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『凛憂』

第4話【凛憂】


~1984年 5月~







「来ました!

強い霊力が近付いています」




『コネクター』の女性が表情を強ばらせながら叫んだ




梅雨入り前だというのにジメついた雨の降る夜


計4名で構成されるその『ハンター』のチームは


東海地区の某山中に居た




「情報通りだな…伝説の『ハンター』とやらのお出ましだ」


「殺れんのか?」


「相手は1人だ

全員で仕掛けりゃ一発さ

ビビんじゃねぇよ」




3人の男性『ハンター』は各々の武具を手にして『召喚』の呪文を唱え


周辺に漂う浮遊霊の霊力を集める




「前方、来ました!」





ぼんやりとした光の揺らめきが視界に入り


その中心に『男』の人影が見えた




「分かりやすいオーラだぜ

…3方向から同時に仕掛ける

お前は退がれ」




リーダーに言われて『コネクター』の女性は数歩後退りし


3人の『ハンター』は両脇の林の中に散った




彼等は気配を消しながら木々の合間を縫う様に対象に接近し


一気に攻撃の間合いに入る




「シュッ!」



リーダーが口から発する風切り音が合図だった




1人が草の陰から立ち上がり様に霊力を纏った小刀を投げ


もう1人は木の上から六角昆を振りかざしながら頭上を目掛けて落下し


両手に短刀を握ったリーダーは背後から斬りかかる




死角を突いた完全な奇襲攻撃であった




が…




…!




オーラの中心に居たその『男』が2人になった…



残像が残る程に素速く後方へ下がったのだと気付いた時には


既に1人目の死者が出ていた




残像目掛けて六角昆を振り下ろした『ハンター』の顎に


『男』の蹴りが目にも止まらぬ速さで決まった




首が不自然な曲がり方をしたまま後方に一回転し


その『ハンター』は空中で絶命した




『男』はその動作の一方で飛んで来た3本の小刀を指でキャッチし


次の瞬間には相手に向かって投げ返す




それは『ハンター』の眉間と喉仏と心臓を貫き


2人目が即死した




背後から斬りかかるリーダーは『男』が繰り出した回し蹴りによって


首をねじ切られやはり考える間も無く絶命した




全てが一瞬の出来事だった




その一部始終を離れた場所で見ていた『コネクター』仲間の死を悼む前にこの場から逃げなければと思った




しかし気が付くと『男』は目の前に立っていて


不気味に赤く光る眼が見下ろしていた




恐怖で顔が引きつり身動きが取れない女性の体に『男』が掌打を当てる




衝撃波で女性の衣類が全て吹き飛び


立ち竦んだまま失禁する女性の胸に更に手刀を突き刺し


心臓を素手でえぐり出すとその心臓ごと


『男』は女性の『霊魂』を喰らった…







純由はいつもの朝よりずっと早く家を出て


50ccバイクの『バイオレット・サイクロン』を飛ばして学校に向かっていた




途中で花屋に寄り予約しておいた花束を受け取った為に


少々遠回りなルートを走行する事になり


慣れない道に注意力が散漫になっていたかも知れなかった




四つ角にさしかかった時に


左手から出て来た2人の歩行者に気付くのが遅れ


慌ててハンドルを倒してバイクを停めた




相手方の2人も驚いた様子で立ち止まって純由を見た




「あ…テメェら…」



2人の歩行者は登校中の霜月と翳だった




「あぁ…!ゴーストタウンの一件以来ですね

お元気でしたか?」


翳の屈託の無さに純由の方が毒を抜かれてしまったが


霜月は面白くなさそうに横を向いたままだった




「あぁ…そっちは怪我したんじゃなかったか?」


「えぇ、お陰様で、すっかり」




翳はニコリと笑って右手をヒラヒラさせながら言った




「バイク通学なんですねぇ

カッコいいなぁ…

珍しいですね、紫色の原付なんて」


「お…おう、自慢じゃ無ぇが特注の全塗装だぜ」


「凄いなぁ

随分お金かかったんじゃないですか?」


「まぁな」




いつの間にか翳のペースに乗せられている事に気付かず


純由は自慢気に鼻を鳴らした




「随分早く登校するんですね

部活ですか?」


「あー!!いけねー!」


純由は自分が急いでいた事を思い出した




「今日転校生が来んだよ

それも激マブの女子!

