブラッドグレイの失踪が関係してるんですか?」


 そう問いを挟むのは、顎に手を当てて思案していたアリスだ。

 そのアリスの推測に対するガルベルトの解答は、あまり要領の得ないものだった。


「神との戦いは起こりました。そしてそれに、リアス様が関与しておられたのは間違いありません」


「――?」


 『聖戦』のような戦いは起こらなかったと否定しておいて、しかし戦いは起こったと矛盾する事を言うガルベルト。

 理解が及ばず、困惑げに眉を寄せるアリスと同様に、シンゴも首をひねる。


「申し訳ございません。少し、迂遠な物言いになってしまいました」


 シンゴ達が理解できていないのを見て、ガルベルトが己の顎鬚に触れながら謝罪する。そして机の上で、両の指を絡めるように手を組むと、


「リアス様は、ご自身の『従者』と共に、たった二人で邪神を降ろした『真祖』と戦われ、そして封印されたのでございます」


「――!」


 その邪神とやらがどれほどの強いのか、それは実際に戦った事のないシンゴには分からない。しかし『神』と言うからには、シンゴなど塵芥も同然なのは確かだ。

 それこそ、かつての『聖戦』のように、大人数で挑まねばならない程に。

 しかしそれを、リアス・ブラッドグレイは自分の『従者』とたった二人で打倒、封印したとガルベルトは言うのだ。


「神となった『真祖』とお二人の戦いは、地形を丸ごと変えてしまう程に壮絶なものでした。そしてその戦いの跡地、身に宿した邪神ごと『真祖』が封じられている地こそが、『星の足跡』と呼ばれる場所なのです」


「――! その場所は……」


 かつて、王都『トランセル』のバレンシール修道院にて、その土地の名を聞いた事がある。巨大な穴が空いている場所だと。

 まさかそれが、神と最強の戦いの余波によって刻まれた大地の傷跡だったとは、驚き以外の感情が湧いてこない。


 明かされた衝撃の事実に、シンゴ達はただ唖然となる。

 しかしここで、ふと気付く。今の話を聞く限りでは、リアス・ブラッドグレイはその『真祖』に勝った事になる。それが何故、失踪という結果に繋がるのだ。相打ちで死んでしまった、というのならまだ理解できる。だが、ガルベルトは『行方不明』と言ったのだ。


「もしかして、また何か呪いみたいなものが……?」


 一つの可能性に思い至り、シンゴは戦慄を孕んだ呟きを落とすと、確認するようにガルベルトに目を向けた。

 そのシンゴの視線に対し、ガルベルトは首を横に振って、


「いえ、呪いはなかったと聞きました」


「聞いたって……誰から?」


「リアス様、ご本人からです」


 ガルベルトの明かしたリアス存命の事実に、シンゴは瞠目――次には混乱に眉を寄せる。そしてそれは、アリスとイチゴも同様の反応だった。


「つまり、リアスさんは、邪神を封印した後に消息を絶った……そういう事だね」


 思考に集中しているのか、アリスは敬語を忘れ、素の口調で鋭い視線と共にガルベルトに確認の声を掛ける。

 ガルベルトはそれに頷く事で、その認識で間違いないと肯定した。二度目の邪神との戦いの後、リアス・ブラッドグレイは消息を絶ったのだと。


「件の戦いでご自身の『従者』を失くしたリアス様は、塞ぎ込む毎日でございました。当時の私は『従者』になって日が浅く、末端も同然。大神官であられたリアス様が姿を消されたと耳にしたのは、リアス様の失踪が判明してからかなりの日にちが経ってからでした」


 リアス・ブラッドグレイは『大神官』だった。その事実に驚きはない。なにせ『最強の吸血鬼』だ。そして『真祖』となれば、実際にリアス・ブラッドグレイを見た事のないシンゴでも、彼女こそが『大神官』に相応しい人物だと思う。


