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気がつくと、明夜が目の前に居た。
「ねえちゃん、起きたの?」
(ああ、眠ってしまっていたのね)
部屋のソファの寝心地は抜群で、いつの間にか転寝していたらしかった。
ガラスに映った自分の姿を見て、寝るときくらい髪を解けば良いのに、と思ってハッとなる。
髪を押さえた私を見て、明夜がいたずらを見つかった子どもみたいにへへ、と笑う。
「暇だったからさ」
つまり、私が寝入って暇だったから髪を弄って遊んでいたのだろう。
(けれども、よりにもよって、こんな頭にすること無いのに……)
チリーン・・・
「風鈴・・・?」
窓辺を見ると見慣れない風鈴が下がってる。風に吹かれてチリンチリンと軽やかに鳴る。
「あぁ。遊園地のみやげ物。まひちゃんからだよ。オレからはこれ」
綺麗な銀細工のしおりを渡される。ありがとうと笑って受け取って見る。葉っぱの形をとったしおり。
(鈴に、葉ねぇ……?)
嫌な感じの符合だ。鈴も葉っぱも嫌いなのと言えば、明夜は困って、少し笑ってお土産物を引っ込めるのだろう。
チリンチリンと爽やかに鳴く風鈴。繊細で美しい金細工の葉のしおり。
例えば普段私が使う一級品の小物達よりは随分安っぽいお土産品だけど、可愛い小物を私の為に選んでくれた2人の心遣いが嬉しかったし、何より本当は鈴も葉っぱも嫌いじゃない。
(そりゃ、葉っぱより花のほうが好きだけどね)
でも金細工の花のしおりよりは、押し花の方が美しいような気がするし。
葉っぱであれば、押し花よりも、やはり金細工はこのように美しい。
それらは、センスの良いお土産物と言えた。センスが良い……つまりは気に入ったと言うことなのだ。
「可愛いわ、ありがとう」
素直にお礼を言う。明夜は照れたように笑う。
(可愛いわ……)
「真昼ちゃんにもお礼言いたいわ」
ハッとして明夜が見つめてくる。それを見返してニコと笑う。
「う、うん!」
喜びを隠せないと言う表情をして明夜が上擦った返事を寄越す。
それに苦笑しながら、私は立ち上がった。
『とても気に入ったわ』
そう伝えたときの真昼ちゃんの笑顔と言ったらなかった。
素直な笑顔……どんな感情も隠さない真昼ちゃんに心の中で呆れながら、でも、可愛く思う。
お礼を言って、何事かを適当に話して。
真昼ちゃんは始終何かを言いかけては止めていた。
それに気付いていたけれど、私は気付かない振りをすることでその話を避ける。
どれだけ話し合っても、真昼ちゃんを納得させることは出来ないし。何を言われても私も考え方を改めない。
お互いを、大切に思っている心は確かに存在するのに。これが“相容れない”と言うやつなのかもしれない。表面上は穏やかに。それが、本当は何の解決にも繋がらないことを百も承知している。それでも、これが一番良いのだということも知っている。
勿論、これを一番良いと真昼ちゃんが思っているのかどうかはまた別のお話なのだけれど。
我侭で聞き分けのない神名家の末っ子。それが真昼ちゃんに対する大方の意見だ。
けれども、自分の意思を通すという点に置いては、聞き訳が良いとされる長女だって負けてない。
チリーン、リーン。
考え事に沈んでいた意識が鈴の音に邪魔される。
立ち上がって身なりを整える。鏡の前でクルンとまるでダンスのようなステップを踏んでまわる。スカートがふわりと舞って、一拍遅れて髪の毛も一緒に踊る。
背筋を真っ直ぐに姿勢を正し、歩く。別段意識しなくたって無意識のうちに教育された上流階級としての立ち居振る舞いがいつだって身についてはいるはずだけれども。
それでもあの人に会いに行くときにはいつだって厳かな気持ちになるのだ。
立ち止まる。息を吸って吐く。扉を二度叩く。
