第十一話
結局臭いの原因はわからないまま、休憩を終えて馬を走らせることになった。
たまに風に乗って漂う、鉄のような臭いが、精霊を封じる物なのかわからないまま……。
それからどのくらい走ったのか ──
もう少ししたら馬を止めて、野営の準備をするだろうと言う頃。
──……てっ……──
雑音のように、途切れ途切れの声。
──にげ……上……早くっ! ──
「え?」
走っているまま、上を見上げる。
「どうかした?」
それにつられて、少しスピードを落として上を見上げたレオの表情が、一瞬で変わった。
「スピードを上げろっ!!!」
レオが声を上げ、それまで以上に速度が上がった。
その数秒後、轟音と共に、土砂が崩れてきた。
振り落とされないように身をかがめる。
声にならない声が漏れた。
大地が大きく揺れた気がした ──
土埃が収まった頃、耳鳴りのような静けさが、辺りを包んだ。
馬の歩みがゆっくりになったところで、体を起こした辺りに目を向けた。
「バイル! ロアンさんっ!!」
レオが声を上げた。
その視線の先に、
「……嘘でしょう……」
土砂崩れに巻き込まれたのか、馬から振り落とされたバイルが横たわっていた。
「バイル! 大丈夫か!?」
「……す、すみませんっ……最後の最後で、ぐっ……」
「喋るな! ガルド! 手当てを頼む!!」
バイルは、頭部から出血しているけど、意識ははっきりしている。
そのことに小さく息を吐いた。
けど……。
「じじ様……?」
視線を動かして見えた数メートル先に、じじ様が倒れていた。
そんなはず、ない。
そう思い急いで駆け寄った。
「……うそ……」
その身体には、折れた太い枝が突き刺さっていた……。
「じじ様っ!!」
駆け寄ったらわかる、大量の血の臭い。
「アシャン、か……」
「待って、すぐ助けるからっ!」
着ていた服に、これ以上吸いきれないほどの血が付いていた。
じじ様は、私の顔をじっと見てから、かすかに首を振った。
「……ワシは、もう、助からん」
「やめて! そんなこと言わないで!!」
「力を、欲するなら、里へ向かえ」
「じじ様っ! もう喋らないでっ!!」
ゴポッと、血を吐きながらも、じじ様は話し続ける。
「だがワシは……お前には、平穏に生きてほしい……」
「わかったから、もう何も言わないでっ!!」
「……お前は、よお育ってくれた……ワシらの誇りだ」
私の肩をさすりながら、じじ様は言う。
「お願い、もうやめてぇ……」
「どの道でも……この子の願いを、叶えてやってくれ」
いつの間にか隣に来ていたレオを見つめ、じじ様は手を伸ばした。
「必ず」
低く、揺るがない声だった。
レオはその手をしっかりと掴みながら、短く答えた。
その言葉を聞いて、じじ様はゆっくり目を閉じた。
「……だめ、待って! じじ様っ!! 目を閉じちゃダメよっ!!」
降りてきたまぶたは、糸が切れたように静かに止まり、じじ様は、もう動かなかった。
「ねぇ、やめて……目を開けて……お願い……っ。私を……一人にしないで……」
里を出たあの日から、ずっと一緒にいてくれた。
口数が多い人じゃなかったけれど、いつも私の話を聞いてくれた。
生きる術を、教えてくれた。
「どうして……こんな……」
途切れ途切れでも、
精霊たちは、あんなにも必死に伝えようとしてくれていたのに。
私が、もっと早く気づいていれば。
……こんなことには、ならなかったのに。
「アシャン。……そろそろ野営地に行こう」
どれくらいそうしていたのか。
レオの声で辺りを見回すと、すっかり暗くなっていた。
「向こうでガルドたちがテントを立ててくれてる。そこに行って休んで……ロアンさんは、明日埋葬しよう」
レオは埋葬と言う。
……ああ、そうか。
もう、じじ様は……。
「わかった」
短く返事をすると、レオは私の背をそっと支えてくれた。
温かそうなスープが用意されていたけれど、食欲がなくて断り、横になった。
──眠れないまま、何も考えず、ただ時間だけが過ぎていく。
「眠れない?」
ふいに、レオの声がした。
「ねぇ、アシャン。俺ね、本当の家族はもう誰もいないんだ」
「え……?」
起き上がってレオを見ると、そこにはいつもの優しい笑顔があった。
「両親は流行病で亡くなって、唯一の家族だった祖父も……もう五年くらいになるかな」
精霊師だったおばあ様の故郷を探していたおじい様は、もう亡くなっていたんだ……。
「寂しくなかったと言えば嘘になるけど、俺には血が繋がってなくても家族と呼べる奴らがいた」
「それは……白狼団の?」
「そう。口は悪いのが多いけど、気のいい奴らだよ。きっと君も気にいる」
その言葉に、思わず目を見開いた。
「君には俺がいる。白狼団のアイツらもいる。……だから君は一人になんか、絶対にならない」
力強い意志を宿した緑色の瞳が、まっすぐに私を包み込んだ。
「私は……、レオのように強くはなれないわ」
「それならそれでいい。ずっと俺の側にいてくれれば、それだけでいい。俺は、その方がありがたい」
呟くように言った言葉に、レオはフッと笑った。
「私……、精霊師の中でも、自分の瞳が珍しいなんて知らなかった」
「うん」
「森でずっと過ごすなんて窮屈だって思ってたわ」
「うん」
「でもじじ様もばば様も、私が見つからないように、ずっと守っていてくれた……」
「うん」
「……まだ何も、返せてないのにっ……」
止まっていた涙が、溢れ出してきた。
「優しい人たちだから、きっとずっと、君のことを見守ってくれる。だからこれからの君の姿を見せていけば良いんだよ」
泣き疲れて眠りにつくまで、レオはずっと私を抱きしめてくれた。
ぽっかりと胸に空いた喪失感の中でも、その温もりだけは確かに感じていた。