早く行って机磨かなきゃいけねぇんだ

じゃあな、あばよ!」




純由はアクセルを吹かすと飛ぶ様に走り去って行った




「賑やかな人だなぁ…」




翳は微笑みながら見送ったが霜月は無言のまま歩き出し


翳も黙ってその後に続いた…







朝のホームルームの時間


聖ヶ丘高校2年3組の教室では


クラス担任の女性教師に続いてその少女が入って来るや否や


男子生徒達が明らかに色めき立った




「想像以上だぜ…!」


純由は声を上げ机の下で思わず花束を握り締めていた




この日に転校生が来る事は事前に告知されていたが


数日前にその転校生らしい女生徒が担任に連れられ


校長室に入るのを何人かの生徒が目撃し


その転校生を見た者達の評価は一様に


『美人で驚く程グラマー』


であった




その噂を耳にした純由は誰よりも先んじて自分をアピールしようと


プレゼントの花束を用意し


一番に登校して転校生が座る席を念入りに拭き掃除したのだった




実際にその少女を見た時


純由はそれらの下準備が無駄では無かったと確信したのだった




身長は165センチは有ろう長身で色白




尖った顎に切れ長の大人びた目元と形の良い薄い唇




何より


ボリュームの有るバストは制服の上からでもその豊満さが分かり


それと対照的な細くくびれたウエストと


適度な肉付きの両脚は驚く程スラリと長い




恐らく相当な長さであろう頭髪を頭の上で2つの団子に纏め


前髪は目の上辺りで切り揃えられていて


その個性的な髪型は彼女の妖艶さを更に引き立てていた




クラス担任が黒板に白墨で


『佐木原 鳳羽』と書き


その横に


『サキハラ フォウ』とフリガナを入れた




窓際の席に座る劍は


(変わった名前だな…)


と思ったが


直ぐに退屈そうに窓の外に目線を移した




担任の女性教師は黒板に名前を書き終えると


「ハイ、静かに!」


と生徒達をたしなめ


隣に立つ転校生を一瞥してから喋り始めた




「今日からこのクラスに新しい仲間が加わります

名前は…」


「鳳羽ちゃん!容姿と同じく綺麗な名前!」




純由は教師の言葉を遮って席を立つと花束を手に転校生に近寄った




「乾君、席に戻りなさい」




教師は注意するが


「まぁ、まぁ」


と流し


「君みたいな美人とクラスメートなんて幸せだなぁ…」


と言って中央の空席を指しながら


「君の机は俺が朝イチでピカピカにしておいたぜ

俺、乾 純由ってんだ

まずはお近づきの記しに…」


と言いながら花束を差し出した




鳳羽という少女は少しだけキョトンとした表情で花束を見た後


純由の顔に目線を移して口元で笑った




(掴みはオッケー?)




純由は心の中でガッツポーズを決めたが…




「あかん!アンタ口説き方がサッパリやわ」




その端正な顔立ちからは想像も付かない物言いに


純由のみならずクラス全体が呆気に取られた




「お腹も膨れへんプレゼントなんか、少しも嬉しい事有らへん!

たこ焼きでも奢ってくれた方がずっとマシやわ

せやし…」




純由の顔をまじまじと見ながら


「あんた全っ然私の好みちゃうし!」


と言った




一瞬シンとなった教室が次には全員の爆笑に変わる




さすがに担任教師も苦笑しながら


「…そういう事らしいわ、乾君

残念だけど、おとなしく席に戻りなさい」


と言い


純由は肩を落としながらすごすごと自分の席へ戻った




担任は一度咳払いをしてから


「改めて紹介するわ

転校生の佐木原 鳳羽さんよ

見た目では分からないだろうけど、出身は中国で、幼い時に日本の神戸に移住してるの

みんな色々教えてあげてね」




と言った




生徒達にとっては彼女が日本人ではない事が更に驚きだった




「佐木原 鳳羽いいます

生まれは中国やけど、ずっと神戸の中華街で育ちました

こんな奴やけど、どうぞよろしゅう」




鳳羽は自己紹介をして頭をペコリと下げると


生徒達からは拍手が起こった




(うるせぇ女だな…)




歓迎ムードの教室の中で


劍だけは転校生に対してまるで無関心だった







「ちょっと…それ、どういう事です?

