第三十一話
「ゴホッ、ゴホッ……」
「なんだ、風邪か? 珍しいな」
怪我をしてから体が鈍ったのか、久しぶりに風邪を引いてしまった。
「風邪薬あっただろ? 飲んだのか?」
ガルドが、少しだけ眉を寄せて聞いてくる。
「あー……そうだな」
──怪我や病気をしたら、薬を飲んで、たくさん寝るとすぐ治るわ ──
不意に、柔らかな声が頭を掠めた。
次の瞬間、胸の奥がひやりと冷える。
……違う。
薬は、飲んじゃいけない。
理由はわからない。
ただ、そうしなければならないと、身体が拒んでいた。
「レオン? 」
ガルドの声で我に返る。
「あ、いや……」
「そんなに体調が悪いなら、持ってきてやるぞ?」
一瞬、喉まで「頼む」と言いかけて ──飲み込んだ。
「……薬は、いい」
「早めに飲んだ方がいいぞ」
「まぁ……そのうち、な」
自分でも曖昧な返事だと思う。
だが、それ以上踏み込めなかった。
ガルドは少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も言わず、「無理するな」とだけ残して去っていった。
一人になると、胸の奥に残った違和感が、じわりと広がる。
俺は、どうして薬を避けた?
誰かに飲まされたのか?
考えようとした瞬間、頭の奥が鈍く痛み、それ以上、思考を進めることができなかった。
そして見事に風邪は悪化し、熱が出た俺は、長い夢を見た ──
「どうした? そんな顔して」
話があると、俺の部屋を訪ねてきたのはバイルだった。
立ったまま、視線を泳がせている。
いつもの落ち着きが、まるでない。
「……自分を責めてるのか?」
なかなか切り出そうとしない様子に、そう声をかけると、バイルの肩がびくりと跳ねた。
「っ……すみませんでしたっ!!」
堰を切ったように、バイルは頭を下げた。
「俺のせいで、こんなことに……! 頭も俺に任せてくれたのに……っ」
「……」
「俺がもっと早く走らせていたら……あの人だって、死なずに済んだかもしれないのに……っ!!」
必死に言葉を紡ぎながら、拳を強く握りしめている。
震えているのは、声だけじゃない。
「……本当に、すみませんでした……」
お前のせいじゃない。
そう言ってやるのは、簡単だ。
だが、俯いたまま、自分を罰するように言葉を吐き出すバイルに、今、必要なのはそれじゃない。
「……お前は、精霊師を知ってるか?」
あまりに脈絡のない問いに、頭を上げたバイル。
「精霊師……って、昔話とかで聞く、あの……?」
片眉を上げ、何故今その話をするのか測りかねている様子だ。
「精霊師は実在する。……普通なら目に見えない者の声を聞き、普通じゃ考えられないことを成す存在だ」
「……はぁ……?」
「だからこそ、その力を悪用されないために、精霊師一族には“守り人”がつく。備え、隠し、守るための人間だ」
俺は一度息を吐き、真正面からバイルを見る。
「精霊師の特徴はいくつかあるが、最も有名で、そして確実なものが一つある。……宝石眼。その名の通り、宝石のような光を宿す瞳だ」
「……まさか……」
バイルは、はっきりと目を見開いた。
「あの人は最期の瞬間まで、彼女のことを心配していた」
「……はい」
「家族としての情と、守り人としての責任。その両方があったんだろうな」
俺の言葉に、バイルは再び、手を強く握りしめた。
「……お前が自分のせいだと思っているなら、お前に任せた俺も同罪だ」
「い、いや、それは……」
「だが……いや、だからこそだ」
一度言葉を切り、続ける。
「俺は、あの人の意思を受け継がなければならない。俺の全てを賭けてでも、守り抜く」
「頭……」
「お前は、どうする?」
一瞬の沈黙。
バイルは目を閉じ ──そして、再び開いた。
そこに、もう迷いはなかった。
「俺も、やります。やらせてください。それが、俺なりのあの人への罪滅ぼしです」
その目を見て、こいつなら任せられる ──そう、はっきりと思った。
「……宝石眼は、透明に近いほど精霊との親和が高い。つまり、それだけ力を持つ精霊師ということだ」
「……じゃあ、あの目は……」
「ああ。あの人も、それまで見たことがないと言っていた。普通は契約して初めて精霊と交流できるが……彼女は、すでにできている」
「……想像以上、ってことですね」
ゆっくりと息を吸い、バイルを真正面から見据える。
「場合によっては、本当に命を賭けてもらうことになる。……止めるなら、今だ」
俺の言葉に、バイルは一つ、深く息を吐いた。
「俺も、頭から見たらまだまだなんですね。……でも、その程度で怯むようなら最初から口にしてません」
「……そう言ってもらえると、助かる」
こうして俺は、バイルと二人で✕✕✕を守ると決めた。
バイルは年は下だが、✕✕✕は兄様のようだと言っていた。
いつの間にかすっかり打ち解けていて ──それを見て、俺は少しだけ、胸の奥がざわついたのを覚えている。
──ゆっくりと、目を開ける。
まだ靄のかかった頭に手を当てた。
……そうだ。
バイルに、何かを任せた気がする。
とても、大事な何かを。
それを放り投げて、あいつが抜けるとは思えない。
そんな無責任な男じゃなかったはずだ。
そう考えながら、俺はもう一度、目を閉じた。




