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3-14 怪異専門探偵事務所業務日誌 ~消えた兄とその自称妹~

連日猛暑記録を更新する今日このごろ、僕はバイト先の探偵事務所で暇を潰していた。所長からホットケーキを作るように言われて準備をしていると、不意にインターホンが鳴り響く。ここは広告も宣伝もインターネットでホームページもやっていない秘匿の事務所。それでも現れる訪問者は、必ず何かワケがある。今日の訪問者は、兄を探してほしい女性。女性の頼みを聞くやいなや、所長は「兄のことは考えないようにしろ」と無茶を言う。

「ホットケーキ食べたいな」


 殺人級の猛暑が続いている。1日2日そこらではなく、毎日、各地で。24時間、オールウェイズ。観測史上最高記録を叩き出した地域もあるらしい。自らの科学技術の急成長に驕り高ぶっている人類に激怒した神か自然の化身かそのあたりの何かが怒りの鉄槌を下しているようにしか思えない。だいたいなんなんだこの日差しは。およそ人間が浴びていい火力ではない。昔の特撮で怪人が人類を殺そうとした時に出していた気温だってたしか40℃とかそのあたりだった気がする今や怪人を介さずとも42℃だ意味がわからない意味がわからないといえばこの階段も意味がわからない何故こんなクソみたいな暑さの中こうして階段を一歩一歩のぼっていかなくてはならないのだそれもこれもみんな家賃をケチってエレベータもないボロビルに事務所を作った所長のせいだ絶対恨んでやるというより既に恨んでいる。


 そんな事を思いながら階段をのぼり、廊下に出る。事務所まで少しの距離だが、歩いているうちに汗も若干引いてきた。年季の入った象牙色のドアには、ちょうど僕の目線の高さに太めのサインペンで『探偵事務所』とだけ書かれている。直接。看板ではなく、ドアに、直接。鍵の開いているドアを開けると、中からの冷気が身体を伝うより先に耳に入ってきたのが冒頭の言葉である。


「黛くん、ワシ、ホットケーキ食べたいねんけど。黛くん聞いてる? まーゆずーみくーん」


 所長の言葉は一旦聞こえなかったことにして、僕は外で受けた熱線攻撃の回復作業にあたることにした。玄関で靴を脱ぎ、すぐ右にあるシンクで適当に水を飲む。なんとか意識を保てるほどには回復できた気がする。ガンガンに効かせているクーラーの冷気も相まって息も整ってきた。


「あ、メープルシロップな、ハチミツちゃうで。メープルシロップ、たっぷりな」


 所長の言葉は一旦聞こえなかったことにして、僕は出勤処理を済ませる。出勤処理と言っても勤怠カードなどではなく、壁にかかったカレンダーに時間を書くだけである。好きな時間に出勤して、好きな時間に帰る。それで給料は月額固定でそれなりに貰える。極端な話、今この瞬間に帰っても所長は止めないし文句も言わない。いや、文句は言うか? そんな事をしても、特にやる事もないので常識の範囲内でここにいる。


「あ、わかった材料の心配やろ? 安心し。ちゃーんと戸棚にあるからな、ホットケーキミックス」


 無敵の所長はそう言うと、事務所最奥のソファからおもむろに立ち上がった。僕の身長は一般的な成人男性のおよそ平均ほどだが、所長は僕より頭ひとつ分は高い。ついでに異様に綺麗に整えられた髪も、本人の腰ほどまで伸びている。本人いわく「髪はワシの命やからな」とのこと。自称永遠の30代。


 所長は冷蔵庫と同じくらいの高さのスチールラック、その中段付近に置いてあるカゴの中身をガサゴソと探っていた。僕はその間特にすることがないのでスマホを適当に触っている。クーラーからの風が心地良い。


「あれー、たしかこの辺に入れてたと思うねんけどな」

「ホットケーキミックスならこの前使い切りましたよ」

「そうなん? 言うてなー。ずっと探しててアホみたいやんか」


 所長に言われてホットケーキミックスを買ってきてそのカゴに入れたのは僕だし、所長に言われて数日前にホットケーキを焼いたのも僕だ。ちなみにその時はホイップクリームを載せてくれと言われた。だから今冷蔵庫には余った生クリームが寂しそうに座っている。早く使い切ってやらねば。カビが生える前に。


「小麦粉とベーキングパウダーならあるんでそれで作りますよ」

「え、ホットケーキってホットケーキミックスなくても作れるん!?」


 この人はホットケーキをなんだと思っているのだろうか。他にすることもないので所長に言われた通りホットケーキを作ることにした。ちなみにこのベーキングパウダーも事務所でパンを焼く時に僕が買ってきたものである。


 戸棚から未開封の小麦粉、ベーキングパウダー、砂糖、みりんを取り出す。冷蔵庫からは卵と牛乳。牛乳をレシピ記載量から10ml引き、代わりにみりんを入れると味に深みが出るのでここでオススメしておく。


 すべてをボウルに入れ、シャカシャカで混ぜようとすると。不意にチャイムが鳴った。

 この事務所の来訪者は基本的にアポ無しだ。ホームページもなければ電話帳にも載っていないし、広告も出していない。アポの取りようがないのである。それなのに、どこからか情報を手に入れ、こうして来訪者がやってくる。普通の手段では決してたどり着けない事務所へ、普通の手段を使わずにやってくる。


