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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
110/214

第3章:49 『DCL16』

「――――」


 不用心に開け放たれた扉を潜り、賀茂龍我は『バベルの塔』内部へと足を踏み入れた。

 龍我がこの場に訪れたのは、そもそも彼がここ『ウォー』にやって来た本来の目的を果たす為だったのだが――。


「……静かすぎるな」


 既に日は高く、本来ならここに勤めている者達は出勤していなければならない時間帯だ。

 とはいえ、現在の『ウォー』はちょっとした混乱の中にある。都市内部に侵入した『罪人』を排除する為に、都市にいる者ら全員が協力して事に当たっている最中だ。


 かてて加え、捏迷歪という別の『罪人』が行使した睡眠魔法により、多くの者が未だ睡魔の虜となっている。それを思えば、こんな騒乱の中で堂々と出勤してくる者の方が少ないだろう。


 ――だとしても、だ。


「見張りの一人もいねぇってのは、どうだ……?」


 眉間に皺を寄せ、鋭い目つきをより鋭くさせながら、龍我は辺りを見渡しながら進んで行く。

 ふと階段に目がいったが、まずはこの不自然な静けさの原因を探った方がいい気がして、龍我は階段ではなく奥にある受付け窓口を目指す。


「――っ」


 受付け窓口に向けて歩みを進めていた龍我だったが、不意に彼の鼻腔を異臭が突き刺した。

 窓口に近付くにつれて増す異臭に顔を顰めながら、龍我は窓口に辿り着くと、鼻を手で覆いつつ、その中を覗き込んだ。

 そこには――、


「これは……」


 明かりがなく、最初は暗くて何か分からなかったそれも、次第に目が慣れてきて正体が判明する。


 ――警備兵らしき身なりをした男達の屍が山のように積まれていた。


 間違いなく、異臭の元はこれだ。一体何があったのかは分からないが、ここからは更に気を引き締めなければならない。

 死体の山に一瞬だけ目を閉じて黙祷を捧げると、龍我は踵を返して階段へと向かう。


 本来の目的――それを成すにはまず、ノーミ・エコに会わなければならない。騒乱の所為で当初の計画とはかなり違った形でここに訪れる結果となったが、龍我からしてみればむしろ好都合だ。

 しかし往々にして、そう上手く事が運ぶ事はない。


「――まずいな」


 不意にそう呟くと、龍我は階段を一気に駆け上がり始めた。

 言い知れぬ胸騒ぎが加速する。それも、かなり悪いものだ。早く上階に辿り着かねば、取り返しのつかない事に――いや、先ほどの死体の山からも薄々察せられるが、もう既に。


「――!」


 恐るべき速さで階段を上り切った龍我だったが、螺旋階段を抜けた所で不意に人影が視界に割り込んできた。

 その人影は龍我を無視し、そのまま横を通り抜けようとする。しかし龍我は咄嗟に人影の腕を掴んだ。そしてその顔を覗き込もうとするが――。


「はなせ」


「――ッ」


 感情の抜け落ちた声と共に、真っ赤に腫れた無感情な瞳が、底冷えするような殺気を宿して龍我を射抜いた。その視線に含まれるのは、怖気が走るような深い憎悪だ。

 自惚れるつもりは毛頭ないが、それでも龍我は自分の強さを自覚している。純粋な戦闘力に関してもそうだが、何よりその強靭な精神力を。


 しかしそんな自負とは裏腹に、その瞳に射抜かれた瞬間、龍我は思わず息を呑んで掴んでいた手を放してしまった。


「…………」


 目を見張る龍我を光の灯っていない瞳で刹那だけ見やると、やがてその人物は無言で階段を駆け下りて行った。


「今のは……」


 龍我は己の手の平に付着した血に視線を落としてから、血まみれの剣を大事そうに抱えていた紅髪の少女――テラが駆けて行った階段を見る。

 構造的にカーブを描いている階段には血の跡が点々と続いており、それは半身を血で染めていたテラが落としていったものだ。


 龍我は次に、テラがやって来た方向へと目を向けた。そこには開け放たれた状態の扉があり、龍我が事前に入手していた情報が正しければ、ノーミ・エコの執務室という扱いになっているはずの部屋だ。


