第3章:51 『龍と誘蛾灯』
「ぅ……ん?」
小さな呻き声を漏らし、モプラ・テン・ストンプは目を開けた。
目をこすりながら身体を起こし、しばらくの間は身体の芯に絡み付く眠気の残滓にうとうとしていたが、やがて自分が見知らぬ部屋の中にいる事に気が付いた。
「あれ……?」
モプラがいるのは、必要最低限の物しか置かれていない質素かつ狭い部屋だ。そんな部屋の大部分を占めている寝台の上にモプラはいる。
「…………」
ぼーっとしながら部屋を眺め、モプラは自分の手の平に視線を落とした。ふとその時、自分がいつもと違う装いをしている事に気付く。
上から羽織るように着ているのは、紫色のローブだ。
「――っ!」
そのローブを見た瞬間、眠りに落ちる以前の記憶が雪崩のように押し寄せてきて、モプラは息を呑んで慌てて寝台から飛び下りた。
するとちょうど、そのタイミングで――。
「――ん、起きたか」
「――!?」
扉が開き、入ってきた男がモプラを見てそう述べた。
最初こそ警戒していたモプラだったが、目の前の男に見覚えがある事に気付き、眉間に皺を寄せる。
「あ」
やがて目的の記憶を掘り当て、目を見開くと同時にモプラの口から声がこぼれ落ちる。
目の前の人物は、テラとシアと戦っていたあの場にいた巨漢だ。今はその装いが少し違うが、間違いない。
固まるモプラの前で、その大男は後ろ手に扉を閉め、顎でしゃくって寝台を示すと、
「まだ寝てろ」
「で、でも……わたしは!」
「もう、終わった」
「え……?」
シンゴ達の元に行かねばと焦るモプラに、男がその必要がない事を――終わりを告げた。
――――――――――――――――――――
「――そう、ですか」
事の顛末を聞き終え、モプラは寝台の端に腰を下ろしながら顔を伏せた。
モプラがどうしてこんな所にいるのか、そしてあの後どうなったのか。目の前の男――賀茂龍我は全て話してくれた。
しかし、それらをすぐに呑み込めと言われても難しい。
渦中にいたにも拘わらず、いつの間にか弾き出され、気が付けば全て終わっていたのだ。元はと言えば、モプラが全ての発端なのに。
「――すまない」
「え?」
急に謝罪の言葉がかけられ、モプラは驚きながら顔を上げ、すぐ目の前の椅子に腰を下ろす龍我を見た。
最初は鋭くて怖いと思っていた目つきが、今は申し訳なさそうに垂れ下がっている。
やがてその視線が逸らされ、謝罪の理由を龍我が説明する。
「別れの挨拶もさせてやらず、俺の勝手な判断でお前をここに連れてきた事だ」
「――――」
その告白に、モプラは目を見開いて龍我をまじまじと見る。
モプラがここ――『ウォー』の西はずれにある宿に連れて来られたのは、第一に、危険から遠ざける為だと龍我は説明した。ここの宿主は龍我の知り合いで、安全だというのも加味しての事らしい。
しかし結果、モプラはシンゴ達に別れを告げる機会を失った。
――そう、別れだ。
モプラは、申し訳なさそうな顔でこちらを見ているこの人――賀茂龍我に引き取られる事になったのだ。
とは言っても、別に養子に入る訳ではない。その辺の詳しい事情についてはまだ説明して貰っていないが、シンゴ達と別れる事になるのは確定との話。
突然の事でまだ理解が追いついていないが、あの人達との離別を告げられた時、モプラは胸の奥が締め付けられるような痛みを感じた。その痛みはまだ微かな疼きを伴って残っており、モプラは無意識に胸の上を手で押さえる。
「――嫌か?」
そんなモプラの様子を嫌がっていると捉えたらしく、龍我がそう問いかけてきた。
モプラはその言葉に慌てて首を振ると、視線を下げながら口元に自嘲の笑みを浮かべる。
「そうじゃ、ないんです……。わたしがみなさんを巻き込んでしまったのに、結局なにも出来なかった事が悔しくて……歪さんも、助けられなくて……っ」
焼け焦げた捏迷歪の死体を思い出し、モプラは悔しげに下唇を噛み締める。
もう少し早く権威の制御が出来ていれば、歪を助ける事が出来たかもしれない。
深く、重い後悔の念が込み上げてきて、モプラは目尻に涙を溜めながら顔を伏せた。
「安心しろ、歪は死んじゃいねぇ」
「――へ?」
不意に告げられた驚愕の事実に、モプラは目を見開いて顔を上げた。
すると、いつの間にか目の前に伸びて来ていた手が、モプラの目尻に浮かぶ涙をそっと拭い取った。
大きな手にされるがまま、モプラは突然の事に身を固くさせる。涙を拭うその手つきは少し乱暴で、しかし優しい熱をモプラの頬に伝えてきた。
いつしかモプラはその手を捕まえて、広い手の甲に額を押し付けていた。
歪が生きていた。それはにわかには信じられない事で、モプラの為に吐かれた嘘の可能性もあった。それでも何故か、その言葉に偽りはないと思えた。
根拠のない安心を得て、モプラは思わずその手を取ってしまっていたのだ。