「……『従者』の人は、その戦いで?」


「ええ、邪神となった『真祖』との戦いの中で、亡くなられたと聞いております」


 リアス・ブラッドグレイの『従者』、その人物は戦いの中で命を散らした。

 既にそれはアリスも理解していたはずだ。それでも問うたアリスに返されたのは、当然、既に出ていた結論だった。


「…………」


 ――積み上げられる死が、あまりにも高い。


 聞けば聞くほど、吸血鬼の歴史は血に塗れている。これが、神に盾ついた事への報いなのだろうか。

 彼らはただ守ろうとしただけだ。平穏を、尊厳を、そして愛する者たちを。その代償に、心身を摩耗させる宿業を背負わされた。


 腹の底が熱い。理不尽な神への怒りが、胸の内を真っ赤に染めていく。

 拳を握り締め、奥歯を噛み、この鬱屈とした赤黒い感情を、言葉にして吐き出そうと口を開きかけ――直後に口を噤んだ。

 行き場をなくした怒りが霧散し、代わりに胸を満たすのは、憂慮の想いだ。


「……アリス」


「…………」


 シンゴの視線の先、眉尻を下げ、きゅっと唇を引き結ぶアリス。その伏せられた横顔は悲哀に満ちていて、思わずシンゴは彼女の名を呟いていた。

 しかし直後に、その声が彼女の鼓膜を震わせても、意味がない事を思い出す。また無視されるのがオチで、やるせなさにシンゴは唇を噛み――、


「――!」


 無視、されなかった。反応が、あった。

 ゆっくりと、今にも泣き出しそうな顔で、アリスの潤んだ瞳が上目遣いにシンゴを見てくる。

 言葉はない。何故、今だけ反応を返したのか、その真意も分からない。ただ、その瞳はどこか、シンゴに『なぜ?』と問いかけているようにも感じられて――。


「俺は……」


 口を開け、喉を震わせ、言葉を紡ごうとした。しかし、その先が出てこない。今言うべき言葉――否、答えを、シンゴはまだ見つけられていない。

 それでも何か言わねばと、必死に喉に訴えかけるが、ただ情けなく口が開閉を繰り返すだけで、何も紡げない。何も、言えない。


「ぁ……」


 やがて、アリスの視線が逸らされた。決定的な分水嶺、そこでの選択を間違えたのだと、ただ漠然とした後悔だけが残された。

 何か言うべきだった。せめて、時間を稼ぐべきだった。しかし漏れたのは、ただ取り残されるのを恐れるような、幼児じみた情けない吐息のみ。


 そんなシンゴを意識から外し、アリスはぐっと目を閉じると、先ほどのまでの悲哀を振り払うように目を開け、ガルベルトを見た。


「――その人は、リアスさんは、もしかしてボクの」


「残念ながら、それはありえません」


「――っ」


 意を決したアリスの推論を、ガルベルトが無情にも否定した。

 おそらく続けられたであろうアリスの言葉は、『お母さん』だ。リアス・ブラッドグレイが、アリス・リーベの実の母親なのでは、そうアリスは聞こうとした。

 その縋るような願いは、呆気なく断たれた。


「たしかに、リアス様は当時、子を身ごもっておられました」


「なら……」


「いえ、アリス嬢がリアス様の娘である、その可能性は私も考えました。しかし……失礼ながら、年齢を窺っても?」


「……十六です」


「それは確かで? 十六年、間違いなくあちらの世界で過ごされたのでございますな?」


 念を押すように、問いを重ねるガルベルトに対し、アリスは困惑を滲ませた顔で首を縦に振る。

 それを受け、ガルベルトは「やはり」と確信を得たように呟き、


「正直、アリス嬢の出生には不明な点が多くございます。しかし今の話を聞けば、リアス様とアリス嬢に血の繋がりはない、それは確実だと断言できます」


「根拠は……!」


 尚も食い下がろうとするアリスに、ガルベルトは哀れむような目を向け、覆しようのない事実を突き付けた。


「私が語っているのは、今より八百年前の事です」


「……っ!」


 リアス・ブラッドグレイが子を身ごもっていたのは、今より八百年前。もし彼女が今も生き延びていたとしても、その子供がアリスだというのは、時間という概念が否定する。


 吸血鬼が妊娠し、実際に出産に至るまでにかかる期間は、おそらく人間とそう変わらないのだろう。もし違いがあるならば、とっくにガルベルトが言及しているはずだ。それがないという事は、つまりそういう事なのだろう。


「ねえ、ちょっと待って? たしか吸血鬼って、子供が出来ないんじゃ……」


「――! そうだ、たしか呪いで子は出来ないって、さっきそう言って――!」


「それは、吸血鬼同士での話でございます」


 イチゴの気付いた話の矛盾点、それを拾い上げるシンゴだったが、それは呆気なく否定された。


「吸血鬼は同族、そして人とも子を成す事が出来ない。しかし、一つだけ例外がございます。自分が『従者』とした元人間、その相手とのみ子は成せるのです。ただしそれでは、ブラッドグレイの血が薄れゆく事実は変わらず、根本的な解決には」