彼等に何をさせろと?」




書類が散乱した事務所の中で


桐生 光流は受話器に向かって叫んでいた




ただならぬ様子に他の2人の女性スタッフ達が光流の方を見る




古い4階建てテナントビルの2階に所在する


『万・怪奇現象研究所』の事務所は


全国の『ハンター』を統括する『組織』の支部のひとつ


『東日本第7支部』の表向きの名称であり


光流はそこの支部長の立場で


スタッフ達には『チーフ』と呼ばれていた




「そんな抽象的な情報では指示の出し様が有りませんよ!

せめて相手の正体位は教えて頂かないと…」




光流の応対の調子は明らかに戸惑っていた




「はい…、はい、分かりました

では…彼等には現状レベルで話しておきます

応援の到着は?

えぇ…そうですか…では情報が入り次第知らせて下さい

はい、分かりました」




乱暴に受話器を置くと


光流はデスクの上のタバコを取って火を点けた




深く煙を吸い込み大きく吐き出してから


「…ったく!」


と不愉快さを露わにしながら言った




「どうしたんです、チーフ?

『本部』が何か?」




スタッフの1人の『琳子』が話し掛ける




「関東・甲信越全域に厳戒体制だって

とんでもない化け物が西から移動してるらしいの」


「化け物?…『鬼』ですか?」

「『ハンター』よ

それも、かなり凄腕の」


「『ハンター』?…反逆者?」


「それがよく分からないのよ

ただ…ここまでのルートから考えて、通過する可能性が高いのが…東条君達のエリアらしいの」


「皆天市…?」




3人の中で年齢が一番若いスタッフである『楓』が


お茶の注がれた湯呑みを光流のデスクに置く




「楓、東条君のチームのメンバーに集合掛けてくれる?」


「分かりました

今夜ですね?時間は?」




光流は頭の中で時間をカウントしながら


劍達との集合場所の悪臭を思い出して軽い憂鬱感に襲われていた…







皆天市の地下を流れる人工の川…




市内各所からの汚水が流れ込む迷路の様な大規模下水道




その一角が劍達のチームと光流との『密会』の場所である




光流の指示を受けたスタッフの楓が


劍と純由と舞姫の3人に接触してこの夜の集合時間を伝え


彼等は指示通りに集まった




「敵は『ハンター』って、どういう事だよ?」




純由が光流の不充分な説明に対して不満気に言う




説明している光流自身が『本部』から必要充分な情報を得ていない為


抽象的な物言いになるのは致し方ない事だったが


そんな事情を話した所で実働部隊である彼等には


自分への不信感を与えるだけだと光流は自覚していた




「詳細は追って連絡を入れるわ

今言えるのは、敵はかなり凄腕の『ハンター』で、『組織』の防衛網を次々に突破しながら、こちらへ近付いてるという事だけよ

目的は不明だし、現時点での正確な位置も特定出来ていない

君達は、いつ指示が有っても速やかに動ける様に、心の準備だけしてくれてれば良いわ」




光流は敢えて横柄な言い方をした




命懸けの仕事を命令する立場に在る以上


嫌われようが反感を買おうが


常に毅然とした態度で接してやらなければならない




自分の迷いを見せる事は彼等の中に動揺を生んでしまう




「…で?そいつが現れたとして、俺達に何をしろって?

相手は生身の人間なんだろ?

