そんなんだから、未だに一人者なんだ
大型連休に入る直前の最後の登校日。
オレ達二年D組は担任教師の好意で、授業内容を変更して修学旅行についての話し合いを行っていた。
教壇に立つ我らが学級委員長・東堂咲耶は、凛とした強気な態度でだらけがちなクラスの雰囲気をまとめていた。だが、時間の経過に反して一向にまとまる様子のない三日目の班割については、かなり苦戦しているようだった。
四人一組で九つの班に分かれる訳だが、あぶれ者の最後の行き場所が定まらずに苦労を重ねている。原因はやはりクラス内に蔓延る元一年E組出身の男女六人のイジメグループのせいだろう。一クラス三十五人のうち、どうしても誰か一人が犠牲にならなければいけないわけで、あぶれ者になりかけたお一人様の女子生徒が「もうやだ、行かない!」と泣き出したところから事態は混沌としていった。事情が事情だけに「じゃあ、私が」という者はおらず、さすがの委員長もお手上げ状態だった。
三人と五人に分けるとか、名前だけ入れて実際には別の者達と班行動するなどの融通を利かせればよい訳だが、形式主義にしっかりと囚われた引率者側が許さぬようで、担任の若い女性教師も渋い顔をする。担任教師が特例を認めて事態を収拾すれば話が済む訳だが、まあ、何かあった時に責任を取りたくないというのが本音であろう。
そしてオレも又、苦しい立場に少しずつ追いこまれていた。
逃げ道をふさがれ屠殺場に連れていかれる家畜の如く、修学旅行への参加が決定してしまったオレは、直ぐに気持ちを切り替え、新たな楽しみを見出した。せっかく京都へと行くのなら、やはりアレとアレを仕入れるべきであろう。
スマホで検索するオレの眼前に座る男子生徒が、くるりとこちらを向いた。
バスケ部所属の小野木という名のそのクラスメートは、オレとは一年の時からクラスが一緒で、出席番号が近かったよしみで親交がある。今回の旅行では彼は室内運動部の者達と班を組んでいるため、オレの入る隙はなかった。この手の行事では常に先手をとって根回しをしていくのが世知辛い現代社会に生きる高校生の必須スキルとなっている。オレのように行き当たりばったりから生まれる偶然を好む者には、息苦しく寒い時代である。
尤も最初から旅行を欠席するつもりだったオレにはどうでもいいことだったのだが……。
「央城、一体アレ、どういうことだ?」
「さあ、何のことだ?」
小野木の問いにオレは素知らぬふりして検索を続ける。
勿論、彼の言いたい事は分かっているし、彼の問いは男女問わずこのクラス全員の問いである。となりの男子生徒が聞き耳を立てている気配を感じとる。高嶺の花を毎夜オカズにハアハアしているネクラ野郎の類いだろう。
「しらばっくれても無駄だぜ、オレとお前の仲だろう?」
「小野木、お前には僅かばかりの友情を感じているが、悪いな、オレはノーマルだ。別の尻穴をあたってくれ」
「そっちは間に合ってるよ。オレが聞きたいのはあの第七班の人事だ」
このリア充野郎め、とオレは一つため息をつく。
今のクラスの関心事は空いた最後の一枠をいかにして埋めるかという事ではない。黒板に記された班分けリストのうちの二年D組第七班に所属するメンバーとして書き連ねられた者達の名前とその関係だった。
この班の班長は我らが学級委員長の東堂咲耶。そして彼女の友人兼付き人のいつもの二人。ここまでは全く問題なかった。そして最後の一枠に名を連ねたのが『央城連理』というひねくれ者の男子生徒の名前だった。
つい先ほど其れが委員長自身の手によって黒板に書き記された時、大きなどよめきが起きた。クラスのあちらこちらから敵意の視線を感じ取り、オレは仕方なく検索作業に没頭するふりをして、場を凌いでいた。
客観的に見れば女の子三人と共に自由行動をする幸せハーレム野郎というところか。しかもその一人があの東堂咲耶である訳だから男子生徒達の嫉妬はいやでも盛り上がる。
だが、当の本人には預かり知らぬ事。晴天の霹靂という事態にオレはただただ翻弄され、現実逃避していた。
メアドの一つも知っていれば「何考えてんだよ、キミは!」と直接抗議の一つもできるのだが、あいにくプレミア付きの東堂咲耶のそれをオレが知ろうはずもない。
ちなみに男女混成の班はオレ達以外のところにあと一つ。
ただし部活繋がりの男女二人ずつ、仲好し小好しの四人組なので周囲に全く異論はない。
「なあ、小野木、お前、オレが修学旅行に行くつもりなんて、端からなかったって事は知ってるよな?」
