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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:11 『二人の門番』

「――シンゴ。お前、アリスを連れて先に行け」


「……は?」


 リンの丸投げ宣言を受け、驚愕に固まっていたシンゴに、カズから唐突にそんな話が持ち掛けられた。

 シンゴが目を丸くして二の句が継げずにいると、カズはぐいっと前のめりになり、真剣な面差しで覗き込むように見てきて、


「ここにイレナを一人置いてく訳にゃいかねぇだろ。それに、仮にアリスのこれが命に係わるようなもんなら、少しでも急いだ方がいい」


 先の発言の意図を説明し、一旦そこで会話を切ったカズは、何故かシンゴから視線を逸らす。そして、その横顔に何やら暗い影を落として――、


「お前は普段は弱っちぃバカでも、やるときゃやるヤツだ。それに行くなら、同じ吸血鬼の方が都合もいいだろぉよ。……オレじゃ、足でまといになりかねん」


「そん……」


 そんな事はない――その一言が、何故か喉につっかえて出てこなかった。

 普段なら言えたはずだ。しかし、今のカズを見ていると、そんな気休めの言葉をかけるべきではない、と躊躇してしまったのだ。

 故にシンゴは、寸前までの言葉を呑み込み、代わりに別の言葉を口にした。


「あとでイレナの目が覚めたら……カズも来るんだよな?」


 自分自身でも自覚できぬほど微量の不安を孕んだシンゴの問いに、カズは視線を逸らしたまま、静かな声音で「ああ」と答えた。

 その返答を受け、シンゴは刹那だけ目を閉じると――、


「――分かった。確かに今は、アリスのこの症状をどうにかするのが先決だよな。俺、ちょっとその……モンブラン城まで行ってくるよ」


「ブラン城だ!」


 シンゴのその甘そうな勘違いを横から訂正するのは、椅子から立ち上がって目尻を吊り上げたリンだ。

 そして彼女は、脱力するように椅子に腰を下ろし、小さくため息をつくと、


「アタシが自分で勧めておいてアレだけどさ、正直、大神官様は何考えてんのかよく分かんねーとこがあんだよ。神官様らの中には、比較的話の通じる方もいらっしゃると思うけど……なんなら、アタシも付いてってやろーか? このままだと、ちょっと筋が通ってなくて気持ちわりーしさ」


 と、先ほど丸投げ宣言をしたリンが、そんな提案をしてきた。

 今のリンの話からして、『大神官』との対話は容易ではない様子。そしてどうやら、『神官』達の方も同じ毛色らしい。

 同族とはいえ、シンゴ達はよそ者だ。門前払い、なんて事もあるかもしれない。

 故にリンの申し出は、正直かなりありがたかった。


 しかし、シンゴは――、


「いや、やっぱカズの言う通り、同族の俺とアリスだけで行くのがいいと思う。だからリンは、イレナの事と……」


 シンゴがちらりと、難しい顔で沈黙しているカズに視線を送るのを見て、リンもこちらの内情を察してくれたらしく、短く嘆息をして「わーったよ」と了承してくれた。


「なんで吸血鬼が外から来てんだーとか、なんで吸血鬼じゃねー普通の人間が入ってこられてんだーとか、聞きてー事は山ほどあるけど……それはそこのオレンジ髪にまとめて聞く事にする。とりあえず、失礼だけはねーよーにな」


「ああ、善処してみる」


「善処じゃなくて、厳守だ!」


 こうして、アリスの治療の手がかりを求め、シンゴのブラン城訪問が決まった。



――――――――――――――――――――



「――イチゴさん? ごめん、おれは知らないよ、そんな子。ねーちゃんは?」


「アタシも知らねーな」


「……そっか」


 手早く出発の準備を調えたシンゴは、背中にアリスを背負った状態で玄関口にいた。

 発つ前にと、そもそもここにやって来た理由である、イチゴの件について姉弟に尋ねたシンゴだったが、返ってきたのは先の返答だった。


 本当にここにイチゴがいるのかと、小さな疑念が胸の内に過るが、結論を出すのはまだ早い。情報提供者であるシャルナは言っていたではないか。イチゴは何か翼の生えた生き物に連れ去られたと。