捕まえて、ふん縛れとでも言うのか?」




劍はいつもの如く壁にもたれかかって腕組みをしながら


上目遣いに光流を見て言う




彼等の『仕事』はあくまで現世に害を為す『霊魂』を消す事であって


それ以外に関しては


何ら特別な権限を持たない『ただの人』である




生きた人間を殺めれば


当然の事ながら現行法規により罰っせられる




「良い質問ね」




光流はやはり横柄に構えながら


「もし現れたら…速やかにその行動の一切を阻止する事

任務遂行の為の手段は問わない

つまり…」


一呼吸置いて


「『鬼』として処分せよ

それが今回唯一の明確な指示よ」


と冷静に言い放った




「それって…私達に『人』を殺せって事ですかぁ?」




舞姫が場違いに緊張感の無い口調で言う




光流は少し考えを巡らせてから


「正確には『人』ではなくなってる相手…と考えるべきでしょうね」


と答えた




「どういう事だ?」



劍が光流に顔を向ける




「肉体を持って動いてはいるけれど、そこに『人』としての意識は無い…」


「『鬼』に支配されている…?」


「『組織』が『鬼』と同等だと判断するという事は、そういう事でしょうね

凄腕と呼ぶ位だから、きっと『鬼飼い』だっただろうし…」




自分の魂とは異質の『霊魂』をその体内に宿す『鬼飼い』は


自分が飼う『鬼』に逆に支配され


自我を失ってしまう危険と常に背中合わせである




劍もそんな『鬼飼い』の1人なのだが…




「問題はよぉ、『組織』がどう判断するかじゃ無いんだぜ?

体使って動いてる奴を殺るって事ぁ、素人目には俺達は人殺しにしか見えねぇって事だろ?」




純由の言葉は正論だった




殺る…?