「悠緋か。開いてるよ」
なぜかいつも、扉を開ける前から私の訪れは兄様に分かってしまうのだ。
「失礼致します」
そう言って一歩踏み込む。僅かな、息苦しさを感じる。空気が濃くなって、甘いと言う表現だけでは足りない、どこか痺れるような香りがする。
『才能の香り』
それを私はそんな風に名付けてこっそりと読んでいた。
「どうした?」
パソコンから一瞬だけ視線を私に向けたけれど、また直ぐその視線を画面に戻す。
カタカタとキーを打つ音が素晴らしい速さで室内に雑音を作る。
「お忙しそうですね」
「ん、まぁ程ほどに・・・。お前は暇なのか?」
「ええ、暇なのですわ」
クスっと、兄様は笑う。顔を歪めて作る表情が、どうしてこんなにも美しいのか。
―――愛しさ
切なさ
楽しさ
優しさ
怒り
軽蔑
嬉しさ
失望
全て―――
兄様はその全てを人前では笑顔で表現する。
笑顔を、作る。どんな時でも。
そんな兄様の、作り物じゃない自然に零れた笑顔に見とれる瞬間。私は何時も笑顔を作ることすら忘れてる。
「ボーっとしてる、寛ぐなら何処かへ腰掛けなさい」
許可を貰って、兄様の後ろにある3人がけのソファに寛ぐ。
重厚な革張りのふかふかの柔らかなソファはお気に入りの一品だ。
この方を後ろから見るなんて不敬罪にも等しいと思うけれど。
こうして、背中を向けられていると兄様の飼い猫にでもなったような気分になる。
それはとってもいい気分だった。
「ねぇ、兄様」
「んー?」
「悠緋は、昔から……夢を見るんです」
「・・・夢?」
カタカタカタ、音が軽快に走っていく。
「もしかしたら、この前の婚約の件は、真昼ちゃんのほうが向いているのかも知れません」
シン……静寂が降りてくる。
息苦しい……濃密な、空気。
音も立てずにクルリ、と兄様が椅子ごと振り返る。
ソファに寝そべるようにして寛ぐ私を見下ろす目・・・。
その黒曜石のような瞳からは、どんな感情も読み取れない。
「どうして?」
(あぁ・・・死んだ方がマシなほど。)
痛い。この人の、役に立てないかもしれないと言うことが、こんなにも。
「悠緋は夢を見るのですわ・・・」
もしも、もしも鈴葉と言う人物がこの世界に実在するとするのなら。
私が知っている全てのことを彼女も知っていると言うことになる。
それはなんと言う弱みなのだろうか。
勿論逆にこちらも彼女の知られたくない秘密も知っているということになるけれど。
「この夢の全てを、誰かに話すのはこれが始めてです」
『夢の話は分かった・・・ふむ』
『お前と、その中本鈴葉と言う人間の心は同じものか?』
『ならば、お前にはやはり、真神家へ嫁いでもらおう』
『明日、お前と真神の跡取り息子を会わせる段取りを取ってある、会って来い』
あの人は……本当に優れた人であるのだ。
私が長年悩んでいたことも一瞬で、決めることが出来るのだから。
(もう、大丈夫・・・)
肩の力が抜けた。こういうことが私の身に起こっていると言うことが分かれば。兄様はそれを踏まえて考えるだろう。鈴葉と言う人間が私が知りえた情報を知っていることすら利用出来る。そんな方だから。
私は神様の、名前を知っている。
神名とは、兄様にぴったりの苗字であった。
(それにしても、明日……かぁ)
部屋のカレンダーの明日に丸をつける。7月21日だ。
初めて会う鈴葉の恋人。将来夫となるべき人。
彼はどんな人なのだろうか……。
どんな人かなんてきっと知っている。鈴葉に対するように優しくは無いだろう。
(でも本当に、来るかしら・・・?)
来たら私はどう思うのかしらね。
姿形はまるで同じはずだ。当日はツインテールにでもして行こうかしらといたずらな考えが湧き上がる。
兄様に話してしまったことで全ての緊張はなくなり、ゆるりとした気分で考える。
今日はぐっすりと眠れそうだ。




