第3章:48 『おかたづけ』
※グロ鬱に注意
「ん……」
『ウォー』にて一番高い位置にある一室――壁に大きな穴が開いたそこで、女は小さな呻き声を漏らして目を覚ました。
顔の半分に被さる緑髪を掻き上げ、横向きに倒れていた身体を起こす。起伏に富んだ女性らしい肢体を包むのは緑の軍服だ。
「私、は〜……?」
額に手を当てて首を振りながら、間延びした声をこぼすのは、頭の上から足の先まで緑一色の美しい女性――ノーミ・エコだ。
彼女は眠気の残滓の影響か、ぼーっとしながら瞬きを繰り返す。しかしそれも数秒で、すぐに眠りに落ちる以前の記憶を思い出し、ハッと目を見開いた。
「――あ、起きた? おはよー」
「え?」
蘇った記憶は、突如割り込んできたそのふざけた声により脳内から弾き出された。
ノーミ・エコは目を見開いたまま、普段は自分が使っている椅子に腰掛ける一人の男の姿を視界に収める。
足を組み、黒い髪を揺らして首を傾げるその男の顔は、一度見た事があるもので――。
「……なぜ、貴方がここにいるのですか〜?」
戦慄を呑み込み、ノーミ・エコは黒い制服に身を包む少年――捏迷歪に鋭い視線を向ける。
そんなノーミ・エコをニコニコとした気味の悪い薄ら笑いで見やりながら、歪は肘掛けに片肘を預け、手の甲に顎を乗せると、
「後片付けをしにきたのさ」
「後片付け……? いえ、そもそも貴方は追われているはず……テラとシアの二人はどうしたのですか〜?」
「ああ、あの二人なら仲良くノビてるぜ。――ちょっと、身内がやんちゃしちゃったんだよね」
歪のその告白に、ノーミ・エコは息を呑んで驚愕に目を見張る。
そして緑髪を揺らしながら首を振り、信じられないという顔で、
「そんな……二人が、負けたと? それほどの手練れがこの都市にいるなど、そんな情報は私の元に入ってきていませんが〜?」
「そんな事までぼくが知る訳ないじゃん。自分の落ち度を余所に求めるなんて、お腹の中真っ黒で嫌々だぜ。――と、それは後で実際に確認するとして」
鼻から呆れたように息を吐き出し、やれやれと肩を竦めた歪は、次に怪しげな微笑を浮かべると、膝の上に両肘を預けて前のめりになった。
その薄い笑みが近付き、ノーミ・エコは無意識の内に身を引いて距離を取る。
それを目ざとく見ていた歪は、「ひどいなぁ」と肩を竦める。
「ぼくがどれだけ紳士なのか、懇切丁寧に説明したいところだけど、あんまり長居するとあの人が来ちゃうから、手短に――」
そう言うと、歪は笑みを崩さず指を一本立てた。
「まず初めに、あの時きみに『肉欲』の事を教えた美少女『罪人』の正体は、ぼくでした!」
「――は?」
「おっと、驚いてくれるのは嬉しいけど、時間がないからどんどん行くぜ?」
歪の口から告げられた真実に目を丸くするノーミ・エコだったが、歪はウインクして話を先に進める。
「『星屑』を貸し与えるって話も嘘。管轄全然違うし。『肉欲』に世界を滅ぼし得る力があるってのも嘘。とは言っても、これには色々事情があるらしいんだけど、まったく興味ないから知らないんだよね。――ごめんちゃい」
「…………」
茶目っ気に舌を出して、本当に謝る気があるのか怪しい態度で謝罪する歪だったが、生憎ノーミ・エコは反応を返せるほど正常ではなかった。
それも当然だろう。いきなり全部嘘でした、などと言われて、すんなりと受け入れられる者の方が少ない。さらにそれが、己の大きな目的を支える根幹――それが虚実によって成り立っていたと知ったのだから尚更だ。
「――あぁ、それだよ。ぼくはそういう反応が見たかったんだ」
脳内を真っ白に染め、呆けたように口を半開きにして絶句するノーミ・エコを見て、捏迷歪は口の端を酷薄につり上げる。
「相棒達もいい線は行ってたんだけど、ぼくとしてはもう少し舞台を整えて、最高のシチュエーションでネタばらし、ってのが理想だっただけに、物足りなさを感じててさぁ。その点きみは、これ以上ないほど完璧な状況、そしてタイミングだ。――ありがたく思えよ、捏迷歪さんは大満足だぜ?」
「そ、んな……本当……に?」
「ああ、全部ウソさ」