――ただ、問題はそれだけではない。
「それが本当だとしても……わたしは、やっぱり何も出来なかった……っ」
結局モプラは何の役にも立たなかった。巻き込むだけ巻き込んでおいて、その尻拭いは他人任せ。そんな自分が情けなくて、悔しくて。
またしても溢れ出してきた後悔の涙は、しかしもう片方の手に優しく拭い取られた。
「――俺は、声を聞いてあの場にやって来た」
「……こ、え?」
嗚咽交じりの声で聞き返し、モプラはゆっくりと顔を上げる。すると、モプラの涙に濡れる瞳を、龍我は真っ直ぐ覗き込むように見てきて――。
「人間のものじゃねぇ……怪物みたいな雄叫びだった」
「――っ!」
「俺はその声を聞いたから、あそこに辿り着いた。もしもあの時、その声が聞こえていなけりゃ……キサラギ・シンゴらを救う事は出来なかっただろうな」
「ぁ……ぅっ」
何か熱いものが喉元まで込み上げてきて、口から漏れる吐息に熱が混じる。
それが少し恥ずかしくて、必死に口を閉じようと苦心するも、震える唇は上手く閉じてくれない。
「――お前があの場にいたから、頑張ったから、俺は救う事ができたんだ」
モプラを真っ直ぐ見据え、龍我がそう告げた。
涙を拭っていた手が離れ、そのままモプラの桃色の髪の上に乗せられる。
頭の上にかかる重みは優しく、そしてどこか安心できるような温もりがあって――。
「あぅ……ひぐっ」
「誇れ、モプラ・テン・ストンプ。お前はあいつらを救った。罪にばかり目を向けるな。自分の行いがもたらした救いを数えろ」
「――ッ」
――必死に堪えていた想いが、限界を迎えた。
「ぅ、ああぁぁぁ――っ」
モプラは寝台から飛び出すと、龍我の胸に飛び込み、そのまま顔を押し付けて泣いた。
今までの人生、諦めにより積み重なったものが、涙と共に一気に外へと溢れ出す。
そんなモプラの頭を、手は優しく撫で続けながら――、
「泣くのはガキの仕事だ。全力で泣け。そして泣き終わったら、顔を上げて前を見ろ。違った世界が見えてくるはずだ」
己自身の泣き声に掻き消される事無く、不思議とその言葉は一字一句に至るまで、しっかりとモプラの耳に刻み込まれた。
――――――――――――――――――――
「うぅ……」
「その、なんだ……気にするな」
盛大に泣き、我に返ったモプラを襲ったのは、激しい羞恥だった。
布団にくるまり、込み上げる羞恥に身悶えするモプラに、龍我の困ったような声がかけられる。
いつまでもこうしていては失礼だと思い、モプラはかなりの労力を消費して布団から顔を出す。しかし全てとまではいかず、出せたのは目元までだった。
鏡を見ずとも、自分の顔が真っ赤になっている事は容易に想像でき、その事実がまたモプラの羞恥心に拍車をかける。
そんなモプラに龍我は難しい顔で腕を組み、困り果てた様子だ。だが、今のモプラにはこれが限界である。
それを龍我も察してくれたらしく、咳払いを入れて線引きをすると、別の話題に切り変えてきた。
「それで、だ。しばらくは各地を旅しようと考えてるんだが……何か希望はあるか?」
「そ、そぬ――っ!?」
「お、落ちつけ。ゆっくりでいい……」
『その』を盛大に噛み、再び布団という防護壁の中へ逃げ込もうとするモプラに、龍我が慌てて声をかけてくる。
なんとか防護壁の展開は額までに留め、モプラは深呼吸を繰り返してから気を落ち着かせると、ゆっくり目元を露出させ――しかし視線は逸らした状態で、改めて自分の意見を述べた。
「そ、その……わたしは、どこでも……」
「そ、そうか」
特に希望という希望でもないその意見を言うのに、まさかここまで苦労するとは思っておらず、ぎこちなく頷く龍我に聞こえないようにモプラは布団の中でため息を吐く。
しかしここでふと気になった事が脳裏に過り、モプラは顔を上げて口を開いた。
「龍我さんは、いいんですか? その、副団長さん……なんですよね?」
「ん? ああ……その事か」
モプラの質問の意味を理解し、龍我は納得に頷きながら表情を引き締めると、
「いいか? 少しきつい事を言うが、お前は『罪人』だ。バレるバレない以前に、王都に連れて行くなんて危険な真似は犯せねぇ。『トランセル』には理解のある人が多いのは確かだが、中にはそうでない奴も大勢いるからな」
「……ごめんさない」
「謝るな。お前は自分が悪人だと思うか? 自ら進んで人に害を成す、そんな輩だと」
「そ、そんな事は――っ!」
「だったら、お前は自分が持った力の使い方を学ばなきゃならねぇ。そうすれば、お前が過去、意図せず犯した罪を償う方法も見つかるはずだ」
「――!」
龍我のその言葉に、モプラは大きく目を見開いた。
口を開けて固まるモプラに、龍我は腕を組みながら頷きかけると、よく見なければ分からないほどの微笑を口元に浮かべ――、
「お前は自分の生き方を探せ。俺はそんなお前を支えてやる」
