言わざる聞かざる後悔先に立たざる
侍女がびくびくしながら呼び出しに来たのは、サテツを書庫へ招いて一週間ほど経ってからだった。
それまでは何とも悲しいことに誰一人寄り付きもしなかったのだ。
お蔭で多分誰も書庫に棲み付いているのが二人であることを知らないだろう。
説明を求められないのは楽と言えば楽なのだが。
侍女は書庫に入ってこちらを見、サテツを見、意を決したようにこちらへと話しかけてくる。
「魔女様、大変申し訳ありませんが広間までご足労願えますでしょうか」
震える声に若干の申し訳なさを覚えつつも無言で席を立つ。
サテツに書庫の探索の続行を頼むと、侍女に先導されて戸をくぐり出る。
呼び出されたということは、魔法はおそらく成功したのだろう。
実は失敗していて、行った先に重武装の兵士が居るかもしれないが、そうなったら逃げていいんだろうか。
そう考えている内に広間へとたどり着く。
毎度思うがここは一応重要な立地の都市であるにも関わらず、そのトップであるプラウダ一族の館にしては随分と質素だ。
自分の想像ではもっと悪趣味なオブジェクトや高級そうな絵画が所狭しと並べられている印象があったのだが、ひょっとすると余り財力的に余裕はないのかもしれない。
「お待ちしておりました」
かけられた声は一つ。
本日はエマヌエルはいないのだろうか。
視線をやり。
凍り付いた。
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魔女と交わす言葉は相変わらず短く終わった。
足音をたてずに退室していく魔女を見送り、侍女を呼ぶベルを鳴らす。
恐れをなして中々やってこないのはこの上なく面倒だと、やはりそう思う。
視線を落とし。
「これが、これが代償ですか」
漏れ出た声は宙空に飲み込まれた。
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歩調が自然と荒々しくなってしまう。
たまたま行きあった侍女が明らかに怯えた様子でそそくさと逃げていく。
書庫の扉を行きとは違い荒々しく押し開ける。
サテツはその大きな音を気にすることもないように、ぺらりぺらりとページを捲っていて。
その腕を掴み上げる。
手による抑えが無くなった本はページが自然に戻っていく。
邪魔に思うような目ではなく、相変わらず無機質な目で。
「どうかいたしましたか?」
その丁寧な口調が余計に腹立たしい。
「知っていたのか」
「知っていましたとも」
問いたださずともあっさりと認める。
ガツン、と音がする。
それが自分がサテツを床に押し倒したせいだと気付くのに一拍。
「何故、何故教えなかった?教えたのが解呪の魔法ではないと。呪いは伝染すると」
先ほどのエレオノーラの言葉が脳裏から離れない。
『お陰様でお父様は無事快方へと向かっております。感謝いたします』
そう話すエレオノーラの横には松葉杖が二本。
『母と私、その報いはきちんと受けますとも』
どういうことだ。
『母は政務に携われなくなりました。私も脚がこのザマです故、今後は回復し次第、父に政務を再び執り行っていただきます。貴方との交渉は出来る限り私が行いますのでご安心を』
頭が真っ白になった。
渦巻く疑問はショートを起こした脳回路をぐるぐると出口なく回り続けた。
「呪いは常に桶に流し込まれ続ける水のようなものです。桶に蓋をしたならば、溢れて周囲を濡らすは当然でしょう?」
「何故それを教えなかった!」
「聞かれませんでしたので」
その台詞にまた血が昇る。
空いている右手を振り上げる。
手のひらにしゅるしゅると音をたて火球が出現する。
渦巻く炎の熱を感じる。
が。
振り下ろす直前、視界がひっくり返る。
背中全面に強烈な痛みが走る。
ジンジンと鈍い痛みもおって続き。
見事に体を入れ替えられている。
右腕は首諸共片腕で抑え込まれている。
もう片方の腕には袖口から飛び出した銀の閃きが輝く。
「言ったでしょう。後悔していただく、と。貴方様の計画を実現するためには、貴方様に勝手な行動は慎んでいただけなければいけないのです。そう言われましたので」
反駁の声は、喉仏を圧迫され掠れた声にしかならない。
「言うことを聞くだけの、人形め…!」
「よくお分かりいただけているようで幸いです。貴方様に従うことが我が使命ですゆえ」
声を出すどころか、器用に頸動脈でも決められているのか意識に霞みがかってきた。
もしも目覚めることがあったなら、今度はもっとうまくやろう。
「先ほどの火の魔法はお見事でした。今後も精進しましょう」
それを最後に、魔女の意識は途絶えた。
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がたり、と音がした。
それは戸が押し開かれる音。
そして松葉杖が倒れる音。
そして支えを失った人間が転倒する音。
サテツはちらと視線をやると。
「しくじりましたね」
震えるエレオノーラの存在に溜息を吐いた。