「待て! 話が逸れてる! それに今のが本当なら、リアス・ブラッドグレイとその『従者』は、『混血』のアリスの親として条件は満たして――」


「ですから、それだとアリス嬢とリアス様のご子息の過ごされた時間が、圧倒的に食い違うのでございます」


「……ッ」


 一体、何故こんなにも意地になっているのだろうか。もはや答えが出ているにも拘わらず、往生際が悪いにも程がある。これでは、聞き分けの悪い子供がただ駄々をこねているだけだ。

 そしてその駄々を、ガルベルトは取り付く島もなく一刀両断する。リアス・ブラッドグレイの子どもとアリスの間には、時間という大きな隔絶が存在すると。


「十六年と……っ」


「――およそ、八百年でございます」


 血を吐くように呟いたシンゴの言葉を、ガルベルトが静かな声音で補足した。

 これが数年の違いならば、可能性は残されていたかもしれない。しかし、八百年だ。揺るぎようのないこの事実ばかりは、どんなに荒唐無稽な屁理屈で身を固めたとしても、突破する事は不可能だった。


「……もう、いいよ」


 押し黙る事しか出来ず、シンゴが歯痒さに必死に耐えていると、アリスが不意にぽつりと呟いた。

 そのどこか諦めたような声音に、シンゴは思わず声を上げかける。それでいいのか、そんな簡単に妥協していいのか、と。

 しかしシンゴがそれを言葉とするよりも、アリスが口を開く方が早い。


「ボクの知りたかった事は、これで大体聞く事ができた。――だから、満足だよ」


「…………」


 視線を下げ、儚げに笑うアリスを見て、シンゴは言葉を呑み込んだ。

 確かに、アリスの求めていた吸血鬼の事は、十分すぎるほどに語られた。吸血鬼の起源、種類、そしてアリス自身が『混血』に分類されるという事実。

 しかしそれで、アリスの知りたかった事は全部なのか。本当にアリスが知りたかったのは、己自身の事ではないのか。


 ならばそれは、未だに何一つ成されていない。『混血』などという呼称は、言ってみれば吸血鬼の中の人種のようなものだ。

 自分の人種が分かったところで、それは『全』を分割しただけ。結局は『全』の固まりが増えただけだ。そしてアリスが求める答えは、『全』ではない。


 ――『個』だ。


「――では、次はこちらの番ですな」


「――は?」


 ガルベルトの言葉、それが指すところの意味がすぐに理解できず、シンゴは目を丸くして隣の執事に顔を向けた。

 そんなシンゴの視線を、ガルベルトはあの柔和な笑みで受け止める。しかしその笑みを見た瞬間、シンゴはぞっと何かが背筋を這い上がるのを感じて息を呑んだ。


「ここは話し合いの場でございます。語り合う場でございます。無論、我々にも質問の権利があって然るべきはず。――違いますかな?」


「違、わない……です」


 上手く回らない舌を酷使して、シンゴは辛うじて反応を返す。それを受け、ガルベルトは笑みを崩さないまま満足げに頷くと、


「最優先事項、アリス嬢の質問への応答は完遂されました。繰り上げ、次点の優先事項を最優先事項とし、シンゴ殿に質問させて頂きます。――よろしいですかな?」


「俺に……ですか?」


 つい先ほど潤したばかりの喉が急激に干上がり、全身の汗腺が一気に開く。そして頭の中で鳴り響くのは、警鐘だ。

 何か、ヤバい。何か、マズい。何か、イヤだ。そんな曖昧な危機感が、徐々に募っていくのを感じる。


 ――ガルベルトの放つ空気が、一変していた。


「先ほど私は、シンゴ殿がこことは異なる世界のご出身である事に、一応の理解は示しました。しかし同時に申し上げたはず。――一つ、疑問が残ると」


「は、い……」


 肯定以外の反応を返せないシンゴを、ガルベルトの真紅の瞳が真っ直ぐ射抜く。


「――何故、人間の貴方が、この神域におられるので?」


「――ッ」


 ――ガルベルト・ジャイル。シンゴは初めてこの男に、親しみでも、怒りでも、共感でもなく、純粋な恐怖を感じた。


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