その足で希望溢るる未来を
よくある婚約破棄ものの、よくある前世の記憶ネタですが、実際でもあるけどナーロッパでも時々出てくるとあるタブーに着目してみました。( ˙ᗜ˙ )ノ
※少々暴力表現がありますのでご注意ください。
「イーディス!貴様との婚約は破棄する。そして新たな婚約者はこの美しくも可憐なメアテ=ザイサーン男爵令嬢だ!」
王侯貴族の揃う格式高い王宮舞踏会での一方的な婚約破棄。
「貴様が愛らしいメアテを妬んで嫌がらせをしていた事は明白!健気に耐えてきたメアテこそ未来の侯爵夫人に相応しい!」
とんでもない、耐えてきたのはイーディス=ケリィガー伯爵令嬢の方だ。
婚約者であるモラーオ侯爵令息から冷遇され、不貞を働かれ、家長の命令だからと彼らからの暴言や嫌がらせを黙して受けていたのは王立学園でも有名である。
その為彼等に非難の視線を、イーディスには憐憫を向ける者もいるが、大半は好奇、あるいは迷惑半分無関心半分といった目で見ていた。
長年の婚約者からのあまりにも心無い仕打ち。
疲弊しきっていたイーディスの心はこれが止めとなって砕け――――
「婚約破棄上等だ、このモラ野郎っ!!」
突如前世の記憶がよみがえり、ちょっと前に流行った東南アジアブームの勢いでムエタイを嗜んでいた日本のOL、蹴子さん渾身のハイキックがモラ男の顔面に極まった。
一つ言い訳をさせてほしい。
蹴子さんとて一応は格闘者の端くれ、普段であればいくら腹を立てたところで素人の顔面を蹴りかましたりなどしない。
だがイーディスとして受けてきた理不尽な仕打ちと抑圧の日々、成人女性一人分の記憶の奔流、悲しみと絶望とほんの少しの安堵、そして戸惑いと怒りが混然一体となり、一時的にほんのちょっぴり理性のタガがログアウトしただけだ。その証拠に追撃はしてない。
それに、潤沢に布を使ったフリルや刺繍をあしらった重ったいドレス、幾重にも重ねられたワシャワシャのパニエによって蹴りの速度もキレも威力も落ちているので命に別状はない。セーフセーフ。
だがその結果、モラーオ侯爵子息は血しぶき上げてブッ飛び、顔面は…………ええと、とりあえず鼻骨折れてるな、これ。
予想外の惨状に会場が静まり返る。
だってまさかうら若いご令嬢が侯爵子息の顔面を蹴るなん……………蹴った?……………え、蹴ったって、足で?
その場にいた男性陣は、ぎゅるんっ!と凄まじい勢いで顔を背けた。
ここで足タブーの話をしよう。
現代日本でも洋装のフォーマルは男性でも短い靴下はNGである。
これは歓談などで椅子やソファに座った折にスラックスと靴下の間から素肌が見えるのは見苦しいという理由で、女性も膝下スカートから見える足はストッキングで覆って素肌は見せない。
ましてやこの世界の、貴族女性は子どもでも足まで覆うドレスが当然という服飾文化下では、夫婦の営みでもなければ女性の足など見ることも見られることもない。(なお医師による医療行為や身支度・入浴介助の使用人は除く)
なんなら夜会の華たるご婦人方の、艶やかなドレスのデコルテから覗くたわわな谷間なんかよりもよっぽどイケナイえっちっち判定なのである。
とある侯爵子息の取り巻きしてる伯爵家次男。
はっ?!今一瞬だがなめらかに引き締まった白い足……がフッ!っみみ見てない! あ、足首なんてっ僕見てないからっ!そんなっ破廉恥っ、イヤッ、ダメェッ、お婿に行けなくなっちゃうぅっ!
