協力してくれ、頼む
借り物競走。
性善説を信じてやまぬ我が国のめでた……、否、脳みそお花……、否、善良な国民性に支えられたその競技の名を知らぬ者は、まずいないだろう。
だが、二十一世紀の怒涛の国際化時代を迎え、我が国においても「借りる」という言葉と「もらう」という言葉を同一視する大陸思想に影響を受けた者が増え始め、その競技内容にもまた若干の影響があるようだ。
わずか数パーセントの利息で何年、ときには何十年も膨大な金額が搾り取られる一方で、わずかな貯蓄を預けても雀の涙すらも利息がつかずに、涙を流して嘆くのが庶民の現実である。尤も、とある国では預けた元本すら帰って来ぬこともあるというのだから恐ろしい。
そんな理不尽きわまりない経済システムに、世界中の智者達が誰も異を唱えぬ摩訶不思議な現実はいかがなものだろう?
あるいはそんな現実があるからこそ、『借りる』と『もらう』が同一視されるようになったのかもしれない。
だが、我が国のいかなる辞書でも未だに『借りる』と『もらう』の意味が同じでない以上、健全な人間関係を維持し、日常からDQNを分別し駆除するためにも、これらの区別をしっかりつける事をお勧めしよう。
ともあれ、そのような深い歴史的背景と哲学的アプローチが込められた言葉で示される競技にオレは今、挑もうとしていた。
『実行委員借り物狂走』――それがその狂技、もとい、競技の名前である。
時間は正午近くになり、すでに体育祭本祭はこの競技を含めて残り三競技となりつつあった。
学年別男女混合リレー、そして大トリである部活動対抗リレーの二競技の前座にしてそれらを盛り上げるべく企画されたこの競技は、実行委員会渾身の企画であり、各クラス代表実行委員強制参加だった。
そして、その目論見が大成功であったことは、直前に行われた第一レースで証明されていた。
号砲とともに飛び出した八人の一年生実行委員達は競技場中央の台に置かれた籤から、それぞれのテーマを選ぶ。
特筆すべきは、とある一人の女子実行委員が引いた『ニャンコのモノマネ』というテーマであり、もはや、『借りる』と『もらう』の区別などどうでもよかった。
事前に実行委員会に仕込まれたネタであることは明白で、彼女は迷わず、用具置き場に準備された肉球手袋とネコ耳尻尾を調達し、本部テント前におかれたマイクの前で「ミャーオ」と一声可愛く鳴いて全校男子生徒を魅了した。当然男女五人の審査員は満場一致で可決し、彼女は満点評価で堂々一位を勝ち取った。喜びでぴょんぴょんとび跳ねるネコ耳ポニーテール少女に再度のアンコールが要求されたのはいうまでもない。
『可愛いは正義』とは普遍の真理である。
その後、とある男子実行委員が『好きな人』というテーマを引き当て、意中の男子生徒の手を引いてゴールし、教職員達に時代の移り変わりを感じさせたことなど些細な事だった。
大いに盛り上がった第一レースの興奮冷めやらぬ中、いよいよオレが強制参加させられる第二レースが始まることになった。
各クラス代表八人に交じって、オレはスタートの合図を待つ。
スピーカーから流れるピストル音声とともにオレ達は一斉にスタートする。ただし、全力疾走する事はない。せいぜい八割程度である。
先ほどの掴みと勢い重視の一年生のものとは違って、オレ達二年生のレースはネタそのものである。
用意されるテーマにまず、まともな物はない。そして、勝利することにも全く意味はない。
三年の実行委員たちがあれこれと議論して厳選したネタをオレ達に押しつけ、ピエロ役を全うするのがオレ達の役割である。
案の状、次々に読み上げられるものに、ほぼまともなものはなかった。『借り物競走』という競技名自体がふさわしいかさえ定かではない。引いた籤の内容はその場でアナウンスされ、事前に準備されたネタを目指して、オレたちは各方向へと散っていく。
女装や男装などの仮装にコスプレならまだいい方だろう。
某県のゆるキャラ名を引き当てた者は、貸し手の現れるはずのないその名を連呼してペナルティのトラック一周をするはめになる。
唯一まともなテーマとして「校長の眼鏡」というのを引いた一人の男子生徒は喜び勇んで、それを公衆の面前で校長自身から借り受けた。
だが、ゴール前で待ち受ける五人の審査委員は誰一人それを校長のものと認めず、すごすごと籤の引き直しをする羽目になった。
白い物も百人の人間が黒と言えば黒くなるというのが世の理である。
