第二十話
レオのこと。
私のこと。
白狼団にいるということ。
そして……レオとラシャさんのこと。
考えなければいけないことはたくさんあるはずなのに、何一つまとまらないまま、翌日を迎えていた。
私を呼びに来たレオが、私の顔を見てフッと笑った。
「なに?」
「……君は案外、こういうことは不器用なのかな、って思ったんだよ」
慣れないながらも自分でセットした前髪を、レオは指先でそっとなぞりながら言った。
「そういうところも可愛いけどね」
ちょっと待ってと、レオが髪を直してくれた。
……マックスはよく、綺麗だなんだと言ってくる。
それを聞いて、そうなのか、って思うだけだったけど……。
レオはいつも優しいけど、あまりそういうことを言わない人なのに、いきなりそんなこと言われて、なんだか、ひどく気恥ずかしい。
「よし、じゃあ行こうか」
髪を直した後で、レオに促された。
「待って。出かける前に聞いてほしいことがあるんだけど」
「なに?」
「……一昨日から、精霊たちの声が聞こえなくて……」
レオは顎に手を持っていき、考え始めた。
「また何かあったらって……」
「……オーケー。予定変更だ。今日は、できるだけ人の多いところにいよう。心配なことはすぐに教えて」
レオは何の問題もない、という口振りでそう言った。
「人が多いところって?」
「……今日はなるべく君と二人きりになって、思う存分君を口説こうかと思ってたんだけど、それはまた次の機会にするよ」
私の問いに、レオは軽く両手を広げながら答えた。
「く、どく……」
思わずくり返してしまった、その言葉。
「……君には嘘のない思いを、きちんと言葉で伝えた方が効果的だと思ったからね」
それにレオは反応し、口にする。
体の熱が、じわじわと上がっていくのがわかった。
「な、なんだかいつもと違うわ……」
「そりゃあ、今まで通りだと君が離れていってしまいそうだからだろう? だから、いかに俺が君を大切に思っているか、君にはちゃんと理解してもらわないとね」
その言葉に、視線を彷徨わせる。
「いっ、今まで通りがいいわ!」
「あれ? もしかしてもう効果出てきた?」
「からかわないで!」
「からかってなんかいないし、俺は本気だよ」
レオはそう言うと、私の手を取り、迷いなく指先に唇を落とした。
「……こんなことも君にしかしない」
射抜くように私を見るレオに、心臓が一気に跳ね上がった。
「もうわかったから、やめて……!」
「ははっ! 可愛い君のお願いは聞かないとだからね。今はここまでだ」
そう言いながら、レオは私の手を引いて歩き始めた。
……男の人に、色気を感じたのは初めてだ。
なかなか収まらない心臓の音に、必死に蓋をしようとしていた。
出かける直前、レオがガルドに何か話していた。
精霊のことを伝えていたのかもしれない。
あの時以来、こんなふうに声が聞こえなくなることはなかった。
でもあの鉄のような臭いはしない。
……でももしかしたら、潮の匂いが強くて、わからないだけなのかもしれない……。
「下を向いてどうしたの?」
隣を歩くレオが、覗き込むように身を屈めて聞いてきた。
「……潮の匂いが強いから、臭いがわからないのかも、って思って……」
なんの? とは言わなくても、レオには伝わったようだ。
「あんまり心配かけたくなくて言わなかったけど、俺のところに入った情報の中にも、確かにいくつか怪しいものはあった。でも一つずつ確実に潰していってるから」
レオは真っ直ぐ前を見たまま言った。
そして、不意にこちらへ視線を向ける。
「言っただろう? 何があっても、君は俺が守る。……だから心配しないで」
柔らかく笑う。
レオのことは信頼しているし、とても安心できるその笑顔に、私は小さく頷いた。
「……じゃあ今日は、この街の市場に行こうか」
「市場?」
「そう。今日はそんなに大きい規模じゃないけど、君があの店の次くらいに興奮して楽しんでいた場所だからね」
初めてレオと二人で出かけた時のことを思い出したのか、レオは楽しそうに笑った。
「あ、あれはだって、初めて見るものが多かったから」
「知ってるよ。……目を輝かせて楽しそうに笑う君を見て、他の男に見せたくないと思ったからね。あんなふうに思ったのは、それまで誰に対してもなかったのに……っと」
そこまで言って、レオは慌てて自分の口を押さえた。
「今日はもう、あんまり言わない約束だったな」
そう言うけど、もう聞いてしまった私は、頬の熱を感じながら、やっぱり少し、俯いた。
レオは小さく笑う。
「ごめん、ごめん。本当に今日はもう言わないようにするから、上を向いてくれる?」
その言葉に、私は一度目を閉じて、ゆっくり息を吸った。
そして、そっと目を開いて前を見る。
「よし、じゃあ行こう」
右手に、レオの熱が伝わる。
レオは、私にこんなにも優しい。
でも、精霊たちの声が聞こえない今、私は不安で仕方なかった。
いつもなら、精霊たちが何か言ってくれるのに。
今は、自分の気持ちすらよくわからない。
レオの言葉を信じたい。
でも……不安が消えない。
私はレオやバイルだけじゃなく、精霊にも頼りすぎていたのかもしれない。
目の前の誰かの言葉より、目に見えないあの子たちの言葉を信じて、頼りきっている。
もし、あの子たちがレオの言葉を聞いたら、なんて言うだろう?
レオは「誰に対してもなかった」って言うけど……。
それはラシャさんにもなかったんだろうか。
そんなこと口にはできないけど……。
誰が見ても、ラシャさんとの絆はあった。
ラシャさんとレオは、昔から知り合いで。
私は、ラシャさんや、あの女の人に比べたらまだ少ししか一緒にいない。
……この不安は、いつか消えるのだろうか。
レオの隣でそんなことを思いながら、私は歩き出した。




