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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:42 『黒い石と風車』

 痙攣が収まり、ゆっくりと石畳を侵食する血の海の中で、その海を生み出している捏迷歪ねつまいいがみをキサラギ・シンゴは黙って見下ろしていた。

 もしここにシンゴの事をよく知る者がいれば、その横顔を見ただけで違和感に気付けただろう。だが、もっとも近くにいるイレナでさえ、今はいがみの特殊魔法で睡魔の虜となっている。


「『オブシディアン・ジェネレート』」


「――!?」


 不意に呟かれた詠唱に従い、突如地面から漆黒の石が突き出した。その鋭利な先端は、伸び上がるようにしてシンゴの顎を穿ち、頭頂部に突き抜けた。

 しかし、貫かれたシンゴの顔から鮮血が飛び散る事はなく、やがて全身が陽炎のように揺らぎ、そのまま空気に溶けるように消えた。


「――それ、ずるくない?」


 不平を訴える呟きに、広がり続けていた血の海の拡大がぴたりと止まり、まるで逆再生映像のように歪の体へ吸い込まれ始めた。そして血の海が綺麗に消失したのと同時に、歪がむくりと起き上がる。


 一度殺されたにも拘わらず、その顔に浮かぶのは薄い微笑だ。

 歪は立ち上がって制服の埃を払うと、体を動かして調子を確認しながら首を巡らせた。探しているのは当然、不可思議な技で歪の不意打ちを躱してのけたキサラギ・シンゴの姿だ。


