ああ、オレじゃなくてよかった
時刻は午後九時を過ぎ、男子密度が二百パーセントを超えたオレ達の部屋では大ゲーム大会が繰り広げられていた。
ゲームといってもデジタル機器を使用したものではない。デジタル機器の宿命ともいえるバッテリー切れにより、各部屋でスマホ充電が優先されることもあって、凶悪獣狩り大会は恙無く中止に追い込まれた。いかに最先端電子機器といえども所詮、電源が入らねば只のガラクタである。突然手足を縛られ、目隠しをされるような不安感とともに、することもなく手持無沙汰になって初めて、デジタル機器に支配されていた己の情けない姿に気づくことになる。
子供のスマホ依存に胸を痛める親は気をつけるべきだろう。
良かれと思って取り上げる行為は、広がった知覚を急激に奪う事であり、突然の不自由さによるストレスが刃物の輝きとなって、いちばん身近な己の身体にブスリと突き刺さる事になるのだから……。
すっかりデジタル難民と化しつつあったオレ達だったが、若さゆえの柔軟性により、麻雀、トランプ、UNO、人生ゲームなどの存在に気づき、アナログ全盛時代の頃と全く変わらぬ定番メニューで、室内は盛り上がっていた。
UNOに興じていたオレは、容赦のない集団Draw爆撃の洗礼を浴びてトップから最下位へと一気に引きずりおろされたところで、一旦輪の外に出る。
空になりかけのペットボトルを口に、何気なく室内を見渡した。
十人部屋の室内にいつしか倍以上の人数が押し掛けている。
見覚えのない者も多いのでおそらく他のクラスだろう。まだまだ新年度開始から一月近くでは、良好な人間関係を築けていない者もいるらしく、前年のクラスの伝手を頼ってきたというところだろうか?
見ず知らずの者同士が同じゲームに熱中できるのは、アナログゲーム特有のルールの単純さゆえであろう。
室内の面子は総じておとなしめで、旅行というシチュエーションを利用して女子生徒達との親交に工夫を凝らそうとする努力とは、あまり縁のなさそうな者が多かった。
不意に背後でガチャンと何かが崩れ堕ちるような音に驚き、慌てて振り返る。
そこでは資本主義社会の象徴ともいうべき積み木ゲームが行われており、高く積まれた積み木の塔がバランスを崩して倒れた瞬間だった。
テーブルの上でそれに興じていた三人が「ああ」と溜息をつく。
いつか必ず崩れると分かっていながら、一本抜いてはより高く積み上げ、やがては誰かがババを引く。破綻の結末をいかにして他者に押し付けうまく逃げ切るか、ギリギリになればなるほど、否応なく場は盛り上がる。
それは正に電子空間内で、マネーと数字を激しく飛び交わせ、虚実な駆け引きを繰り返して利益と負債を争う混迷極まる世界経済の姿そのものだった。
――ああ、俺じゃなくてよかった。
不幸で愚鈍な他者を踏みつけにして成り立つ一時の幸福に酔いしれる己自身が、悲しき資本主義の奴隷たることに気づく者は少ない。たとえ名ばかりの伴侶がいようとも、競争という名の麻薬を打ち続けて走らざるを得ない孤独な現代人の行きつく先は、一体いかなるものだろう?