「アリスが翼を出してるとこなんて見た事ねえけど、ここの吸血鬼なら出せそうだしな」


 シンゴの炎翼は吸血鬼由来のものではない。そしてアリスが翼を出して空を飛ぶ姿など、出会ってから一度も見た事がない。しかし、希望を捨てるにはまだ早い。

 ウルトの『時読み』では、北の果て――つまりこの地に探し人がいると結果が出たのだ。きっとイチゴは、ここにいるはずだ。


「――あ、そういえば」


 と、希望を見出そうと苦心するシンゴの前で、不意にゴンがそんな声を上げた。

 何事だとゴンを見れば、彼はそのクセのある薄い金髪を掻きながら、ここではない情景に視線を合わせるように虚空を見つめて、


「たしかこの前、女の子の友達が出来たって、ラミアとレミアが言ってたような……」


「ラミア、レミア……?」


 初めて聞く名にシンゴが首を傾げるのと、ゴンがリンに頭を叩かれたのは同時だった。


「いったぁ――!?」


「いったぁ……じゃねー! なに呼び捨てにしてんだ!? 様をちゃんと付けろって、なんべん言わせんだよ、ゴン!」


 叩かれた頭を押さえて涙目になるゴンに、憤慨したリンが吠える。

 そんな姉弟のやり取りに苦笑いをこぼしつつ、シンゴは今しがた会話に上がった、『ラミア』『レミア』なる者らの正体に目星を付けた。


「なあ、今ゴンの言った二人って、もしかして神官か?」


「様!」


「……神官様か?」


 怒りに染まった顔をぐるんとシンゴに向け、敬称を付けるように言ってくるリンに、シンゴは思わずため息を吐いてから言い直した。

 それを受け、「ったくよー」と吐息するリンは、まだ痛むらしい頭部をさするゴンの肩を拳でノックしながら、


「コイツの何が気に入ったのかアタシも知んねーけど、時々そのお二方が遊びにいらっしゃるんだよ」


「うぅ……ひでーよ、ねーちゃん。二人が様付けは堅苦しくて鬱陶しいから、そう呼べって……」


「ああん?」


 姉の言い分に不満を述べた弟が、その姉の一睨みで沈黙させられた。大変気の毒に思うが、今は流させてもらう事にして――。


「それで、その神官様が何だって?」


「……なんか、大神官様が連れてきたとか言ってた。同性の遊び相手が出来て嬉しいって」


「同性……って事は女か、その二人」


 シンゴがゴンくらいの年の頃は、女子と遊んでいると男子にからかわれたもので、シンゴはこの少年の勇姿に敬意を抱くと同時に、心底妬ましいと思った。


「――じゃなくて。今、大神官様が連れて来たって言ったか?」


「うん、二人はそう言ってた」


「…………」


 ゴンの証言を得て、シンゴは視線を下げながら沈黙した。

 今の話が本当なら、連れて来られた女というのは、イチゴの事ではないだろうか。

 まだイチゴだと決まった訳ではない。しかし、明確な希望が、可能性の光が、暗い道先に差したのをシンゴは感じた。


「……よし」


 目を閉じ、その小さな光を瞼の裏に焼き付けて、シンゴは決意を固めるように呟いてから、その顔を上げた。


「そんじゃ、行ってくる。イレナとカズの事、よろしく頼むな」


 現在シンゴとアリスの事を見送りに来ているのは、ゴンとリンの二人だけだ。カズはイレナを見てくると言って隣の部屋に向かった後、一度も部屋の外には出て来ていない。

 カズが何か思い詰めているらしいのは、さすがにシンゴでも分かる。しかし今は、アリスの件が優先だ。アリスの症状を治し、無事にイチゴを連れ帰ったら、改めて尋ねてみるつもりだ。