「こっちの言い分も聞かずに攻撃なんて、常識ないんじゃないかなぁ。相棒なら馬鹿正直に真正面から来たぜ?」


 鼻から嘆息気味に空気を吐き出し、歪はさまよわせていた視線を百八十度動かした所で止め、離れた位置に無傷で立つシンゴを視界に収めた。

 そしてその顔をまじまじと観察するように見やると、


「……なるほど。きみが、相棒の相棒か」


「ああ。ここからは私が貴様の相手だ」


「丁寧な挨拶どうも。ぼくは相棒一の相棒にして無二の親友、捏迷歪さんだ。あ、敬語はいらないぜ?」


 屈託ない笑みを浮かべて歪が手をシンゴに差し伸べた瞬間、シンゴはその場からスッと一歩分だけ横に移動した。

 瞬間、移動したシンゴの真横スレスレの位置を地中から飛び出た漆黒の石が通過した。


「あら、躱されちゃった」


「……躊躇せず不意打ちか。先ほどの貴様の言い分とはずいぶん違うが?」


「やだなぁ。不意打ちは気付かれた時点で成立していないんだぜ? きみは躱した、だからぼくに非はない」


「なら、私が躱していなかったら?」


「それは躱せなかったきみが悪い」


 どちらに転んでもシンゴが悪いと言う歪を、シンゴは冷静な面持ちで見据える。

 そんなシンゴの視線をへらへらとした薄ら笑いで受け止め、歪はスッと目を細めると、


「――名前は?」


「ベルフ」


 キサラギ・シンゴ改め、その身体の支配権を譲られたベルフが律儀に名乗る。

 その名を聞き、歪は「なるほど」と首肯すると、おもむろに指を一つ立てた。


「一つ、聞きたい。きみはベオルを知ってる?」


「生憎、そのような名に聞き覚えはない」


「――そ。なら、もういいや」


 薄ら笑いを引っ込め、どこか投げやりな態度で息を吐くと、歪は退屈そうな視線でシンゴ――ベルフを射抜き、


「――死ね」


 感情が一切込められていない宣告と同時に、ベルフの左右から斜めに向かって漆黒の石が突き出した。

 左右より襲い来る黒槍を落ち着き払った緩やかな動作で後ろに躱し、ほとんど予備動作なしでベルフ――シンゴの体が歪に向かって射出される。


「へぇ……よく躱すなぁ」


「悪意など読めずとも、攻撃を予測する術などいくらでもある!」


 目の前に鋭く、それでいて静かに踏み込むベルフだが、しかし歪は微動だにしない。

 その無防備な懐に向かって、ベルフ――シンゴの魔手が滑り込むように向けられ――、


「どうしたのさ。さっきの、やらないの?」


「――ッ」


 歪の体に触れる寸前でその手を止めたベルフに、歪の挑発的な言葉が降りかかる。

 シンゴの顔をしかめるベルフだったが、その手をそれ以上前に進める事はない。

 そんなベルフを見下ろしながら、歪はニヤリと頬を持ち上げると、


「――ありがとうだぜ、相棒」


「――ッ!」


 感謝を述べた歪の足元から黒石が突き出し、ベルフは咄嗟にその場から滑るようにして後退する。だが、それだけでは終わらない。

 逃げるベルフを追尾するように、連続して黒石が地から突き出す。


 途中で逃げる方向を直角に変えようとも、黒い猛威も追随して直角に折れる。

 ベルフはジグザグにステップを踏んで逃げつつ、小さく舌を鳴らす。


「無詠唱か……!」


「――ご明察」


 詠唱なしで魔法――それもおそらく特殊魔法に分類される攻撃を連続で放ちながら、歪は悠々とした佇まいで逃げ惑うベルフを眺めている。

 ベルフはそんな歪を鋭く一瞥すると、走る向きを歪へと変えた。


 歪に向かって直進するベルフを追うように、背後から連続して突き出す黒石。

 だが、『激情』で底上げされているシンゴの足は、黒石の追従を許さない。

 不意に前方から突き出した黒石すらも跳躍して躱し、ベルフは真っ直ぐ歪に肉薄する。


「やるぅ」


 猛然と迫るベルフに口笛を鳴らした歪は、「でも」と口元を笑みにゆがませ――、


「なに――っ!?」


 歪を持ち上げるように突き出た黒石が、そのまま伸び上がり、途中で弧を描きながら屋根の上に歪を運んだ。

 驚愕に目を見開くベルフを屋根の上から見下ろした歪は、その口元を酷薄に歪ませながら、べっと舌を出して屋根を走り始めた。


「逃がさん!」


 ベルフは歪が生み出した黒石の道に足をかけると、その上を走って屋根の上に向かう。

 だが――、


「ぐぉ――っ!?」


 足場代わりにした黒石から別の黒石が突き出し、ベルフ――シンゴの足裏を貫いた。

 苦痛に顔を歪ませるベルフだったが、強化された拳を振るって黒石を半ばでへし折ると、素早く足を引き抜いて駆け出す。

 足の傷は瞬時に癒え、ベルフは速度を落とさないまま黒石の道を駆け上る。


 当然先ほどのように黒石から細い黒石が突き出してきてベルフを襲うが、ベルフは素早い体捌きで真下からの急襲を避け、時に回避が不可能だと判断すると、黒石の道から体を空中に躍らせて無理やり攻撃を躱し、即座に黒石の縁を掴んで落下を防ぐ。


 そのまま一気に体を引き上げようとするが、その僅かな隙を見逃して貰えるはずもなく、支えにしている手の甲を一本の黒石が貫いた。

 苦痛に顔が歪むが、そのまま無理やり体を持ち上げて黒石の道に着地する。そして串刺しになっている腕にぐっと力を込めると、


「すまん、シンゴ!」


 肉体の主に謝罪を述べ、腕を一気に引いた。

 腱と骨がひしゃげ、手がズタズタに引き裂かれるのも意に反さず、そのまま一気に引っ張る。

 まるでシュレッダーにかけられたような状態となった血まみれの腕を押さえ、ベルフはその場から強化された脚力に物を言わせて一気に跳躍。


 突き出す黒石を足に掠らせながらも、どうにか屋根の上に辿り着く。

 跳躍の間に裂けた腕も治癒している。だが、休んでいる暇はない。

 ベルフがハッとしてその場から飛び退くのと、極太の黒石が三本突き出るのは同時だった。


「――っ」


 立ち止まる事は、イコールで死に繋がる。ベルフがこうしてシンゴの肉体を動かすのには、いくつかの条件がある。

 その中で問題となってくるのが、この憑依にも似た状態は『死』によって解けてしまうという事だ。


 吸血鬼の再生能力と『怠惰』の権威がある限り、肉体的な死は訪れないのは確かだ。しかし一度死ねば、ベルフが再びシンゴに憑依する事はすぐには不可能だ。今回のこれは初めての試みであり、死を経ても憑依を継続するには、もっとシンゴとベルフが互いの存在に馴染まなければならない。


