第二十六話
誰かの泣き声がする。
でもこのまま近づこうとすると、蔦に絡まるのはわかっている。
怪我も治った。
それに ──なぜか、今度は行かなければならない気がした。
そう思い、それまでしたことのなかったことを試そうと、勢いよくその子の方へ駆け出した。
瞬間 ──
「がはっ!?」
気づけば、どこから現れたのか、水の中に沈んでいた。
水面に上がろうとすると、蔦が首に巻きついてきた。
このままではまずい。
そう思った直後。
「……」
誰かが俺の側にやってきた。
……女の子、か?
その子が蔦に触れた瞬間、蔦が光に変わって消えた。
まるで最初から存在しなかったかのように……。
水中でその子の腕を掴むと、その子はゆっくり振り返る。
「はっ! はぁ……はぁ……」
そこで、夢から覚めて、飛び起きた。
「はぁぁ……なんなんだ、これは……」
目が覚める直前に見えた、あれは ──あの子の瞳か?
光に反射した、ダイヤモンドのような ──
「……ダメだ、思い出せん……」
所詮は夢だと、ベッドから起き上がった。
寝覚めがいいのか悪いのか……。
溺れて首を絞められそうになる夢を見たのだから、悪いに決まっている。
最近はこんなのばかりで、寝た気がしない。
「頭、なーんか顔色悪いっすねー。まだ本調子じゃないんすか?」
いつものように食堂でマックスが絡んでくる。コイツは何故か必ず、俺と同じテーブルで飯を食おうとする。
……だからか、俺が一人で食べていても、他の連中はマックスが来るのだろうと、遠慮して近寄らなくなった。
「夢見が悪くて、寝た気がしなくてな」
「ぶはっ! なーに女の子みたいなこと言ってんすか! らしくもないっすよ、頭!」
そう言って笑うマックス。
「お前は……。ったく、俺だって夢くらい見る」
「へー、どんな夢っすか? 昔、追いつめたお貴族様が恨めしそうにやってきたとか?」
ニヤニヤと笑いながら、俺を見てくるマックスに若干イラッとした。
「そんなんじゃない。アイツらは自業自得だ」
「じゃー、どんな夢見てんすか?」
何故コイツに話そうと思ったのか。
ただの気まぐれか、日常での話題としてか……。
自分でも、よくわからなかった。
「誰かが泣いてるんだ」
ただ、気がついたら、そう口にしていた。
「たぶん……見始めたのは、怪我をした後くらいからか? いつもいつも、誰かの泣き声で夢が始まる」
「……そ、れは……」
「近づこうにも近づけないし、どこの誰なのかもわからないが、こう毎日のように出てこられるとさすがに寝た気がしないだろ」
気づけば一つ、ため息を吐いていた。
自分でもなんでマックスに言ったのかと思いつつ、反応を見ようとそちらに目をやった。
「……どうした?」
「あ、いや……」
すると、マックスは一瞬、視線を彷徨わせた。
それから俯いて、押し黙る。
「おい、どうかし ── 」
「俺は! 本人が決めたなら、それでいいと思ってんすよ」
マックスは堪えきれないように、声を荒げた。
「だってそうでしょ? いっくら心配だからって、あんな束縛してたら可哀想じゃないっすか!」
「……お前、誰の話をしてる?」
マックスは、目線を下げたまま話し続ける。
「だから黙ってろって言われた時に、そりゃそうだって思ったんすよ。その方がいいに決まってる、って。……けど」
テーブルの上に置かれた手を、キツく握りしめていた。
「なんで、そんな話してくるんすか……。もう何が正しいのかわかんねぇよ……」
そこまで言うと、マックスは項垂れた。
マックスが口にした内容は、ほとんど理解できない。
ただ一つだけわかったのは、マックスに「黙ってろ」と言って、コイツが素直に従うような人間は、俺か、ガルドくらいしかいないということだ。
……ガルドが、何かを隠しているのか?
それは、なんのために?
「頭は、」
頭の中でマックスから聞き出した情報を整理していると、もう一度マックスが口を開いた。
「……怪我をしてから、隣の部屋に行きました?」
マックスの表情は、どこか苦しそうにも見えた。
「隣の部屋って、俺の部屋の隣か? あそこは空き部屋だろ?」
そう言った俺に、マックスは大きく息を吐いた。
「どーするかは、頭次第っすよ。俺にはもう、わかんねぇから、頭が決めてくれ」
そう言うと、マックスは席を立った。
よくわからんが、それをそのまま放置するような性格でもない俺は、マックスに言われた通り、部屋の隣の空き部屋の前に立った。
隣から物音がするたび起こされても敵わないと、俺の判断で空き部屋にしていた部屋だ。
ずっと誰も使っていないはずの部屋のドアを開けた ──
──レオ──
日差しの差し込む部屋に、柔らかな声が、ふっと溶けていった気がした。
「……こ、れは……」
誰も使っていないはずの部屋は、明らかに誰かが ──それも女性が住んでいた形跡があった。
ところどころ、埃が被っている場所もあり、「住んでいた」が正しいのだろう。
置かれている服や、アクセサリーケースの中にあるヘアピンを見ても、たぶん……10代後半から20代の女性がいたはずだ。
誰が? いつ?
そんなことを考える前に ──
「……はっ! なんで涙なんか……」
なんとも表現しようのない感情が胸の奥からせり上がってきて、そこで初めて、自分が泣いていることに気づいた。
何故そう思ったのか。
自分でもわからないが……。
いつからいたのかわからない、この部屋の住人こそが、あの夢に出てくる子なんじゃないのか ──そんな気がした。




