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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:39 『見上げる紫紺と真紅』

「――え?」


 黒い門に触れた瞬間、キサラギ・シンゴは見知らぬ場所に立っていた。

 慌てて隣を見るが、そこにカワードの姿はない。


「どういう……」


 シンゴは焦燥感に身を焼かれながら、己がいる場所がどこなのかを確認するために、さっと辺りに視線を走らせた。

 現在シンゴがいる場所は、周囲を岩で囲まれた洞窟のような場所だ。


 ふと、周りを取り囲む岩が仄かに発光している事に気付く。

 岩から漏れ出す光の色は、真っ赤で血のような色だ。それが無数に反射し、辺り一面を不気味な赤一色で染め上げている。


 シンゴには吸血鬼の暗視能力があるおかげで、周囲の状況を詳細に判別できているが、本来はもっと暗いはずだ。

 岩の発光は思っていたよりも淡く、その光だけでは、右目の力がなければ気休め程度にしかならなかっただろう。


「…………」


 ――まるで、煉獄にいるかのようだった。


 薄暗い洞窟の中に、血の色を思わせる淡い光を吐き出す岩々。

 その不気味さに、シンゴは思わずごくりと喉を鳴らす。そして間を置かず、バッと背後を振り返った。


「門が……ない」


 そこには周りと変わらず赤く発光する岩の壁があるだけで、先ほどまでシンゴの前にあった黒い門はどこにも見当たらない。もしやと思って背後を確認したのだが、どうやら無駄に終わったようだ。


 ――完全に状況に置いて行かれてしまっている。


「まさか……」


 逸る鼓動と息苦しさを感じながら、シンゴは一つの可能性に思い至った。

 門に触れろと言ったのは、他でもない、カワード・レッジ・ノウだ。そして門に触れた瞬間、おそらくシンゴはこの場所に飛ばされた。

 そこから導き出される答えは、一つしかない。


「騙しやがったな、カワード……っ」


 握り込んだ拳を震わせ、シンゴは怒りに顔を歪める。

 そもそもあの男を、自分はなぜ容易く信用したのだろうか。今までの事を振り返ってみれば、簡単に気付けたはずの事だった。


 ――カワード・レッジ・ノウは、狂人なのだと。


 独自の理論を振りかざし、それに抵触した者を「いじめ」と称して断罪する。

 そんな男の言葉を真に受けてしまった時点で、シンゴは間違えてしまったのだ。

 いまさら後悔しても遅いのは分かっている。だが、ここから一体どうすればいいというのだ。


 ここが一体どこかも分からない状況で、一体どうやって脱出すればいい。

 いや、脱出するだけではダメだ。シンゴは捏迷歪ねつまいいがみに対抗する術、もしくは力を手に入れなければならない。


 イブリースという『大罪の獣』に会えば、何か希望が見えるかもしれないと思っていた。だが、その存在が語られたのはカワードの口からだ。それもどこまで本当の事だったのか、今となってはもう分からない。


 まったく、どうしてこうキサラギ・シンゴの周りには嘘つきしかいないのだ。一体シンゴが何をしたというのだろうか。なぜ、こうも理不尽な目に合わされなければならない。本当に訳が分からない。


