第3章:44 『食い違う少女の存在』
『バベルの塔』――その屋根の上にて、少女は風で暴れるその白髪を手で押さえながら、すぐ隣に腰を下ろす黒い少年へと声をかけた。
「かなりの大ぼらを吹いたものだね」
「ひどいなぁ……ぼくに任せるって言ったのはきみの方だぜ? ――デプレシン」
少女の微笑に振り返り、黒い少年――捏迷歪は同じような微笑で応じた。
その身体に目立った外傷はなく、歯も折れていなければ、シンゴから譲って貰った制服にはほつれも見当たらない。
死んだはずの少年の微笑に白い少女――デプレシンは嘆息しながら肩を竦めると、
「復活制限なんて……君のは彼と同様に、無制限じゃないか」
「人をゾンビみたいに言わないでくれよ。それに、制限はちゃんとある。ぼくはそれを一回分だけ誤魔化しただけさ」
「それも嘘だろう? 私にまで嘘を吐くとは……君のそのブレない姿勢には敬意すら抱くよ」
一瞬の間も置かずに歪の言葉を嘘だと看破するデプレシンに、歪は両手を上げて降参のポーズ。
そして薄く微笑みながらデプレシンに流し目を送ると、
「自意識過剰な女性も嫌いじゃないぜ? それに、嘘の何がいけないのさ。この世に本当の意味での真実なんて存在しない。受け取る側の認識によって、千にも万にもその在り様は変化する。――つまり、人によっては真実でさえ虚実に変わるのさ」
「それでも嘘は誤解を招き、巡り巡って、己と周囲に破滅をもたらすんじゃないのかい?」
肩までで切り揃えられた、透き通るような白い髪を揺らして首を傾げるデプレシンに対し、歪は「分かってないなぁ」と首を振ると、
「嘘は人を救う。もしも伝えるべき内容が間違った真実だったら? もしも正しいと信じている道が崖に繋がってて、本当は崖に通じていると思っていた方が正しい道だったら? そんな時、勇気を振り絞って嘘を吐けば、全て救われる。――だからぼくは、嘘を吐き続けるのさ」
「……歪んでるな、君は」
そんな少女の評価を受け、ふっと口元に微笑を浮かべた歪は、遠くを見詰めるようにその目を細めた。
瞳の奥に微かな哀愁を乗せ、やがて微笑に自嘲を交えた歪は静かに告げる。
「ぼくは捏迷歪。捏造し、迷わせ、歪ませる。――そんな捏迷歪になれなかった賀茂日向は、心底愚かだったよ」
「――――」
歪の独白を無言で聞くデプレシンだったが、その沈黙は長くは続かなかった。他でもないデプレシンが、静かに瞑目しながら「ところで――」と呟いたからだ。
歪が振り返るのを待ちながら、デプレシンは悪戯をする子供に向けるような困り顔で苦笑を浮かべた。
「どうして、手を抜いていたんだい?」
「――何の事さ?」
シラを切ろうとする歪に苦笑を崩さず片方の眉を上げ、デプレシンは続ける。
「『堕落』の権威を一度も使わなかった事、だよ」
「いやいや、相棒が弱すぎて使う暇がなかったのと、相棒の相棒が強すぎて使う暇がなかっただけで、決して手を抜いていた訳じゃないぜ? だから、両極端すぎる相棒達が全部悪い」
「……相変わらず、物凄い価値観だ」
「どうも」
キザったらしく前髪を掻き上げる歪に、デプレシンは諦めたように嘆息する。
「その様子だと、ペオルも君には手を焼いていそうだ。苦労が忍ばれるよ」
「そんな事ないぜ? アレとは結構仲良くしてる」
「……本当かい?」
「うん、本当」
ニコリと笑って頷く歪をジトッとした目でしばし見詰めていたデプレシンだったが、やがてふりふりと首を振ると、
「君の“本当”ほど信用のない言葉を、私は知らないかもしれない……」
「そんな! ぼくほど誠実な人間が他にどこにいるっていうのさ!?」
「ああ、分かったよ。そうだった、君はそんな奴だったね」
「おざなり!」
手をぷらぷらとさせながら額を押さえ、深々と嘆息するデプレシンに歪が目を剥く。
一見楽しそうに見える二人の会話だが、ここにもし他の誰かがいれば、思わずこう呟いただろう。