 角度的な問題から、龍我のいる位置からその中がどうなっているのかは分からない。しかし、流れてくる空気に血臭が混じっているのは分かった。

 先ほどのテラの血まみれの姿から察するに、やはりここでも何かがあったらしい。


「――――」


 しばし無言で扉を見ていた龍我だったが、やがてその足が執務室へと向かい、その中を覗き込む。

 そこは――、


「……最悪だな」


 中は、凄惨な有様だった。

 赤い絨毯に濃い染みを作りながら、原形すら分からぬほどぐちゃぐちゃにされた肉塊が二つ転がっている。


 龍我はむせ返るような血の匂いの中へと足を踏み入れた。そして扉のすぐ近くにあった肉塊へちらりと視線を向ける。

 その肉塊には藍色の毛が絡み付き、かつてその身に纏っていた服は自らの血を吸って赤一色だ。しかし辛うじて血の浸食を免れた部分は紅で、それだけで龍我はこの肉塊が誰なのかを察した。


「……すまない」


 哀しげに瞳を伏せ、龍我は静かに謝罪を口にする。

 あの双子が追っていたシンゴ達は、悪ではなかった。ならば双子が悪なのかと問われれば、龍我は首を横に振るだろう。

 なぜなら――、


「ガキに罪はねぇ……」


 子供は導く側によってその在り様を無限に変える。善にも、悪にもだ。

 たとえ悪事に手を染める事はあったとしても、その命がこのような残酷な形で失われるなど、あってはならない。


 龍我は無言でその肉塊に歩み寄ると、その場に片膝を着き、頭を下げた。歯を食い縛り、その肩が静かな怒りに震える。

 そうして頭を下げ続け、やがて龍我は立ち上がると、もう一つの肉塊へと視線を向ける。


 歩み寄り、見下ろす。その肉塊には緑色の毛が絡み付き、後ろの少年と同様に血の浸食を免れた衣服に、龍我は緑色を見て取った。


「『ウォー』にて不穏な動きあり……俺はそう言われてここに来た。だが、まさかこんな形で相対する事になるとはな。――ノーミ・エコ」


 龍我の瞳に宿るのは悲哀であり、落胆だ。本来なら話し合いで解決に持ち込む――その為にはまず裏を取る必要があり、そうしている間に今回の騒ぎは起きた。

 もしも龍我が真っ先に会いにきていれば、こんな事にはならなかっただろうか。そんな後悔が脳裏に過るが、もう全て終わってしまった。


 龍我の任務はこれで終わり。そしてこれは、『トランセル』に取っては良い結末だ。

 しかし龍我は、決して喜ぶような気分にはなれなかった。


「安らかに眠れ。俺は、お前と一度でいいから話してみたかった。……許せ」


 絞り出すようにそう言うと、龍我は自分のロングコートを脱ぎ、かつてノーミ・エコと呼ばれていたその亡骸にそっと被せた。

 その後ちらりと背後の亡骸――シアを見て、申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「悪いな、こっちだけで。だが、お前の魂はもうそこにはねぇんだろ?」