 本来ならこの段階で、憑依の継続が可能なレベルまで二人は馴染んでいたはずなのだ。しかし現在、二人の存在は馴染み切っていない。

 そうと言うのも――、


「やってくれた……イブリースっ」


 苦渋に顔を歪ませて屋根の上を駆けながら、襲い来る黒石を回避してベルフは銀色の龍に毒づいた。

 あの『激情の獣』に捕まっている間、ベルフとシンゴのリンクは完全に切れてしまっていた。『怠惰』の権威が生きていたのは不幸中の幸いだが、今となっては奪われた時間が痛い。


 つまるところ、シンゴに対して悪意も敵意も抱いていないらしいあの男の攻撃を凌ぎ切るには、ベルフは一度の死も許されない。

 ベルフにはなぜか卓越した戦闘センスがあり、本人も不思議に思うほど自覚と自信があった。悪意を読み取る事は出来ないが、なんとか攻撃を直感と予測で躱し、どうしても躱せない攻撃は急所を外させ、異常な再生能力で乗り切っている。


 ――行き過ぎた治癒能力は、それ自体が防御力のようなものだ。


「苦痛に目を瞑ればだがな……っ」


 屋根を飛び越え、逃げる歪の背中を追いかける。走力は『激情』で強化されたこちらの方が断然上だ。黒石による妨害を加味しても、ベルフが歪に追い付くのは時間の問題だった。


「――さて、お膳立てはこのくらいでいいか」


「――!」


 逃げるのを止めて立ち止まった歪が、息を荒げながらこちらを振り向いた。いつの間にか黒石による攻撃も止んでいる。

 屋根から屋根に飛び移り、汗を拭う歪の前でベルフも立ち止まる。


「まったく……先輩の手を焼かせる新入社員だぜ。――でも楽しそうだから、これは出世払いだ」


「……なんの話をしている?」


「後のお楽しみ」


 息を整えながら不可解な事を述べる歪に警戒の眼差しを向けるベルフだったが、観察してみたところでは、歪に自身に目立った変化は窺えず、この屋根の上という場所に関しても、周りに注意すべきような物は見当たらない。

 ただ、元いた所からはかなり離れた所に来てしまったようだ。


「――っ!」


 歪から視線を逸らした瞬間、ベルフはハッとしてその場から飛び退く。再び始まった黒石の攻撃は、今までのものとは一味違っていた。真っ直ぐベルフを追従してくる黒石は同じだが、まるで逃げ道を塞ぐように周りからも黒石の波が押し寄せて来ている。

 屋根の端へ端へと誘導するような形だ。


「――甘い!」


 すぐさま判断を下し、ベルフは逃げるのではなく、迫りくる黒石を無視して歪へと向かって走り出した。

 その無謀な方向転換に歪は驚いた表情を覗かせるが、次にベルフが見せた動きで驚愕は動揺へと変わる。


「『受柔じゅじゅうさつ』」


 逃げ場のない黒石の包囲網に向かって跳躍したベルフは、貫かんと襲い来る黒い切っ先に対し、空中で体を上下逆さに。そして自分に向かって伸びてくる幾本の黒石の内、もっとも速く到達する一本を見極め、それを片手で掴んだ。


