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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:46 『蛮行』

「『一人で抱えきれなくなったら、いつでもあたしにもその重荷を背負わせて。だって――仲間なんだから!』――どうです、似てますか?」


 シンゴがこの世界に来る羽目になった原因にして、最悪の元凶――沢谷優子が、あの地下でイレナがシンゴに向けて言った言葉を一字一句に至るまで完全に再現してみせる。

 このセリフはシンゴとイレナしか知り得ようがないものであり、シンゴの推測が正しければ、沢谷優子は――。


「お兄さんと行動していれば、いずれ木更木さんにも会えると踏んでいたんですけど、粘りに粘っても情報らしい情報は一つもありませんでした。残念です……」


 本当に残念そうに表情を曇らせて唇を尖らせる沢谷優子を見て、シンゴは未だかつて感じた事もないほど強大な激情が己の中で荒れ狂うのを感じた。

 髪の色はなぜか深緑へと変わっていて、身に纏っているのが悪趣味としか言いようがない赤い布だけなのを除けば、目の前にいる女は確実に沢谷優子だ。


 確かにこの世界に来ているというのは分かっていたが、まさかこのような再会をするとは思ってもみなかった。しかも、よりによってイチゴよりも先に、だ。

 さらに悪い事実は重なる。今しがたの話を聞いた限りでは、沢谷優子はイチゴの殺害を諦めていない。どころか、不思議な力までも手に入れている様子。


 ――はっきり言って、最悪と断言していい。


「シンゴ……知り合いなのか?」


「…………」


 固まるシンゴに向かってカズが訊いてくるが、生憎それに応じていられるだけの余裕はシンゴにない。

 この予期せぬ再会を受け、シンゴは完全に動転してしまっていた。そして同時に、あの校舎で体験した無制限に激情が湧き上がり続ける現象と同様に、噴き上がり続ける己の中の赤黒く濁った激情を感じていた。


