とりあえずのエピローグ
一学期最後の登校日。
終業式という名の形式的儀礼を終えると、オレ達高校生はいよいよ夏季休暇を迎える。
退屈な校長の挨拶に、形ばかりの生活指導、そして生徒会主導の夏休みの注意事項とやらを右から左に聞き流したオレ達は、霧ヶ峰高生という面倒な枷からしばし解き放たれる。
とはいえ、気のおけぬ仲間たちとの合宿なり、旅行なり、ひと夏の経験なり……などというのは所詮、虚構の世界の話であり、お金持ちの友人を持った一部のリア充を除いて、大半の学生たちは代わり映えのせぬ退屈なクソ暑い日々を、鬱陶しい現実に追われつつぼんやりと過ごす事になる。
進学校に通う平凡な学生ともなれば山のような課題と、補習授業や模試に追われ、楽しく優雅な夏休みなどというのはまさに絵空事である。
言語道断、意味不明、驚天動地の事件に巻き込まれ、『君達、一体いつ勉強してんだよ?』、『そんなに遊んでて、将来は大丈夫か?』と突っ込みまくりのラノベ学園ファンタジーが売れてしまうのは、仕方のない事なのかも知れない。
時刻は既に昼近く。
大半の学生たちは明日からの夏休みに備え、早々に帰宅の途に就いている。打ち上げと称して街へと連れ立つリア充達も少なくない。今、校内に残っているのは教職員達と喫緊に大会を控えた熱心な部活動生くらいのものだろう。
例によって、いつもの商売道具を手に今学期最後の霧ヶ峰探索コースをうろうろと歩きながら、オレはこの一学期にあった様々な事件を思い出していた。
学校を揺るがす大事件があったとはいえ、客観的に見て平凡その物だった去年に比べれば、随分密度の濃い一学期だったような気がする。
何よりも驚きだったのは、自室を片付ける習慣すらないオレが、一学期の間、定期的に学内のゴミ拾いを続けてしまったということだ。始めたころに比べ、校内に放置されるゴミの量が心なしか減ったように思えるのは気のせいではないだろう。
相変わらず放置され続ける0.02ミリの水風船を拾い上げる事にすら何のためらいも覚えなくなったのだから、習慣とは実に恐ろしい。
帰宅部のままでは決して近づく事のなかったいくつもの学内施設をめぐり歩きながら、様々な思い出を振り返る。
楽しい事だけではなかった。未だに苦みを思い出してしまうような出来事もあった。
それでもどうにかオレなりの決着をつけたつもりだった。
なんとなく何かをやり遂げたのかな……とそんな感慨に思い耽る。
ふと、前方から近づいてきたのは五、六人の姦しい体育会系女子生徒達の集団。
全員が手にしたおそろいの武装を目にして思わず苦笑いする。条件反射的に歩く進路を変えようとしたが、手遅れだった。
「センパーイ!」
集団内にいた相変わらず元気なポニーテール少女が、目ざとくオレを見つけ有無を言わさずオレをその場に足止めする。
昨日まで体育祭実行委員としてほぼ毎日顔を合わせていただけに、『じゃあな』といって慌てて逃げ出すのはさすがにもう無理がある。
集団から飛び出してきた彼女――西條彩華はオレの元にやってきて開口一番尋ねた。
「昨日はどうして帰っちゃったんですか? 結構、盛り上がったんですよ……二次会……」
昨日、様々なトラブルやアクシデントを乗り越え、今年度の体育祭は無事に終幕を迎えた。
関係者総出の後始末は一時間程度で終わり、いくつものドラマを演出したグラウンドは、あっというまにいつもの平穏を取り戻していた。
すでに営業を終えようとしていた学食になだれ込んで簡単な打ち上げを終えた実行委員有志一同は、さらなる盛り上がりを求めて街へ繰り出し、『kara-oke』なる我が国の奇妙奇天烈かつ非常識かつ迷惑極まりない文化がそれに一役買っていたという。
勿論、そんな騒々しい文化とは程遠い世界を愛するオレが、丁重に遠慮しすばやく退散した事は、いうまでもない。
ボックス内で西條がネコ耳尻尾で『ミャーオ』のアンコールをやらされていた頃、オレは家で挽きたてコーヒーといつもより豪勢なコンビニスイーツで、のんびり一人打ち上げを行っていた。こんな慌ただしさは二度と御免だと願いながら……。
「昨日はヘトヘトだったんだよ。あれこれとこき使われて……」
体育会系的価値観でいつまでもつきあわされては、繊細な帰宅部には酷というものである。
「センパイ、なんだかオジサンみたいですよ……」
「うるせー!」
一週間近くを共に過ごし、ずいぶんと自然なやり取りができるようになってはいたが、本来の居場所が全く異なるオレ達が互いに一つの目的に向かって親密な時間を過ごす事は、おそらくもうないだろう。祭りが終われば、幻想は冷め、またそれぞれの日常へと戻っていく。
彼女もその事に気づいているのだろうか。過ぎ去った時間を取り戻さんとするかのように、思わぬ申し出をする。
「よかったら、ゴミ拾い、お手伝いしましょうか?」
つい昨日まで、オレの補佐役兼相棒だった彼女は、自然な態度でオレが持っていたゴミ袋に手を伸ばそうとした。だが、何気ないその無邪気な申し出を阻んだのは、思わぬ伏兵達だった。