 瞬間、ベルフ――シンゴの体が伸び上がる黒石に合わせて同速で上昇。黒石が伸びた分だけ同様にベルフが遠ざかった為、黒石の先端はベルフには届かずに終わる。

 だが、黒石の長さはバラバラだ。ベルフの掴んだ一本より長く生成された他の黒石が、その命を穿たんと僅かに遅れて襲い掛かってくる。


 しかし、そこには既にベルフ――シンゴの姿はない。


「『受柔じゅじゅうりゅう』」


 腕の力だけで飛び上がったベルフは、更に迫る黒石の真横を器用に蹴り付けて軌道から外れる。その反動で体を回転させながらも、同様の技を繰り返して黒石の全てを回避していく。

 しかもベルフは、徐々に歪へと近付きつつあった。


「――――」


 その人間離れした技にただただ絶句するしかない歪の眼前に、黒石の波を乗り切ったベルフが音もなく着地した。

 そして目を見開く歪に不敵な笑みを向けると、


「さしずめ、『風車かざぐるま』と言ったところか」


「――ッ」


 我に返った歪が咄嗟に腕を突き出した。その手の平から黒石が生成され、ベルフ――シンゴの顔面を貫こうとする。

 まさか人体からも黒石を生成できるとは驚きだが、ベルフの対応はあくまで冷静だった。


「『受柔じゅじゅうてん』」


 迫る黒石の先端を掴み取り、その推進力を利用して軌道から横にズレながら鋭く回転。そしてそのままの勢いを殺さず、抜き手にした指を歪の額に触れるか否かの位置で寸止めした。

 限界まで押し開かれた歪の瞼――そのすぐ横に、額から一筋の血が伝う。


「――質問する。答えによってはお前を殺す。私はシンゴほど甘くはなれない」


「……確かに、相棒は人を殴れても、人は刺せない性質だからね。――で?」


 シンゴの甘さを指摘する歪の言葉を黙って聞き、ベルフは鋭く睨みを利かせた瞳で捏迷歪の瞳の奥を覗き込むと、


「――お前にとって、嘘を吐く意味とはなんだ?」


 ベルフのその静かな問いかけに、歪はしばし無表情で固まり、やがてニコリと無邪気な笑みを咲かせると――、


「――は? ぼくは嘘を吐いた事なんて一度もないぜ、何言ってんの?」


 本気で意味が分からないとでも言いたげな不服な顔で歪が苦言を呈したのと、そんな彼の腹部から複数の黒石が突き出し、眼前のベルフを串刺しにしたのは同時だった。

 驚愕に見開かれたその紫紺と真紅の瞳を勝ち誇った笑みで見やりながら、歪はその残酷な笑みをより深めていき――、


「『残陽ざんよう』」


「――あ、やっちゃった」


 歪が失態を悟った瞬間、黒石に穿たれたベルフ――シンゴの体が陽炎のように揺らぎながら消え、そのすぐ隣に本物のシンゴの体が現れる。

 そして歪が次の行動に移るより、ベルフの方が速かった。


「『髄抉ずいけつ』」


 ――ベルフの呟きが落とされた次の瞬間、歪の目の前からシンゴの姿が消えた。


「――?」


 消えた姿を探そうと首を途中まで巡らせた所で、歪の動きが止まった。そしてそのままゆっくりと、まるでネジが切れた人形のように体が傾ぎ、受け身もロクに取らず捏迷歪はうつ伏せに倒れ伏した。

 倒れた拍子に開いた口から折られた前歯が全てこぼれ落ち、真っ赤な鮮血が再び海をつくって歪の横顔を濡らしていく。


 そんな歪の後ろに立っていたベルフは、その手に握られた脊髄の断片を放り捨てると、後ろを振り返る事無く顔を伏せ――、


「すまないシンゴ。この男はダメだ。――歪み、終わっている」


 少年の望みとは違う終幕を選んだ事に対する申し訳なさに、ベルフは悲痛な表情を浮かべる。しかしその真紅と紫紺の瞳には、後悔の色は一切窺えない。

 リミットである二度目の死を与えられた捏迷歪。左肩から生じていた黒い炎の翼が火の粉を散らすように霧散し、ついぞその昏い瞳に生の光が戻る事はなかった――。


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