 不幸なのには確かに自覚がある。だが、この世界に来てからというもの、いくらなんでも度が過ぎている。

 運がないでは片付けられないレベルで、キサラギ・シンゴの歩むこの世界での運命は、不自然なほどに障害だらけだ。


「クソ――ッ!」


 脳裏に思い浮かんだ二人の嘘つき共に対し、シンゴが憎しみを込めた小さな毒を吐いた時だった。

 ふと、何かが視界の隅で動いたのを感じ、シンゴは息を詰まらて顔を跳ね上げた。


 ――そして、すぐに後悔した。


 どうしてすぐに気付けなかったのか。この煉獄の奥に、それはいた。

 蠢くその蛇のような巨体は、優に百メートルは超えている。

 全身は銀色の体毛で覆われており、岩の明かりを反射して真っ赤に輝き、まるで返り血を浴びたようなおぞましい姿を描き出していた。


 その長い胴体に視線を這わせるように、シンゴは下から徐々に上へ上へと目線をずらしていく。

 やがて最上部にて、一対の血走った紫紺の瞳と目が合った瞬間、シンゴは魂を搾り上げられるような猛烈な戦慄を刻まれ、その場に膝を着いて堪らず嘔吐した。


「ぁ……おぉぉ……うっ」


 キサラギ・シンゴの呻くように嘔吐する音だけが、この煉獄に反響する。

 シンゴはその場に四つん這いになってえずきながら、涙の浮かぶ目を限界まで見開いて激しく混乱する。


 あれはダメだろう。ダメだ、本当にダメだ。そもそも対峙する事さえ危険で、意識するだけで気が狂いそうになる。

 それほど絶対的で、本来それは邂逅してはならないものだった。


「はぁ……う、うぁ……あ」


 くしゃくしゃに歪ませた顔を絶望一色に染め上げながら、シンゴはゆっくりと視線を上に持ち上げた。


「――――」


 ――そこには一匹の、巨大な銀色の龍がいた。



――――――――――――――――――――



「――なんだ、その体たらくは?」


「ぁ……え?」


 重く、地の底から響く様なしわがれた声が、呆然として固まるシンゴの耳朶を打った。

 一瞬、ざらついた舌で魂を舐められたかと思った。それほどまでに、その声に含まれる感情の濃度は想像を絶する。


 怒りに始まり、ありとあらゆる激情をない交ぜにして、圧縮し、生まれた隙間に更に別の激情を詰め込んだような、胸焼けだけで死にそうになる感情の塊。

 それが、今の短い声の中にふんだんに濃縮されていた。


 そのあまりの密度に、シンゴの脳は無意識に声を拒絶した。

 それは精神が崩壊してしまわないようにという、せめての防衛本能だ。

 響いた声はただ無意味にキサラギ・シンゴの鼓膜を震わせるだけに留まり、言葉としては脳に届かない。


 ただただ理解不能を示すシンゴに、声の主――銀色の龍は苛立たしげに紫紺の瞳を細め、次に何かをシンゴに見て取ったらしく、目を見開いた。


「おい……なんだその窮屈な枷は?」


「――!」


 ようやく声が言葉として脳で処理され、シンゴが目を見開く。

 そして数秒をかけ、今しがた銀の龍が告げた言葉の意味を脳内で反芻し、


「枷……?」


 辛うじて一言だけ発した。

 銀の龍は、そんなシンゴの呆けた顔を見下ろしながら、徐々に剣呑な空気を漂わせ始める。


「ありえん……儂の器ともあろうものが、どうしてそんな状態にある。何を躊躇っているのだ。何故お前は――」



 ――自分に鍵をかけているのだ。



「何のこと……」


 銀の龍が言っている言葉の意味が全く理解できず、シンゴは頭の中を白く染めながら首をひねる。

 そしてふと一つの可能性に思い至り、シンゴはハッと目を見開いて前のめりになると、


「もしかして、お前がイブリースか!? もしそうなら、俺に力を貸してくれ! あと、ベルフがどこにいるか知ら――」


「だまれぇぇえええ――ッッ!!!!」


「――ッ!?」


 大気を揺るがすほどの怒号が、シンゴの言葉を遮って迸った。

 思わず尻を引きずって後退するシンゴに、銀の龍は空間が歪むほどの怒気を孕んだ瞳で睨み下ろすようにシンゴを見やり、


「儂がイブリースだったらどうだと言う。力を貸せ? ベルフはどこだ? たとえお前が儂の器たるに相応しい者だとしても、そんな蓋をした状態では話にならん! 今のお前に貸す力もなければ、話す事もないわ! こっちにこい……今すぐ食い殺してやる!」


「ひっ……」


 濃密な殺意に当てられ、シンゴは恐怖で顔を引き攣らせて喉を詰まらせる。

 そんなシンゴの様子に銀の龍はぴくりと反応し、まるで観察するように目を細めると、


「ほぉ……曲がりなりにも、儂が見初めた器か。既に儂の怒気を受け止め始めておるわ」


 どこか感心したような声を漏らす銀の龍だったが、すぐに怒りを再燃させてシンゴを睨み付けると、


「それ故に解せん……! 何故お前は、それだけの強靭な器を持っていながら、自ら抑え込むような愚かな真似をする! 本来のお前であれば、儂の力を全て引き出すに留まらず、更に上の段階へと昇華させる事も可能だろうに……!」


