10.我慢はよくない
結局一瞬たりとも解いてもらえないまま、二人きりの休日は後半戦にさしかかる。お弁当箱を片づける亜希を見ながら、私はどうしたものか頭を抱えるような気持ちで悩んでいた。
亜希に勧められるまま、さしだされたいくつものお茶を全部飲んでいたのが原因かもしれない。
トイレに行きたい……!
だけど亜希にそんなことを言えばたちまち意地悪な笑顔になって、いくら頼んでもギリギリまで縄を解いてくれないだろう。ここはなんとか上手い言い訳をして早く解いてもらえるようにしないと!
「それじゃ、午後の部は猿轡もしまーす」
「んんっ!?」
タオルで口を塞がれた。
油断してた。こんなの噛まされてたら言い訳どころか、もよおしてることも伝えられない!
「むうーっ!」
「そんなに嬉しそうな声出さないでよ。聞いてるこっちが恥ずかしいったら」
そうじゃないってのっ!
もうなりふり構っていられない。私は今までにないほど必死にもがいて縄抜けを試みる。背中で交差させた手首を捻り回しては力いっぱい引っ張ってみたり、縄が少しでも緩むように肩を大きく揺らしてみたり……ああもうっ、こんなに頑張ってるのにどうして抜けられないの!
「キィ、そんなに暴れてどうしたのよ。可愛いだけよ?」
変な褒め方しないで!
亜希には解いてもらえない。自分では縄から抜けられない。このまま夕方になって解いてもらえるまで我慢するしかないのかな……。
もう他に選択肢はない。私は諦めると同時に腹をくくる。絶対に耐えぬいてやるんだからっ。
「私トイレ行ってくる。キィは待っててね」
ずるいっ!
「んうっ、むうううっ」
私も行きたいっ。縄を解いてよぉ!
「大丈夫。今度はすぐ戻ってくるからねー」
子供をあやすように私の頭を撫でてから去っていく。自分だってもよおしてるんだから、私の気持ちぐらい分かってくれてもいいじゃんかっ。
もうなるべく動かないようにしよう。身体のどことは言わないけど、そこに変な刺激さえ与えなければ耐えられるはずだ。
身体を丸めてじっとする。今の私は石ころだ。何も考えないし何も感じない。時の流れとともに大自然の中を生きていくんだ。
「キィちゃん、アルマジロみたいに丸まって何してるの?」
華宮先輩の声が頭上から聞こえた。遊びに来てくれたんだ。
「むうー」
「あら、また口を塞がれてるのね。ちょっとごめんなさい」
先輩は私の後ろに手を回すとタオルの結び目を解いてくれる。
「ぷはっ、はぁ……先輩、こんにちは」
「こんにちは。亜希ちゃんはどうしたの」
「今、お手洗いに行ってて……そのっ、私もすぐに行きたいんです。縄を解いてください!」
亜希と違って先輩はいつでも優しくしてくれる。必死な私に意地悪なことはしないはずだ。
「どうしよっかなぁ。勝手に解いたら亜希ちゃんが怒るだろうし」
メールでも来たのか先輩はスカートのポケットから取り出したケータイをぽちぽち操作している。私はケータイを持っていないから羨ましい。
「亜希には私が何とか言っておきますから、お願いです。早く解いて……」
「お手洗いに行って何をしたいの?」
「え?」
そんなの決まってるのに。
「用を足したいんです」
「足すぅ? 算数の問題は小学校で卒業しないとだめじゃない」
「う……」
先輩の意図がだんだん分かってきた。それはまるで亜希が考えそうなことだった。
「ほら、しっかり具体的に、大きな声で言って。早くしないとまた口を塞ぐわよ?」
トイレのことをお手洗いって呼ぶ私の性格を知っていてわざわざ言わせようとするなんて、本当、すごく意地悪……。
口を開きかけてから一瞬の間に何度もためらう。大丈夫、恥ずかしいことなんて何もない。誰だってすることなんだから恥ずかしがるほうがおかしいの。
