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Anomic Generation  作者: 暇犬
June――Tearful Day
11/18

本日の委員会活動終了


 手にしていた清掃用具を放り出し、倉庫の表に回り扉のノブに手を掛ける。ドアのカギは壊れているらしく、シリンダーがほとんど回らぬままに扉を引き開けた。

 突然のオレの乱入に驚いた表情を浮かべた六人をジロリと見まわした。

「何よ、あんた!」

「テメエ、なんか文句あんのか?」

 この学校は一度入試制度に不正な点がないかをチェックし直すべきだろう。どう考えても進学校のレベルに見合わない奴らがいるようだ。すでにブチ切れていたものの、口から出た言葉の内容はともかく、口調は比較的冷静だった。

「環境美化委員会です。学内のゴミクズの徹底清掃に参りました」

 その意味を最初に理解したのは沢木だった。迷わずオレに向かって歩き出す。オレも一切躊躇しなかった。

 互いに出したのは右足の蹴りだった。

 沢木はローを。オレはミドルを。互いの蹴りが同時に交差する。

 鈍い音ともに沢木のローがオレの太ももをとらえる寸前、オレの渾身のミドルがさく裂した。

 やると決めたら必ず先手を取り、迷いなく踏み込む。

 昔、親父に教わった戦いの鉄則に忠実に従い、オレは斜め四十五度の角度で右足を蹴りあげ、スニーカーのつま先を沢木のわき腹にねじこんだ。

 カウンター気味に入ったことでその威力は倍増され、まともにそれを受けた沢木の顔色が変わった。

 その場に崩れ落ちくぐもった声とともにわき腹を押さえて転げまわる。

 尋常な痛がり方ではなかったので、多分折れやすい肋骨がいったのだろう。

――折れたか。

 視界の端でそれを確認しつつ次の標的を探す。

「央城、テメエ、よく……」

 田辺に最後まで言わせぬうちに彼の間合いに踏み込んだ。瞬間、膝を落とし、すばやく腰を切って、全体重を左こぶしに乗せる。ガラ空きの田辺の鳩尾に渾身の左拳を突きあげた。サンドバッグを何千回も叩いて掴んだ感覚そのままにぶつけられたこぶしの威力に、田辺の身体はほとんど手ごたえ無くくの字に折れ曲がった。たたらを踏むようにして、二、三歩歩いてその場に崩れ落ちた田辺は、胃の中の物を盛大に吐きだした。学食名物の残骸を胃液とともにぶちまける。

 勝負はここで決まったのだが、オレは止まらなかった。

 ゲロを吐いた苦しさでうずくまろうとする田辺の髪をつかんで無理やり引き起こし、目を合わせる。

「まだ、やるか、コラ!」

 田辺は完全に戦意を喪失して視線をそらした。それを確認したうえで、オレはその身体をゲロ溜まりの中に叩きこんだ。

 もともと勢いとハッタリだけの彼は、弱い者に対してだけ強い者の典型である。ほとんど、喧嘩慣れしてないのは四月に初めてもめた時に分かっていた。少々やりすぎの感もあるが、やる時には徹底的に叩くのが鉄則である。

