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Anomic Generation  作者: 暇犬
April――Chaotic Place
1/18

正解の出ない問題ほど不愉快なものはない

 うららかな日差しがやんわりと差し込む中庭の景色に思わず瞼が重くなる。

 無限にも感じられる時間を無為に過ごすことができるのは、高校生の特権の筈であるが、残念ながら現実というものは非情に厳しいものらしい。

 窓ガラス一枚隔てたこちら側では、不愉快極まりない空気ガスが充満し、試しにマッチをこすってみようものなら、おそらく即座に連鎖爆発を起こすだろう。

 ポンポンと放り投げられる紙くずが教室の一角に集中する。

 椅子の背もたれに「ブタ君」と書かれて張り付けられた主を揶揄する落書きは、IT技術が驚異的に進化した現代社会においてのイジメの手段としては、あまりにも古典的かつ原始的だった。県下有数の進学校でありながら、その稚拙極まりない文言に失笑を禁じ得ないのだが、当の本人たちはご満悦のようだ。オリジナリティのない数学の授業中にも拘わらず、座席の主の頭や身体に紙くずを投げ付けてはくすくす笑う陰湿な光景は、新学期を迎えて二週間近くになろうとしているこのクラスの日常となっていた。

 教室内の誰もがその行為に気づいている。だがほとんどすべての者がそれを黙認する。教壇に立つ教師(能無し)さえも……。


 面倒臭いから関わりたくない。

 厄介事などまっぴらだ。

 次の標的になってはたまらない。


 まあ、そんなところだろう。

 半ば日常と化しつつある理不尽な状況に憤る者もいないわけではない。

 オレの席から向かって二時の方角、斜め前二つ向こうの席に座る校内随一の美人さんはその代表格である。

 前期学級委員長の肩書をもつ故の責任感からなのであろうが、新学期開始から二週間が経過し、既に虐める側と虐められる側の役割分担が決まりつつある流れの中では、彼女の正論は無力だった。誰もが自己防衛に走り、草食動物の群れが織りなすカースト制度内のヒエラルキーの原理は、ちょっとやそっとの事では崩れそうにない。当の彼女自身も周囲の取り巻きたちと自己防衛に走るのが精いっぱいであり、いずれ訪れるであろう最悪の事態は、約束された未来のようなものだった。


 あまり得るもののない授業内容を書き留める事を止め、怒りにまかせて落書きする。パキリと折れたシャーペンの芯に一つ舌打ちすると、ルーズリーフをくしゃくしゃに小さく丸める。

「くだらねえ……」

 其れを手の中で弄びながらタイミングを計る。

 座っているのは教室内の最後方左奥。いろいろとやりたい放題のある意味ベストスポットである。

 眠気を誘いそうな念仏を唱える数学教師が再び黒板の方を向いた瞬間、オレはそれを思い切り放った。授業内容に相応しい美しい下向きの二次曲線を描いたそれは、教室の前方に置かれたごみ箱の中に綺麗に吸い込まれた。

 教室内の空間に突如として現れた放物線の奇跡にこめられた悪意あるメッセージに、クラス内の空気が一瞬揺れた。

「誰だ!」

 さすがに今のは、黙認出来なかったのだろう。

「今、ゴミを投げたのは誰だ!」

 誰もが下を向いている。教室後方の席に座る者達の中には、オレがやったことに気づいている者もいるはずだ。

 ――さあ、誰でしょう?

 頓珍漢な方向へと怒りをぶつけ始めた数学教師を腹の中でせせら笑い、荒ぶる声をBGM代わりにオレは鼻歌交じりに問題集を開き、やりかけの応用問題に手を付ける。

 教室内の一角に不自然に溜まった紙屑の山。そこで何が行われているかなど一目了然の筈である。

 だが、この教師にそれは見えない。勿論、気付かないのではなく、見ないふりをしているという意味である。

 教師としての彼のテリトリーは、黒板からせいぜい一、二メートルというところであり、そこから向こうの世界で何が起きているかなど、どうでもいい。彼が怒っているのは、生徒にマナーとか一般常識というものが欠けているからではなく、己のテリトリーに厄介事を放りこんだというその事実に対してであった。

 既に五十を越え、そろそろ教師生活のゴールが見え始めている彼には、いずれ手にするであろう退職金の為にも生徒間の厄介事に首を突っ込んで責任を取らされるのはまっぴらなのだろう。

 昨年起きた大問題の事態収拾に見事に失敗し、悲惨な末路を迎えた憐れな管理職の二の舞など御免である――この学校に所属する教師の誰もがそう思っているはずだ。


 ふと、斜め二つ前向こうの美人さんの横顔が視界の端に映った。

 元来、聡明な彼女らしく、この事態を引き起こした犯人とその犯行に及んだ動機というものをすぐさま察していた。だがそれゆえに彼女は俯いて悔しそうな顔をしている。己が前期学級委員長という肩書にふさわしい問題処理能力を持っていないことなどとうに理解して尚、彼女は看過できぬ異常な日常にその豊かな胸を痛めているのだろう。