このテーマはやり取りそのものがネタだった事に、多くの者が後から気づく事となった。
周囲の実行委員たちとほぼ同時に、テーブルにたどりついたオレが引いたのは『足の長い彼女』というこれまた厄介極まりないネタだった。
我が国に生きる人々の体格の大型化がもはや珍しくもなくなりつつある昨今、頭と同じくゆるゆるな中身の密度はともかく、縦にも横にも尺が増したのは周知の事実である。とくに加速度的に横幅の増加する現象は、もはや国家の枠を超えた全世界的規模でのエネルギー及び資源の浪費問題と化しつつある。特に東欧諸国の妖精達の目を覆わんばかりの劣化具合は世の無情さと、神とやらの残酷さをまざまざと見せつける。
だがそのプロポーションの比率は、相変わらずの農耕民族であり、長さ、細さ、バランスを兼ね備えた異国の妖精のごときプロポーションを持つ者はまだまだ希少種である。
ふと身近に一人条件にあてはまりすぎる者の姿が思い浮かんだ。だが、残念ながら今、オレに求められているのは常識的な正解ではない。圧倒的に非常識な不正解である。
という訳で、オレは御丁寧に朱で『ネタ』と書き込まれた指示に従い、まっすぐに用具置き場を目指した。
持ち出したのは、長足タイプの折りたたみテーブル。式典などにも使われる特別製のものである。
それを担いでわっしょいわっしょいと本部席へと走っていく。
次々に理不尽な審査ではねられていく競争相手をしり目に、テーブルの脚を広げて審査員たちの前に置く。
本部テントからマイクを持って飛び出した実況役の三年生がここぞとばかりにシャウトする。
『これは、二年D組。ちょっとクールな彼女を連れ出したようです』
勿論、クールというのはひんやりとしたテーブルの感触の事である。
『だが、審査員は全員認めず。どうやら足よりも胴の方が長い事が問題だったようです』
所詮、彼女は会議用テーブル。足より胴が短くては役に立たないのは自明の理。だが、芸達者な三年生達渾身のネタにしては、キレが今一つのようだった。場内の笑いは小さい。
ともかく義務を一つ果たしたオレは再び、籤を引くべくその場に背を向けようとした。
「おーっと、いけません。二年D組実行委員にして、学校唯一人の行動する真の環境美化委員長。出したものはきちんと片付けねば示しがつきません。整理整頓は大切に!」
場内が爆笑した。どうやらこっちがネタの本命だったらしい。
ずっこけながらも、初めて聞く肩書きに首をかしげ、それでもテーブルを担いで、再びわっしょいわっしょいと走り出す。場内の興味はすぐに次のヒゲ面の花嫁へと移っていた。大衆とは実に気まぐれなものである。
わずか数分の付き合いだった重たく足手まといなだけのクールな彼女を、さよならも告げずに用具置き場に放り捨てたオレは、そのまま次の籤を引く。
封を開けて開いた中身が、また無茶な難題をオレに吹っ掛ける。
『逆立ちで十メートル歩行』
「できるかー!」と思わず叫ばずにはいられない。
すでに借り物競走ですらない。
ネタと朱書されていない以上、ガチである。一体どこのノーキンが考えたのか、あるいは自分の特技を自慢したかっただけなのか、十分に検証を加えたいところだが、今はレース中である。
無いものは善意の方から調達しようという借り物競走魂に従い、オレはトラックを走って協力者を探す羽目になる。
「すみませーん。倒立歩行の得意な方いらっしゃいませんか?」
――いるわけがない。
形だけは大きくなっても、昨今の貧弱な若者の体力と運動能力の低下を舐めてもらっては困る。
支持なし倒立ですらちょっとしたコツがいるのに、そのままバランスを保って歩くなど、訓練を積まぬ限りまず不可能だ。
器械体操部すらない進学校の我が校でそんな真似が出来たとしたら、もはや、そいつはガチの体育会系で全国大会常連校クラスの猛者である。通う学校を明らかに間違え、日々悶々としているはずだ。
一人、また一人と辛めの審査をクリアしてゴールしていく中、オレは、好意的な申し出の一切ないトラックを一周して、再び次の籤を引く。そろそろ夏本番ながらも、世間の風は冷たかった。今年のコメの実りが心配である。
既に五人がゴールし、そろそろネタに飽きてきたらしい場内がざわめきはじめていた。
知性を捨ててピエロを全うし、さっさとゴールしてしまおう。
そんな気分で、三度目のくじ引きをする。
『髪のきれいな人』
もう借り物競走ではなく、借り人競争といった方がいいのではないでしょうか?