殺れるならまだ良い…




光流は思ったが


「確かにその通りね

ま、その辺は『組織』の力でどうにかするんでしょう」


と平静を装いながら考えている事とは違う言葉を口にした




『組織』の防衛網を突破しているという事は


進行を阻止しようとした『ハンター』が全て打ち破られているという事である




たった1人の敵の手によって


一体何人の『ハンター』が命を落としたのか…




確かに劍の身体能力は常人離れしているし


純由との連携には目を見張る物が有る




相手が人間なら舞姫の卓越した忍術も心強い戦力になるかも知れない




しかし


彼等は『ハンター』としてのキャリアがまだ浅い




ましてや生身の肉体を破壊


若しくは傷付ける経験等恐らく皆無に等しい




曲がりなりにも人の形をした相手を殺傷する行為に迷いが生じるのは当たり前であろうし


その迷いは攻撃の遅れを生み彼等にとっては命取りとなる…




「他の地域から応援の『ハンター』が来るらしいから、その連絡が有り次第また集合をかけるわ

以上、他に質問は?」




こんな曖昧だらけの通達では質問のし様が無いだろう…と


劍は心の中でクレームを付けたが


それは言っている光流本人も自覚している事だった…







佐木原 鳳羽は転校2日目にして早くも新しいクラスに馴染んでいた…と言うより


鳳羽の個性的な魅力に既存の生徒達の方が惹かれたと言う方が正しいだろう




休み時間になると鳳羽の机の周りには男女数名の生徒達が集まり


互い違いに鳳羽に質問を投げかける場面が繰り返され


それはさながらタレントの記者会見の様であった




それに対する鳳羽の気の利いた返答に


生徒達は笑い声と歓声を絶やす事が無く


鳳羽は瞬く間に人気者になっていった




その輪の中に入らないのは


初日にけんもほろろに振られた純由と


初めから関心の無い劍の2人だけだった




2人は昨夜光流から聞かされた事について


例によって窓際の劍の席の前に純由が横向きに座る格好で


他の生徒達には聞こえない声で話し合っていた




そんな2人を鳳羽はチラリと見ながら


「なぁ、なぁ、このクラスで一番モテる男子って誰なん?」


と生徒達に訊いた




「えー、誰だろう?」


「特に誰って無いよねぇ…」




顔を見合わせる女生徒に


「窓際の、ナンパ君と喋ってる子は?」


と鳳羽は劍を指差して言った




「あぁ…東条君…?東条君は…ねぇ」


「うん…喋んないよね…何か恐いし」


「ちょっと、取っ付きにくいって言うかさ…」




居合わせた男子も女子も遠慮がちに声を顰めながら言った




「そーなん?結構見た目イケてるのに、根暗君なん?」


「根暗って言うか、笑ったとこ見た事無いよな」


「でも、彼女居るんだよね」


「彼女?この学校に?」


「学校は違うけど、彼女の親と一緒に、同居してるんだって」


「あらま…高校の内から『マスオさん』かいな」




鳳羽は頬杖をついて再び劍の横顔を見た




「ホンッマ、愛想の無い顔やな…」




正面を向いている劍はその視線に気付かず


反対に横を向いている純由が鳳羽と目が合い


自分を見つめていると勘違いして顔を指差しながら


「えっ?俺?」


という顔をする




鳳羽はその純由に嫌悪感丸出しの『あかんべぇ』をし


純由はガクリと肩を落とす




「何してんだ?」




劍は一人芝居の様に表情を変える純由に突っ込みを入れた…







光流はその男の事が苦手だった




『組織』の中での肩書きは『東日本総本部長』…


つまり光流にとっては数ランク上の上司に当たる




その男の名は


スメラギ コウ



具体的な年齢は訊いた事は無いが外見は明らかにまだ若く


せいぜい30代前半といったところだが


見ようによったら20代に見えなくもない




光流自身支部の責任者としては異例の若さだが


『組織』直轄の本部長となれば格が違う




支部長クラスの光流ですら『組織』の実態は見えない部分が多いが


数百年以上の歴史と全国的な規模を持つ『組織』の中枢は


それなりの年齢の


所謂『長老』達で占められていると想像するのが普通の感覚と言えよう




どう考えてもこの若さで本部長は異質である




だが光流が一番異質だと感じるのは


この男の醸し出す雰囲気その物だった




「う~ん…この店のエスプレッソは、いつ飲んでも格別だねぇ」




都内某所のレンガ造りのカフェ




そこが曠が指定した待ち合わせ場所だった




「それで…ご用件は何でしょう?」




本部長直々に出て来る程の話が


通常の『仕事』のオファーであろう筈がないのだが


会って


コーヒーを注文してその一口目を飲む迄の間


曠は何ひとつ本題に触れようとしなかった




「あぁ、君も砂糖入れないんだ

香り高いコーヒーはブラックで味わうに限るよね」




光流の問いに答える事無く曠は再びカップを口に運び


余韻を確かめる様に目を閉じる




(これだから…)




物腰は柔らかく言葉遣いも丁寧だが


常にはぐらかされる感覚で本音が見えずリズムが合わない




光流は鼻で溜め息を吐きながら仕方無く自分もコーヒーを啜った




「京王市の外れでね、『鬼』が出たんだよ」




エスプレッソをカップの3分の2程飲み終え


光流が本題を急かすのを諦めかけた所で


何の脈略も無く曠がポツリと言った




京王市と言えば皆天市の西隣りに位置する市だ




「君の所の…リーダーは誰君っていったかな

学生の…」


「東条君ですか?」


「そうそう、東条君のチームの管轄だね

今夜早速行って貰いたい」




光流の支部では現在3つのチームを束ねていて


それぞれに受け持ちエリアを定めている




皆天市と隣接する地域は確かに劍達のチームのエリアである




しかし…




今の指示には2つの特異点が有る事に光流は気付いていた




「始めから『鬼』だと断定する根拠は何ですか?」


光流は1つ目の疑問を投げた




霊的な事件か否かの確認と


それが『鬼』であるのか『悪霊』レベルであるのかの最終判断は


『コネクター』を介した『記憶の転送』により


現地の『ハンター』達が行うのが基本なのである




『組織』サイドから


しかも昨夜起きたばかりの事件を


始めから『鬼』と決め付けて指示が出る事は通常有り得ない




「それと…」




光流は更に言葉を継いで2つ目の疑問を口にした




「その『仕事』の指示に、何故わざわざ本部長がいらっしゃるのでしょう?」




通常『仕事』の指示は


別の連絡員による電話か文書等で下される




「君と美味しいコーヒーが飲みたかったから…じゃ、理由にならないかな?」




そう言って曠はニコリと笑う




(こういう所が胡散臭いのよね)