――バカだな。

 彼女がいちいち背負いこむ必要などないのだ。

 一人は皆の為に。皆は一人の為に。

 得てして集団の中に居座る怠けものが大義名分を利用して一人を犠牲にすることを揶揄する者も多いが、こんな時くらい一人の為に皆を犠牲にしたって悪くないだろう。同調圧力を利用して起きる問題ならば、周囲全てに丸投げして責任をおっかぶせてやればよいだけの話だ。

 尤も全ての人間がそのように割り切れるはずはない。

 チートぎみに整った顔立ちを小さく歪ませている原因が自分のせいだという事に、なんとなく良心の呵責を感じ始めたオレは、溜息をつくとやりかけの問題を解く事を放りだして立ち上がった。突然のオレの行動に周囲がざわめき誰もが奇異の視線を送る。

「何だ、央城おうぎ?」

 数学教師が敵意の視線を向けつつ、オレの名を呼ぶ。

「自分です。自分がやりました」

「なに? どういうつもりだ」

 数学教師らしく、唯一の正解が導き出せることに安堵したのか、己の憤りの矛先の全てを俺に向けようとする。その浅はかさに苦笑しつつ、オレは弁解する。

「実は自分、この春よりクラス中の期待と総意を一身に背負って、環境美化委員の任を拝命しております」

 芝居がかった言い方にたっぷりと嫌みをまぶして、オレはクラスの隅々まで行き渡る声で反撃開始する。当然、つい、二週間前、くだらぬ理由でオレに厄介事を押し付けた奴らへの報復も兼ねている。教室内の誰もが唖然とした顔で成行きを伺う。

「そういう訳で『ゴミはゴミ箱へ』という環境美化委員の本能と信条に従って、どこからともなく眼前に転がってきた紙くずをついうっかりゴミ箱に放り投げてしまいました」

 前列に座る男子生徒が小さく吹き出した。それが周囲にも徐々に伝播していく。しばし呆気にとられた数学教師だったが、直ぐに気を取り直してオレに答えた。

「そうか、そういうことなら仕方がない。だが今は授業中だ。自分の行為がふさわしくないという事は自覚しているな?」

 仕方ないで済ませてしまうところがプリティーである。内心をおくびにも出さずにオレは素直に謝罪してみせた。土下座外交万歳。

「では、ペナルティーとしてこの問題を解け!」

 オレの殊勝な姿勢に気を良くした数学教師は、問題集から黒板に書き写した問題の解法をオレに要求した。何年度どこそこ大学入試問題とかいう有り難そうな称号付きのそれは、基本に少しばかり捻った応用を加えた内容で、正解を導くにあたって若干の面倒臭さが伴い、予習の際にオレは放置していた。

「即興になりますが、構いませんか?」

 数学教師の同意を取り付け、オレは黒板に向かって歩き出す。途中に転がる紙屑の山をわざとらしく蹴っ飛ばして歩き、チョークを手にするやいなや、力いっぱい殴り書きを始めた。解法の筋道など、黒板に辿りつくまでに目処がついている。

 怒りと八つ当たりと情熱を込めた大きな字で黒板の半分を占拠した正答に『以上』の印を叩き込んで、オレはその場を後にする。

 正解が一つしかない問題の解を導くことなど、オレには造作もなかった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 オレ――『央城連理おうぎれんり』が通う『県立霧ヶ峰高校』は首都に隣接する某県に存在する公立の進学校である。

 部活動はそこそこに盛んであるものの、進学校の定めというべきか、その活躍が全国に名を馳せる事はない。毎年、難関大を含む上位大学に多数の学生を排出するといった事以外は取り立てて珍しいものはない平凡な学校ともいえた。尤もそれは去年までの話であるが……。

 昨夏、この学校はとある事件で全国にその名をとどろかせた。といってもそれはネットの世界での話である。

 一年生のあるクラスで慢性的に行われていたイジメの実情が動画付きで暴露され、ついでに数人の加害者の実名が公表された。

 公表された動画は編集の腕もあってか、そのあまりに生々しすぎる内容と無関心を決め込む教師おとな達の姿が浮き彫りとなっていた。

 すっかりお祭り状態になってしまったその一件に、毎度の如く数日遅れでうっかり飛びついてしまったのは、社会正義や公正なる報道という使命たてまえをないがしろにしまくって信頼が地に堕ち、スポンサー離れで青息吐息のとあるTV局だった。

 怪しげな肩書で大きな顔をして頭の足りないコメントを連発するコメンテータ共が、ここぞとばかりに論理に破たんをきたした暴論を盾に、相変わらずの弱い者いじめに励んだのもつかの間、事件はさらなる展開を迎える。