またもや、ネタと書かれたその籤を引いたオレは、場内アナウンスとともに再び用具置き場へと走る。目指すはネタとして準備されたアフロヘア。
それをかぶって、審査員席に行って適当に弄られれば、まあ、時間切れ最下位というところだろう。
再び、用具置き場にたどりついたオレに、件のブツがヒゲつきメガネとともにすばやく差し出される。
「頑張れよ……」
実行委員長権限で引っ張りだされ、無料パートタイマーとしてその堅実な仕事ぶりで本祭の裏方を支え続けた用具係の三年生に励ましの言葉をかけられる。やはり苦労する立場におかれた人の言葉は身に染みる。
一つ彼に会釈をし、周囲に協力してもらってそれらを装着するとオレは振り返って、ゴール目指して走り出そうとした。
と、数歩走り出したところでなんとなく足が止まる。ふと、とある彼女の後ろ姿が脳裏をよぎった。
引いた籤の条件にこれ以上はないというくらいにぴたりと当てはまる艶やかな黒髪。
新学期から数カ月、一日中なんとなくそれを視界の端に収めて幸せな気分でいたのは、思春期の男子生徒にありがちな行動である。
――もしも彼女を連れていったらどんな事になるだろう?
ほんの一瞬の思いつきに酔いそうになったところでふと思いなおす。
今、求められるのは常識的な正解ではなく、非常識な不正解。
ましてやこれはネタレース。最後の最後にガチな本物を持ち出して、何の意味があるだろうか?
――それに……。
住んでる世界が違うからといって、彼女なりのやり方で歩み寄ろうとしたのを遠ざけたのは、オレ自身である。そのくせ、この体育祭ではさんざんに彼女の協力を仰ぎ、さらにまだ甘えようとするのはさすがに恥知らずというものだろう。
何よりも彼女が応えてくれるはずはない。
今、オレがしようとしているのは、そのきらびやかな看板を見せびらかそうとする行為に他ならない。相手の意思などお構いなしに。それは修学旅行で押しかけてきた『何某君とその仲間たち』の行為と何一つ変わらない。
ただのクラスメートでしかないオレは、彼女の特別ですらあり得ないのだから……。
七人目がゴールし、残り一人となったトラック内にポツンと立ちつくすオレに周囲がざわめき始める。
集中する無数の視線。
期待、嘲笑、好奇心。
様々な感情が入り乱れるそれらの中で、オレの関心はただ一つのものだけに向けられた。
それがいつの頃からだったからかは分からない。その視線の持ち主の居場所を、多分、オレはいつも意識していた。
今日だけではない。
毎日、うんざりするような醜い現実に辟易する中、日々の一服の清涼剤として、気づけばその姿をぼんやりと視界の端に捕らえていた。
だからオレは、なんとなくその視線が感じられる方向に思わず振り向いてしまった。今一つ見分けにくい、いくつもの同級生たちの顔が軒を連ねる中、瞬時にオレは彼女の姿を見いだした。
一学期の間、近付いたかと思えば遠ざかってしまった彼女と視線が交錯する。
今やすっかり色物ピエロと化しているオレの姿を笑うでもなく、呆れるでもなく、彼女はただまっすぐに見つめていた。周囲にいくつもの感情があふれる中、静寂を保ったままのその姿に、その存在に、オレは一瞬にして魅入られてしまった。
だから……。
気づけばオレはそちらへとふらふらと歩きだしてしまっていた。一度、歩み始めたらもう止まる事はない。歩みは早足に、そして駆け足となってオレを彼女の元へと誘った。
眼前で立ち止った俺の姿にクラスメートたちが爆笑する。
なんといっても今のオレはアフロヘアに、ヒゲ眼鏡という格好である。