「おーよ、任せとけって」


「もしラミア様とレミア様に会ったら、よろしく伝えておいてよ」


「おう」


 それぞれ見送りの言葉を送ってくれた姉弟にサムズアップで応じてから、シンゴは最後にちらりと、開けっ放しの玄関――その奥へと視線を向けた。

 そこに望んだ姿はやはりなく――。


「……行ってくる」


 届かぬと知っていながら、小さく呟くように出立の言葉を告げて、シンゴはアリスを背負ってブラン城へと歩き出した。



――――――――――――――――――――



 集落より北にも、広い田畑が広がっている。

 リンの家に着く前にも見た田畑だが、ここはその面積が桁違いだ。そしてやはりと言うか、見渡す限り育ち過ぎの豊作だった。


「なんだよ、このカラフルなやつ……完全に木じゃん」


 胸の高さほどまである、七色のブロッコリーもどき畑の横を通り過ぎながら、シンゴは複雑な表情で呟いた。

 首を巡らせれば、黄金に輝く果実から、収まり切らずに地中から半分ほど飛び出した巨大な根菜など、見た事もない不思議な作物たちが視界に入ってくる。そしてそのどれもが、巨大かつ多量だった。


 その異様な光景に挟まれた一本道を北に向かって進みながら、シンゴはこれが『豊穣の加護』の力なのだろうか、と感嘆の吐息を漏らした。


「……でもなんか、頭悪くなりそうだな」


 げんなりして独り言をこぼすシンゴは、いつもの制服姿だ。防寒具と荷物はリンの家に預けてある。もちろん背中のアリスも、今はあの黒一色の装いだ。

 しかし、背中を通して伝わってくるアリスの体温は、まるで熱された鉄を背負っているように熱く、シンゴの背は既に汗でぐっしょりである。


「実際は俺の半分、アリスの半分ってとこだな。……急がねえと」


 女の子であるアリスをこんな汗塗れにしておくのは忍びない。早くこの症状をどうにかしてやりたいものだ。

 そしてその治療方法は、きっとこの先にある。あってもらわねば、困る。


「そうだ、大丈夫だ。きっと治る。そんで、イチゴもいる。全部、うまくいく」


 自分に言い聞かせるように、何度もそう唱えながら歩き続けていると、やがて田畑エリアを抜けた。

 顔を上げれば、遠方に巨大な山が見えた。そのほとんどが雪に覆われているあの山は、『冥現山めいげんざん』と呼ばれ、魔物が多く生息しているらしい。

 シンゴ達を襲ってきた『白猿』と、白い竜――名称を『白竜はくりゅう』というらしい――は、あの山から下りてきた魔物との事だ。


「そんで、あれが……」


 そして、山から視線を下げると、古びた古城が視界に飛び込んできた。

 あれこそが、シンゴの目指す場所であり、希望と終点の目的地だ。


「……そういや俺、アリスの事、何にも知らねえよな」


 こうしてアリスと二人きりになるのも久しぶりで、シンゴはふとそんな事を思った。

 初めて出会ったあの神社から、シンゴはアリスとずっと一緒にここまでやって来た。しかし改めて振り返ってみると、シンゴはアリスの事をほとんど知らない。


 どこで、どういう風に育ってきたのか。家族と呼べる存在はいたのか。本人は勘だと言っていたが、あの神社にやって来た経緯も知りたいところだ。

 アリスが求める、アリス自身の事についても、あの城に答えがあるはずだ。そして、答えを得られたあかつきには――、


「イチゴも交えて、色々と聞いてみたいな」


『――話してくれると思うか?』


 不意に、シンゴの独り言を会話に昇華させる『声』が頭の中に割り込んできた。

 しかし、シンゴはその『声』に特段驚く様子は見せず、眉を寄せると――、


「どういう意味だよ、ベルフ?」


 シンゴの中に居座る、『怠惰』を司る半身のみの炎鳥――ベルフだ。

 過去に何度か、ベルフがシンゴに話しかけてくる事はあった。しかしそれは、ほとんどベルフからの一方的なものであり、校舎でのものを除けば、会話と呼べるような類ではなかった。


 変化があったのは、『ウォー』での一件以来だ。

 ベルフは度々こうして、シンゴが一人の時に話しかけてくるようになった。それにシンゴが返事をすれば、ベルフも応じる。要するに、今までの一方的な語りから、ちゃんとした会話が出来るようになったのだ。