 龍我の脳裏に蘇るのは、血濡れの剣を大事そうに抱えるテラの姿だ。

 やがて龍我は立ち上がると、風が吹き込んできている壁の穴を見て、その目を思わしげに細め――、


「これは、お前がやったのか? ――日向ッ」



――――――――――――――――――――



 『ウォー』を出てすぐ――北の街道から横に逸れた林の中。鬱蒼とした木々が生い茂るそこの一際大きな木の根元で、影が不自然に揺らいだ。

 影の揺らぎは強くなり、やがて一人の少女が、まるで地面の中から這い出てくるように姿を現した。


 超常的な力によって現れたのは、肩にかかる位の白髪に、真っ白なワンピースのような衣服を纏った、上から下まで真っ白な少女だ。

 やがて全身を顕にした少女は、その整った相貌を気落ちしたように暗くさせ、小さなため息を漏らした。


「まったく……この私が雑兵の処理を押し付けられるとはね。人使いが荒いと言うか、肝が据わっていると言うか……私相手によくやってくれるよ」


「――呼び出しておいて遅れるなんて、ちょっと非常識なんじゃないですか?」


 少女の不満げな呟きに反応したのは、苛立ちを孕んだくぐもった声だ。

 そちらに視線をやると、ちょうど木の陰からその声の主が姿を現したところだった。

 頭の上からつま先まで、全身を赤い布のようなもので覆い尽くした、異様な人物だ。

 その身体のラインから辛うじて性別が女性だと判断できるが、それ以外の情報は得られない。


 ――いや、一つだけ分かる事はあった。それは、その全身から滲み出る怒りだ。


「そんなに怒らないでほしいな。遅れた事は素直に謝るけど、私もちょっと野暮用があってね。とは言っても、ほとんど雑用を押し付けられた感じだよ。君の先輩は私という存在に対して敬意が足りていないと思うんだ。――その点、君はどう思う?」


「私もどちらかと言えば歪さんよりです。あなたのような得体の知れない人に敬意を払うなんて、常識的に考えて絶対に無理です。――そもそも、遅れてくるような人に」


 顔は布で隠れているが、むくれているのが容易に分かる。そんな赤布の女の言葉に、白い少女は苦笑をこぼしながら肩を竦めた。


「その件については本当に反省しているよ。ただ、私も万能ではないからね。討ち漏らしがないか確認していたら結構な時間を取られたんだ。……あと、得体が知れないって発言に関しては、鏡を見てから言ってほしい、とだけ反論させてもらおうかな。沢谷優子くん」


 そう言うと、白い少女は赤布の女――沢谷優子に、その深紅の双眸を楽しげに細めて向けた。

 しかし沢谷優子の反応はというと、ツン――とそっぽを向くという素っ気ないものだった。


「やれやれ、相当ご立腹のようだ。……ふむ。私が遅れたのが原因と言うより、どちらかと言えば、彼との逢瀬を邪魔された事の方が原因かな?」


「――っ」


 少女の述べた推測に、今までドライな反応しか示さなかった沢谷優子が劇的な反応を見せる。

 びくりと肩を跳ねさせ、おろおろし始めたかと思えば、今度は腕を胸の前で慌ただしく上下させる。そして何か言おうとしているらしいのだが、上手く言葉が継げないらしく、「あぅ」やら、「うぁ」やら、二文字しか言えていない。


「ふふ。彼も幸せ者だ。こんな可愛い女の子に惚れられるなんて」


「か、かわ――っ!?」


 機嫌を取る為のお世辞とも気付かず、沢谷優子は頬に手を当てて硬直。そしてそのまま後ろを向き、声にならない喜悦の声を上げ始める。

 耳を澄ますと、「おしどり夫婦」やら「子沢山」など少々――いや、かなり飛躍した単語が拾えたが、少女は聞かなかった事にして、咳払いを一つ。


 沢谷優子がその咳払いにハッとなり、心なしか恥ずかしそうに身体を小さくしながら振り向いた。

 その態度については大人の対応という事で流してやり、少女は苦笑しながら「さて」と前置きして、


「急に呼び出しておいて悪いんだけど、実はこの呼び出し自体が私の目的であって、特に話す事はないんだ」


「――へ?」


 一瞬の間を置き、沢谷優子の口から呆けた声が漏れる。

 そのままの状態でしばらく固まっていた沢谷優子だったが、やがて今までの上機嫌っぷりが嘘のように冷え込み、代わりに静かな殺気を漂わせながらその黒瞳を細めた。


「じゃあ、なんですか。私の好きにしていいと言っておきながら、こうして呼び出して、その理由が私をしんちゃんから引き離すのが目的だったと? ――まさか、デプレシンさんもしんちゃんの事が……」