――『なにか、気持ち悪い』と。
二人の軽口は表面上だけだ。人間誰しも外面はある。周りに合わせ、雰囲気に同調するものだ。だが、この二人には決定的に違う点があった。普通なら本性を押し隠し、周りに本当の自分を見付けられないようにするものだが、この二人にはそれが全く見られない。本当の意味で、この二人の会話は演技だ。
見え透いたブラフを利用し、相手を揺さぶって粗を探しているような、そんな次元の違う腹の探り合い。
一体二人は相手の何を探っているのかは分からない。情報か、本性か、それとも他の何かか――。
「――そうだ。やっぱり、相棒の中にもいたぜ。名前は確か……ベルフだったかな?」
「ふむ。やはりか」
歪の報告を受け、デプレシンは難しい顔になる。
そしてしばらく思案の海に沈んでいたが、やがてその眉間の皺を深め、思わしげに目を細めた。
「腑に落ちないね。本来『怠惰』と『堕落』を司るのは、君の中のペオルのはずなんだが……ベルフ、か。謎は深まる一方だよ」
深々と心労の滲むため息を吐き出し、デプレシンは困り顔。そして腕を組みながら顎に手を添え、片目を閉じて唸ると、
「これも彼――シンゴくんのイレギュラー性に起因する問題なのかもしれない。彼という存在自体がブラックボックスみたいなものだよ。出来るのならその頭蓋を割って、脳を直接弄ってでも情報を得たいものだけど……」
「うげ……そんな事も出来るの? それはさすがのぼくでもドン引きだなぁ」
「もちろん、冗談だよ」
「…………」
したり顔を向けられ、歪は渋い顔になる。
ささやかな仕返しが成功してご満悦なデプレシンだったが、やがて苦笑すると肩を竦めた。
「たとえ私がそんな芸当が可能だとしても、成果は上がらないだろうね」
「どうして?」
「簡単さ。脳を弄ったところで、そこには何もないからだよ」
デプレシンの言葉に首をひねる歪だったが、すぐに思い当たる節を見付けたのか、「ああ」と納得の声を漏らす。
「確かに相棒、なーんにも知らないみたいだったからなぁ」
「本当、謎だけが増えるよ。この際、姿を変えて彼に色仕掛けで近付いて、隣で観察するというのも一つの手かな。――君はどう思う?」
妖艶な笑みを浮かべて服の裾をたくし上げ、わざとらしくその白い太ももを晒すデプレシンに、歪は静かに苦笑すると、
「ぼくの相棒をあまり安く見て貰っちゃ困る。相棒はそんな色仕掛けじゃ絶対に落ちない。なぜなら、あの『色欲』の権威にも抗ってみせたんだから」
「その話が本当なら、『色欲』の権威に耐えた、という部分に、彼の何かが関与してると見て間違いなさそうだ」
キサラギ・シンゴという少年の秘密に繋がる手がかりを見付け、デプレシンは目を細めて笑う。
しかし、その笑みはすぐに苦笑へと変わった。
「となると、色仕掛けは無しだね。――まあ、君には効果があったらしいけど」
鼻息荒く顔を近づけてくる歪から距離を取りつつ、デプレシンは服の裾を直すと、がっくりと肩を落とす歪に半眼を向けながら首を傾げた。
「それで、君はこの後どうするんだい?」
「それはもちろん――」
膝に手を着いて立ち上がると、歪はズボンのポケットに両手を突っ込みながら顔だけを振り返らせた。
その横顔に浮かぶのは、これから悪戯を敢行しようとする子供のような、どこまでも無邪気かつ残酷な笑みで――。
「――後片付けまでちゃんとして、黒幕はご退場さ」
――――――――――――――――――――
「――シンゴ!」
「おわっぷ!?」
飛び付くように抱き付かれた際に、その長い白髪が顔にかかり、シンゴは思わず目を固く閉じた。
そしてゆっくりと目を開けると、胸の辺りにぎゅっと抱き付いている少女――アリス・リーベに視線を落とした。
普段のシンゴなら下心が覗いたかもしれないが、今はこの包み込むような温もりに安心感を覚え、自然と頬が緩んだ。