「ちょっとシンゴ! 何か言いな――」


「『お兄ちゃん』」


「――ッ!?」


 終始無言で固まるシンゴに業を煮やしたイレナが声を荒げようとしたタイミングで、その声はシンゴの鼓膜を震わせると同時に、その心に大きな衝撃を与えた。

 なぜなら、その『声』は――。


「いち……ご?」


 目の前に立つ少女を見て、シンゴの双眸が驚愕に見開かれる。

 学校指定の女子制服に身を包み、髪を短めのポニーテールにした、日本人では珍しい青みがかった瞳。活発という言葉がよく似合う、はつらつとした少女の姿がそこにあった。


 ――キサラギ・イチゴ。


 眼前に突如として現れたその少女は、間違いなくキサラギ・シンゴが探し求めている最愛の妹であり、本来ここに存在してはいけない人間だ。

 なぜなら、イチゴが立っている場所は、つい先ほどまで沢谷優子が立っていた場所だからで――。


「お兄ちゃん。私ね、生きてちゃいけないの」


「や、めろ……」


「存在自体が害悪なの。だからね、お兄ちゃん」


「やめろ……っ」


 耳を塞ぐようにして頭を抱え、目に大量の涙を浮かべながら、シンゴは首を振る。

 その『顔』で、その『声』で、そんな言葉は聞きたくない。この『先』は、絶対に聞きたくない。


「――私を見付けて、絶対に殺してね?」


「――――」


 頭蓋を押し潰さんばかりに両手で塞いだ耳。しかし音は無情にもシンゴの指をすり抜け、その鼓膜を撫でた。

 最愛の『声』が、お願いしてくる。最愛の妹を――己を、見付け出して殺して欲しい、と。


「ぁ……あぁ、あ、あああああああっ!?」


「シンゴ!? どうした落ち付け!」


「どうしちゃったのよシンゴ! あの女の子、あんたの知り合いなの!?」


 錯乱したように絶叫し始めたシンゴに、両隣のカズとイレナが目を剥いて驚きの声を上げる。

 しかし二人の声はシンゴの耳に入っても、それを言葉として脳が処理しない。既に処理し切れぬ感情の暴走に、脳は混乱という二文字で埋め尽くされてしまっているからだ。


「私ね、沢谷優子さんに悪い事しちゃったの」


「あぁっ、あぁ、あああぁぁぁぁぁ!?」


 ――続く、『声』が続く。


「だから、死んでお詫びしなくちゃ。私に生きる価値なんてないの」


「あああ!? ああああああ!? あああああああああ!?」


「ちょっとシンゴ!?」「まさかあの子なのか? お前の妹は!?」


 ――終わらない。『声』は終わらない。


「私はゴミ。呼吸をしているだけで、罪のない人を不幸にする」


「あああああああああああああああああああああ!?」


「カズ!!」「アイツの口を塞がねぇとダメだッ!!」


 ――そして、『声』は。


「どうしてお兄ちゃんは、私を探さないで、こんな所で遊んでるの?」


「――っ!?」


「お兄ちゃんの嘘つき」


 ――何かが、決定的な何かが、千切れる音が聞こえた。


「……しん、ご?」


「――――」


 叫ぶのを止め、完全に固まったシンゴの名を、未だに苦しげな表情のアリスが心配そうな声で呼んだ。


 ――奇しくもそれが、引き金を引いた。


「――カズ、イレナ」


「シンゴ!?」


「大丈夫か!?」


 先ほどまでの錯乱とは打って代わり、冷静過ぎるほどに静かな声。

 途中まで駆け出していた二人がその声を聞いて立ち止まり、シンゴへと振り向いた。

 しかし、二人はすぐに気付いてしまった。そこにいるシンゴが、自分達の知っているキサラギ・シンゴとは何か違っていると。


 そしてその認識は正しい。

 なぜならば――。


「二人共、下がって。――ここからは僕がやる」


「お前……」


「…………」


 口調どころか一人称まで変わってしまったシンゴの提案に、カズは目を見開いて戸惑いを顕にし、イレナは奇妙な既視感に無言で眉を寄せる。

 そんな二人の反応を余所に立ち上がるシンゴへ、横たえられたアリスは言い知れぬ胸騒ぎを覚えて手を伸ばした。


「大丈夫だよ、アリス。すぐに終わらせるから」


「…………」


 視線を向けないまま、シンゴはアリスへ優しげな声をかける。その言葉を受け、アリスは無言で伸ばしかけた手を下ろした。しかし、その顔に浮かぶ不安の色は変わらない。

 シンゴはそんなアリスの横を抜け、急変したシンゴの様子に困惑するカズとイレナの横も抜けようとした。


「ま、待てシンゴ!!」


「――!」


 横を通り過ぎようとしたタイミングで、カズがシンゴの肩を掴んで強引に止めた。遅れて、もう片方の肩にも手が置かれる。


「シンゴ……っ」


 胸の内のざわめきに答えを出せぬまま、イレナが複雑な表情でシンゴの名を呼んだ。そしてその肩を掴む手に、不安そうに力が込められる。

 シンゴは両肩にかかる重みと温もりを噛み締めるように刹那だけ沈黙し、やがて口元をどこか嬉しそうに微笑ませると、


「二人はアリスの事をお願い。アレの相手は僕がする」


「ば……バカ言え! 一番弱いお前が一人で相手出来る奴じゃねぇって事くらい分かるだろ!? いいからアイツはオレとイレナに任せて、お前は逃げる準備してろ!!」


「そ、そうよシンゴ! あんたじゃ荷が重すぎるわよ! 確かに吸血鬼の再生能力があれば簡単には死なないかもしれないけど、それじゃ意味が――」


 必死に止めようとしてくる二人に対し、シンゴは今まで伏せていた顔を静かに上げると、カズ、イレナの順に向けた。


「「――ッ!?」」