にやにやする先輩の視線を心で振り払った。勇気を出して言うんだ。
「おしっこが、したいんですっ!!」
だけどやっぱり恥ずかしい。血液が沸騰しているみたいに顔が熱くなる。これ以上恥ずかしいことなんて絶対ない。
だけどこれでやっと縄を解いてもらえるんだ。もう我慢しなくて済む。今はそのことを喜ぶようにしよう……。
「よく言えました。では、再生」
何かを呟いたかと思うと、先輩はケータイのボタンを押し込んだ。
『おしっこが、したいんですっ!!』
「なんっ!?」
私の声が先輩のケータイから吐き出される。
「録音したんですか……!」
「そうよー。ケータイのボイスレコーダー機能を使ったの」
「ひどいっ。今すぐ消してください!」
『おしっこが』
「わーわーわーっ!」
先輩は嬉しそうな顔をして何度も何度も再生する。
「いい刺激になるわ……ふふ」
そんな音声を芸術活動のエネルギーにしないでください……。
「ごめんね。安心して? キィちゃんの恥ずかしい台詞はキィちゃんを辱めるためにしか使わないから」
安心どころか恐怖なんですけど。
程なくして私を縛めていた縄から解放される。ずっと同じ姿勢だったせいか腕に痺れを感じるけど、この程度なら無視できる。
「いってきますっ」
「待ってるわね」
芸術家は変わってるってよく聞くけど、今日はそれがよく分かった気がした。
ふぅ、すっきりした。私はハンカチで手を拭いながらプール用更衣室の裏へ向かって歩く。
青空がさっきよりも澄んで見える。普段はなかなか気づかないものだけど、世界はこんなにも爽やかなんだなぁ。
それにしても、亜希とはどこかですれ違うと思っていたのにまったく出会わなかった。別のトイレを使っていたのかな。
私より先にトイレへ向かったんだからもう戻ってきてるはずだ。怒ってるかなと不安になりつつ二人のもとへと顔を出した。
「ただいま!」
「もうっ、先輩のばか! 何のために五杯もお茶を飲ませたと思ってるのよっ! キィが涙目でもだえるところが見たかったのにっ」
「だから謝ってるじゃないの。ごめんねって」
私の声にも気づかずに二人は口喧嘩をしていた。また亜希ったら、先輩に対してだけは強気なんだから。
「何の話してるの?」
「げっ、キィ……」
途端に青ざめる亜希。どうしたのよ。
「聞いてよキィちゃん。亜希ちゃんったら惨いのよ」
「あっ、こら!」
華宮先輩が教えてくれるみたいなので、私は亜希を無視して耳を傾ける。
「縛られているキィちゃんにもよおさせて、おもらし寸前まで縄を解かないつもりだったんですって」
「違うっ、違うの! キィ? 違うからね?」
先輩の言うことが本当なら……亜希が、私にたくさんお茶を飲ませたのも、食事の後ですぐに猿轡したのも、全部仕組まれたこと……私が苦しむ姿を見て面白がるためだったんだ。
「亜希……」
「ひっ」
さすがにこれは亜希でも見過ごせないかなぁ。親切にしてくれた裏でそんなことを企んでいたなんて、騙されたみたいで許せない。
「このぐらいのこといつもやってるじゃないの。そんなに怒らないで、ね? ほら笑顔笑顔」
亜希が変なことを企んでなきゃ恥ずかしい思いをさせられることはなかったんだ。ムカムカしてきた!
「先輩、亜希を抑えててください。今から縛ります!」
「ラジャー」
「ちょっ、やめ……!」
先輩が亜希の腕を捕まえてくれている間に、私は縄を拾って縛り上げていく。
亜希を動けなくしたらコンビニに行って一リットルのお茶を買ってこよう。全部飲ませてあげるから楽しみに待ってなさいよね!
今回のテーマは「羞恥プレイ」でした。