光流には笑うと細くなる曠の目が


まるで狐の面の様に見えていた…







『支部』のスタッフである楓からの2日連続となる指示を受け


劍と純由と舞姫の3人は学校が終わると『仕事』装備に着替えて


指示された集合場所である街外れの工場跡に集まった




程なくして赤いセダンが停まり


運転席の光流がウィンドウを開けて


「概要は向かいながら話すわ

みんな乗って」


と早口で言った




『仕事』の現場が遠方になる場合は


光流や支部のスタッフが運転する車で向かう事はしばしばだが


この日の光流の運転はいつに無く荒かった




「随分急な仕事だな

昨日言ってた『ハンター』なのか?」




助手席の劍が光流に訊く




「今夜の相手は『鬼』よ」




光流は短く答えて胸ポケットからタバコを抜いた




やはり気が立っている…


と劍は思った




光流が愛煙家なのは知っていたが


普段の光流は学生である劍達の前では


極力吸わない様に気を遣ってもいた




「下調べ抜きでハナっから『鬼』なのか?」



光流が返答の仕方を考える間に後部座席の純由が


「俺もタバコ吸っていいかぁい?」


と訊き


やはり光流が答える前に劍が


「タバコは血流を乱す

仕事前は控えろ」


と諫める




朝のカフェで光流が曠から聞かされた話と


それに伴う指令の内容は


通常の『仕事』の域を越えるレベルの物だった




聞き終えた瞬間に光流は思わず


「どうして涼しい顔してそんな話しが出来るんです!?」


と人目もはばからずに声を荒げてしまった程だった




今夜の相手は『鬼』だが


それは昨日の話の敵対する凄腕『ハンター』に絡む物だった




そしてその『ハンター』は


『組織』が刺客として放った20名に上る『ハンター』達の命を


既に奪っていたのだった…







曠に依れば


昨夜未明京王市内で変死体が見付かり


かねてより厳戒体制下に在った『組織』は即座に事実確認に動いたのだと言う




現場はほぼ密室状態であり警察では他殺の可能性を早々に捨てたが


遺体に残された痕跡と被害者の身元等が過去のデータと合致し


『組織』は『鬼』による事件だと断定した…




「過去にも事件を起こした『鬼』…と言う事ですか?」


「そういう事だね

もう8年も前の事だから、君が知らないのも無理は無いけど」


「その事件は解決しなかったのですか?」


「解決したんだよ、その時はね

その後の経緯が問題なのさ

今回の『鬼』はね…通常の、単体で動くタイプとは違うんだよ」


「どういう意味です?」


「凄腕の『ハンター』が西から接近していてる話は聞いてるよね?」


「はい」


「どうやら今回の『鬼』は、そいつが遠隔操作してる…言わば『使い魔』である可能性が極めて高いんだ」


「『鬼』を遠隔操作…?そんな事例、聞いた事が有りません」




困惑の表情を見せる光流に対して


「それはそうだろう

僕だって聞いた事無いもの」


と言いながら曠はさも可笑しそうに笑ったのである…







「全然笑える話じゃないっての」




光流の独り言に劍が


「何?」


と反応する




「いいえ…何でも無いわ

大分現場に近付いたわね

藍沢さん、サーチを始めて頂戴

強い霊気を感じたら方向を教えて」




舞姫は


「はぁい」


と答えて精神集中に入る




「分かってると思うけど、今回は『同化』も『転送』も必要無いわよ」




光流は言葉を足しながら車を減速させると


ランダムに路地を選びながらゆっくりと走行させた




舞姫のサーチの妨げになるのを懸念して全員が言葉を発するのを止めた為


車内はシンと静まり返った




「…右の方、何か居る!」




古い住宅街を20分程走った辺りで


舞姫が何らかの霊気を感じ取った様だった




光流は無言のままハンドルを急回転させて


目の前の十字路をタイヤを鳴らしながら右折する




「場所は特定出来て?」


「このまま真っ直ぐ…

うん、近付いてる

…強くて、暗い…実体化してる?」


「実体化ですって?…まずいわね!」




光流の言葉に後部座席の純由が


「どういう事だよ?」


と訊く




「次の被害者が出てしまうかも知れないわ

藍沢さん、『鬼』が見てるビジョンを見れない?」




舞姫は無言のまま眉間に指を当てる




「見えた!人が居る…あっ駄目!」


「どうした?」




劍が後部座席を振り返る




「殺されちゃったわ…

近い!すぐそこよ

けど…え?どういう事…?」




舞姫の小さな戸惑いの言葉は劍達には聞こえていなかった




「純由」


「おうよ!」




劍の言葉に呼応して純由は『召還』の呪文を唱えて浮遊霊を集め始める




光流が車を停めると劍と純由は弾かれる様に車から降りた




角を曲がった路上に人がうつ伏せに倒れているのが見え


その傍らに人の形をした影が浮いている




光流の言っていた『鬼』に違い無かった




男の形をしたその『鬼』は目的を達した為か


その像を薄くし


今にも消え失せようとしていた




「逃がすかよ!」




純由が霊気を纏わせた4本の掛け針を『鬼』に向かって投げ


内2本が背中に刺さる




『鬼』が呻き声を上げると同時に劍が駆け出し


自分の『鬼』を出現させつつナイフを抜く




『鬼』は消えかけていた姿を再度実体化させ


接近する劍の方に振り返った




(…!!)