 これまでの事を考えれば、骨の一、二本もへし折って、たっぷり苦しませてやりたかったが、さすがにそうなるとシャレでは済まなくなる。

 最後に残った金山に視線を向ける。

 ひょろりとやせぎすの彼は、己が標的になりたくなくていじめる側に回っているようだった。

 起き上がれぬ沢木と田辺を眼前にして、完全におびえ、腰が引けていた。女子三人も一瞬で二人を戦闘不能にしたオレの手並みに完全におびえているようだった。

 ダメージから回復し、どうにか起き上がれそうになっていた福田君の元へと近づいた。

「立てるか?」

 手は差し伸べなかった。

「あ、ありがとう……」

 そういうと彼は立ちあがる。だがその言葉は彼の勘違いだった。

「動けそうか」

 オレの質問に福田君は小さく頷いた。

「そっか。じゃあ……」

 一人残った金山をオレは指差した。

「アレを潰せ!」

 オレの言葉に福田君だけでなくその場にいた誰もが唖然とする。

「央城、あんた、何考えてんの。大体、分かってんの? 自分が何やったか? 傷害よ。警察沙汰よ。ざまあみろ、自分でドつぼにはまってさ、バカじゃない!」

 わずかに震える声で柳瀬が言った。オレは一睨みすると彼女を無視して、福田君に言った。

「『殺せ』とは言わない。『潰せ』。そのくらいできるだろ?」

「できないよ、そんなこと」

「じゃあ、君は一生、ブタ君だ」

 福田君の顔色が変わった。信じられないという表情でオレを見つめる。オレは続けた。

「ブタ君、君は……、いやお前は……一生そこから逃げられない。学校をやめて逃げ出したところでこんなクズ共はどこにでもいる。そしてお前はこの先、そんなやつらにずっと、名前を奪われて、踏みにじられ奪われて生きていくんだ。苦しい現実から逃げ出し安全だと思って家の中に引きこもっても、いずれお前の家族がそんなお前をお荷物とみなすだろう。お前が外で受けてきた苦しみを分かち合おうなどと考えもせずにな。そしてどこに行っても都合良く助けてくれる『仲間』なんていやしない。助けたふりをしてお前をもっと苦しめる奴ならいくらでもいるだろうけどな……」

 ブタ君は真っ青になっている。

「央城君は僕を助けてくれたんじゃ……」

 オレはずっと秘めていた本音を吐きだした。

「都合のいい勘違いするな、ブタ君。オレはこいつらだけじゃなくお前のことも嫌いなんだ。クズ共にされっぱなしで自分からは何もしない。奇特な誰かが親切に手を差し伸べてくれるのをずっと待っている。四月からこっち、毎日毎日お前とこいつらの下らねえやり取り見せつけられたおかげで、クラスの雰囲気は最悪だ。責任をとれ!」

「僕は……、僕は何もしてない。こいつらが勝手に……」

「だからだ、ブタ君。何もしないからこいつらは図に乗る。一人じゃ何にもできないくせに徒党を組んで調子に乗って勘違いする。お前が何にもしようとしないから、周囲の奴らもそれでいいやという気分になる。教師どもに至っては見て見ぬふりだ。偏差値の高い我が校にいじめなんてある訳がありません、ってな。お前がお前自身を大切にしようとしないのに、どうして周りの奴がお前を守ってくれると考えるんだ! お前はそんなに特別か? 思いあがるなよ! お前が逆の立場に置かれた時、お前はふんぞり返って守ってもらう事ばかり考えてるやつを助けたいと思うか? 悪いが、もううんざりだ!」

「…………」

「ブタ君と呼ばれるのがいやだったら……、お前の名前を誰かにきちんと呼んでほしければ戦ってそれを勝ち取れ! それができないならオレは手を引く。こいつらを黙らせるだけの材料はもう十分に持ってるからな。そして明日からも今日とかわらぬ毎日だ。こいつらにいいようにされて、お前はそのうち……」

 それ以上言う必要はないだろう。うつむく彼の身体が小刻みに震える。やがて絞り出すようにいった。

「僕は……、喧嘩なんか一度もした事ない。やり方も分からない……」

 なんとなくそんな気はしていた。

 親や周囲にいい子でいることを強制されるうちに去勢され、自分の怒りともまともに向き合えなくなる。

 自分さえよければいい大人達にとって都合のいい良い子で振る舞えるように手懐けられ、テストの点数で縛られ、嫌な事を嫌だと言えないようにいつの間にか洗脳されている。

 そして牙とタマを抜かれたまま大人になり、社会に出て、えげつなく厳しい現実に対応できずに混乱する様を見て、使えない奴だと罵られる。そう仕向けた大人達の責任はきれいに棚上げにされて……。