一つため息をつくと、気分転換にスマホと小銭入れを手にして、熱気あふれる部屋を後にする。
旅館前にあった民間補給施設、もとい、コンビニの存在を思い出し、足を向ける事にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
玄関前ロビーではいくつかのグループが集まってだべっていた。完全自由行動となる明日の予定、あるいは今夜の予定についての相談といったところだろうか。
監視役の引率者達の姿はない。
一日中、カルガモよりも世話の焼ける生徒共の御守をさせられ、さらに数時間に渡る女子風呂監視の任務の疲労を酒で癒し始めた頃だろう。
女子風呂のノゾキといえば、平安の古より使い古されたネタであるが、携帯機器が脅威的進化を遂げた現代では全く意味合いが違う。
脱衣所内で盗撮した画像や動画を強請りや金もうけのネタにする――女の敵は女――それが昨今の高校生の現実だった。学校という場所が大人の都合で聖域となっている以上、世間に露見する事実など、氷山の一角にすぎない。
旅行前の事前集会で入浴時の携帯機器の一時的没収と荷物チェック、さらに女性教師による脱衣所及び浴室内の監視が宣言された時は、大ブーイングとなっていた。特に昨年、イジメ動画暴露で手痛い思いをしただけに、教師達はかなり神経質になっているようだった。せっかくの露天風呂もあれでは台無しである。
尤も同性同士による盗撮は絶対に無視できぬ現実であり、表面だけ笑いあい、腹の中では互いに何を考えているか分からない故に付き纏う不安感からか、大部分の真面目な女子生徒達には、厳しい監視が歓迎されているようだった
風呂場の監視が面倒臭いから修学旅行はもうやめよう――そんな馬鹿馬鹿しい理由を挙げる学校も近い将来でてくるに違いない。
おしゃれとは程遠い、安物のスウェットの上下という砕けた格好でロビーを一人通過するオレに、無遠慮な複数の視線が向けられる。何やらこそこそ噂話が聞こえるような気もするが、きっと自意識過剰なのだろう。
スニーカーを靴箱から取り出し、玄関を出て少し肌寒く感じられる外気の中、歩いて三十秒とかからぬコンビニに向けて歩を進める。
赤だの、青だの、緑だのと、戦国時代の旗指物の如きカラフルな看板で陣取り合戦を行い、時として同系列の店で客を奪い合う仁義なき戦いは、この街でも繰り広げられているようだ。間延びした電子音で迎え入れられたその先で、ふと遠く離れた故郷の景色を思い出す。
全国どこへ行っても似たような店舗と品ぞろえ、『二十四時間、開いててよかった』その場所は、もはや公共サービス機関といっても過言ではない。
その便利さの裏側で、ブラック企業も真っ青の容赦ない関連性皆無の膨大な激務と、理不尽極まりない大資本の横暴によって虐待される経営者達の涙があると知る者は少ない。集金に販売に調理に清掃に、時と場合によって街の治安維持までと、現代社会の最前線で大資本とケチな経営者達の気分の赴くままに使い潰される店員さん達には、もっとリスペクトと社会的地位の向上を認めるべきであろう。
だが、そんな裏方の事情など、やってくる客には関係ないのが世の中というものである。無駄に照明の明るい店内で、オレは普段どおりの日常を思い出す。
雑誌コーナーで漫画雑誌を手に取る事わずか三分。
相変わらずどこかでみたような構図に全く感動を覚えない惰性ですすむストーリー、B層に媚びへつらわんとばかりにぶちまけられる無意味なSex&Violence。そのほとんどが名作の焼き写しで、造り手の個性も誇りのかけらもない。原液を水で薄めて香料を加えた新商品が、醜悪すぎることくらいいい加減、教えてやってほしいものである。
積み上げの価値を知らず、目新しい物に飛びついては得意になる幼稚な人間のかじ取りの下、才能のつきた人間が手の早さだけで威張るのは、もはや末期状態。身勝手な早漏は貪欲で気まぐれな異性にそっぽを向かれるというが、彼らの世界では違うのだろうか? 今や、三分かからず一冊読破できてしまうその薄っぺらい内容でもカネがとれるというのなら、こんなにボロイ商売はない。
最後に薬物漬けの自称魔法少女達が織りなす下ネタ大騒動に安定した作者の非凡さを垣間見て、世の中まだ捨てたものじゃない、とほっと胸をなでおろす。悲惨だったアニメ化の事は忘れてあげるのが、ファンとしての正しいマナー。勿論、誰かが実写化したいと寝言をほざこうものなら、猛抗議は当然だが……。
などといった世間知らずな高校生の主張をそっと胸にしまって、オレは雑誌コーナーを後にする。
コンビニスイーツの定番中の定番、シュークリームを一つ手に取りレジへと向かう。
スイーツ、それは、複雑怪奇な人間関係に疲れ果て、商業主義にたっぷり染まった虚構の世界にすら安らぎを見出せない乾いた青少年の心を慰める、貴重なアイテムである。
ちょっとした旅行者気分で電子マネー決済を済ませたオレは、心のこもらぬ感謝の言葉を背に、コーヒーは豆から挽く派には少しばかり不満の残るアツアツのドリップのカップを手にして、店を後にする。
苦味が甘味を引き立てる。
ブラックとコンビニスイーツで、日頃から当たり前のように知覚していた味のコラボレーションが、はるか時代を越えて和の伝統文化の中に息づいていた事をふと思い出す。
『そんなの常識じゃん!』
などという野暮な突っ込みは気にしない。
コラボレーションのレベルがディファレントなのだ!
