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甘いけれど爽やかなハーブの香り。
(このハーブティー美味しいわ……)
寝起きに「珍しいハーブティーが手に入りましたので」と木崎さんは言っていた。
気に入ったからこうして食後にもう一度出してもらった。
味には勿論癖がある。ハーブティーは好き嫌いが分かれる飲み物だ。
味と言うより香りを楽しむ飲み物でもある。けれどこれは味も美味しかった。
(昨日の夢……夢の中で明夜の声を聞いて、探してた……)
コンコン――ガチャリ。
「ねえちゃん、いる?」
(あ、また。明夜が来てることにも気付かなかった)
苦笑する、夢のことを考えてボーっとしているなんて、ない。
「いるわよ、どうしたの?」
「いや、朝の食事のときさ。様子、変だったみたいだから。風邪でも引いた?」
心配、されてるのかな。無遠慮にくっつけられるおでことおでこ。
「んー熱いのは熱いけど、ねえちゃん平熱が高いからなぁ」
「大丈夫よ、どこも具合悪くないの」
「そうか……ん、ねえちゃん、何飲んでるの?」
おでこは離れたけれどそれでも至近距離で言う。
「ハーブのブレンドティ。明夜も飲む?」
明夜の答えなんて、分かっているけれど。
「んにゃ、いい。ハーブティは好きじゃない」
それでも社交の場で出されれば美味しそうに飲むことを知っている。
だから、本当は彼がハーブティを好きじゃないことを知る人間は極少数の限られた親しい者だけなのだった。
長く伸ばされた私の髪を弄びながら珍しく歯切れ悪く言う。言葉を選びながら話す様は何時もの快活で軽快な明夜らしくなくて、同時にとても彼らしくもあった。
「あのさ、朝の食事んとき、折角皆揃ってたのに、なんか」
明夜のが何を言いたいのか正確に理解する。
「うん?」
それでも、何も気付いていない振りをする。
「なんかさ、やだ」
我侭な言い方。真っ直ぐな素直さを眩しいと思う。
「普通にしてたと思うけれど」
そう、表面上は普段とそれ程変わりはなかった。けれども言葉のとおり。
普通にしてただけで普通だったわけじゃない。
「ん~でもさ、なんか違うじゃん?」
そう、何か違う。それに気付かないほど鈍感ではないのだから。
「そうねぇ……」
「折角の、夏休みなのにさ。皆一緒に居るのに、なんかヤじゃん。」
どうしたらいいんだろうと言いながらゴロンと転がる。
ひざの上に乗った頭を撫でる。
それでも、言わない明夜が。まひちゃんの様子を見に行ってよと、言わない明夜が。
どこか歪な私の独占欲を酷く満足させてくれる。
見に行けば良いのにと、自分でも思う。見に行くべきだとも。
もしも兄様に見てやってくれと言われたら、はいと答えて見に行くのだ。
「ねぇ明夜、昨日明夜の夢をみたわ」
何となく話題を変えようとしたら夢の話を持ち出してた。
そして、夢の中の自分と同じことをしている自分に少し気味が悪くなる。
(鈴葉さんも、話をそらす為に雷人さんに夢の話をしていたわ……)
最も彼女の場合は意図的にと言うより失言に近い流れだったけれども。
「オレの夢?」
きょんとした顔が、幼い。元々私に見せる顔は弟の顔で。だから幼いのだろうけれど。
最近は時々ハッとするほど大人びた顔を見せる明夜の、年以上に幼いその顔は酷く可愛い。
「そう、明夜が……真昼ちゃんと遊園地に行く夢」
「遊園地、かぁ……気分転換に良いかも。どう? ねえちゃん、行かね?」
特に予定はない。けれど……兄様は今日は人と会う約束があると言っていた。
と言うことは遊園地になど行かないだろう。
遊園地、奇数でいくのもね。誰か間に合わせで誘ってまで行きたいほどじゃない。
「私は、今日は調べたいことがあるから、また今度ね。2人で行って来て。」
明夜は残念そうなと言うより拗ねたような顔をした。
「そっか……んー。んー・・・。」
何かをしたいけど、どうしたら良いのか分からないのだろう。それくらいには私は頑なで。