即答され、ノーミ・エコは脱力するように肩を落とすと、その顔を両手で覆って項垂れる。
その瞳は虚ろで、そこに希望はなく、あるのは奈落に落とされた者が見せる絶望のみだ。
「そんな……なら、私は一体……」
「声がぷるぷるで、ほんわか声も出ない? でもあれ、相手を安心させるための嘘だよね?」
「――っ」
相手に安心感を与えて、付け入る為に意識していた話し方について言及され、ノーミ・エコは息を詰まらせると、眉尻を下げた顔を恐々と上げた。
そこには、それはもう嬉しそうな笑みを咲かせる悪魔の顔があって――。
「――さて、お片付けの時間だ」
「え……ぶぁっ!?」
その一言と共に突然振り抜かれた歪の足が、ノーミ・エコの鼻先を捉えて彼女の身体をのけ反らせた。
鼻から大量の血を吹き出させ、前歯の数本を砕かれながら仰向けに倒れたノーミ・エコは、突然の事に痛がるのも忘れて目を白黒させる。
「それではまずお腹を開いて、黒いかどうかを確認しまーす。――『カース・フィアー』」
「――ッ!?」
――歪が詠唱した次の瞬間、ノーミ・エコの腹部が突如として裂けた。
「おっかたづけー、おっかたづけー、さぁーさ、たっのしーく、おっかたづけー」
「――ッ!? ――――ッッ!? ――――――ッッッ!?」
楽しげな歌と、声にならない絶叫が混ざり合い、歪な合唱が『バベルの塔』の最上階に鳴り響いた。
――――――――――――――――――――
ぐるぐると回るような構造――螺旋階段を互いに支え合いながら上る、二つの人影があった。
一人は紅色の長髪を持つ少女で、もう一人は藍色の髪を持つ少年だ。二人の顔は瓜二つで、肉親だと一目で分かる。そう、この二人は双子だ。
「シア……もう少しだから」
「姉さん……ごめん」
「……いいから」
消沈する弟――シアの言葉に首を振るテラだが、その表情は暗い。
なにせ二人は、主に命じられた任務を何一つ成し得ず、それどころか大敗を喫し、こうしておめおめと生き恥を晒すかのように帰ってきたのだから。
「…………」
テラはちらりと弟に視線を向ける。シアの状態は、一言で言って満身創痍だった。
二人して肩を貸し合っているが、ほとんどテラがシアを支えているようなものだ。
そうというのも、『罪人』――キサラギ・シンゴの攻撃からテラを庇って負った傷、それを押して出向き、更に負傷を重ねた結果がこれだ。
「あの男……っ」
突如乱入してきて、テラとシアの二人を圧倒した、白のロングコートを纏った巨漢。あの男の乱入さえなければ、二人の目的は成されていたはずだったのだ。
その予想外の乱入により、シアは支えていなければ歩く事さえ困難なほどに消耗した。無論、テラもかなり厳しい状況だ。
それでも二人が階段を上り続けていられるのは、隣に感じる互いの温もりによるところが大きい。
そして明確な目的――この階段を上り切れば、という漠然とした目標が、二人の折れかかっている精神を辛うじて支えていた。
たとえ上り切っても、任務に失敗した二人が歓迎されるとは思えないが――。
「――――ッッッ!!」
「――!?」
最上階まであと少し、という所に差し掛かった時だ。その悲鳴が聞こえてきたのは。
想像を絶する苦痛に喘ぐような、思わず耳を塞ぎたくなるような絶叫だった。
絶え間なく聞こえてくるその声に二人は目を丸くして硬直していたが、音に関してはテラよりも敏感なシアが真っ先に気付き、息を呑んだ。
「この声……ノーミ様の……!」
「――っ! 急ぎますよ!」
シアの言葉を聞いて、テラもこの声が主のものであると気付くと、視線を鋭くして先を急ごうと提案した。それを受け、シアも憔悴した表情を無理やり引き締めて頷く。
使命感に突き動かされるように、二人のペースが上がる。今はただ、主の元へ急ぐ。それ以外の事は、考えないようにして――。
――――――――――――――――――――
なんとか螺旋階段を上り切った二人は、荒い息を吐きながら扉の前に立っていた。
既に絶叫は止まっている。この扉の奥が一体どうなっているのか、それを想像するだけで喉が言い知れぬ圧迫感に塞がるようだ。
「……開けますよ?」