「ああ、急性胃腸炎なんてご丁寧に病名までこさえてな……」
「そこで、オレは委員長に頼んだ訳だ。当日は欠席するから、空いてるところに適当に名前を放りこんでおいてくれってな。ところが事態は想定外の展開を迎えた……。未曾有の危機といってもよい恐るべき状況に……」
「欠席者ペナルティーの事か。まあ一割近くが欠席しそうだったっていうんだから、そりゃ学年主任も焦るわな……」
「そんなにいたのかよ……」
小野木のもたらす新情報にオレは驚いた。三十五人×八クラス。総勢約三〇〇人弱のうちの一割だから結構な数に上る。
「まあ、それでも四、五人は欠席予定らしいけどな」
診断書を偽造し、人間関係が断絶状態の同居人を長々と説得するような手間暇をかけてまで休む程には、まだ人生に絶望していない。
「という訳で、あれはその名残だ。さすがの委員長もこの状況を想定していなかったのさ」
事実はかなり違うがつじつまは合っているはずだ。実のところオレにもこの展開は全く理解できなかった。
壇上の委員長にチラリと視線を送るが、彼女はあれやこれやの説得工作の最中で全く余裕が無い。
しばし、訝しげにオレの表情を探っていた小野木は、やがてニヤリと笑った。
「まあいい。色々つっこみどころ満載だが一応、筋は通っている。京都らしく武士の情けで見逃してやろう」
「京都は公家じゃないのか?」
お歯黒と眉そりが必須で、侘び寂びに満ちた伝統文化の裏側での容赦ない裏切りやねちっこい足の引っ張り合いが、デフォルトの階級である。
「それにお前にとっては、傷心を癒やす失恋旅行だしな。いい思い出を作れよ」
「おい、ちょっと待て、一体どういう意味だ」
なにやら奇妙な匂いを感じオレは食いついた。小野木はきょとんとした顔で再び口を開く。
「とぼけるなよ。お前一年C組の西條彩華に朝の校門前で告って派手にふられたばかりだろうが……」
「一体、何のことだ?」
「んでもって、ふられた腹いせに学校内のゴミをテニスコートにぶちまけた……って、もっぱらの噂だぜ」
とんでもないストーカー野郎がいたものである。
「どこのどいつだ、そんなデマカセばらしてんのは?」
「どこって、ネットで言ってるぞ。例の掲示板……見てないのか?」
「マジ?」
小野木はコクリと頷いた。
例の掲示板。
昨年起きた事件以来、密かに利用されるになったその掲示板は、よくオレ達の学校に関するスレが立てられている。スマホの無料アプリに押され、書き込みをしている者は余り多くないようだが、其れを情報源としているものは学内でもかなりの数に上るようだ。
どちらかというと負の側面に陥りがちであれども、匿名性ゆえの自由さと気軽さから、不用意な発言で身を滅ぼすSNSなどよりも好まれるらしい。他人の悪口や不幸は楽しめるが自分がいざその立場になると嫌な気分になる。そんなエゴのゴミ溜めのような場所に長く居続けると泥沼にはまるので、最近はあまり閲覧しないようにしていた。
学校側の抗議で次々に削除されるようだが、その度に新たなスレが何処からともなく立てられるというイタチゴッコに、関係者は頭を抱えていたようだ。一度、生徒集会で教務主任が雷を落としたが、全く無駄なことであり、逆に教師らしき人物からの情報のリークまで生まれ、とうとう学校側は匙を投げ、無視を決め込む事にしたらしい。
ネット技術を駆使する現代っ子に、頭の固いアナクロ老人共が勝てるわけがない。今や『老いる』とは『消耗し朽ち果てる』と同義である。
そんなところに書き込まれたおいしそうなデマ情報な訳だから、あっという間に校内に広まったのだろう。
ここ数日、なんとなく感じた奇妙な視線やくすくす笑いはそういう事だったのか、と合点がいった。
「なあ、小野木、ネットの言う事を真に受けてはいけませんっていう基本原則、知ってるよな?」
「ああ。職務に忠実なお前がゴミを散らかす不届きな女共を成敗し、西條彩華がその事について詫びを入れに行ったってこともな」
「お前、ちゃんと知ってて……」
「まあ、いいじゃないか。大喜利以外のまともなお笑い文化が途絶した昨今、身体を張って全国区で笑いをとってくれる同級生なんて貴重だぜ。みんな娯楽に飢えてんだよ」
「オレが得るもの、何もないだろ!」
「いいじゃねえか、今度は修学旅行で東堂にアタックして見事玉砕してくれ」
「玉砕前提か?」
「お前にはいろいろと期待しているよ。あれやこれやとな」