 聞けば、当初は短い言葉をシンゴに届けるのも一苦労だったらしい。会話が可能になったのは、『怠惰』の権威がシンゴに馴染んできたからだとベルフは語った。

 最初は驚き、頭の中に響く『声』と会話するという、元の世界ならば痛い行為に戸惑いを感じたものだが、それも回数を重ねるごとに慣れてきて、今ではご覧の通りだ。


『あの雪原で魔物に襲われた時、この少女はお前に対して怒りを顕にしていたぞ?』


「……そういえば」


 言われて思い出したが、確かにあの時、アリスはシンゴに対して怒っていた。

 悪意を読み取る力の恩恵で、シンゴはあれがただの勘違いなどではないと理解している。


『相当な怒りだった。和解せぬ限り、おそらく会話には応じてくれないだろうな』


「そんなこと、言われもな……」


 はっきり言って、アリスを怒らせてしまった原因に全く心当たりがない。雪原では普通に話せていた事から、おそらく対『白猿』戦の際のシンゴの言動、もしくは行動の内のどれかが、アリスの怒りに触れてしまったのだろうが――。


「とりあえず、その件は後回しだな。――着いた」


 『冥現山』を背景に、苔や蔓にそこかしこを覆われ、積み重ねた時の重みを感じさせる荘厳な古城が、シンゴの眼前に悠然とそびえ立っていた。

 その言い知れぬ迫力に、シンゴは思わずごくりと生唾を呑み込む。


『――怖いか?』


 ともすれば、挑発とも取れるベルフの問いに、シンゴは背に感じる重みを、熱を意識して、ふっと口元に笑みを浮かべて首を横に振った。


「まさか。ようやくここまで来たって、ちょっと感動に足が止まっただけだ」


『そうか』


「ああ、そうだよ」


 軽口を交わしたおかげか、少しだけ心が軽くなったような気がした。だからこそ、この罪悪感がより際立つ。

 シンゴは何度か口を開いては閉じ、やがて意を決して言葉を紡いだ。


「あのさ……ベルフ。校舎で、お前を選ばなかった事なんだけど……」


 ずっと気がかりだったのだ。あの時、シンゴはあの最悪の状況を打破する為に、炎鳥ではなく亡霊の手を取った。それはベルフを裏切る行為と等しく、心の片隅に負い目という名称のくさびで打ち込まれ、ここにくるまで疼き続けていたのだ。


 だからこうして、ベルフが普通に話しかけてきてくれた事は嬉しくて、しかし同時に罪悪感に押し潰されそうになって。

 城に入る前に、どうしても憂いを断っておきたくなったのだ。


 謝れば、少なくともシンゴは気が楽になる。そんな自分勝手で浅ましい考え方が気持ち悪くて、さらに許しを欲している自分が、なんとも救い難い。

 そんな複雑な感情を湛えたシンゴの言葉に、ベルフは僅かな沈黙を置き――、


『気にするな。あの男の言葉は正しかったし、お前の選択も正しかった。現にこうして、お前は仲間を欠く事無くここに立っている。私では、猿はともかく、あの竜に対処できたか怪しいところだった』