「……でも、やっぱりお仕事の方は」
「もちろん、時々だが顔は出すつもりだ。だがな、もしもお前を捨てて責務を果たせと言うなら、俺はお前を選ぶ」
「――っ」
真面目な顔で断言し切る龍我に、モプラは喉が詰まって上手く次の言葉が継げなくなる。
過去、これほどまでに親身になってくれた人は、キサラギ・シンゴ達を除いて他にいただろうか。
モプラ・テン・ストンプの人生は、人の優しさとは無縁のものだった。唯一それが感じられたのは、浮浪児達と共にいた時だけだったが、彼らはもうこの世にはいない。
――モプラはいつも、孤独だった。
「――お前はもう一人じゃねぇさ」
「――ッ」
まるで心を読んだかのような的確なその言葉に、込み上がる大きな衝動で喉が塞がり、目頭が熱くなる。しかし、再び泣き顔を見られるのは嫌で、モプラはぐっとそれを我慢すると、胸の奥につっかえていた疑問を代わりに吐き出した。
「どう、して……どうして龍我さんは、わたしにそこまで……?」
龍我の真摯な想いはちゃんと伝わってきた。しかし、どうしても裏がないかと疑ってしまう。今まで何度も信じて、そして最後には裏切られてきたのだ。厚意を無下にするようで心が痛むが、それでもモプラは尋ねずにはいられなかった。
モプラのその、どこか縋るような視線に、龍我は瞳に強い意志の光を宿して答えた。
「それが、俺の信じる――正義だからだ」
「せい、ぎ……?」
「そうだ、正義だ。善悪の区別をするのは難しいが、正しい道を歩むのはもっと難しい。正しいと分かっていながら選ばなかった事を、俺は後から後悔したくねぇ。だから俺は、俺が信じた正しい道を迷わず歩き続ける。――そう、決めたんだ」
「そう、ですか……」
モプラは精一杯の笑みを浮かべてから、静かに視線を伏せた。
龍我の答えは、モプラの求めていたものとは少し違っていた。モプラ自身、自分が本当に欲していた答えが何なのかは分からない。でも、今の答えは、モプラの望んでいたものではないのは確かだった。
それはひどく傲慢で、押し付けがましいものだとは理解している。だとしても、この胸の内にわだかまる霞のようなものは、晴れてくれないのだから――。
「あと、これは俺にもよく分からん感情なんだが……」
「……?」
不意に続けられた声に顔を上げると、龍我が頬を掻きながら、難問に向き合ったような難しい表情を浮かべていた。
「言葉にするのも少し難しいんだが、お前の過去の断片をウルトさんから聞いて、実際にお前を見た時、俺は……」
龍我は眉間に深い皺を刻みつつも、モプラの人生を狂わせ続けてきたこの忌まわしい目を真っ直ぐ見据えて――、
「無性に放っておけねぇって……傍にいてやりてぇって、そう思っちまったんだ」
「――ッ」
「俺自身、どうしてそう思ったのかは分からねぇんだが……ただ、これが何も間違っちゃいねぇものだっては理解できた。だから――」
「龍我さん――ッ!!」
「っと――!?」
我慢できず、モプラの身体は自然と動き、再び龍我の胸の中に飛び込んでいた。
そして、まるで先ほどの焼き直しのように、モプラの口から小さな嗚咽がこぼれ、涙が溢れる。
ただしその涙は、安心を得て、今まで溜め込んでいた泥のような感情が一気に噴き出した先ほどのものとは違い、認められたという嬉しさから溢れた涙だ。
「――――」
再び頭の上に手が乗せられた。コツを掴んだのか、髪を撫でる手つきは乱暴さが和らぎ、代わりに沁みるような優しさが増していた。
頭の上を往復する手の優しい感触と、密着する事で感じられる人の温もりを噛み締めながら、モプラはすすり泣く自分を背後から見つめるような、不思議な感覚の中で思った。
もしも父親がいたら、こんな感じなのかな――と。
「……モプラ。俺と、来るか?」
改めて、問われる。頭上から降ってくる柔らかいその声に、モプラは何度も頷きながら、思わず――、
「ぅ、ん……いく……おとうさんっ」
「……その呼び方は、今はまだ勘弁してくれ」
苦笑するような気配が上から伝わってきた。それでも、頭を撫でる手の動きが止まる事はなかった――。
これにて三章終了です!
予定より長くなってしまいましたが、ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございます!
――みたいな書き方をすると終わるみたいですが、もちろんまだまだ続きます。
あと、大変申し訳ないのですが、三章の時と同様に、四章の細かいプロットを練るのに更新がしばらく開きます。エタるなんて事は絶対にしないので、どうかご安心してお待ちください。というか、これだけ書いておきながらエタるのは、私自身が嫌ですので、絶対に最後まで書き切りますよ!
進捗具合はちょくちょく活動報告に書いていきます。
それでは、また次章でお会いしましょう!