意味ありげに笑うと小野木は正面を向いた。
「央城君、聞いていますか?」
代わりにオレに声をかけたのは、少々キレ気味の表情を浮かべた我がクラスの女性担任だった。そろそろ三十路が見え始めた彼女は公私ともに色々と行き詰まりつつあるようで、事なかれ主義の見本のような態度で日々を送っている。
「すみません、何でしょう?」
小野木の背に向けて中指を突き立てながらオレは彼女に尋ねた。二年生になってまだ一月。この先の長い付き合いを考えれば、極力彼女との衝突は避けたい。
「ですから、第七班の貴方の枠を彼女に譲ってあげてくれませんか?」
――ああ、やっぱりそう来たか。
泣きながら己の不幸を訴える者の要求は意外に通りやすいものだ。多くの侮蔑や嘲笑と引き換えではあるが。
そして話の分かる態度を示す者は、えてして貧乏くじを引く。今のオレのように。
「つまりオレに第四班に行けと、先生はおっしゃられるのですね?」
「ええ、どちらも女性三人ですから条件は同じかと……」
意味ありげに笑う。女という生き物は歳を重ねても、考える事はさほどかわらぬものらしい。
――とことんクズだな、この女。
どうせ、勧めるなら同じ嫌われ者の男子三人組の方にすればよい訳だが、わざと第四班を指名するところに思春期の少年心理を見下す女の底意地の悪さが感じられる。己の精神的歪みを棚に上げて、『男なんて』と揶揄する壊れ女の典型であろう。
――そんなんだから、未だに一人者なんだよ。
孤独なオレが言うのもなんだし、侮蔑とともに正面切って言の葉に乗せることはまずないだろうが……。
第四班は我がクラスの誇る最悪のクソ女、柳瀬晶の班である。
東堂咲耶のせいで目立たぬが、黙っていれば外見はなかなか、自分の魅力を引き立てる手段を知り、その努力をしているという意味では平均的な女子高生のうちでは上位種であろう。ただ彼女の内にある明確な悪意は、その努力では覆い隠すことができず、事あるごとに様々な場面でその表情ににじみ出る。これほど分かりやすい人間も珍しいだろう。
昨年度、主犯格三人の退学で決着のついたイジメ事件、実は彼女が裏で糸を引いていたなどという噂話もちらほらと聞く。
そして彼女は現在進行形で行われているイジメグループの中核人物である。
新学期が始まった直後、このグループの男子二人とオレは偶然衝突した。些細な事をネタにからもうとしてきた原始人どもを、オレは仕方なくいきなり相手のタマを握りしめるという暴挙で制した。周囲の顰蹙の中、さすがに奴らもこのやり方には肝を冷やしたらしい。オレとしてもあの手触りは二度と御免こうむりたい。
その後、奴らは方針を変え、委員会活動という面倒事を押し付けることで溜飲を下げ、以来、事あるごとにオレに牽制をかけている。
武力と技術力に優れた某帝国がABCD包囲網で徐々に力をそがれ、不利な局面に追い込まれていった……そんな状況に酷似している。
やがてこのグループはすぐにイジメの対象を別の者に移し、白羽の矢が立ったのがブタ君こと福田君だった。
二十世紀末から二十一世紀初頭のステレオタイプなオタクイメージの強い彼が、徹底的な嫌がらせを受ける事で、彼と同様の立場になりかねない数人の者達は今のところ難を逃れている。
彼とオレの違いがあるとすれば、理不尽に対して無抵抗だったものと新専守防衛思想を貫いた者の違いだろう。自分からは決して手を出さず、やられたら即十倍返し。混乱の二十一世紀を強く生き抜くための基本精神である。
オレ達の担任教師は見て見ぬふりをしながらも、ある程度そういった事態を把握し、オレを柳瀬にぶつける事でパワーバランスをとろうと考えているのだろう。
常に外敵の存在を覚悟せねばならないエリートビジネスマンや一国を背負う政治家ならば、ある意味強かなやり方だろうが、教育者としてはさすがに小賢しすぎるし、論外だろう。そして、いかなる場合に置いても個人レベルではまず人間として信頼されない。
さすがのオレも現時点での柳瀬達との直接戦闘は避けたかった。繊細なオレの精神では、奴らと顔を合わせておそらく三時間ともたないだろう。
財布の中身と価値観が合わぬ者との旅行ほどつまらないものはない。
ここで「嫌だ」というのは容易いが、そうするとこれからの一年近くでクラス担任と多くの男子生徒を敵に回すことになる。
さすがにこれ以上の面倒事は避けたい。
いつでも全力で眼前の障害を排除していくほど、オレはマッチョなタフガイではない。
