第二十五話
ここからしばらく、レオ視点です。
夢の始まりはいつも、誰かの泣き声。
どうしたのかと近づこうとすると、足が動かない。
見ると、蔦が足に巻きついている。
取り払おうと手を伸ばしても、その手にも蔦が絡み、上手く動けない。
だから声を出そうとするけど、声も出ない。
何もできないまま、泣くあの子を見ることしかできない夢。
「2ヶ月か……」
鏡に映る少し痩せた顔を見ながら呟く。
腹に残る縫い痕を指でなぞった。
いつ負った傷なのか、俺は覚えていない。
みんなは「大怪我だった」と言う。
頭を打って、骨も折れていたと。
だが、何故怪我をしたのか ──その記憶が俺の中にはない。
「もういいのか?」
部屋に入ってきたガルドに、振り返りながら答える。
「いつまでも寝ていられないだろう? 体がなまってしまう」
ようやくベッドから起き上がり、不自由なく動けるようになったのはつい先日のこと。
「お前にも迷惑かけたな」
「レオンの尻拭いはいつものことだ」
このやり取りも、実に久しぶりだった。
そのまま食堂に向かう。
「頭! もう大丈夫なんすか!? なんならこれを機に権力交替を」
「したとしても、お前には回らないだろ」
「っすよねー……。ガルドさん、まじで鬼のようにこき使ってくるからそろそろ休みたいんすよ」
相変わらずマックスは場を和ませる力がある。
ぶつぶつと言って去って行く姿は、実に、アイツらしい。
「レオン! もう大丈夫なの?」
そう言ってラシャは近寄ってきた。
ラシャを白狼団に入れるつもりはない。
けれど、こうして白狼団のエリアを自由に出入りしている時点で、そんなルールはあってないようなものだとすら思えてくる。
「お前にも迷惑かけたな」
「いいのよ。ご飯1週間、レオンの奢りなんでしょ?」
「……それは拒否権はないのか?」
「お金くれるなら拒否してもいいけど?」
手でお金を示すジェスチャーをしながら言うラシャに、ため息が出た。
「お前なぁ……。ここの連中に毒されすぎだ。もう少し淑やかにしたらどうだ?」
「……それはレオンの理想なだけでしょ! そんな女、この街にはいないわよ」
一瞬の間の後で、ラシャが横を向きながら言った。
「そうか? いるんじゃないか? この街にも」
「いないわよ」
ラシャの声がどこか、震えているように感じた。
「レオンが言うような女、この街にはもう……」
言葉を飲み込んで、ラシャは背を向け去って行った。
「……なんだ? アイツ……」
呟くように言った言葉に、
「ラシャが気難しいのはいつものことだ」
ガルドが答えた。
「まぁ……確かにな……。でも酷くないか? あれじゃまるで、俺の理想の子が最初から存在しないように聞こえるじゃないか」
「……そうだな」
ガルドは元々、あまり表情の変わらない奴だ。
そのガルドがほんの一瞬だけ、何かを諦めたような顔をした気がした。
「動けるようになったとしても、しばらくは表の仕事だけだな」
食事中、ガルドが口を開いた。
白狼団は傭兵崩れの街の便利屋兼ご飯屋 ──
それは表向きで、裏では貴族相手の情報屋だ。
それは便利屋の比にならないほど、危険がつきまとう仕事なわけで。
「せっかく歩き回れるようになったのに、またベッドに戻るわけにもいかない。しばらくは甘えさせてもらうよ」
怪我から復帰したばかりの人間を使うのはリスクが高すぎる。
「お前のサポートはユリウスに頼むとしても……寝てる間に、バイルが抜けてたのは地味に痛いよな。アイツの腕を買っていただけに、抜ける時に叩き起こしてほしかった」
バイルは年が若いわりに、慎重で機転も効く男だ。
育てていけば、かなり良い駒になってくれる……そう思っていた。
「姉が心配で抜けたんだ。そう言ってやるな」
「それもなんだが、バイルは確か男兄弟だけじゃなかったか?」
「……いや、姉がいる。世話の焼ける姉らしい」
「そうだったか……」
記憶にない。
いや、もともと知らなかっただけかもしれないが。
「……一人で突っ走ってしまうから、自分が助けになると言って抜けたんだ。……それが全てだろう?」
「まぁ……いないものは仕方ない。その姉とやらと上手くやってればいいな」
肩肘をついて言う俺に、ガルドは視線を伏せたまま、小さく「大丈夫さ」と呟いた。
そしてリハビリを兼ねて、久しぶりに街に出た。
いつもと変わりない街並み。
いつもと変わりない人々。
その中で ──
──レオ──
微かに、風に溶けるような声を聞いた気がした。
不意に誰かに呼ばれたような気がして振り返るが……。
「……気のせいか……」
誰もそこにはいなかった。
その時はまだ気づかなかったが、後になって考えれば、最初の違和感はすでにこの時あったのかもしれない。
掴もうとすると、消える。
確かにそこにあった気がするのに、何一つ形にできない。
失ったのか。
消えたのか。
それとも最初から、何もなかったのか ──
わからない。
ただ、理由のわからない空虚だけが、心の奥底で静かに疼いていた。