ミーにとってあのエクスペリエンスはコペルニクス的なサムシングだった!
興奮のあまりおもわず意識高い系を気取ってしまった。
修学旅行、やはり学ぶことは少なくないようだ。
海の向こうの某国ならば確実に訴訟となるほどの熱量を発するカップを手に、間延びした電子チャイムと共に開いたドアから一歩踏み出した瞬間、オレは意外な人物と遭遇した。
「あっ、央城君……」
我がクラスの学級委員長・東堂咲耶だった。
カラフルなデザイン重視のスウェットに薄手のカーディガンを羽織った彼女は、機能とコスト重視のオレとは真逆の存在だった。ゆったりとしたデザインであるものの、女性らしい丸みを帯びたラインとプロポーションの良さは完全に隠しきれていない。
決して派手ではなく、それでいて地味すぎない、絶妙なバランス感覚はオレにはとても真似できぬセンスというものだろう。
正と負の感情が日常的に交錯する教室内では、敵を作らず己を傷つけずという綱渡り的なスキルを要求されるのが、昨今のオレ達である。
校内一の美人という看板を背負う彼女ならば、その気苦労はオレの比ではないに違いない。
「買い物か?」
「ちょっとね……」
「そっか……、じゃあな」
何を買うかなどと、野暮な突っ込みは無しである。欲しいものなど人それぞれ、ましてや相手は女の子、それもとびっきりの。そして限られた店舗面積でありながら、必要なものが必ずあるというのが、膨大な蓄積データを駆使した民間補給施設の恐るべきところである。
背を向け、再び歩き出す。と、彼女がオレを呼びとめた。
「どこ行くつもり、こんな時間に?」
オレのつま先は、旅館とは真逆の方角へと向かっている。
「のんびり茶ができるとこ……」
正確にはコーヒータイムであるが。振り向くことなく再び歩きだそうとするオレの姿に彼女は慌てた。
「ちょ、ちょっと待って……」
「何だよ。コーヒーが冷めちまうだろ」
慣れない集団行動時における、僅かな憩いのひと時。
コーヒー片手に、色々とあり過ぎたその日一日の出来事について思索する貴重な時間を、如何に相手が校内一の美人さんとはいえ邪魔してほしくない。
放置プレイ推奨を切に願う。
だが、彼女は一つ大きく深呼吸をして思わぬ提案をした。
「一緒に行ってもいい?」
さすがに驚いた。しばし言葉を失ったオレに彼女は慌てて付け加えた。
「あ、明日のことについて、打ち合わせしておきたいの……」
ああ、成程と納得する。
連休前の臨時HRで、もめにもめた班編成は時間内で決着がつくことがなかった。結局、ある女子生徒達の班がお一人様を引き取り、特別に五人編成となった訳だが、当の本人は当日に熱を出して倒れ、旅行を欠席した。
その朝、この成り行きをクラスの誰もが当然のごとく受け止め、産廃の引き取りを決めた班のメンバー達すら、顔がほころんでいた。
只でさえ厄介事を抱えたクラス内での修学旅行、せめて仲間内くらい気兼ねなくすごしたいというのはクラスの本音だったのだろう。自分から心を開かぬ癖に、他人にそれを期待するなど実におこがましい。この先の彼女のクラス内での立場はおそらく微妙なものとなるだろうが……。
とはいえ、担任教師の表情が少し歪んだものの、欠席した彼女のとった正しい選択はクラス内で概ね歓迎されていた。一歩間違えばオレがその立場に立たされていた訳だから、オレとしても欠席した彼女と、さらにはオレを拾い上げてくれた委員長に感謝すべきだろう。
明日は彼女達には気兼ねなく三人で旅を楽しんでもらい、オレは密かに温めてきた独自ミッションへと向かう事になる。
その事を伝え、恙無く平和裏に問題を解決するために、オレは貴重なコーヒータイムを共に過ごせという委員長の提案を受けざるを得なかった。
「買い物、いいのか? なるべく、コーヒーが冷めないうちに頼む」
「あ、ちょっと待ってて……。すぐ済むから……」
慌てて彼女は店内へと走っていく。目当てのコーナーへと向かった彼女は、途中紅茶のペットを手にしてレジへと向かう。
数人の客の後についた頃には、オレは少し離れた場所へと身を移し、店内においても著しく目を引く彼女の姿に背を向けた。
再び彼女と合流した時、オレのコーヒーはちょうど飲みごろの熱さとなっていた。
2015/10/11 初稿