第十四話
翌朝。
窓を開け放つと、潮の匂いが鼻をくすぐった。
「よし……!」
昨夜、自分の中で決意したことを行動に移すため、気合を入れた。
身支度を整えて、部屋を出る。
隣のレオの部屋へ行き、ノックをした。
「…………誰だ?」
「おはよう、レオ。ちょっと聞いてほしいことがあって」
中でガタッと何かがぶつかる音がして、直後、勢いよくドアが開いた。
「おはよう。……もしかして、寝てた?」
「いや、大丈夫。入って」
初めて入るレオの部屋は、私の部屋と同じ造りのはずなのに、なぜかまるで違って見えた。
「それで? どうしたの?」
そう言って私を見るレオの前髪が、ぴょん、と跳ねている。
思わず噴き出した私に、レオはきょとんとした顔をした。
「ちょっと早く来すぎたみたいね。ここ、寝癖ついてるわ」
銀の髪にそっと触れると、柔らかい感触が指に伝わる。
さらさらとした前髪が、指の間をすり抜けた。
その手を、そっと握られた。
「……それはいいから。どうしたの?」
──顔が赤いわ ──
──照れてるのね! ──
咳払いをしてこちらを見るレオは、確かに少し、頬が赤くなっているように見えた。
「お願いがあって来たの」
「お願い? ……いいよ、俺に叶えられることなら、なんでも言って」
私の手を包み込みながら、レオは言う。
「私、薬草を使ってみんなの役に立ちたい」
私にできることは、きっと少ないと思う。
でもこれならきっと、役に立てる。
「薬師の仕事をしたいってこと?」
「うん。それはお金にもなるし、何かあった時、きっと役に立つから」
レオは顎に手を当て、考えている。
きっと、私が安全かどうかを、考えてくれている。
……でも、それだけでは、ダメ。
守られているだけの時間は、もう終わった。
私は、自分の足でここに立たなきゃいけない。
「ね? お願い。……ダメ?」
そう言った私を見た直後、レオはグッと目を瞑った。
そして大きく、息を吐いた。
「……君は無自覚なんだろうけど」
「うん?」
「それは俺にとって反則だ」
「え?」
「そういうつもりがないのはわかってるけど、そんなに可愛くお願いされる俺の身にもなってくれ」
レオはしばらく黙り込み、それから額に手を当てた。
「……ほんとに、君は……」
レオは頭を抱えて唸るように言った。
そしてもう一度、ゆっくりと息を吐いた。
「わかった、いいよ」
「ほんとう!?」
「ただし、条件がある」
レオは私を真正面に見据えて口を開いた。
「それを売るにしても、何か仕入れるにしても、必ず俺かバイルがいる時にすること」
「わかったわ」
「少しでも危ないと思ったら、すぐに辞めてもらう」
「うん、わかってる」
「それから最後にもう一つ」
そしてまた、目をきつく閉じた。
「……俺は、君が危険な目に遭うかもしれないことは、やってほしくないってことだけは、知っててくれ」
そう言うと、レオは私と目を合わさず、困ったような顔をしていた。
「大丈夫。レオには迷惑かけないようにするから」
「俺は別に、」
「許してくれてありがとう! 私もあなたの役に立てるように頑張るわ!」
胸の辺りで拳を握って言う。
レオが今日一番の、大きなため息を吐いた。
そのまま、少し困ったように私を見てから言った。
「それで? 薬師の仕事をするにも薬草が必要だろう?」
「それは昨日の素敵なお店にお願いすれば良いと思うの! あのお店、本当にすごいのよ。珍しい薬草もいっぱいあって、今まで作ったことのない薬もできるんじゃないかしら? だからどうしてももう一度行きたいと思って……なに?」
ジッと私を見つめていたレオに気づいて問いかけた。
「君は俺と出かけた中で、あの店が一番気に入ったようだね」
「もちろん! すごく素敵なお店だから、毎日でも行きたいくらいよ」
「そんなに通われると、店主に嫉妬してしまう」
レオは申し訳なさそうな声で言う。
……そう言えば昨日……。
レオの姿に、なぜか昨日のマックスを思い出した。
「独占欲、ってなに?」
「えっ!?」
レオが声を裏返して驚いていた。
「マックスが言ってたの。独占欲丸出しだ、って」
「……そうか、マックスがそんなことを言ってたのか」
──ムッとしてるわ! ──
──彼、怒ってる! ──
にっこりと、レオは笑うけど、目が笑っていない。
精霊たちの言葉もあり、伺うようにレオを見た。
「……怒ってる?」
「いいや、怒ってないよ。……それで、独占欲は何か、だっけ?」
でもすぐに、いつもの笑顔に戻った。
そして緑色の瞳で、私を真っ直ぐに捉えた。
レオは大きく一度、息を吸った。
「君を誰にも見せたくない」
「え……」
「君を知っているのは俺だけでいい。ここに閉じ込めて、俺だけが君に触れる人間でありたい」
「……そ、れは……」
「……って、言うのが独占欲だ」
レオは一度目を伏せ、もう一度私を見つめながら柔らかく笑った。
「……あ、ああ……なるほど……?」
レオは今、独占欲の説明をしてくれただけ。
でも……。
あの日、あの焚き火の前でじじ様に話していた言葉と同じことを、私の目を見て言ってくるから。
少しずつ、少しずつ、体温が上がっていくのが自分でもわかる。
胸の奥が、じんわりと熱を帯びていく。
「ちなみに嫉妬って言うのは、なんでもっと俺を見てくれないのかなー? って言うことだよ」
「そう、なんだ……」
独占欲の話で、頭がパンクしそうになってた私は、なんでいきなり嫉妬の話になったのか、一瞬わからなかった。
でも ──。
さっきレオは、あのお店に通うと、店主に嫉妬してしまう、って言ってた。
それはつまり、あのお店に通うより、もっとレオのことを見てくれ、って、こと……?