「…………」


 許しを得てほっとした自分に、シンゴはほとほと呆れた。これでは憂いを断つどころか、募る一方で本末転倒だ。

 胸の内を満たしていく自己嫌悪に、思わず顔を伏せたシンゴへ、『声』は――、


『顔を上げろ、キサラギ・シンゴ。私ごときに負い目を感じて、その瞳を曇らせるな。今はただ目の前の……お前の目的だけを見据えろ』


「……ああ、そうだよな。やっと、ここまで来たんだもんな」


 城を見上げて感慨深く呟くシンゴの脳裏に、この世界に来てからの事が走馬灯のように浮かんでは消えた。

 中には苦痛を伴い、元の世界では経験する事のない類の絶望を味わった事もあった。しかし、得られたものも確かにあった。


「だから、ちゃんとアリスを治して、イチゴも見つけて、全員でカズの人生相談をやろう。――もちろんその時は、ベルフも頼むぜ?」


『……善処しよう』


「善処じゃなくて、これは決定事項な」


 頭の中で唸る『声』に、シンゴは頬を緩めた。そして、改めて城に臨もうと――、


「あれれー? 誰か来るなーと思ったら、これってアレじゃないかなー?」


「ええ、お姉さま。これは間違いなくアレです」


「――!?」


 不意に響いた二つの声に、シンゴはハッとして前方を注視した。

 視線の先、先ほどまでは誰もいなかったはずの前庭に、二人の少女が立っていた。

 向けられる二つの顔は瓜二つ。ふんだんにフリルがあしらわれた白い衣装は、両者共に同一。見た目は共に、十代前半くらいか。


 全く同じ顔に、統一された衣服、しかし明確に違う部分が何点かあった。

 最初に喋った少女は、その美しい銀髪を右側だけ赤いリボンで結んでおり、同様の赤いリボンが衣装の各所に散りばめられている。

 対して、二番目に喋った少女は、銀髪を左側だけ青いリボンで結び、同じく青いリボンを衣装の各所に散りばめていた。


 ――まるで鏡合わせのようだ、とシンゴは感じた。


 しかし、まだ一つだけ、違っている点がある。そこだけは、鏡合わせではないとシンゴに教えてくれる相違点。

 それは、その愛らしくも整った二つの美貌に浮かべられた、それぞれの表情だ。

 赤いリボンの少女は勝気で自信に満ち溢れた笑みを浮かべ、青いリボンの少女は感情の読めない無表情を浮かべていた。


 これだけの情報が出揃えば、この二人の少女が姉妹――否、双子なのだと理解できる。

 そして更に、この双子の素性を知れる特徴がもう一つある。シンゴを物珍しそうに見ている二対――合計四つの、縦に裂けた真紅の瞳だ。

 その瞳を見れば、この二人の正体は簡単に導き出せる。そう、この双子は――、


「吸血鬼……!」


 戦慄を孕んだシンゴの声に、双子はその瓜二つの顔を見合わせた。そして、「「やっぱり」」と声を揃えて頷き合うと、同じであって表情の違う顔を同時に向けてきて――、


「「――侵入者!」」


「なっ――!?」


 瞬間、前方の地面が爆ぜた。そして気付けば、シンゴの身体は二つの衝撃によって後方に弾き飛ばされていた。

 地面を何度も跳ね、転がる遠心力に翻弄され、それでもなお勢いは止まらない。


 しかし突如、水切りのように地の上を滑っていたシンゴは、従来のキサラギ・シンゴでは不可能な動きをした。

 地面に勢いよく手の平を叩き付け、空中で後転。そのまま両足を地面に着地させ、長い二本の線を地に刻んで止まった。


 そうして、顔を上げたシンゴは――、


「――いきなり攻撃とは、嫌に好戦的だな、双子の吸血鬼?」


 片側だけの真紅の瞳が、目を丸くする吸血鬼の双子を見据えた。

 その声は確かにキサラギ・シンゴのものだが、話す口調は本来のものではない。

 これは、『ウォー』の時と同じ。吹き飛ばされる途中で、シンゴがベルフに身体の主導権を明け渡したのだ。


 シンゴ――ベルフは、先ほどの無茶な挙動でへし折れてしまった手首が、ごきごきと異音を立てて修復されるのを確認すると、動作を確かめるように手を振って、


「――っ!」


 そこでハッと、背中が軽くなっている事実に気付いて目を見開いた。

 慌てて真紅の右目を辺りに巡らせると、少し離れた位置でうつ伏せに倒れているアリスの姿を見つけて――、


「ぐっ……!? ダメだ、シンゴ……その男に、たよ――」


 突然顔に手を当て、苦悶に顔を歪めて苦しみ出したシンゴ――ベルフが、必死に何かを訴えようと声を絞り出すが、その声は途中でぷつりと途切れた。