 剣呑な気配を漂わせ始めた沢谷優子に、白い少女――デプレシンは「待った待った」と両手を振り、


「確かに君を呼び出したのは彼らから引き離す為だけど、私がシンゴくんに惚れたというのは話が飛躍し過ぎている。まあ、かなり魅力的な男性だとは思うけど、一番のお似合いである優子くんを差し置いて、そんな大それた真似は決してしないよ。約束する」


「……本当ですか?」


「本当だとも」


「…………」


 苦笑いを浮かべるデプレシンをじっと凝視していた沢谷優子だったが、やがて小さく吐息して殺気を霧散させる。


「……分かりました」


「君が聡明な女性で良かったよ。――本当に」


 許しが出て、デプレシンはホッとした様子で肩から力を抜く。

 そんなデプレシンに対し、未だに不機嫌そうな沢谷優子は、「それで」と低い声と共に首を傾げて、


「しんちゃんと私の仲を引き裂くつもりがなかったのなら、一体何が目的だったんですか?」


「ああ、それは――」


 その質問に、我が意を得たと言わんばかりに鷹揚に頷き、デプレシンは腕を組みながら真紅の双眸で沢谷優子を見る。


「優子くん。君は、彼の傍にいた私と容姿の似た少女を殺すつもりでいたかい?」


「もちろんです。しんちゃんにまとわりつく害虫の駆除は、その……彼女として当然の義務ですから!」


「そ、そう……」


 恥じらいの後に勢いよく言われ、デプレシンは若干身を引きつつも頷く。そしてすぐに咳払いをして動揺を誤魔化すと、真剣な面持ちを浮かべて言う。


「どうか、彼女の命を奪う事だけは我慢してくれないかな?」


「……なぜです?」


「そんな怖い顔しないでほしいな。なに、アレは私の目的成就になくてはならない存在なんだ。八百年かけてようやく見付けたのに、殺されてしまってはまた探さなければならなくなる。――私はこう見えて、結構待つのが嫌いな女なんだよ」


「――っ!」


 妖艶な微笑、と称するには些か濃すぎる笑みを浮かべたデプレシンから異様なプレッシャーが放たれ、沢谷優子は思わず息を呑んで後ずさる。

 その反応を受け、デプレシンが「しまった」といった顔をしてすぐにプレッシャーを引っ込める。そして申し訳なさそうに自嘲気味の苦笑を漏らすと、


「私とした事が、またいつもの悪い癖が出てしまったよ。そんなに怖がらなくても大丈夫さ。私は君に危害を加えるつもりは今のところない」


「今のところ、と言うと……」


「無論さっきの件だ。それさえ守ってくれれば、あとはシンゴくんと睦まじく愛を育んでいてくれて構わない。――欲を言えば、私の言った事は素直に聞いてくれると尚いい」


「……このタイミングでそれは、卑怯です」


 不満げな沢谷優子の言葉に、デプレシンはなぜか「ふふん」と得意げな顔。

 そんな態度に毒気を抜かれたのか、沢谷優子は嘆息と共に脱力する。


「まあ、そんな無茶な事は言わないから大丈夫さ。代わりと言ってはなんだが、私に答えられる事ならなんなりと質問してくれて構わない。――何かあるかい?」


「……それじゃあ、いくつか」


 両手を広げ、見た目相応の無邪気な笑みを浮かべるデプレシンに不満げな視線を送りながら、沢谷優子は目の前の少女の顔に注視する。


「デプレシンさんは、アリスさんと肉親か何かなんですか?」


「いや、私と彼女は肉親ではないよ」


「でも、物凄く似てるじゃないですか。髪の色とか、顔とか、種族とか……」


 首を横に振って即答するデプレシンだったが、沢谷優子の疑念は晴れない。食い下がる彼女に苦笑すると、デプレシンは後ろで両手を組んで視線を宙にさまよわせながら、


「確かに、その疑念は仕方がないと思う。私と彼女の関係は、より厳密に言えば肉親でもあり、そうでないとも言える。そんな曖昧な感じだ。ただ、やはり私はアリス・リーベの肉親ではないよ」