 悔しさを滲ませながら、銀の龍は口惜しげに語る。

 そんな銀の龍を前に、シンゴは必死に身体の震えを抑え込んでいた。

 二の腕に手を這わせ、しきりにさすりながら深呼吸を繰り返す。そうでもしていなければ、いつ発狂して自我を失ってもおかしくなかった。


 それほどまでにこの銀の龍と対峙するには、魂にかかる負担が大き過ぎるのだ。

 ここから取れる行動は限られている。まず、捏迷歪ねつまいいがみに対抗する手段を入手する事を諦め、自害してここから抜け出す道。


 そしてもう一つは、恐怖を抑え込み、目の前の銀の龍と対話する道だ。

 先ほどのシンゴのイブリースか、という問いかけに対し、目の前の銀の龍は否定しなかった。それは遠回しに、己がイブリースだと認めている事に他ならない。


 確定とまではいかないが、もし目の前の龍がイブリースならば、どうにかして捏迷歪への対抗策を聞き出さなければならない。

 先ほどまでとは違い、不思議と目の前の圧倒的な存在にも慣れてきた。脳に血が巡り、拙いながらも思考が出来るまでには持ち直した。


「ほぉ」


 必死に考えを巡らせるシンゴを見て、銀の龍が再び感嘆の声を漏らした。

 今度は何だ、とシンゴが眉を寄せると、銀の龍はどこか嬉しそうにその凶悪な口元を笑みに歪ませ、


「そんな状態でありながら、もう儂の存在に馴染むか。お前、本当に人間か……?」


「……どういう意味だよ?」


「言葉通りの意味だ。今の状態で、あの金髪の小僧とタメを張る位か。見たところ、十分の一も器を使っておるまい。そんな器を生まれながらに持ち合わせる存在など、普通では考えられん」


「意味……分かんねえよ。器って、何の話だ……?」


 シンゴの問い返しに、銀の龍は再び剣呑な空気を発しながら、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「自分でやっておいて、自覚もなしか。……待て、外的要因か?」


「――?」


 何やら思考に没頭し始めた銀の龍を警戒の眼差しで見上げながら、シンゴは必死に頭を回転させる。

 どうやらこの銀の龍は――いや、もうイブリースと認識しよう。イブリースは、話してみた感じでは、かなり短気な性格のようだ。


 ここで無暗に話しかけて思考を中断させてしまえば、一体どんな癇癪が待っているか想像に難くない。

 なるべく向こうのペースに合わせ、機嫌を窺いながら必要な情報を引き出す。あわよくば、力を貸して貰う。


 この龍が本当にイブリース――『大罪の獣』なら、おそらく『激情』の権威に直結する存在だ。シンゴのまだ知らぬ権威の隠された力、もしくはその術理を聞き出す事が出来れば、シンゴにとって少なくない戦力となるだろう。


「…………」


 しかし今は、何も出来る事はない。

 ならばと、シンゴは少しでもイブリースの事について知るべく、その全容に視線を走らせた。


 紫紺の瞳が輝く凶悪な相貌から下に、胴の中間に小さな腕のようなものが付いている。

 その手の先には鋭い爪があり、シンゴなど人撫でされただけで肉塊に成り果てるだろう。そしてさらに視線を下へズラしていくと、岩の大地を踏みしめる二本の太い足があり――。