『鬼』が手を伸ばしたかと思うとその掌から霊気を射出し


劍は半身を反らしてそれを躱す




純由の掛け針によるダメージで動きを止め


劍がナイフで止めを刺すという2人の得意パターンだったが…




(足りなかったか…)




掛け針が2本しか当たらなかった為に


動きを封じるに足る充分なダメージが与えられなかった様だ



『『鬼』はゆらりと体を動かすと劍と正面から向き合った




「純由、リトライいけるか?」




『鬼』と睨み合ったまま劍が呼び掛け純由は慌てて予備の掛け針を取り出す




一撃目の不意打ちに失敗した為


改めて純由の掛け針で攪乱し


その隙に乗じて劍が二撃目を繰り出す作戦だった




純由が再度浮遊霊を集める作業に入り


劍の『鬼』がオーラの光度を増したその時…




シュルルッ…!




風切り音とも衣擦れともつかない音が聞こえ


次の瞬間『鬼』が体を硬直させる様に動きを止めた




「…?」




よく見ると『鬼』の体に黒い紐状の物が巻き付いているのが分かり


劍と純由は反射的にその紐が伸びている元を目で追う




少し遅れて現れた光流と舞姫も純由の後ろからその光景を見る




「何だ…?」




数メートル離れた公園の敷地の中に


街灯に照らされた緑色の服を着た女の姿が在った




『鬼』を拘束している紐の様な物は明らかにその者が操っていると分かる




そしてその正体を知った時


劍と純由は同時に声を上げた




「あいつ…!?」




緑色のチャイナ服を纏うその女は


昨日劍達のクラスに転校してきた佐木原 鳳羽であった




「久々の『エサ』や

しっかり喰いや!」




鳳羽は自らが操る紐に語り掛け


紐を握る右手を上に引き上げる動きをした




『鬼』が悲鳴を上げて更に硬直する様な動きをする




それは異様な光景だった




物質ではない筈の『鬼』の体が黒い紐にその体を締め付けられ


ビキビキと音を立てながら細くなってゆく




苦し気な悶絶の後『鬼』は断末魔の悲鳴を上げ


更に細く小さくなり完全にその霊体が消える




黒い紐はまるで生き物の様に暫くその場で蠢いていた




(髪…?)




ただの物質とは違う印象に


劍はそれを本能的に髪だと感じていた




「満足したんか?なら、戻り」




鳳羽が語り掛けて手を離すと


黒い紐はひとりでにシュルシュルと音を立てながら


鳳羽のチャイナ服の胸元に入って行き姿を消した




事情が飲み込めぬままその様子を見ている劍と純由に鳳羽は片手を上げて


「手こずってるみたいやったから、手ぇ出してもうた

獲物横取りしてごめんな」


と悪びれもせずに笑った




劍が何か言い掛けようとすると


鳳羽の横手の物陰からパチパチと手を叩く音が聞こえ


見ると和装の男が拍手をしながらゆっくりと


街灯の明かりの下に歩み出た




「本部長…!」




今度は光流が声を上げる番だった




曠は満足気な笑みを浮かべながら


「いやぁ、お見事

さすがは秘宝『縫鬼糸ホウキシ』だね

実物を見れて感動だよ」


と言って鳳羽に近付いた




光流は劍の横をすり抜けて曠に歩み寄り


「本部長…どういう事です?…彼女は?」


と困惑した表情で訊いた




「まぁ…詳しくは場所を変えてからにしよう

死体が転がってる横で、立ち話というのも…ね?」




先刻『鬼』に殺されたばかりの被害者の死体は


当然路上に放置されたままだった




「どうするんです…?」


「放っておくしかあるまい?

その内、通行人が気付いて通報してくれるよ

それよりも、この場面を人に見られる事の方が厄介じゃないかな?」




曠と光流の会話を余所に鳳羽は劍達の方に近付いて


「横取りしてホント堪忍な

あのキザなおっさんがヤレってうるさかったんや…

そっちのカワイ子ちゃんが、このチームの『コネクター』なん?」


と舞姫の顔を覗き込みながら訊いた




「てめぇ…何者だ?」




劍は鳳羽を睨み付けながら言う




「あんたが喋るの初めて聞いたわぁ

男前な声やねぇ…」


「てめぇは何なんだと訊いてんだ」


「佐木原 鳳羽や

自己紹介聞いてへんかったん?