「……よく、分かりません」


「ふふ。わざとそうしてる」


 無理解にふくれる沢谷優子に、デプレシンは悪戯な笑みで応じる。

 これ以上は深く答えてくれないと判断したのか、沢谷優子は喉に何かつっかかるような不快感を強引に呑み込み、次の質問へと移る。


「さっきの八百年って言うのは、本当なんですか?」


「ああ、本当だよ。――ちょっと待って。今なにか、私に対してもの凄く失礼な事を考えなかったかい?」


「いえ。かなり、おばあちゃんなんだなぁと」


「…………」


 押し黙るデプレシンを見て、沢谷優子はささやかな仕返しが成功したと口元――赤い布に手を添えてくすくすと笑う。

 そんな反応を受け、デプレシンは渋面を作ってそっぽを向いてしまう。そうしていれば、年相応の少女に見えてしまうのだから本当に不思議だ。


「ごめんなさい。次で最後の質問にしますから」


「……早く」


 不機嫌さを隠そうともしないデプレシンだったが、どうやら問答には最後まで付き合ってくれるらしい。律儀なのか、ただの負けず嫌いなのか。

 そんな事を考えながら、沢谷優子は最後の質問を投げかける。


「デプレシンさんの目的って……いったい何なんですか?」


「――――」


 その質問が放たれた瞬間、デプレシンの表情が固まった。

 やがて、先ほど見せた年相応の笑顔とはまったく違う、怪しげな色香を放つ艶やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと沢谷優子にその真紅の瞳を向けてきた。


「本当に、聞きたいのかい?」


「は、はい……」


 その表情と、声に含まれる異様な圧を感じ取り、沢谷優子の声が意図せず震える。

 まとう雰囲気が変わったデプレシンは、沢谷優子の動揺に揺れる黒瞳をしばし見詰めてから、ゆっくりとその口を開いた。


「私の目的……それは、『DCL16』の復活だ」


「でぃー、しー……?」


 不可解な英語と数字の羅列に、沢谷優子は頭の上に疑問符を浮かべて首をひねった。そしてそのまま疑問を口にする。


「それは一体……?」


「――ふむ。さすがに今のだけでは何も伝わらないか。とは言っても、これ以上深くは話せないんだよ」


「どうしてですか?」


 首を傾げる沢谷優子に、デプレシンは「簡単さ」と胸を張ると、


「君が信用できないからだ」


「……それは」


「君もさっき、似たような事を言っていたじゃないか。私に対して敬意は払えない、と。それと同じで、私もまだ新参の君を信用し切れていない。――なにせ、『大罪の獣』に選ばれるような人間だからね」


「…………」


 押し黙る沢谷優子を一対の真紅が見詰めていたが、不意にその視線が逸らされた。

 どうしたのか、と布の下で眉を寄せる沢谷優子に背を向け、デプレシンは何やら振り子のように身体を左右に揺すり始める。何か考え事でもしているのか、綺麗な白髪が慣性に導かれてさらさらと揺れる。


「――そうだね。ここは数百歳ほど年上の私が大人の対応といこうか」


「――?」


 意趣返しのつもりなのか、年齢について触れながらそう言うと、デプレシンは背を向けたまま腕を組み、語り始める。


「やはり詳細に関しては話せないが、ちょっと私なりにお伽噺風に練り直したものでいいなら、話そう。――はるか古の時代、とある神が現れた」


「神様?」


「そう、神様だ。そしてその神の出現と同時に、もう一柱の神が姿を現した。最初の神は、残念ながら天の意志によって地の底に落とされたが、二番目の神は一番目の神が沈められる前に、その『権威』を賜った。その二番目の神こそが――」