 脳みそお花畑な奴らが頭の中で考えた小綺麗な理想論に洗脳され、闘争や衝突によっての問題解決の方法を学ばないから、陰湿な押しつけ合いや自己保身のためのいじめが横行する。

 他者の足を引っ張り追い落とす事しか能のない欠陥品が、堂々と大人の顔をするような社会を見て育ってきたオレ達の世代が、未来に希望など持てるわけがない。

 そして、そんな奴らの群れがDQN共にいいように踏みにじられ、弱いやつはさらに弱いやつを踏みつける。延々とその連鎖が続くのだ。

 DQN共を頂点とした負の食物連鎖。その行きつく先は言わずと知れている。

「やり方なんていらねえよ、お前にはその身体があるだろう?」

 オレの言わんとすることが直ぐには理解できぬらしい。

「ブタ君と言われて蔑まれたその重量をあいつにぶつけてやれ。それはお前にしかないお前だけの武器だ。身体ごとぶつかって引きずり倒して、飛び乗って、押しつぶしてやれ。それで終わりだ!」

 彼の肩に手を置き、金山の方に振り向ける。

「金山、今までお前がやってきたことのツケが回ってきたな。今度はお前の番だ。お前が蔑んできたブタに押しつぶされて、ここでみじめに死ね! 死んだ後もお前は唯の笑いものだ!」

 全身が硬直し、腰が引けている。その顔に恐怖が張り付いた。多分、本当に怖い思いをしたことがないのだろう。だから平気で残酷なことができる。おそらくわずかなショックを与えるだけで彼は崩れるはずである。

 もうひと押しとばかりに、目の前のブタ君をけしかける。

「やれよ、ブタ君。やらなきゃ、明日も、明後日もずっと……、一生、お前はブタ君だ!」

 一瞬、ピクリとその背が動いた。

「ウワアアアアー」

 多分それは本能的なものだろう。大声をあげて、ブタ君はしゃにむに飛びついた。二人の身体が勢いよく倒れ、背後の積み重ねられた段ボール箱が崩れ落ちる。

 動物のように大声をあげたブタ君はそのまま金山の身体に馬乗りになって両のこぶしをポカポカとぶつけた。それはまるで小さな子供の喧嘩だった。いや、今の時代、子供ですら、もうそんな喧嘩はさせてもらえないだろう。

 無我夢中で金山をブタ君が殴りつける。倒れたまま両手で顔をかばう金山は抵抗する様子はない。お世辞にも力が入っておらず、ダメージを与えているとは思えなかったが、それでも今の彼には十分だった。

 濃いアンモニア臭が広がったところで、オレは殴る事をやめようとしないブタ君の手を取った。

「もういいよ、福田君、君の勝ちだ」

 そっと視線で彼を促して立ち上がらせる。倒れた金山は失禁し、股間を濡らしていた。いつも他人の背に隠れていた彼は、その場所から引きずり出されて正面に立たされたのが、恐ろしかったのだろう。

 二人の勝負は戦う前からとっくに決まっていた。福田君がその気になるかどうかだけの問題だった。

 股間のしみが床に広がり金山は泣き崩れたままだった。はあはあと息を荒げ、身体を小さく震わせたまま、福田君は金山を睨みつける。

 多分彼は今初めて、力によって何かを勝ち取ることの興奮を知ったはずだ。

 起き上がれぬまま呆然とする三人の男子を一瞥すると、オレは柳瀬達に向き直った。

 顔に張り付けた悪意を隠そうともせず柳瀬はオレを睨みつける。

「このままじゃ済まさないからね……央城!」

「安心しろ、オレもそのつもりだ。お前達をこのまま許すつもりはねえよ! お前達には破滅してもらう」

 顔色を変える三人の鼻先にオレはスマホを差し出し、動画を再生する。三人の顔色が真っ青になる。

「この学校にいるやつなら、こいつの恐ろしさをよく知ってるよな。一年前に何があったか、お前達全員当事者だったんだから分かるよな?」

 彼女達元一年E組のメンバーは、警察の介入こそなかったものの、実態把握のための聞き取り調査などで随分と嫌な思いをしたという。それでも尚、反省することなく、同じ事を繰り返すのだから救えない。