 二人はシンゴと目を合わせると、互いに喉を詰まらせて瞠目した。

 その隙に二人の手を少しばかり強引に振り払い、シンゴは黙って前へ進む。

 そんなシンゴを、カズとイレナは――追わなかった。


「なんだ……ありゃ?」


 遠ざかっていくシンゴの背を目を見張りながら見詰め、カズは絞り出すように今の心情を吐露した。

 そして同じモノを見たはずのイレナに声をかけようと視線を向けたところで、カズは言葉を詰まらせた。


「うそ……」


「イレナ?」


 イレナの驚愕と動揺は、カズのものを遥かに凌いでいた。

 信じられないとでも言いたげな視線をシンゴに向けるイレナの横顔には、話しかけるのを躊躇してしまうほど鬼気迫る何かがあった。


「…………」


 カズはそんなイレナから無言で視線を外すと、赤布の女に近寄って行くシンゴに困惑の眼差しを向け、喉から絞り出すようにその疑問を口にした。


「シンゴ……だよな?」



――――――――――――――――――――



「…………」


 シンゴは無言で歩み続け、やがて沢谷優子の前で立ち止まる。その姿は既にイチゴから元の姿――全身に赤い布を巻いた状態へと戻っている。

 顔を伏せ、無言で佇むシンゴに、沢谷優子はどこか嬉しそうな表情を浮かべた。


「お兄さんの事はもうよく知っています。幼少期から、今に至るまで」


「…………」


「優しい方です。もっと違う出会い方をしていればと、本当に心から思います」


「…………」


 胸に手を当て、感慨深げに語る沢谷優子に対し、シンゴは無言を貫く。

 そんなシンゴの態度に機嫌を損ねるでもなく、沢谷優子は口元を綻ばせながら続けた。


「でも、あなたは死ななければいけません。――罪状は、木更木さんのお兄さんだからです」


「…………」


「暴論だと思いますか? 私はそうは思いません。お兄さんは確かにいい人です。でも、木更木さんの兄である……その一点が、どうしようもなく重罪」


「…………」


「木更木さんは生きていてはいけない人なんです。存在そのものが『罪』。そしてそんな木更木さんの人格形成に、あなたという存在は大きく影響している。――それが、お兄さんの『罪』です」


 一見、話の筋は通っているようにも思える。しかしそれは、全て沢谷優子という一人の人間の評価であり、そこにあるのは自分勝手な都合のみだ。

 盲目的に己の愛を押し付け、それを害するものは全て悪だと切り捨てる。そんな、どうしようもなく自分中心の価値観。


 沢谷優子は、独自の理論に従い生きている。そしてそこに、殺人を犯す事に対する躊躇は一切存在していない。

 思想の違い。物事の捉え方の違い。それらが複雑に絡み合い、沢谷優子という人格を形成している。


「…………」


 ――はっきり言って、アレを同じ人間だとは思えない。


「たった一つ分かったのは、木更木さんは北の方角にいるという事だけ。そして『ウォー』にはいないとなると、考えられる居場所は残り――二つ」


 両手の人差し指を立てて『二』を表現しながら、沢谷優子はその瞳に昏い何かを覗かせながら告げる。


「お兄さんを簡単に殺せない事も分かっています。ですが、木更木さんを殺すには物凄く邪魔です。――ですので、その心を殺します」


 心を殺す。確かにその選択は正解だ。シンゴは簡単には死なない。いや、死なない。そんなシンゴを無力化するには、身動きを恒久的に封じるか、その精神を壊して自発的に動けなくするのが正しいだろう。


 沢谷優子が考えるキサラギ・シンゴの心の殺し方は、苦痛を延々と与え続けるという最もシンプルでやりやすい方法に違いない。

 そしてそれを成すだけの力を、沢谷優子は手にしている。


「…………」


 ――反吐が出る。


「あんたのそれは、もういじめですらない」


「いじめ……ですか?」


 沈黙を破ったシンゴの言葉――その中にあった一つのワードに沢谷優子が首を傾げる。背後からイレナの息を呑む音が聞こえたが、シンゴは意識して無視する。

 そしてシンゴは、伏せていた顔を上げると、頭を真横に倒して首の骨を鳴らした。


「――ただの、蛮行だ」


 紫紺に染まった両目で、シンゴは沢谷優子の黒瞳を射抜いた。

 そんなシンゴの両目を見て、沢谷優子は口の端をニタリと歪ませると、スッと目を細めた。


「出ましたね、『激情』。――お兄さんが見せたんですから、私も見せないと不公平ですよね」


 そう言うと、沢谷優子はおもむろに右手を掲げた。すると、赤い布が蠢き、手首から先が顕となる。

 その甲には、『Ⅱ』という痣が刻まれており――。


「私は『羨望』と『嫉妬』の罪を背負う『罪人つみびと』、沢谷優子。これからお兄さんの心を殺しますけど、安心してください。木更木さんは私が必ず見つけ出して、殺し――」


 ――言い切る前に、沢谷優子の華奢な身体は、一瞬で目の前に現れたシンゴの強烈な蹴りを受けて吹き飛ばされた。


 そのまま一度も地に触れる事無く、沢谷優子の身体は家屋の石壁を貫き、その奥に吸い込まれる。

 直後に家屋全体が傾ぎ、そのままジェンガを崩すように石材が一気に崩れ落ちた。


「――――」


 シンゴは振り抜いた足をゆっくりと地に着けると、倒壊した家屋を冷たく無感情な紫紺の双眸で見やり――、


「――ちょっと黙れよ」


 ――冷酷な表情で、そう吐き捨てた。


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