 実名を公表された生徒の父親の一人が県会議員であったことが暴露され、身内の不始末で思わぬヘタを打ってしまったその父親は所属政党からあっさりとトカゲのしっぽ切りされて議員辞職となり、数日後には自殺した。

 さらに取材費をケチってネタ元の裏取りを怠り、思わぬ毒リンゴに手を出してしまったTV局があっさりダンマリを決め込んだために、ネットでは虚言癖から抜けられぬ対立弱小政党の陰謀論から、敵対的外国勢力による離反工作までと好き勝手な妄想が駆け巡った。

「ネットの言う事を真に受けてはいけません」

 ネットの海を泳ぐものなら常識ともいえるその格言を知らず、基本中の基本を怠って振り回された社会的地位を持つ者たちの織りなす狂想曲――たかが噂ごときで脆くも崩れさる己の真実の姿に恐怖するその様は、所詮他人事である名もなきネットの深海に潜む住人達に大歓迎メシウマされ、その騒ぎの顛末は半年近く経って尚、wikiを通じて詳細を知ることが可能である。


 ネットはお祭り、マスメディアは無視。

 深刻なのかそうでないのかよく分からぬ事態に突然たたき落とされ大混乱したのは学校関係者であり、彼らが躍起になって行ったのはイジメの実体調査ではなく、動画を暴露した犯人探しだった。

 関係者が様々な方面に働きかけて、その痕跡を辿った結果、動画は校内のコンピュータルームからアップされたものであり、使用された学内ID及びパスワードは、氏名を公表された加害者当人のものだった。コンピュータルームに唯一設置された監視カメラはアップ前日に意図的に故障させられ、そのまま放置されていたというお粗末な事態すらも発覚した。

『学校の常識は世間の非常識』

 時代に置いていかれた生ぬるすぎる教育機関の姿勢に保護者会は激怒し、父兄たち及び全国各地から現れた学校とは無関係の怪しげで勇ましい人々の容赦ない追及によって追い詰められた学校長は、あろうことか暴言を吐いた。

「私だって、退職金を削られて迷惑してるんです!」

 もはや収拾の見込みは全くない茶番と化した説明会は大混乱のもとに解散し、怒り狂った一部の父兄達がその様子を動画にアップする事で、再びネットは祭りと化した。

 鳴りやまぬ抗議の電話に半泣きとなった学校関係者の苦悩の日々は、別の大事件で世間の関心がそちらに向くまでの数日間続いたという。

 一学期の期末試験直後に発覚したその事件はその年度の間、延々と尾を引き、校内に暗い影を落としていた。多くの者達の怒りの矛先は、深刻だったイジメの実体よりも、何故、自分達がこのような面倒事に巻き込まれなければならぬのかという理不尽に対するものだった。

 結局、実名を公表された男女合わせて三名を加害者の主犯格として退学処分にすることでその事件は一応の解決となった。同時に被害者の少女は、その年の二学期より休学したまま不登校になり年度末には自主退学した。

 多くの者が口をつぐんだ為に、イジメの実体は結局公表されなかった。クラスの大多数が関わっていたなどという噂もちらほらと聞こえてくるほどだった。


 波乱の一年が終わり、二年へと進級した今年。

 この国に住む人間にふさわしい平和ボケした顔でのこのこと登校したオレは、新学期早々、新たな教室で妙な因縁を付けられた。


 肩が当たった。

 目つきが気に入らない。

 謝罪だ、謝罪、ついでに賠償もするか?


 偏差値にあまりにふさわしくないそのイチャモンにオレは驚愕する。

 卒業したはずの中学校(動物園)に逆戻りしたのかと思わず首をかしげる稚拙な内容だったが、残念ながら相手は悲しいほどに本気マジである。その時は仕方なく軽く拳を使っての話し合い(脅し)によってどうにか事なきを得たが、翌日、その報復としてオレは誰もやりたがらぬ委員会活動を押し付けられてしまった。女子生徒達からの退き気味の視線のおまけつきで……。

 その後オレ達のクラスでは、件のイジメ事件を起こした一年E組出身の男女六人によって、僅か数日で食う者と食われる者、そして関わらぬ者の関係は、クラス内カースト制度として表面的に成立した。

 新学期の始まりからおよそ三週間。

 昨今の主犯格不在型のイジメとは異なって、首謀者である一人の女子生徒を中心にしたそのグループは、周囲から軽蔑の視線を受けながらもクラス内カーストの堂々上位に居座って、やりたい放題に振舞い始めていた。

 学校側の事なかれ主義は問題を先送りにしただけであり、生徒たちの事なかれ主義が事態を急速に悪化させ、いずれは己の首を絞めるだろうことは容易く想像がついた。



2015/09/20 初稿



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