 そして、その影の首謀者だと噂されたのが眼前の柳瀬だった。オレは沈黙する三人に宣言する。

「お前達はオレを脅した。だから悪いがお前達六人はネットで公開処刑する。あっちこっちにリンクはりつけてこの動画を公開し、お前達の実名、住所、アドレス、電話番号、保護者氏名、全て公開してやる。前は逃げられたかもしれねえが、今度はそうはいかないからな。明日から世界中がお前達の敵だ! そして……」

 退屈で理不尽な日常に鬱憤をため込み、その晴らし先を探している奴など、世の中には山ほどいる。そのような奴らにとって彼らは格好の獲物となる。

「そんな世界の中でおバカなお前達の巻き添えを食らった家族は……、親や兄弟は……、お前達のやった事を知って尚、盾になってかばってくれるんだろうな?」

 誰もが顔色を変えた。

 同じ屋根の下に暮らす家族の本音すら見えぬ時代である。彼らの見たくなかった現実――とりまく環境の薄っぺらさをつきつけてやる。

「そ、そんなことして……、あ、あんたも、た、只で済むと……」

「ああ、済まないだろうな。だから死なばもろともだ。退学になったら、オレを縛るものはないからな、今度はお前達一人一人の家まで押し掛けて、念入りに、徹底的に感謝しに行ってやる」

 誰もが息をのんだ。外道すぎるやり方だが仕方ない。

 相手が下種である以上、こちらもまた下種になる以外に道はない。自分は手を汚さずに相手にのみ罰を与える――そんな都合のよい事ばかり考えるから、嘘が堂々とまかり通るようになる。相手と本気で向き合って、己の醜さをさらけ出して初めて生存競争に勝利できる。

 昔、ガレージでオレに包丁を突き付けた時の親父の言葉がなんとなく思い出された。

「ちょっとまってよ、央城、どうして私がそんなことされなきゃいけないのよ、悪いのは全部柳瀬じゃない!」

「山西、あんた、何言って……」

「そうよ、私達は命令されただけだもん。従わないと私達を餌食にするつもりだったんじゃない、あんた」

「多々見、あんたまで……」

「あたしだってバカじゃない。あたしはあんたのせいで退学にされた奴らみたいには絶対にならないから。いざって時の為にあんたの言動、たっぷり証拠にしてるんだからね、柳瀬」

 自身のスマホをとり出して音声を再生する。聞くに堪えぬ柳瀬の言動が周囲にさらされた。六人の空気が一気に険悪になる。

 柳瀬達女子三人から、沢木達男子三人への暴言はもはや圧巻だった。

 事態が思わぬ方向に転がり始め、オレは密かに喝さいする。同時にこの結末をどうつけるべきだろうかと思案し始めた。

 口論はやがて三人の男子をも巻き込んで、彼らは完全な仲間割れ状態となった。日ごろからつるみながらも、溜め込み続けた不信と猜疑心と鬱憤を互いにぶつけ合い、貶し合う様は見ていて爽快だった。これこそDQN共の末路にふさわしい。

 ならば彼らにふさわしい結末へと誘ってやるのが、環境美化委員としての務めだろう。やがて、彼らが互いをののしり合うのにも疲れ果てた頃を見計らって、オレは神妙な表情を浮かべて彼らに問うた。