まだ終わっていない。終わってはいないが、“帰ってきた”という実感が胸の奥を優しく満たしていき、シンゴはその華奢な身体に腕を回して力強く抱きしめた。
「アリス。色々と、迷惑を――」
「ホントだぜ、シンゴ。オレ達が一体どれだけお前を探し回ったと思ってんだ?」
「あ、カズ……は、いいか」
「おい!?」
苦笑しながらシンゴとアリスのやり取りを見ていたカズだったが、雑な扱いを受けて目を剥く。
そんなカズに「嘘だって」と笑いかけ、改めて迷惑をかけた事を謝罪した。その間、何やらアリスの手が身体中あちこちをまさぐってきたが、シンゴは頭の中で念仏を唱えてくすぐったさを我慢する。
一体何をしているのか疑問に思っていると、アリスがそっとシンゴから身を離し、息がかかるほどの距離でシンゴを見上げた。
シンゴもシンゴでアリスの黒瞳を見下ろし――、
「――よかった。どこにも異常はないみたいだね」
「――――」
「シンゴ?」
「ああ、いや……」
花が綻ぶような笑顔を向けられ、シンゴはしばし硬直してしまった。そんなシンゴの様子に首を傾げるアリスに、シンゴは咳払いで動揺を誤魔化す。
龍我と別れてすぐに、シンゴはアリス達と合流できていた。
シンゴを見付けるなり血相を変えたアリスが飛び付いてきた時はさすがに驚いたが、今では心配してくれていたのだという事実が、堪らなく嬉しかった。
そして現在そのアリスはというと、先ほどまでの眩しい笑顔を引っ込め、その柳眉を吊り上げてシンゴを下から睨み付けていた。
「本当に反省しているのかい!? 一体ボク達がどれほど君の事を探し回ったか……それはもう、語り尽くせないほどの苦難の連続があって……!」
一体シンゴ達を探している間に何があったのか、アリスの顔は怒りで赤くなったかと思えば、次には青くなったりと忙しなく変化する。
アリスがこんなに感情を表情に出すのは珍しい。もう少し眺めていたいが、今は時間がない。必要な情報を交換し、すぐにでもイレナを――。
「シンゴ!!」
「はい!?」
不意に怒号が鳴り響き、シンゴは背筋を伸ばして直立。しかしその怒号が彼女のものである事に気付くと、シンゴは目を見開き――、
「イレナ!?」
「あたしがどんなに――え、なに?」
ずかずかとツインテールを逆立てながら歩み寄ってきた少女――イレナ・バレンシールの姿を見て、シンゴは思わず彼女の名を叫んだ。
何やら怒り心頭の様子だったイレナだが、突然シンゴに名前を呼ばれて素に戻る。
目を丸くして次の言葉を待つイレナだったが、シンゴは彼女が無事にアリス達と合流できていた事実に歓喜しただけであり、名前を呼んだ事には特に意味はない。
ともあれ、ここで名前を呼んだだけだと正直に言えば、何をされるか分からない。ただでさえ何か怒っていたようなので、尚更だ。
シンゴは瞬時に会話を繋ごうと視線を泳がせ、ふと周りで折り重なるように眠る人々に視線が止まった。
そこでこんな雑談を交わしている暇はないのだという事実を思い出し、すぐさま真剣な面持ちを三人に向けて告げる。
「話は歩きながらでいいか? あと、説教は全部終わってからでお願いします」
「――?」
シンゴの急変した態度を受け、ようやく再会が叶った三人は、眉を寄せて互いに顔を見合わせた。
――――――――――――――――――――
「――つまり、ボク達を含めたこの都市にいる全員は、特殊魔法で眠らされたって事だね?」
「そういうこと」
早足に歩きながら重要な事のみを選択したシンゴの現状説明に、アリスが神妙な面持ちで頷く。
やはりアリス達も歪の睡眠魔法によって眠ってしまっていたらしく、しかも話によると、他に目を覚ました人に起こして貰ったとの事。幸いこの辺りに目を覚ましている者は見当たらないが、急いだ方がいい事に変わりはない。