とある侯爵子息の腰ぎんちゃくな騎士団長のとこの三男。
俺は見てない気のせい見てない気のセイ見てナイったらオレ見テナイ気ノセイみテナイきノセイキノノノノノ…………(紅潮と知恵熱で意識混濁)
夜会の警備についていた王宮騎士。
しゅ、淑女ともあろうものが人前で足をあのように顕わにするなど信じがた…………ん? か弱い御令嬢が不貞相手を連れた婚約者の頭を蹴った?……いや、有り得んだろう。立っている相手の頭に蹴りなど体術を修めた騎士とてそう届くものではない。しかもドレスを着た御令嬢だぞ? 無理に決まっている。
ということは――――――成程、幻覚だな!
いい加減婚活しろと親と親戚にせっつかれ、夜会に強制参加させられていた学者肌の子爵。
げ、幻覚だ!幻覚に違いないっ!いくら妙齢の女性との関わりが少なかったからって、こんな、ダメだって! 美しいご令嬢を見ただけでその足首の幻覚を見てしまうだなんてダメ人間過ぎる!
帰ってすぐ叔母上※に連絡しなければ!!
(※社交界でも評判の仲人おばさん。先日お見合い成功99組目の記録達成。)
偶々夜会に参加していただけのモブ公爵家当主。
うん? つまり何だ、私は娘とそう歳も変わらぬような令嬢の素足を妄想して幻覚を見たと………………ま、待ってくれ妻よ!離婚だけはっ、私には君だけだっ!信じてくれっっ!!
国王陛下並びに、ご臨席されていた王妃殿下。
国王陛下:知りません、なんも見てません。
王妃殿下:何故かスッキリしました。
という訳で、イーディス=ケリィガー伯爵令嬢によるモラーオ=オ・ワッテルゥ侯爵子息への暴行傷害事件は無かったことになった。
勿論そんな事件は無かったのだが、仮にあの場に居なかった者にこの事を話そうものなら
「女性に足で顔をって……そんな特殊性癖カムアウトされても……」
「お前、いきなり猥談はやめろよ。そんな切羽詰まってんならとっとと娼館にでも行け。」
「ばっかもーん!仕事中に何考えとる!城壁30周走ってこい!!」
と、引かれること請け合いである。
ちなみに、転生者なせいでタブー感が今一つ理解できていなかったメアテ=ザイサーン男爵令嬢は、今度は捏造じゃない歴とした事実を周囲に訴えたのだが、マジヤベー女として即刻カウンセラー付きの有名修道院へ放り込まれた。
噂によるとアクヤクレージョーガーとかゲンサクカイヘンダーとか訳の分からない事を叫んでいるそうで、修道院から出るのはまだしばらくかかりそうだ。
モラーオ侯爵令息の方はうっかり階段から落ちて全治3か月と発表され、イーディスとの婚約は彼が夜会で叫んだ通り破棄……にはならず、両家の諸事情の変化による円満解消ということになった。
「――それでは、残念ながら君を娘に迎える幸運は逃してしまったが、良き旅路と君の実りある輝かしい未来を祈っているよ。」
「有難うございます侯爵様。海を隔てた遠い地にあってもこれまでのご厚情を忘れず、侯爵家の皆様の繁栄と御健勝を心よりお祈りいたします。」
侯爵邸にて、双方が届出書類への署名を終えれば正式に婚約解消となる。
この後王城へ提出はするが、貴族家同士であれば許可を願うものではなく報告でしかない。
因みに当事者の片方であるモラーオ侯爵子息だが、昨日から体の震えが止まらず、質の悪い風邪などであったら万一移したりしては申し訳無い、という事で先に必要な署名だけして本日の同席を遠慮している。
オ・ワッテルゥ侯爵とて今回の事に思うところが無いとは言わないが、モラーオのよろしからぬ言動は既に学園を飛び出て社交界にも知れ渡りつつあり、自らや妻が再三注意していたものの一向に改まらず、果ては夜会のど真ん中で杜撰極まる冤罪なすりつけと婚約破棄宣言ときた。
お互い無かった事にするのが一番傷が浅いし、これまでずっと健気に耐えてバカ息子に尽くしてくれていたイーディス嬢への申し訳なさもある。