「じゃぁ、まひちゃんが行くって言ったら行って来る」
普段なら、明夜の優先順位は絶対に私の方が上だ。
自惚れでも自信でもなくて、それは事実だ。
今だって、本当のところは真昼ちゃんのためなんかじゃない。
私が真昼ちゃんの様子を見に行かない肩代わりを明夜がするだけなのだ。
「ん、ごめんね。ありがとう」
私が行くなと言ったなら、明夜は行かない。それを知っているから言わない。
(今日はこの家にひとり、かぁ……)
事実上ひとりと言うわけじゃない。働きに来てくれている人は居る。
寂しいわけじゃない、寧ろ一人は好きだったりする。
完全に一人になることは殆どない、いつも誰かに見られ、世話をされ、干渉される。
生まれたときから続けられたそれは、慣れてしまえば別段苦しいことじゃなかった。
呼べば誰かが直ぐに来るこの環境で、寂しいと感じることは稀だ。
けれども、太陽を欠いた世界のように、感じるのだ。
何もない世界のように、感じるのだ。
明夜が、兄様が……、居ないと。
目を閉じて考える。
昔から自分の見る夢がおかしいことには気付いていた。
ともすれば昨日の記憶より鮮明に覚えている昨日の夢。
(随分と、乙女チックな夢だわ)
昨日夢の中で思ったことと同じことを考える。
“何不自由なく”と言う言葉そのままの生活。
住むところにも困らずに、食べ物にも困らない。自由に人を好きになって……。
けれども羨望は、欠片ほどもない。
兄様と明夜がいない。
それは、なんと言う不幸なんだろう。
客観的に見ても、きっと私の方が恵まれているのだろうけれど。
考え事をしながら無意識に弄んでいた髪。
(あ・・・この癖、気をつけなくちゃいけないんだったわ)
背の中ほどまで長く伸ばされて綺麗に手入れされた髪は真っ直ぐで、兄弟中で一番兄様と似ている。
いっそ兄様と似ていなければ。ばっさりと切ってしまえたのに、と思う。
まぁもちろん、兄様が切るなと言うなら、どんな髪でも切れないのだけど。
夢の少女とせめて髪型でも違えば良いのに、と思う。
最近、夢が現実味を帯びてきて。それに比例して、現実が夢のように思えてくる。
この世界が、夢なんじゃないかと思えてくる。
鈴葉と言う少女が毎夜見る夢。
悠緋なんて、本当は世界の何処にも居なくて。
眠るのが、怖い。目が覚めたらきっと私は鈴葉と呼ばれていて。
そして次に目覚めた時、また私は悠緋に戻れるのだろうか……?
乙女チックな、アレは“悪夢”に違いない。
『うつしよはゆめ』
『よるのゆめこそ』
ずっと昔の人の言葉が、不意に頭の中でこだまする。
『うつしよはゆめ』
『よるのゆめこそ』
頭の、中の、声、が。
自分の声であるはずの、それ、が。
どうしてか鈴葉と言う少女の声に聞こえて。
「現世は夢。夜の夢こそ真なり」
声に出してそう言ってみる。自分の声を確かめるように。
藍川雷人。
彼は夢で見たそのままの性格をしているのだろうか?
だとしたら、だまって神名家の娘と結婚を承諾したりはしないだろう。
『自分の結婚相手くらい、自分で選べます』とでも高らかに宣言するのだろうか?
『心に決めた人が居ます』いっそ誇らかにそう言うかもしれない。
それは、先日兄様の言葉を突っぱねた真昼ちゃんよりもずっと、正しい清潔さで。真っ直ぐな美しさで。
真神家に、どんな世話にもなっていない彼が言うからこその正しさで。
その言葉は美しく、響くのだろう。
(早く会ってみたい、かな)
もしも、私の思うとおりの人でなかったら。
きっと失望し、安堵する。
鈴葉と言う人物が実在するのだとしも。
そして、この藍川雷人という少年と想い合って居たとしても。
私は鈴葉の為に、どんなこともしない。
ただ、兄様の望むままに、藍川雷人と会う。
自慢の髪を、普段はすることなんてないツインテールにする。
鏡を見ると、見慣れた幼い髪型の少女がそこに居る。
髪を梳く、元通りに背に流れ落ちる髪、高慢に笑う。
「ごめんなさいね」
夢で泣いても。兄様の為に。私はきっとそうする。