「で、シンゴ。今からそのウルトって人の所に行くんだな?」
「ああ。詳しい事は着いてから話す。だから今は、急ぐ事だけを考えてくれ。――というか、走った方がいいな」
そう言って走り出すシンゴを、後ろの三人は慌てて追いかける。
シンゴがなぜ今回の騒乱のど真ん中にいたかについては、まだ話していない。長い話になりそうなので、今はやるべき事のみをアリス達に告げた次第だ。
「他に言っとかなきゃなんねえ事は……」
伝えそびれた重要な報告はないか首をひねって確認しながら、シンゴは後ろに響く三つの足音に安心感を覚える自分を感じていた。
聞きたい事は沢山あるだろうに、アリス達は黙ってシンゴの言葉に従ってくれている。本当に、あとでたっぷりと絞られねばなるまい。それだけの迷惑と心配をかけたのだから、それがケジメというものだ。
「ここは……」
必死に何を説明すべきかシンゴが考えていると、後ろからイレナの困惑するような声が聞こえた。
意識を自分達のいる場所に戻すと、どうやら『ゴーストタウン』に出たらしい。シンゴにしては珍しく、迷わずに辿り着けたようだ。ここまで来れば、人はまずいないだろう。
「――そうだ」
イレナの声を聞いた事で、シンゴはあの二人の事について説明しておかなければならない事を思い出す。
駆け足を早歩きに戻し、シンゴは後ろのイレナに複雑な表情で振り返った。
シンゴの思い詰めたような顔に、イレナは眉を寄せて首を傾げる。
どちらから話せばいいだろうか。歪か、モプラか――。
ここはまず、モプラの件から切り出すのが穏当か。
「イレナ」
「なに?」
「その、モプラの事なんだけど……あいつ、龍我さんに預かってもらう事になった」
「え?」
目を見開くイレナに、シンゴは取り繕うように早口で、
「大丈夫だって! 龍我さん、モプラを保護してくれるんだよ! あの人、騎士団の副団長で立場的にも信頼できるし……あ、でも、上に報告はしないって言ってたからさ! 人間的にもすげぇ信用できる人で、だから――」
「ちょ、ちょっと待って! 急にそんな事言われてもあたし――」
「あと!」
イレナが戸惑いながら口を挟もうとするのを遮り、シンゴはあの男の事を口にした。
「歪は……死んだ。俺が、殺したんだ……」
「――!」
イレナの双眸が驚愕に見開かれる。そしてそれは、アリスとカズも同様だ。
二人までもが驚くのは仕方ないだろう。なにせ、シンゴが人を殺したと言ったのだ。その言葉の意味が持つ衝撃は、大きな驚愕を二人の心に刻んだ事だろう。
それでもシンゴは、ちゃんと言っておかなければならないと思ったのだ。
龍我の言葉が脳裏に浮かぶ。人の死は、重い――と。ならば、その重さに責任を持たなければならない。歪の死をイレナに、そしてシンゴが殺した事を三人に報告するのは、義務のようなものだ。
この事実を正直に話しておかねば、これか先、三人とは上手くやっていけそうにない。
それは他ならぬシンゴ自身が彼らに罪悪感に近い負い目を感じ、普段通りのキサラギ・シンゴではいられない自信があったからで――。
「だから、ちょっと待ってってば!」
慌てたように、そして戸惑いを交えた表情を浮かべたイレナがシンゴの腕を掴んだ。
引っ張られるようにして立ち止まり、息を荒げながらシンゴとイレナは互いに視線を交わす。そんな二人を同様に立ち止まったアリスとカズが不審げに見てくる。
すぐそこにある民家が、モプラとマルスを追いかけた際に使った、地下へと続く螺旋階段がある場所だ。その民家の前で、シンゴとイレナは静かに対峙した。
イレナは胸に手を当てて呼吸を整えると、無理解に眉を寄せて言った。
「歪って、誰の事よ?」
「――――は?」
イレナの告げた一言に、シンゴは呆けたように口を開けて固まる。
そんなシンゴに向け、イレナは困惑の表情で続ける。
「他にもモプラとか、龍我とか、一体誰の事を言ってるのよ? あたし、全然分かんないん――きゃ!?」