大人しく従順で、口数少なく常に控えめに微笑んでいた彼女は、人が変わったように晴れ晴れとした笑顔で闊達な物言いをするようになった。
こんなに性格が変わるほど彼女を追い詰めていたのかと思うと、元凶であろうモラーオの親としては心苦しい限りである。
しかも、瑕疵の有る無しはどうあれ、もうこの国では彼女が新たな良縁を得るのは難しい。
そのため学園も中退して近年女性の社会進出が始まっているという海を挟んだ隣国へ留学するのだという。
あくまで円満解消なので慰謝料は発生しないのだが、恐縮する彼女に留学祝いとしてそこそこの金額を贈ることにした。
これは罪無き令嬢の未来を潰えさせてしまった事へのせめてもの詫びなのだ。
決して、頬を青黒く腫れ上がらせているケリィガー伯爵の隣で、曇りなき向日葵のような笑顔を浮かべている彼女が怖かった訳ではない。
(――――まあ、伯爵は社交辞令で最大限良く言っても亭主関白と言おうか……私から見ても女性への態度はいささか目に余るところがあったからな。)
あの夜会には参加していなかったそうだし、帰宅してからモラーオの婚約破棄騒動を伝え聞いて暴言でも吐いたのではあるまいか。
イーディス嬢がちょっとでも動く度にやたらビクついていて――あれは肘を警戒しているのか? そっかぁ、肘でかぁ……
オ・ワッテルゥ侯爵は良識ある賢明な紳士であったので、色々察することはあったが礼儀正しくスルーした。
隣国へ向かう大型船のデッキ、良く晴れた青空と紺碧に輝く海の間でイーディスは思いきり体を伸ばした。
(とりあえず穏便に済んでよかったー!)
あのあと記憶の混乱も落ち着く頃になると、流石にちょっとやり過ぎたかなーとは思ってはいたのだ。
あのクソモラ男はどうでもいいが、何といっても向こうの方が爵位が上だし、とっさに前世の得意技を繰り出してしまったが、ハイキックはちょっと……その、今世の常識に照らすと悲鳴を上げて樽にでも篭りたくなる。
息子はカスでも侯爵夫妻が良識ある人達だったのは幸運だった。
無かった事にはなったが、こうなってはもう真面な縁談は、いや、真面でない縁談も来ないだろう。
毒モラ親父にもつい肘入れちゃったし。
しかし、幸いなことに隣国では丁度女性の社会進出が始まったところだと聞く。
前世の記憶がなければ女性の身で働くなんて想像もつかなくて、何もできずにただ自分の身の上を嘆くばかりだったかもしれないが、今はむしろワクワクしているくらいだ。
これでも学園では上位の成績を保っていたし、侯爵様のおかげで先立つものもバッチリ!
外国と言ってもあちらに嫁いだ祖母の婚家が身元保証人になってくれるというし、電化製品なんかはないけど一人暮らしだって前世で経験済みだし恐くなんてない。
それに、例え一生結婚できなかろうが、モラ男やクズと結婚するより百倍マシだ。
女ひとりだってガッツリ幸せになって見せるわ!
そう思える前世の記憶が戻った事こそが、多分私の一番の幸運だったんだと思う。
(さて、明日には港に着くというから、今のうちに少しづつ荷物を纏めておかないと。)
船室に戻るところで、ちょうど渡り鳥便が来ていたのか新しい新聞が売られていた。
隣国の情報収集兼暇つぶしとして一部購入する。
様々な事柄が並ぶ紙面の片隅、はるか後にしてきた母国の記事が。
(――――あら、)
婚約期間はド最低だったが、ちょっと古風でも国自体は嫌いだった訳じゃない。
到着直前に見つけた明るい記事は、なんだか幸先が良い気がして気分も上がる。
『某夫人、お見合い成功100組達成の快挙! 記念すべき――』
(面識は無い方々だけど、おめでとう。どうぞお幸せに!)
イーディスは踊るように軽い足取りで、溢れる希望を胸に未来への一歩を踏みだしたのだった。




