ー壱ー
目を開けると其処にあったのは闇。
ここはどこなのかはわからなかったが、何故こんな場所に来てしまったのかには覚えがあった。
学校からの帰り道、偶々通りかかった道で車に轢かれそうになった男の子を助けたのだが、代わりに自分が事故に巻き込まれてしまったのである。
「あたし、死んだってことなのかな」
こよみはポツリと呟くが、無論言葉を返すものはない。
死後の世界がここだと言うならば寂しいものだなとため息をついていると、何処からかか細い声が聞こえた。気のせいかとも思ったが、耳を済ませてみればやはりそれは聞こえている。
「呼ばれてる…?」
導かれるようにその声の方へと歩いて行くと、その声はこよみの名を呼んでいることがわかる。
聞いたことのない声だと言うのに自然と怖いと言う気持ちは起きず、むしろ安心感さえあった。
「ねぇ……何であたしを呼ぶの?どこにつれていこうとしているの?」
声に尋ねてみるがやはり答えはない。
ふと気がつくと、いつの間にか前方に小さな光がある。自分の名前を呼ぶ声は其処からなのではないかと感じたこよみは、そちらへと駆け出した。
小さな光は近づいていくうちに辺りを明るくし、そして目を開けていられないほどに眩しくなっていき………
「……また、違う場所」
再び目を開けた時には暗闇でも光の中でもなく、見覚えのない部屋の中だった。
「夢…にしてはできすぎか。鮮明だし」
どうやらどこかに寝かされていたらしく、起き上がれば体にかけられていた布がぱさりと落ちた。
「畳に御簾、火桶って……」
教科書でしか目にしないようなものが並ぶ部屋にこよみは目を丸くする。レトロどころの話ではないものばかりだ。
「部屋の作りも何か違う……って、あたし何で普通に動けて……」
周囲の変化に気を取られ忘れていたが、こよみは事故に巻き込まれているのである、身体中に痛みがはしった記憶もあるのだから無傷なわけはない。慌てて自分の腕や体を確認してみたが、それらしい傷もなく痛むような場所もなかった。
「何これ…どういうこと?」
わけのわからないことが立て続けに起こり理解が追い付かなくなったこよみが頭を抱えていると、すっと音をたてて障子戸が開かれる。
障子戸の向こう側にいたのは青みがかった長い黒髪を軽く結わえた素晴らしく顔の整った男がたっていた。
「あぁ、目が覚めたか」
男はこよみに気がつくとじろじろと品定めをするように見始めた。
「あ、あの……なんでしょう」
「ふむ…まぁ言語機能には問題ないようだな。他にも色々と確認せねばならないが……」
「言語機能…?色々とって何言って……」
何のことやらと首を捻るこよみに男は何も言わず近づくき、ぐっと顔を近づけると………
「な、何……いひゃひゃひゃひゃっっ!?」
あろうことか思い切りこよみの頬をつねったのだ。
「な、何すんですかいきなり!!失礼にもほどがありますよっ」
「私のモノに私が何をしようと勝手だろう」
さも当然のように男にそう言われ、一瞬納得しかけたこよみだったがモノ扱いを受けていることを認めるわけにはいかない、とムッとして口を開く。
「あたしはモノ何かじゃありません!ていうかなんであたしがあなたのモノになるんですか」
「何故か、か…それはお前が私の式神だからに決まっている」
「は……式神……?」
聞きなれない単語にきょとんとするこよみに男は怪訝な顔をする。
「一般知識は入れたつもりだったが……まぁいい、式神とは陰陽師の使役する物だ。その中でも異界の物を呼び出し使役するものと初めから全て作り使役するものとがある、お前は後者だ」
男の言葉が頭のなかを回る。式神がどんなものかはわかった、百歩譲って式神になってしまったことはみとめるにしても、やはり自分が初めから作られたものだという事にこよみは納得がいかなかった。
今までの記憶も名前もしっかりとあるのだ、男のいう通りならばこよみにそんなものがあることはおかしいのではないだろうか。
「あたしには今までの記憶も、こよみって名前もあります。それでも初めから全て作られたものだって言うんですか?」
「記憶に名前……?ほぉ、妙な式ができたものだな。しかしこれもまた面白いかもしれん」
こよみの話を聞き面白がっているらしい男に文句をつけようとしたこよみだったが、それは男の言葉に遮られた。
「しかしな、なんと言おうとお前は私の式神だ。私の意思に従わなければそれはお前の存在意義に背くということになる…それが意味することはわかるだろう」
男のまとう雰囲気が冷たいものに変わる。
存在意義に背くということ、それは自分の存在を否定するということ。それはこの世界から消えるということなのだ。
「選べ、式神として私に従うか否かを」
「……わかりました、あたしは貴方に式神として従います。けどこれはあたしが自分で決めたことですからねっ」
あくまでこれは自分の意思だと主張するこよみに、男は『契約成立だ』とくつくつと笑った。