「わっ、私! 用はそれだけだからっ、部屋に戻るわ!」
気づいた途端、カーッと顔に熱が集まった。
心臓の音が、やけに早く聞こえる。
慌ててレオの部屋を出ていく直前、また後で、と、笑いながら言う優しい声が耳に響いた。
「一緒に買い出しに行きたかったけど、急用が入ったから、今日はバイルと出かけてくれる?」
それからしばらくして、私の部屋にやって来たレオは、申し訳なさそうにそう言った。
けれど、さっきのレオの言葉が頭から離れない私は、どこかホッとした自分がいることに気づいてしまう。
「そんなあからさまにホッとされると、さすがにちょっと傷つく」
苦笑いしながらレオが言った。
「わ、私は別に、」
「傷つけられたからには、慰めてもらわないとだな」
「え?」
「夜は一緒に食べよう。それくらいはいいだろう? 」
にっこり笑うその顔は知っている。
——拒否を許さない顔だ。
「……わかったわ」
「うん。じゃあ、気をつけて」
そう言って、レオは足早に去って行った。
そのしばらく後、バイルがやってきた。
「バイルもお店の場所、わかるの?」
「頭から聞いてきたんで大丈夫です。資金も気にしないで、だそうです」
レオからお金を託されたらしいバイルは、支払いは自分がすると言った。
……昨日も思ったけど……。
「レオはそんなにお金持ちなの?」
「え?」
「昨日も、自分が出すって聞かなかったわ」
私の言葉に、バイルは驚いた顔をした。
「そりゃあ、まぁ……頭は金持ってるだろうけど。でもそれ以前に、あんたには出させないと思うけど……」
「どうして?」
「え? どうして? って、言われても……」
バイルは忙しなく瞬きをしている。
「レオはもう、十分すぎるくらい良くしてくれてるわ。これ以上、何かする必要ないでしょう?」
私の言葉に、バイルは口を開けては閉じてを繰り返した。
「……そうか。あんた、ずっと森で暮らしてたって話だから……」
そう言ってから、ぶつぶつと独り言を言い始めた。
「なに?」
「いや……。まぁ……強いて言うなら、カッコイイと思われたい、とかじゃないですか? 男ってそういうもんだし」
「……お金を出すことがカッコイイことなの?」
「…………それは俺には荷が重い話題だから、一旦忘れて買い出し行きましょう」
バイルの提案に乗り、外に向かった。
「どうしたんです? こっちですよ」
外に出て、なかなか動かない私にバイルが尋ねてきた。
……でも、人混みを歩く、ということは。
「手を繋がなきゃダメ?」
「え? 手?」
「迷子にならないように、って昨日言われて……。でもそれは少し、恥ずかしいし……」
私の言葉にバイルは頭を抱えた。
直後。
「いいですか? それは頭の時だけです」
人差し指を立てながら、バイルは言う。
「レオの時だけ、って……どうして?」
バイルは一つ、大きく息を吐いた。
「どうしても何も、無意味な犠牲者を出さないためですよ」
「……え? 犠牲?」
「あんたは知らないだろうけど、あの人、怒らせると血を見ますよ」
そう言って、バイルはちらりと横目で私を見る。
「……待って。誰の話? 血を見るって……レオが何かするってこと?」
私の言葉に、バイルは大きく息を吐いた。
そしてもう一度、真正面から私を見据えた。
「森でずっと暮らしてたなら仕方ないかもしれないけど、あんたは世間を知らなすぎる」
黒い瞳が、射抜くように私を捉える。
「護衛だけのつもりだったけど、それじゃロアンさんに申し訳が立たない。あんたがここに馴染めるように、俺がしてやる」
私がここに馴染めるようにしてくれるのは、すごくありがたいことだ。
でも……。
「どうしてレオの話から、そんな話になるの?」
私の素朴な疑問に、バイルはもう一度、大きく息を吐いた。
「あんたには優しいレオに見えるかもしれないが、優しいだけの男が、俺たちみたいな連中をまとめられるわけないだろ」
そういうことだ、とバイルは言った。
バイルが言いたいことは、わからなくもない。
それでもやっぱり、どこか釈然としない。
「とりあえず、あんたはその重くて暑苦しい前髪、どうにかしたら?」
考え込んでいた私に、バイルが言った。
「ま、前髪はだって、」
「その前髪が邪魔で、よく見えねえんだよ。ちゃんと自分の目、見開いて周りを見ろ」
バイルはそう言いながら、私の前髪を片手の甲で持ち上げた。
「あんたにもちゃんと目はついてんだ。いつまでも隠していられねえだろ。自分の目で見て、物事を判断していかなきゃだ」
その言葉は、まさに昨日、私が思ったことだった。
守られているだけの時間は、もう終わったのだから。
「今のあんたには、俺も頭もいる。この街にはいろんな人種もいるし、目、出してても珍しい色だなくらいだろ」
そう言って、バイルはさっと手を引いた。
その言葉は胸に広がって、また一歩、踏み出せるような勇気をくれた。
「……髪、切ればいいかな?」
「いや、ピンで止めるとか?」
「ピン? ピンって、どこに売ってるの?」
「え!? ……まあ、歩いてりゃそのうち?」
そしてこの後から、私の重くて長い前髪はなくなり、自分の両の目でしっかりと、さまざまなものを見るようになった。