 ここは、一見さまお断りの怪異専門探偵事務所である。


「黛くーん、お客さん。出てあげて」

「……はい」


 念のためドアの覗き窓から様子を伺ってみる。いたのは20代前半ほどの短髪の女性で、外の暑さで少し汗ばんでいる。友人と遊びに行くようなラフな格好をしている。少し上を凝視して小首を傾げている。おそらくドアに直に書かれた「探偵事務所」に疑問を持ったのであろう。気持ちはとてもよく分かる。鍵を開け、女性を中へ招き入れる。


 幅の狭い廊下を通ってもらい、出てすぐの部屋に女性を通した。僕がさっきまで暇を潰していた部屋である。折りたたみができるこたつ机の前に座布団を敷き、そこに座ってもらう。そうしている間に奥の部屋から所長がヌっと顔を出した。


「暑かったやろ。ちょっと待っててね。黛くんがホットケーキ焼くから」


 僕がツッコミを挟む前に再び顔を引っ込めた。とりあえず僕はキッチンに置いてあるグラスに麦茶を注ぎ、女性に差し出す。当の女性は、来るなりいきなりホットケーキを勧められ、困惑の色を隠せないようだった。誰だってそうなる。僕は毎日そうなっている。

 奥の部屋に引っ込んでいた所長が再び姿を現す。


「今日は来てくれてありがとうね。どういったご要件?」


 女性から見て向かい側に所長が座る。ベランダへ繋がる窓から光が差す。ところで、僕は本当にこのままホットケーキを焼くのか? 来客中に? 仕方がないので僕はボウルの中に入れた材料を混ぜ始めた。そのうち、女性は静かに口を開いた。


「兄が、いなくなったのです」

「……あぁ、お兄さんでしたか」


 所長の言葉を聞くなり、女性は目を見開いた。僕から見て彼女は背を向けているので、実際の表情は見えない。が、そうと分かるほどに背中から漂う緊張感がそれを如実に表していた。まるで、こちらの言いたいことが対面の男にはすべて筒抜けであることを理解したかのような、今まで味わったことのない、得体のしれない緊張感が。


「兄が、どこにいるか分かりますか」

「現時点でそこまではなんとも。ですが、あなたの行動次第ですぐに見つかるかもしれない」

「どうすれば見つけられますか! 教えてください!」

「あなたにしてもらうことは何もありません。というより、あまり意識をしないでください。そうすると見つけやすくなりますので」

「意識をしない、というと?」

「いつも通り生活を続けてください。お兄さんを探すことも、お兄さんを意識することも、そして、ここへ来たことも。すべて意識せずに過ごしてください。そうすると、自ずと見つかります」


 随分と無茶苦茶を言う。「何もしない」と「何も意識しない」では心理的負担がまったく違う。彼女は探しているお兄さんのことで頭がいっぱいだろうに、それを意識するなと指示するのは、やはり無茶だ。彼女は背中で狼狽と困惑を表現している。それはそうだろう。無理もない。


 そうこうしているうちに、1枚目のホットケーキが焼き上がった。2枚目を焼こうとおたまを取ると所長に止められた。


「黛くん、そのホットケーキ、彼女に出したげて」


 言われるがままにホットケーキを皿に載せ、冷蔵庫にあったメープルシロップと一緒に彼女の前に差し出した。彼女は僕に小さく会釈をする。不自然のない程度に彼女の表情を伺うと、やはり背中で語っていた通り、狼狽と困惑、そして一抹の安堵も滲ませていた。


「今日はそれを食べて一旦落ち着いてください。今日は暇なのでいくらでも休んでくれていいですよ」

「あ、ありがとう、ございます……」


 時間が経つにつれて緊張がほぐれてきたのか、彼女の口数が次第に増えていった。近所の大学に通っている3回生であること、単位はそれなりに取れているが、ひとつだけ落としてしまって悔しかったこと、お兄さんと二人で暮らしていること、お兄さんが先週連絡もなくいなくなったこと、捜索願は出したが音沙汰がないこと、そして、とあるツテでこの事務所を知ったこと。


 彼女が訪問してから1時間ほどが経った。彼女もホットケーキを食べきり、最初のこわばった表情からだいぶ和らいできたように思う。


「ありがとうございました。兄のことを意識しないでいるのは、その、すぐには難しいと思いますが、できるだけ頑張ってみます」

「できるだけ、でいいですからね。頑張ってください。あなたならできますよ」


 彼女は玄関で会釈し、爽やかな面持ちで外へと出た。先程まで彼女がいた机にはホットケーキが載っていた皿とフォークとメープルシロップが静かに並んでいた。外とは違い、クーラーの効いた部屋でそれらを片付ける。


「さ、黛くん、行くで」


 所長がいつの間にか玄関で靴を履き、外へ出る準備を整えていた。ん、外へ出る?


「外って、何しに行くんですか」

「あのコを追うんや」

「どうして」


 僕は当然の事を聞く。特に理由もなく地獄の中に身を投じる馬鹿はいない。


「あのコにお兄さんなんかおらん」

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