それまでニヤニヤひそひそとオレ達のやり取りを見物していた同級生たちの一団がさっと顔色変え、ニコニコと笑う西條を一斉にとり囲み、有無を言わさず、その両腕を抱え込む。
「えっ、えっ、何、みんなどうしちゃったの?」
慌てる西條だったが、仲間たちの背負う鬼気迫る空気は尋常なものではない。
「西條、あんた、自分の置かれてる立場というものがよく分かってないみたいね……」
「なっ、何? どういう事?」
混乱する西條に仲間たちは次々にたたみかける。
「アヤちゃんがこの一週間近く、楽しく体育祭実行委員とやらにうつつを抜かして青春していた間、私達とっても大変だったんだよ」
「そ、それは、学校行事だし、顧問の先生にもちゃんと許可をもらって……。それに実行委員のお仕事すごく大変だったんだよ」
理不尽な直属上司の横暴に振り回され、パワハラ、セクハラと散々な目に遭っていた日々を仲間たちに訴える。だが、他者の苦労を理解する事が出来る者とは、同じ苦労をした者だけであるというのが世の理だ。
「正しい手続きを踏んだとか、苦労したからって……、それで誰もが納得なんてしないのが世の理不尽というものよ」
「やりすぎちゃったんだよ、彩華ちゃん……」
「ど、どういうこと?」
「個人的にはね、鈍感極まりない王子様の為に、あのとんでもない大魔王に単身挑まんとするその健気さと無謀さを心の底から応援したいところだけど……」
「許してね、私達、決して薄情という訳じゃないんだ……」
「でもね……、あたし達もわが身が可愛いの。自分達の身の安全あって初めて他人の応援でしょ?」
「一体、何があったのよ?」
西條の問いに、周囲の誰もが遠い目をする。
「西條、世の中ってね、皆、幸せじゃないのよ。せっかくの高二の夏休みに若さと煩悩に満ち溢れる肉体をテニスと問題集だけに捧げなきゃならない、という現実をようやく覚悟した先輩達の目の前で、キャッキャッと男と楽しそうにしてる後輩がいたらどういう事態になるか……、考えてみなさいよ」
キョトンとした顔で首をかしげる西條に、誰もが『はあ』と溜息をつく。
「あんたって……、そういうとこ、とことん鈍いもんね……」
「うう、彩華ちゃんのそういうとこ、嫌いじゃないけどぉ……」
「ごめんね、アヤちゃん。でも先輩達のやり場のない苛立ちの原因は一つでも減らすべきだし、八つ当たりを受け止めるには一人でも多い方がいいの」
「連帯責任よ、連帯責任……。チームワーク……、分かるでしょ?」
なにやら西條は複雑な問題の渦中におかれているようだ。庭球とはオレの知らぬ間に連帯責任が重視される団体競技と化していたらしい。兎にも角にも事態はスコートひらひらアマゾネス軍団の内部問題らしく、無関係なオレの手の届かぬ場所にある。
仲間たちにしっかりと拘束され引きずられながら、己が不穏な事態に放り込まれようとする事をようやく察した西條が、オレに助けを求めた。
「ふぇーん、センパーイ……。へるぷ・みー!」
勿論、オレの答えは決まっている。
「西條一年生……、君はもうオレの元から巣立つ時だ。君がいかなる戦いへと赴こうとしているのかオレには分からぬが、健闘を祈る!」
「ふぇーん、いえっさー!」
仲間たちに引きずられ、新たな世界へと旅立っていく後輩の背を手を振って見送る。そんなオレの姿に彼女の仲間達が憐みのこもった視線を送ったように思えたのは……、気のせいに違いない。
姦しい彼女達を見送り、その場で一人委員会活動を切り上げてゴミの後始末を終える。
相変わらず検印すらない今学期最後の日誌報告欄に『平穏無事、天下泰平、万事めでたし』と書き込んだところで、オレの一学期は本当に終わりを告げる事になる。
いつもの習慣よろしく、その足で学食へと向かったオレは、『夏季休業のお知らせ』と張り出された無人の学食の案内を目にして、夏休みがやってきた事を実感した。
迫りくる暑さの中、立ちっ放しでブーンと抗議の声を上げる自販機に硬貨を突っ込んで黙らせ、冷えきった缶コーヒー無糖を調達する。
甘い物はないが、今はなんとなく無糖な気分だった。
ひんやりしたコーヒー缶の感触を片手にオレは一つ大きく伸びをし、遥か彼方の入道雲を見上げる。
――今年はどんな夏になるんだろう?
きっと、序盤は様々な期待と妄想的予定に胸を膨らませながら黙々と課題をこなし、中盤ではスイカをかじって暑さにすっかりダレまくり、後半には結局、何もなかった日々に人生こんなもんさと諦めの境地へと至る――過ぎ去ってしまえば、平凡な代わり映えのないものとなるのだろう。
――いやいや、今年こそは何かがおきるはずだ!
我こそは特別な存在だと人生に夢見る若者らしい希望を胸に、オレは例によって一人、『兵どもが夢の後』の境地に浸るべく、思い出深いなじみの教室へと足を向けたのだった。
直後に出くわす事になるとてつもない一大事に、人生観を大きく変えられる事になろうなどとは、夢にも思わずに……。
第一部 完
2015/12/03 初稿