背後の本部席からは想定外の状況に全く臆することなく、挑発的な実況が、「Go! Go! Go!」とオレにさらなるネタの提供を迫っていた。
ヒゲ眼鏡だけを外したオレは、生徒たちの集団の中で、いつもの二人の友人達とともに座っていた彼女に声を掛けた。
「委員長!」
笑いの波がざわめきに、そして徐々にさざ波へと変わっていく。
「委員長、協力してくれ、頼む!」
自分から誰かに何かを頼むことなど、一体いつ以来だろう。他人に何かを期待することなどとっくにあきらめていたはずだった。そして孤独を好むぼっち主義者のオレには全くふさわしくない言葉だった。
ふと、それは依頼という顔をした助けを求める言葉のようにも思えた。
委員長が……、否、東堂咲耶がそんなものに応える義務などない。オレと一緒に笑い物になる必要などどこにもない。
何の見返りもないどころか損をしかねぬ事に一方的に協力してくれ、などと都合のいい事を言う奴など笑い飛ばされて当然なのが、オレ達だ。
それでも気付けば、オレは彼女に向かって右手を伸ばしていた。
――助けてほしい。
なんとなく違うような気がした。
――じゃあ、何だ?
自分の中にあふれそうになる感情が……、疑問が……、全く理解できなかった。
ただ、その時、ふと思い浮かんだのは、旅行先の夜のベンチで話をした東堂咲耶の姿だった。
――あの時の彼女ならば、この手をとってくれるような気がする。
全く根拠のない期待に突き動かされるように、オレは彼女の返事を待っていた。
周囲はいつの間にか沈黙していた。誰もがその成り行きを固唾をのんで見守っている。
その中心に置かれた東堂咲耶は、特に躊躇う訳でも、驚くわけでもなく、相変わらず表情一つ変えずに、出されたオレの手と顔を交互に見比べる。
『しょうがないな……』
ふと、口元に微笑とともにそんな言葉が浮かんだような気がした。
彼女がそっと立ち上がる。
周囲の生徒達が彼女の為に道を慌てて開ける。まるで聖者の行進を演出するかのように。
オレのいるトラックに足を踏み入れた彼女は、伸ばされたオレの手を当然のようにとった。
小さなブーイングが男子生徒達の間に起きたような気がしたが、気のせいに違いない。
「きちんと、エスコートしてね」
「わ、分かったよ……」
毅然とした姿の中にどことなく悪戯っぽい表情を浮かべて東堂咲耶、否、委員長はオレの隣を並走する。
『なんと、二年D 組実行委員。あたかもド田舎のセクハラ代議士のごとく、実行委員の立場を利用してクラス内の女子生徒と手をつなぐという暴挙に出た! しかも相手はあの東堂咲耶さん。これは許せない! 夜道を歩くときは背中に気をつけろよ、コンニャロー!』
己の立場を利用して思い切り私情を駄々漏れにする実況の暴言に場内が爆笑する。傍らで委員長がクスリと笑った。
「央城君……、とっても似合ってるよ、その格好……」
「うるせーよ。実行委員は色々と大変なんだよ!」
ヒゲ眼鏡をつけ直し、アフロヘアをかぶった今の俺にもはや恐れる物など何もない。キモ可愛らしさを武器に世の中で傍若無人に振る舞うゆるキャラ達の中の人の気持ちが、少しだけ分かるような気がした。
随分と懐かしく感じられる彼女の香りの傍らで、オレはぽつりと口を開く。
「悪かったな、その……色々と……」
「そうね……、貸し一つ……、ううん、五つくらいかな?」
言葉自体に深い意味は感じ取れなかった。オレのよく知る委員長がそこにいるようで、なんとなくほっとする。