駆け寄ったシンゴに乱暴に肩を掴まれ、イレナが悲鳴を上げる。しかし、シンゴに気を使っていられるだけの余裕はなかった。
引き攣った笑みを浮かべ、息を呑むイレナを血走らせた目で見据えながら、シンゴは掠れた笑い声をこぼした。
「はは……イレナ。お前それ、なんの冗談だ?」
「い、痛い、シンゴ……!」
「イレナ!」「おいコラ、シンゴ!?」
アリスとカズが咄嗟に駆け寄り、シンゴを後ろから羽交い絞めにしてイレナから引き離した。
二人によって引きずられて、シンゴはその場に力なく尻もちを着くと、
「だって……さっきまで一緒にいて……まさか!」
一つの可能性に思い至り、シンゴはハッと目を見開く。
「歪……なのか? あいつの特殊魔法で、イレナの記憶を改ざんして……」
あの男が生きていて、その多様な特殊魔法の一つでイレナの記憶を捏造した。そう考えれば、全てに納得ができる。
そうだ。あの男は嘘つきなのだ。なぜ、二回しか残機がないなどと信じた。それは他でもない、あの男が自ら明かした情報ではないか。
なぜ、そんな己が不利になるような情報をシンゴに開示する必要がある。それはシンゴの油断を誘う為の嘘だとは考えられないだろうか。
少し考えれば分かった事だ。それを見落とし、こうしてイレナを危険に晒した。一体キサラギ・シンゴは、どこまで愚かなのだろうか。
「――くそ! イレナ! どこまで覚えてる!?」
「え、え……?」
「一体どこまで覚えてるかって聞いてんだ! ウルトさんは覚えてるか!? マルスは!? 地下での出来事は!?」
立ち上がり、必死にイレナの記憶の状況を確認しようと、歪と出会ってからここまで出来事を順に挙げていく。しかしイレナの反応は、両手を胸の前にやり、シンゴの列挙したどの出来事に対しても首を横に振る、だった。
その反応を受け、シンゴは焦りに顔を歪ませながら額に手を当てる。
「どこだ……どこから変わってる! あいつと初めて会った、あの入り組んだ路地裏は――」
「シンゴ!」
「――!?」
叩き付けるようなアリスの怒声を受け、シンゴはハッとして口を噤んだ。
見れば、イレナは怯えたような目でシンゴを見ており、そんなイレナの隣に立ったアリスが彼女の肩に安心させるように触れながら、鋭く細めた瞳でシンゴを射抜いていた。
そのシンゴを見る目は、まるで異分子を見るようなものであり――。
「イレナは最初からボク達と一緒にいた。シンゴがどこかに行ってしまってから、ずっと」
「――――」
――完全に、思考が白で塗り潰された。
呆然自失して固まるシンゴの肩に、背後から手が乗せられた。
恐る恐る振り返ると、そこには神妙な面持ちのカズがおり、シンゴの目を真っ直ぐ見据えながら首を横に振った。
「アリスの言ってる事は本当だ。お前が突然いなくなった昨日から、イレナはずっとオレ達と一緒にいた」
「そんな……だって、俺はずっとイレナと……」
許容量を超えた食い違った現実を前に、シンゴはただただ混乱の海へと沈んでいく。
イレナはずっとアリス達と共にいた。それが本当なら、シンゴがずっと一緒にいたあの少女は――イレナ・バレンシールは、一体誰なのだ。
「シンゴ。ボク達と逸れてから一体君に何があったのかは分からない。だけど、今の君は少しおかしい。ウルトさんって人の所で休ませてもら――ッ」
「――?」
シンゴの身を案じるアリスの声が、不意に途中で途切れた。
不審に思ってシンゴがアリスを見ると、アリスの瞳は驚愕に見開かれており、血のように真っ赤な真紅――彼女本来の瞳の色に戻っていた。
やがてその深紅の瞳が、ゆっくりと下に向けられる。
シンゴもその視線を追い、アリスの胸元へと目線を下げていき――。
「――は?」
――アリス・リーベの胸の中央から、赤い布でぐるぐる巻きにされた細い腕が突き出ていた。