「『DCL16』……ですか?」


「その通り」


 半身で振り向き、淡い微笑で頷くデプレシン。

 沢谷優子はしばし黙考し、やがて諦めたように首を振ると、


「とりあえず、デプレシンさんは神様を蘇らせようとしている、という事だけは分かりました。でも、やっぱりそれ以外はさっぱりです……」


「いや、それでいい。それくらいの理解に留められるよう意図してのものだからね。それ以上理解された場合……」


「――場合?」


 首を傾げて復唱する沢谷優子に、言葉を途中で切ったデプレシンは身体の向きを正面に戻し、頬を掻きながら視線を逸らして言った。


「私がただの間抜けになる……」


「……やっぱり、私はデプレシンさんがいまいち理解できません」


「さっきの話を理解してほしくはないが、私という個人を理解してもらえないのは少し寂しいな」


 疑わしげな沢谷優子の視線に、デプレシンは苦笑して肩を竦めると、腕を組み直して首を斜めに倒す。


「それで、もう質問は終わりかい? これで終わりなら、私からも君に一つ質問……確認しておきたい事がある」


「なんですか?」


「君がこれからどうするかについてだ」


 これからの動向について尋ねてくるデプレシンに、沢谷優子は視線を伏せ、どこかここではない所に意識を向けながら答える。


「本当は、今すぐしんちゃんに会いに行って、ついでにあの女達を殺すつもりでいたんですけど……アリスさんは殺しちゃダメなんですよね?」


「それはやめてほしいな」


「やっぱりダメですか。別にそれなら、イレナさんを今すぐ殺しに行ってもいいんですけど、やっぱり先に木更木さんを消しに北へ向かおうと思います」


「別にとやかく言うつもりはないけど、それはどうしてだい? 私から言わせてもらえば、かなり非効率的な気がするんだが」


 確かに、どのみち殺すつもりでいるのなら、先に殺せる方を殺しておいた方が楽なはずだ。しかし沢谷優子は首を横に振ると、その黒瞳を楽しげに細め――、


「私、宿題は難しいものから先に終わらせて、簡単なものは後に取っておくタイプなんです」


「――なるほど。それが君なりの拘り……矜持、という訳か」


「はい!」


 威勢のいい返事をする沢谷優子だったが、その布の下に浮かべられた笑顔は、次に告げられたデプレシンの言葉で驚愕に変わる。


「君は、北に向かわない方がいい」


「――え?」


 まさか否定の言葉を返されるとは予想しておらず、沢谷優子は息を詰まらせて瞠目する。

 そして、再びその視線に剣呑な色を過らせ――、


「……いい加減にしてください。最初に会った時に話したはずです。木更木さんを消す事が、私の使命だって。それを分かっていながら邪魔をするんですか? もしそうなら――」


「違うよ、違う。早まらず、どうか私の話を最後まで聞いてほしい。……というか、優子くんは少々人の話を聞かなさすぎる傾向があるな。そのままでは、シンゴくんにも嫌われる事になるよ?」