ゴール前では、満点評価を一切出さぬと誓ったかのような審査員達が待ち構えていた。
『さて、最後のお題は『髪の綺麗な人』。審査員の判断やいかに?』
男子三人女子二人の審査員に注目が集まる。
「央城君、ちょっとお願い」
委員長が鉢巻きを外してオレに差し出した。慌ててそれを受け取ると、彼女はさらに目立たぬ色の髪留めに手を伸ばした。
なんとなく絵になってしまうその仕草に、場内の視線が集まっていく。
その視線を一心に浴びながら、委員長、否、東堂咲耶は髪留めを外してまとめていた黒髪をそっと振りほどく。
さらりと艶やかなストレートの黒髪が風にふわりと広がった。その香りが傍らのオレを包み込む。
周囲の誰もが一瞬、息をのみ圧倒されていた。
背筋をピンと伸ばし、豊かな胸を張って立つ東堂咲耶は、わずかに半身になってなめらかな手触りに違いない綺麗に伸ばされた豊かな黒髪を指で梳きながら夏の日差しに輝かせ、見せつけるかのように微笑んだ。
いつもその魅力を押さえるようにしている彼女にしては珍しい姿だった。
おそらく傍らのオレのアフロヘアもそれを引きたてるのに一役買っていたのだろう。
審査員が一人また一人とふらふらと丸印を上げていく。ここまで満点評価はない。最後の女子生徒がなにやら葛藤しながらも、ようやく丸印を挙げた。
満場一致の評価は、前レースで堂々トップを飾った『ニャン娘』以来だった。
「おーと、二年D組。このレース唯一の満点評価を出しながらも、今、堂々最下位でゴールイン! ご協力くださった東堂さん、本当にありがとうございました!」
相変わらず私情丸出しの実況が、密かにアピールする中、場内からパラパラと拍手がわきあがった。
彼女を連れてゴールしたところで、オレはほっと胸をなでおろす。なんだか大きな仕事をやり遂げた気分だった。
「悪かったな、委員長」
預かっていた鉢巻きを差し出しながら、オレは彼女に礼を言う。
場内の興味は、すぐ次に始まった三年生達の第三レースへと移っていた。
結局、彼女を晒しものにして、得られた結果は最下位だった。満点評価の審査結果はオレの努力とは全く無縁のところにある。
オレの傍らでつい先ほど解いた髪を髪留めで再びまとめようとする彼女は、すぐ後の男女混合リレーで走る事になっていた。
差し出しされた鉢巻きを受け取り、元通りに髪をまとめると彼女はさらに手を伸ばした。
「それ、いい?」
疑問符を浮かべるオレの顔から、ヒゲ眼鏡が取り外された。向こう向きでそれを着けると彼女はこちらを振り返る。
「似合うかな?」
思わぬ彼女の行動に一瞬、呆気にとられるも、オレはその意外な姿に思わず笑い出した。
「いや……、その……、よく似合ってるよ。うん、多分、オレよりも……」
「そこまで笑われるとなんだかちょっと複雑だなぁ……」
メガネを外した彼女はなんとなく不満そうに見えた。
「そこ、怒るところなのか?」
「知ーらない!」
なんとなく口をとがらせて横を向く彼女は、まぎれもない旅行の時の彼女だった。改めて礼を言う。
「ありがとな……、色々と……」
結局、他者と関われば、一人のままではいられないし、誰かの協力を仰がねば、物事は解決できない。そんな現実を痛感する。一人ぼっちの世界で満足できる己のあり方が、あまりにもちっぽけなものに思われた。
「どういたしまして……」
口元を緩め、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
既視感のあるそのやり取りは、今度はとても身近なものに感じられた……。
2015/11/28 初稿