第八話
「頭! 大変です!」
話がひと段落したのを見計らったようなタイミングで、レオの仲間が部屋に飛び込んできた。
「どうした?」
「あー……っと……」
その人の視線が、一瞬だけ私とじじ様に向く。
「……セラに何かあったのか?」
じじ様の一言に、相手は苦しそうに顔を歪め、視線を逸らした。
「伝言を頼まれたので昨夜家まで行ったんですが、家には人の気配がなく、室内もどうも……荒らされているような形跡があって……。明るくなってからもう一度確かめたら、やっぱり室内は荒らされていて、壁に血の手形もありました」
ヒュッ、と喉が鳴り、息が詰まった。
「……ばば様は? 誰もいなかったんですか!?」
自分の声が、ひどく上ずって聞こえる。
男は視線を落とし、唇を強く噛み締めた。
「確証はありません。ただ……家へ続く道に、大量の血が付着していて……引き摺られたような跡でした」
世界が、きゅっと縮んだ。
声が、出ない。
ばば様の笑顔。
少しシワのある温かい手。
朗らかで優しい声。
全部が、頭の中を駆け巡る。
「そんな……」
やっと出た声と共に、椅子から崩れ落ちそうになる。
「アシャン!」
レオが支えてくれる。
でも何も感じない。
大量の血は、ばば様じゃないかもしれない。
でも……。
ばば様かもしれない……。
「急いで森に戻らなきゃ」
椅子から立ち上がりかけた私を、
「ならんっ!!」
じじ様の怒号が打ち消した。
「あれもワシと同じ一族の人間。お前のために命を賭けることが、我らの誇りだ」
「馬鹿言わないで! 今ならまだ助かるかもしれないでしょう!? どこかに逃げている可能性だってあるんだから! だからすぐに戻って──」
「撤退だ」
不意に、レオの声が静かに──そして冷たく、部屋に落ちた。
「全員に伝えろ。準備が整い次第、拠点へ戻る。昨日の遺体はそのまま引き渡して、任務は終了だ」
「……了解!」
仲間は弾かれたように踵を返し、部屋を飛び出していった。
「……待って。撤退って何? 拠点に戻るって?」
見上げたレオの顔から、表情が消えていた。
その無機質な横顔に、胸の奥がひやりと冷える。
「聞いた通りだ。昨日の奴らの仲間であってもなくても、森の家がその状態なら、君を探している可能性がある。であれば、ここも危険だ。一度拠点に戻って情報を集める」
「……なら昨日の遺体って何?」
声が震えた。
レオは一瞬だけ私を見て、すぐに視線を外す。
「……昨日の見つかった女性の遺体が、俺たちが探していた人だ。随分前に亡くなって、森に捨てられていた。然るべき場所に引き渡して、ここでの依頼を終える」
まるで、知らない人みたいだった。
あの優しくて、穏やかなレオとは、別人の声。
頭が追いつかない。
息の仕方すら、よく分からなくなる。
「二人残して、セラさんの捜索をさせます。それでいいですね?」
じじ様に向けられたその言葉は、相談ではなく──決定だった。
「力無き者に、選ぶ権利などなかろう」
「……ご理解頂けて助かります」
その一言が、氷のように、部屋に落ちた。
それから一時間もしないうちに、私たちは宿を立つことになった。
その直前。
──なにか変だわ ──
──この臭い、大嫌い! ──
精霊たちがざわついていた。
……臭い?
そう言われると、風に乗ってどことなく鉄臭いような臭いがする……。
「どうかした?」
「あ、ううん……」
「なら行こう」
レオに促され、宿屋を出る。
事前に聞いていた話によると、この街に来ていたレオの仲間──白狼団の人間は、全部で七人。
「バイル! ロアンさんを頼む」
「任せてください!」
「君は、俺が連れていく」
私よりも年下に見えるバイルと呼ばれた青年が、じじ様を馬に乗せる。
それを横目に、私はレオの手を取って馬に跨った。
ここから三日ほど馬を走らせた先に、白狼団の拠点があるらしい。
しばらく沈黙のまま馬を進めていた時だった。
「……俺のことが、怖い?」
風に紛れるような、どこか悲しげな声。
「そ、んなこと、は……」
否定しきれずにいると ──
「俺が、許せない?」
もう一度、低い声が落ちてきた。
私は手綱を握るレオの手を、じっと見つめていた。
「……レオは、傭兵団の頭として判断したんだもの。許す許さないじゃないわ」
少し間を置いて、レオが答えた。
「許せないなら、許さなくていい。でも……嫌わないでくれると、ありがたい」
その声には、いつものあたたかさが戻っていた。
「君に嫌われたら、生きていけない」
「何それ……」
本気とも冗談ともつかないその言葉に、思わず小さく笑ってしまった。
「セラさんのこと、放っておくわけじゃない。でも君やロアンさんを、これ以上危険に晒すわけにはいかない」
一拍置いて、静かに続く。
「俺は、君を守ると決めた。だから許してくれとは言わない。……でも、信じてほしい」
背中越しに伝わるレオの温もりが、今は何よりも優しく感じられた。
「……ばば様、大丈夫よね?」
その問いかけに、レオは答えなかった。
ただ、手綱を握る手に、わずかに力がこもった。