「――ベルフ!?」


 シンゴから見て右――イブリースの左足に踏み付けられるようにして、半身のみの火の鳥、ベルフが捕まっていた。

 そういえばカワードが、ベルフはイブリースの元にいるとは言っていたが、まさか捕まっているとは考えもしなかった。


 予期せぬ形での再会にシンゴが目を見開いていると、シンゴの声に反応したベルフがゆっくりと顔をこちらにもたげてきた。


「シン、ゴ……」


「ベルフ! 大丈夫か!?」


 シンゴの心配する声に、しかしベルフは憔悴しているのか、それ以上の反応を返さない。

 その様子を受け、シンゴはキッとイブリースを睨み上げると、


「おい……その足どけろよ!!」


 シンゴの怒声に、イブリースは虚空に留めていた視線をギロリと下げると、


「お前……儂に指図する気か?」


「っるせえ! いいからその足どけろっつてんだよこのトカゲが――ッ!!」


 不思議ともうイブリースに対する恐怖は、普通に怖い、くらいにまで落ち着いている。それがなぜなのかは分からないが、今はベルフを解放させる事の方が先決だ。

 正直、ベルフとシンゴの関係を言葉にするのは難しい。しかし少なくとも、ベルフはシンゴに協力的であり、友好的であった。


 無論それだけが理由ではない。ここからは理屈ではなく、感情論の話なのだが――。


「どうも俺は、お前が苦手みたいなんでな……イブリース!」


 ――言ってしまった。


 シンゴの本音を受け、イブリースの目元が微かに引き攣った。

 これでもうイブリースは、何があろうともシンゴに力も知恵も授けてくれはしないだろう。確かにイブリースは、シンゴを多少なりとも評価しているかもしれない。しかしそれはイコールで、協力的だとはならない。


 当初の考えでは、イブリースの機嫌を窺って有益な情報、もしくは助力を得ようと考えてはいた。しかし、そこに囚われたベルフの存在が絡んでくると、また状況は変わってくる。

 まず、どうしてイブリースはベルフを捕まえている。理由は分からないが、少なくとも良くない理由だろう事は確かだ。


 『大罪の獣』――おそらくイブリースは、『激情』を司る獣だ。その線でいくと、ベルフは『怠惰』を司る獣だろうか。

 だとしたら、キサラギ・シンゴの中には現在、二匹の『大罪の獣』が住み着いている事になる。


 互いの関係が良好でないのは、一目瞭然だ。

 『大罪の獣』が追い出される、もしくは滅ぼされでもしたら、その獣の司る権威は一体どうなる。


 憶測の域は出ないが、もしかしたら権威が消失する事になるのではないだろうか。

 もしも『怠惰』の権威が消失すれば、シンゴにとってかなりの痛手となる。捏迷歪との戦闘において、それは大きな戦力の消失を意味するだろう。


 肉体強化より、不死の力を――。


 死ななければ、チャンスは幾らでも巡ってくる。それに対し、ただ身体能力が上がるだけとなれば、シンゴは呆気なくいがみに敗北して、イチゴを救うという本来の目的を遂げる事無くこの世から退場だ。


 ――それだけは、絶対に許容できない。


「儂が……何だ?」


 底冷えするような怒気を孕んだイブリースの低い声に顔を伏せると、シンゴは己の覚悟を改めて意識し、不敵な笑みを口元に浮かべた。

 脳裏に過るのは、うるさくて、世話焼きで、怒ると怖い、それでも笑うと最高に可愛い、シンゴのたった一人の妹――キサラギ・イチゴと過ごした、平穏な日々の記憶だ。


 ――ドグン、と。


 胸の奥底で脈動するドス黒い何か――『激情』が、温かくて優しい思い出に高鳴るシンゴの鼓動と同期した瞬間、一気に白く燃え上がった。

 全身に行き渡る力強い感覚は、捏迷歪と対峙した時よりも深く、透明で、そして強大だ。シンゴはその湧き上がる力を意識しながら、グッと拳を握り締め――、


「もうお前に助けは請わねえって意味だ! 耳わりぃならもう一回言ってやろうか? このいぶし銀野郎がぁ――!!」


 左目の紫紺と、右目の真紅が、一対の紫紺を不敵に睨み上げる。


「儂の力で儂に挑むつもりか……この恩知らずめがぁ――ッッ!!!!」


 唾を飛ばして咆哮するイブリースに向かって、キサラギ・シンゴは全力で地を蹴って駆け出す。


「ぅ、ぉぉぁあああああああああああああああ!!!!」


 喉から咆哮を迸らせながら、少年は憎き敵を打ち負かす為の力を得る道を捨て、愛すべき家族を守る為の道を駆ける。

 捏迷歪との戦いは、想像を絶するほど苦難の道となるだろう。だが、この道を選んだ事に後悔はない。




 『大罪の獣』イブリースとの戦いが――始まった。


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