小声による確認にシアが静かな首肯で応じるのを横目に、テラは扉に向かって手を伸ばした。
既に二人共、度重なる戦闘で『フィラ』を使い切っており、それぞれの特殊魔法は使えない状態だ。そのため、中の様子がどうなっているのかは開けてみるまで分からない。
「――――」
指先が扉に触れた瞬間、テラの心に一瞬の躊躇が過り、動きが止まる。
「……姉さん?」
「――何でもないです」
心配するようなシアの小声に、テラはかぶりを振って躊躇を振り払うと、思い切って――しかし慎重に扉を開いた。
その先には――、
「――――」
「――姉さん?」
そこに広がっていた光景を前に、テラは絶句した。そして特殊魔法で状況を把握する事が出来ない盲目のシアは、姉の動揺を感じ取りその名を不安そうに呼ぶ。
しかしテラがシアに反応を返す事はなかった。いや、出来なかった。それは、目の前の光景のあまりの凄惨さに、頭の中が白で塗り潰されてしまっていたからだ。
「――およ? なんだ、誰かと思えば双子ちゃん達かぁ。さっきはよくも殺してくれたね。でも、歪さんは寛大だから許しちゃうんだぜ? ――嬉しかったら笑えよ」
緑色の毛のようなものが混じる、イチゴジャムのような肉塊――それがぶちまけられた赤い絨毯の真ん中で、その黒い少年は返り血を全身に浴びた状態で、薄ら笑いを浮かべて振り向いた。
「お前、は……殺したはず……」
「うん、おかげさまで香ばしい感じになったぜ?」
「なら、なぜ……!」
歪が蘇った際、この二人は龍我にやられて気を失っていた。二人の反応は仕方のない事だった。
動揺しつつも、視線を鋭くして臨戦態勢となるテラだったが、状況が把握し切れていないシアは――、
「ね、姉さん……! 一体何が――っぶ」
「――ぇ?」
風船が破裂するような音の後、粘着質な音が木霊し、テラの耳朶を打った。
突然軽くなった右肩――そちらに視線をおそるおそる向ける。そこに先ほどまでいたシアの姿はなく、真下には歪の足元にあるのと同じような肉塊がまき散らされており――。
「ぁ……いやああああああああああああああ!?」
「ふむふむ。扉を開けるまでぼくの存在に気付いていなかったみたいだから、『フィラ』切れかな? とすると、シアくんは暗闇の中にいた訳だ。頼みの綱の魔法に頼れない暗闇は、さぞかし怖かっただろうなぁ――」
半身を血で真っ赤に濡らしたテラは、目尻に大量の涙を浮かべてその場に蹲り、数秒前まで弟だったその肉塊を前に慟哭する。
そんな姉の悲痛な嘆きを聞きながら、歪は頬に付着している血を拭って言う。
「安心しなよ。テラちゃんは外してあるから、そうなりはしない」
「あぁ、あ、ああぁぁぁ……」
肉塊に額を押し付けて涙を流すテラに背を向け、かつてノーミ・エコだった肉塊を踏み越え、捏迷歪は『爆石』によって開けられた穴の前に立つ。
そして、未だに泣きじゃくる一人の『姉』に振り返り、その昏い瞳を細めると、
「『逆』だったら、どうなっていたか……ぼくにその先を見せてくれよ」
そう言い残すと、歪は穴から躊躇なくその身を躍らせた。
荒れ果てた室内に残ったのは、二つの肉塊と、生きる意味を失った一人の少女だけだ。
いや、生きる意味は失ったが、同時に得た。それは、かつて眩い光を放っていた温かいものではなく、どこまでも歪んでいきそうになるほど暗く、そして冷たいものだ。
「ころ、す……殺してやる……っ」
固く握り込んだ拳に爪を食い込ませながら、少女は怨嗟を吐き出す。
「殺す……絶対に殺してやる! この世の果てまで追いかけても……必ず……ッ!!」
悲哀と絶望の涙に濡れた瞳を上げ、一人の少女は肉塊を前に誓う。
弟の死に哀しむ――そんな時間があるのなら、一刻も早くあの男を殺し、その臓物と血を供物として捧げるのだ。最愛の弟もそう望むはず。もし逆の立場なら、テラだって屍の前で泣き顔を見せられるよりも、そうしてほしい。
でも、それでも、今だけは――。
「うぅ……シアぁ……どうして……どうしてぇ……っ」
もう少し、家族と一緒にいたい。
三章も終盤です。おそらくあと二話、増えても三話くらいで終わると思います。