「……でさ、お前達の中で責任を取るべき首謀者は誰にすればいいのかな?」

 六人の視線が俺に集まった。あるものは憎々しげに、あるものはすがるように、あるものは諦めたように……。

 オレは彼らを見回してさらなる提案をした。

「この際、民主主義国家らしく多数決で決めようぜ、そいつ一人に責任を取らせることで決着ってのはどうだ?」

「ホントにそれでチャラにしてくれるの?」

 山西という女子生徒が俺に問うた。オレは一つ頷いた。

「ああ、いいぜ、今日、オレ達の間には何もなかった。そしてこれからも只のクラスメートであり、今後クラスの誰にも一切危害は加えない。それが条件だ。もしもこの約束を守れるならば、オレもお前達の情報の公開は一切しない。動画は極力編集し、首謀者以外のお前達の身元は消すことにしよう。念のためにこれから数年間、動画は保存しさらにいくつかの保険は掛けておくが、この約束が守られる限り、お前達は絶対に安全だ。これでどうだ?」

 一人を除く他の五人を見回す。

 脇腹を抑えたままの沢木、ゲロまみれの田辺、失禁した金山、そして山西、多々見の二人の女子生徒。

 やられた側の腹の中には恨みがあるだろうが、誰もがその提案に乗り気であることはもはや明白だった。一度、関係が破たんした以上、もう 彼らがこれまでのようにつるんで悪さをすることはないだろう。個人レベルでは知らないが……。

「じゃあ、首謀者を指でさしてくれ!一、二の、三!」

 満場一致で可決だった。偉大なる民主主義の力でだれもが予想通りの首謀者が指名される。

 数の暴力――行使する側になるとこんなに心地よいものなのか……。DQN共が夢中になるわけである。

「あんた達、絶対に許さないからね!」

「うるせー、このクソビッチが!」

 田辺がつかつかと歩み寄り柳瀬の頬を張った。全く手加減なしの一発に柳瀬は悲鳴を上げてその場にうずくまる。さらに数度、田辺は柳瀬を踏みつけた。

「もう、テメエの言うなりはまっぴらだ、クソビッチ。今度オレの前でデカイ顔したら、ヤッちまうからな!」

 そのままその場を後にする。オレを睨みつける度胸はもうないようだった。

 さらに無言で沢木がその場を後にする。

「あんたの証拠はみんなに渡しておくから。おかしなことはもうできないからね」

 捨て台詞を残した多々見がその場を後にして、山西がさらに続いた。

 最後にうずくまったままの柳瀬に金山が近付いた。暫し睨みつけるように見下ろしていたが、何を思ったか柳瀬に抱きつき、その胸を思い切り揉みしだいた。

 突然の出来事に驚き悲鳴を上げて抵抗する柳瀬の身体に抱きついたまま床に転がり、金山はそれを離さない。うなじによだれをこすりつけて顔をうずめ、文句を言おうとする柳瀬の唇に己のそれを無理やり押し付ける。そのまま嫌がる彼女に暫ししがみついていたが、失禁して濡れたままの股間をこすりつけるように押しつけるとやがて小さく痙攣した。はあはあと荒い息をしていた金山はしばらくすると立ち上がり、彼女に唾を吐きかけその場を後にした。

 小柄でやせぎすな体格と目立たぬ風貌。一人ではあまり存在感はない。柳瀬達のグループにいたからこそ、周囲に存在を認知されていた。

――歪んでるな、こいつ。

 その背を見送りつつ、ふとそう思う。人の本性というものは本当に分からないものだ。

 その場に残っていたのはオレと勝利の興奮からまだ冷めやらぬ福田君、そして首謀者とされた柳瀬だった。

「なんでよ……」

 金山の行為にしばし呆然としていた彼女だったが、やがて小さくすすり泣きはじめる。これまでに何人の人間を泣かし、傷つけてきたのかは知らないが、今の彼女からはいつものふてぶてしさや悪辣さが消えさり、あまりに弱々しく見えた。

「央城、もう勘弁してよ……謝るから……私が悪かったから……」

 涙を流して謝るその姿にオレの心が揺れた。他の五人と同じく彼女にもまたやり直す機会があるべきなんじゃないのか、ふとそう思った。だが、その姿を睨みつけ、憎しみに染まる者がまだ一人残っていた。