「――っ! あなたに彼の何が分かるんですか――ッ!?」


 怒声を張り上げた直後、沢谷優子から無数の赤い布がデプレシンに向けて射出された。


「やれやれ……ある意味では尊敬に値するよ、君のその歪んだ愛には」


 深々と嘆息するデプレシンの額に、三つ巴――それを構成する各々のパーツが上下逆さになったような、奇妙な痣が浮かび上がった。

 直後、その足元の影が不自然に揺らぎ、まるで地から植物が生えるように、蠢く影の沼から影で作られた触手のようなものが幾本も伸びる。


「――親の言う事はちゃんと聞いてほしいな」


 瞬間、その華奢な矮躯を蹂躙せんと襲い掛かってきた赤い布を、空中で待機していた影達が全て絡め取った。


「『ラハブの赤い紐』が――!?」


「だから言ったじゃないか。私は君達の親なんだ。親が子より強いのは――常識だよ」


「――っ!?」


 最後の言葉がすぐ耳元で聞こえ、沢谷優子はぎょっとして声の方へ顔を向けようとして――出来なかった。

 それは、いつの間にか全身に絡み付いていた、無数の影が原因だ。


「そんな……どうして、『嫉妬』の権威が……ッ」


 必死に逃れようと身をよじる沢谷優子の真横で、その身体に影を纏わせながら白い少女が笑う。


「私は『憂鬱』だ。君ら子とは、背負う罪の格が違う。――まあ、厳密に言えば、この影達は権威ではないのだけどね」


「わ、たしは……」


「ん?」


 足掻けば足掻くほど圧迫してくる影に苦しそうな喘ぎを漏らしながら、沢谷優子が掠れた声で呟く。

 そして、小首を傾げるデプレシンにぎろりと眼球だけを向けて――、


「私は……知ってます! 嬉しい時は、一緒に嬉しそうに笑ってくれて……哀しい時は、その原因を取り除く為に傷だらけになってくれる……ッ!」


「……それは、『羨望』で得た、彼の妹くんの記憶じゃないのかい?」


 呆れたような目を向けてくるデプレシンに、沢谷優子は赤い布を何本も至近距離から突き出す。しかしそのどれもが触手型の影に絡め取られ、攻撃は無効に終わる。


「小さい時は少し怖くて、よく暴れて、殴られたりもしたけど……それでも! その後は泣きながら謝ってくれました!! 私の為にぃ――ッ!!」


「――今の話、詳しく聞かせてくれないかな?」


「あなたに話す事なんて何も――」


 次の瞬間、暴れながら拒絶の意を示す沢谷優子に、デプレシンはそっと耳打ちをした。

 最初こそ嫌そうに顔を背けようとしていた沢谷優子だったが、話を聞く内にピタリと暴れるのを止め、鼓膜を震わせる音に耳を傾け始めた。そして、目を見開くと――。


「それは……本当ですか? そんな状況が、本当に……」


「既に種はまいてある。あとは、シンゴくんが上手く事を運べば、必ず国は彼の事を放ってはおかないはずだ。そうなれば、君は妹くんをただ殺すのではなく、最高の形で幕を下ろす事が出来る。そして同時に、両隣を埋める二人の少女は彼の元から離れ、真の意味で彼の理解者は――君だけになる」


「でも……それにはまず、木更木さんをしんちゃんが見付けて、ちゃんと連れ戻さないと……」


 不安げに声を震わせ、寸前までの怒気など完全にどこかへやってしまった沢谷優子は、影から解放されて地に足を下ろす。

 心配するように、そわそわとしながら返答を待つ沢谷優子に、デプレシンは深みのある笑みを浮かべ――、


「優子くん。君は彼の事が信用できないのかい?」


「で、できます! それで私がしんちゃんの一番になれるのなら、我慢して待ちます!」


「――いい返事だよ」


 唇を綻ばせ、曇りのない笑顔を浮かべたデプレシンは、「ところで――」と繋げ、


「さっき言っていた、シンゴくんの幼少時の件についてなんだけど……」


「ああ、それはですね――」


 ――――。

 ――――――――――。

 ――――――――――――――――。


「……なるほど」


 話しを聞き終えたデプレシンは、難しい顔で瞳を細めると、唇に手を当てて黙考し始めた。

 その横では、沢谷優子が頬に手を当ててうっとりとしている。


「ああ……我慢。我慢だよ、優子。木更木さんはしんちゃんが大好き。だからこそ、しんちゃんが嬉しいと、木更木さんも嬉しい。そうなれば、私は気持ちよくお掃除が出来る! そして、その後は……きゃ〜ッ!!」


 妄想の世界で繰り広げられる甘い展開に、沢谷優子はその場に蹲って悶絶。

 その様子を横目に苦笑してから、デプレシンは木々の隙間から差し込む日の光に真紅の瞳を細めると――、


「――さて、キサラギ・イチゴくん。君は今、一体どこにいる?」


 そう呟き、彼ら彼女らの中心にいる、まだ見ぬ少女に思いを馳せた――。


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