 そして、怪訝な目を向けてくる双子の吸血鬼の前で、シンゴはゆっくりと俯いたまま、その口を再び開いた。


「いじめ、いじめだ、いじめだろ。死ね、死ねよ、死んでくださいよ」


 ぶつぶつと、シンゴの声で喋るのは、キサラギ・シンゴであって、キサラギ・シンゴではない何か。


「病気の、アリスを、いじめて……ダメだよね、いけないよね、当たり前だよね?」


 顔を上げ、遠くに見える二人へと問うように、首を傾げる動作でこきりと骨を鳴らす。

 そして、いつの間にか紫紺に染まっていた両目を、かっと押し開いて――、


「――そんな簡単な事も、分からないのかよおおおおおおおおおおおおッッ!!」


「「――!?」」


 絶叫し、二度目の口調の変化を経たシンゴは、息を呑む双子に向かって突貫。

 『激情』で強化された異常な脚力は、地を抉り、風を突き抜け、シンゴの身体を驚愕に目を見開く双子のもとへと一瞬で運んだ。


 全力の踏み込みが、地面にヒビを入れる。ひねられた下半身から、上半身へと力がうねるように駆け上がり、空気が震えた。そして、大気を穿つ風切音を迸らせ、シンプルな――それでいて、壊滅的な威力をほこった拳が放たれた。


 ――が、拳が対象を屠る事は叶わなかった。


「あはは! すっごいねー、今の! でも、ちょっと期待外れだよねー」


「はい。直線的すぎて、思わず欠伸が出ます」


「――!?」


 声が聞こえたのは、真下からだった。ぎょっとして視線を下げると、しゃがみ込んだ姿勢の双子が、楽しそうに、つまらなさそうに、シンゴを見上げていた。

 ここで気付く。この二人からは、シンゴに対しての悪意が全く感じられない。

 それはまるで、ただ遊んでいるだけのようで。それはまるで、そもそもシンゴに興味がないようで――。


「もっと遊んでたいけど、このあとも遊ぶ予定あるし……うん、決めた! この人ちゃっちゃと殺しちゃおっか、レミア!」


「はい、ラミアお姉さま。この侵入者を片付けて、三人でかくれんぼでもしましょう」


「あ、いいね、それ!」


「……っ。人を無視して……!」


 すぐ足元で楽しそうに遊びの予定について話し合う二人に、シンゴは紫紺の瞳をぎろりと向けて奥歯を軋らせる。

 そんなシンゴの声に、邂逅からずっと無表情だった青いリボンの少女――レミアが、むっと眉を寄せた不機嫌そうな顔を向けてきて、


「うるさいです。今、お姉さまが話しているじゃないですか。お姉さまが、レミアにお話して下さっているじゃないですか。それを邪魔するなんて、常識知らずにも程があります。――死んで詫びても許しません」


「――!」


 スッと真紅の瞳が細められた次の瞬間、眼前からレミアの姿だけが突如として掻き消えた。あまりにも速い動きに、シンゴの動体視力が付いていけなかったのだ。

 しかし、今は先ほどとは事情が違う。レミアは、姉との会話を邪魔されたのが気に食わなかったのか、シンゴに対して初めて、殺意という名の興味を向けてきた。

 それは、悪意を読める今のシンゴに対して、致命的だ。


「な――!?」


 背後から真横に振り抜かれた足を、シンゴは上体を前に倒して回避。背後から驚愕に息を呑む気配がして、シンゴはそのまま身体を旋回させて反撃を試みようと――、


「ダメじゃーん、ラミアの事を忘れちゃあ」


「ぐぶ――っ!?」


 いつの間にそこへ移動したのか、ボールを軽く蹴り上げるような気楽さで、真横から赤いリボンの少女――ラミアのつま先がシンゴの腹部に突き刺さった。

 腹の中で幾つかの臓器が破裂し、衝撃の余波があばら骨はおろか、背骨までをも粉砕する。

 込み上げてくる嘔吐感に抗えず、シンゴは堪らず口から血の塊を吐き出した。


 そしてその直後、浮き上がったシンゴの首裏に、意識を刈り取る一撃が落とされた。

 体勢を立て直したレミアが、追撃のかかと落としを放ったのだと理解した時には、顔面から地面に叩き付けられていた。


「……っ」


 薄れゆく意識を懸命に繋ぎ止めようとするが、意識の消失は止まってはくれない。

 ここで気を失えば、アリスはどうなる。イチゴはどうなる。自分は、どうなる。

 誰も答えてくれない。誰も助けてくれない。誰も――。



「ぉ……ぃ……ん……!」



 ――意識が闇に沈む寸前、どこか懐かしい音が、聞こえたような気がした。


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