「ふざけるな。僕が何度も謝ったって、ただ面白がって笑ってただけのくせに……。自分だけが許されるなんて虫のいい話あっていいと思うのかよ!」

 はあはあと荒い息をしながらの福田君の一言が、オレを理想ゆめから現実に引き戻す。

 一番辛い思いをしてきた人間の言葉を決してないがしろにすべきではなかった。そして追い打ちをかけるように、柳瀬はその人格にふさわしい態度をとってオレの迷いを完全に晴らした。

「黙れ、ブタ。あたしは央城に言ってんのよ。あんたに許してもらおうなんて思っちゃいないわよ、身の程わきまえろ!」

 福田君の顔色が変わった。相変わらず息遣いは荒い。柳瀬の全身をなめまわすように見下ろす。

 ふと遥か西の都で出会ったガイドさんの言葉が思い出された。

『あの娘は悪意をばら撒いて、関わった周囲を不幸に巻き込みながら、やがては自分自身を不幸のどん底に叩き落としていく、そういうタイプの娘。女はね、一度染まった色からは決して逃れられないの。負の色からは特にね。もし対立するなら完膚なきまでに叩きつぶしなさい。中途半端は絶対にダメ。キミ、色々と物分かりよさそうだから気をつけて。オレが正しい道に引き戻してやるって勘違いしてつまんない情けなんてかけようものなら、足元見られて食いつかれるわよ』

 まるでこの状況を想定していたかのような師匠の言葉で、オレの腹は決まった。

「福田君、スマホ、貸してくれる?」

 突然のオレの言葉に二人は当惑する。そろりと差し出された彼のスマホにオレは件の動画を転送した。

「柳瀬、お前が許しを請うのはオレじゃない、福田君だ。そしてさっきの言葉でお前の本音はよく分かった」

「あたしにどうしろってのよ?」

「さあな。それは福田君次第だ。お前が傷つけ続けた福田君に誠心誠意詫びるんだな」

「どうしてあたしがそんな事しなきゃいけないのよ!」

「そっか、じゃあ……、いいさ」

 彼女の目には未だに福田君の事が同じ人間として映っていないのだろう。

 ここから先はもうオレが関与すべきことではなかった。オレは彼女に宣告する。

「柳瀬、この動画を今、福田君に渡した。ついでにあちこちのサイトにばらまいていつでも公開できるようにしておく。実際にするかしないかは今後のお前の態度次第だ。もちろん、オレがばらまかなくても、福田君がばらまくこともできるし、場合によってはオレが依頼した第三者がそれをするかもしれない。全ては福田君次第だ」

 柳瀬が青ざめる。オレは続けた。

「後は福田君に任せる。なんといっても彼はお前の一番の被害者なんだから……。じゃあな」

 そこまでを言い渡すとオレは歩き始めた。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、央城。ブタに何すればいいのよ?」

 もうオレが柳瀬を振り返ることはなかった。

 この先の出来事はなんとなく想像がついたが、オレの出る幕ではなかった。

 今の福田君は初めて、勝利を勝ち取った喜びで興奮状態のまま。加えてすぐ目の前で自分に負けた金山があんなことをすれば、もう歯止めは利かないだろう。

 そして彼にはそうするだけの権利があった。その権利を行使するかどうかは福田君の人柄次第だったが……。

 異臭の放たれる第三倉庫の扉をそっと閉じる。

 とたんに小さな悲鳴と何かが倒れるような音が続けざまに背後で響いた。悲鳴はすぐにくぐもってそれ以上は聞こえなくなった。

 入口近くに放り出したままの商売道具を拾い上げ、再びオレは歩き始める。

 空を覆っていた雲はいつしか薄らぎ、梅雨の晴れ間が顔をのぞかせていた。久々の晴天を望みながら、オレは一つ大きく伸びをする。

「本日の委員会活動終了!」

 日誌に書くことはないだろうが今日の活動内容は、これまでの委員会活動の中で最も成果があったといえるかもしれない。



2015/10/30 初稿



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