ここは大人しく受け入れ、どうやら当初の計画である修学旅行ブッチ作戦の再度の発動を検討せねばならないだろう。
そんな事を考えた矢先だった。
「あの、先生、お言葉ですが、そうしますと央城君が間違いなく修学旅行を欠席する事になるかと……」
意外にも援護射撃をしたのは、委員長だった。オレの行動パターンを見事に読み切ったその言葉にクラス内の誰もが息をのむ。担任が反論する。
「でも、それでは央城君はペナルティーをくらうことになる、分かってますよね?」
当日に本当に盲腸にでもならない限り、オレは逃げ場がないようだ。相変わらずの委員長フェイスを崩さぬ東堂咲耶だったが、僅かに躊躇うような表情を見せる。
対して、己の名案こそ唯一の正解であると勝ち誇ったような担任の顔が気に入らなかった。
現状、オレは形式的にではあるが東堂咲耶の班に属する事になっている。
当日はとあるミッションの為に単独行動をとる予定であり、現在の彼女とのかろうじて良好な人間関係から考えれば、おそらく提案は受け入れられるであろう。彼女達とて気心の知れた女子三人のみでの行動の方が、楽しい旅となるはずだ。
だが、事情を知らずに勝手に嫉妬に狂うネクラ野郎達と、オレの我がままこそが諸悪の根源という言いがかりと共に泣き崩れるお一人様、そして責任逃れをしたがるクラス担任の三方から集中砲火を浴びることになる。
現在班員三名の柳瀬の班に属すれば、それらの心配は全て消えるが、立場的には圧倒的に不利であり、嫌がらせよろしくオレが自由に行動することは困難になる。そうでなくてもヤツの班に名義をおくという事は、例えて言うなら全く信頼のおけぬ相手に身分証明書をポンと預けるようなもの。本人の知らぬうちに山のような借金を押し付けられて人生が破綻する、などという間抜けは絶対に避けるべきである。
八方ふさがりのこの状況、いかにして対処すべきだろうか?
数日前、オレが班割りリストの中に己の名を書き込んだ時、実はいくつか避けるべき名を瞬時に確認していた。
イジメグループ側の加害者六人と被害者の福田、そして東堂咲耶。
あの時は全く旅行に行くつもりはなかったが、それでも細心の注意を払ってトラブルを回避したつもりだった。
だから第七班にオレの名前を書き換えたのは、委員長自身に違いなかった。
折角の班行動で気心の知れぬ四人目に余計な気遣いをせぬよう、存在しない名前を利用したのだろう。
旅行に行くつもりはない、だから適当に扱え、といった以上、オレに文句を付ける資格はないし、その気もない。
ただこの状況に至ってオレを庇う意図が見えなかった。多分、トラブルメーカーとなるであろうわがままなお一人様を引き受ける面倒臭さを嫌ったのだろうが、旅行に参加せねばならぬ以上、オレの存在も同じである。
「央城君、構いませんね?」
担任が念を押す。これでようやく面倒事から解放される――そんな表情にオレはとうとうカチンと来た。
「分かりました。では修学旅行は急性胃腸炎で欠席という事でよろしくお願いします」
周囲がざわめく。担任教師の顔色が変わった。オレは続けた。
「医師の診断書はどうにかします。ついでに欠席理由としてクラスの現状のあることあること全てを書き記したうえで保護者の同意書と共に提出します。提出先は学年主任宛でいいでしょうか?」
クラス内の空気が凍った。唯一前席の小野木の背が小さく震えている。
――笑ってやがる。
その背に心の中で舌を出しつつ、オレは立ったままクラス内を見下ろした。
「ま、待ちなさい、それは、ちょっと待って……」
すっかり動揺する担任教師。まあ、それもそのはず。教職員の間では一人でも欠席者を出さぬようにと密かな号令がかかっているらしく、もし欠員が出ればその事務作業やら諸手続きで嫌みを言われるのは彼女である。若者が理不尽な言いがかりでベテランに虐められるのはどこの世界も同じようだ。
しかも余計な問題まで噴出すれば、もはや彼女に立つ瀬が無い。
事なかれ主義に走る者など、責任をちらつかせてやれば勝手に散っていくのだから楽なもの。
青ざめる担任教師と冷え切ったクラスメートたちの織りなす空気の中、オレは意気揚々と着席する。
再び振り出しに戻ってしまった話し合いと恨みがましげな委員長の視線。
余計な敵を量産しまくり、自分の首を羽交い絞めするまぬけな己の姿を見ぬふりしつつ、オレはアレとアレを入手すべく再度の検索作業へと入るのだった。
2015/09/27 初稿