ま、同業っつー事や

仲良うしてや」




劍の眼光に臆するどころか口元に笑みを浮かべながら


鳳羽は上目遣いに劍を見返した







劍達3人は光流の


鳳羽は曠の運転する車にそれぞれ分乗し


現場から数キロ離れた工業地帯に向かった




曠に案内されるままその一角に所在する小型の倉庫の中に全員が入り


曠は照明を点けると入り口の電動シャッターを閉めた




「『組織』で管理している物件なんだ

まぁ、適当に座ってくれたまえ」




倉庫でありながら荷物らしい物は無く


向かい合わせの長テーブルにパイプ椅子が並べられていて


殺風景な会議室の様な内装だった




全員が席に着くのを確認すると曠が


「さて、状況を理解してもらう前に…僕も含めて初対面同士も居るから、簡単に自己紹介から始めようか」


と言い


劍と純由と舞姫が並んで座る方を向いてニコリと笑った




「君達とは初対面になるね

僕は皇 曠

『組織』の役員をやらせて貰ってる

桐生君とはモーニング・コーヒーをご一緒する仲なんだ」




曠の言葉に光流は


「誤解を招く様な冗談は止めて下さい」


と釘を差した上で


「手前から、東条 劍君、乾 純由君、藍沢 舞姫さん

私の第7支部所属の正規チーム員です」


と曠に対して劍達3人を紹介し


次に鳳羽に顔を向け


「東日本第7支部長の桐生 光流です

初めまして」


と挨拶をした




「佐木原 鳳羽いいます

本部長はんとはこっちへ越して来た日に挨拶して今日で二度目、そっちの2人とは昨日からクラスメートやね

神戸の方で『ハンター』してたんやけど、訳有って少しの間こっちにお邪魔させて貰う事になったんや」


「訳…というのは?」




光流の問いに曠が割り込む形で口を挟んだ




「その辺は、僕の方から説明しよう

桐生君、彼等にはどこまで話してるのかな?」


「いえ…現場に直行でしたから、殆ど何も説明出来ていません」


「そうか…」




曠は机の上に両肘をついて顔の前で指を組み


目を軽く閉じて思慮深気な表情を見せた




(いちいちキザな奴…)




劍は…否


そこに居る全員が同じ事を思いながら曠を観察していた




「今回の事件は…西日本支部配下の1人の『ハンター』が、突然、人殺しを始めたのが発端なんだ」




曠は両肘をついたままの姿勢で喋り始めた




その『男』は年齢的には50代のベテラン『ハンター』であり


鍛え抜かれた霊力と未だ衰えぬ強靭な肉体を備え


幾人もの新鋭『ハンター』を育て上げた実績を有し


『伝説』の異名を持つ凄腕の『ハンター』だった




この数年は一線に出ての『仕事』からは遠ざかっていたが


2週間前に突如狂ったかの様に人を殺め始めた




最初の犠牲者は『男』自身の弟子でもあるチーム員達であった




一時姿を消した『男』は


3日後に10キロ程東の別の街に現れ今度は一般人を殺害し


それから数日置きに人を殺めながら次第に東へ移動して行ったのである




事態を重く見た『組織』は『男』の移動ルートを予測し


その途上に各地域の『ハンター』達を討伐の為に差し向けたが


『男』はそれを悉く突破しながら更に東進を続けている…




「その殺しが、全てそいつの仕業だって証拠は?」




説明の途中で劍が口を挟み


曠は劍に目線だけを移して


「的を得た質問だね」

と笑みを浮かべ


「手口がね、同じなんだよ

その手口というのが少々問題で…」


と言って全員を見る



次いで曠の口から発せられた言葉に劍達は戦慄を覚えた




「心臓をね…食べるんだ」




人が人を食べる…




『鬼』に絡む猟奇的な事件には慣れていても


生身の人間の行為として想像するのは少し質が違う




「それも…若い女性の心臓ばかりを狙ってね」




曠は変わらず淡々とした口調で説明を続けた




「当然の事ながらその『男』は『鬼飼い』だ

突然の豹変の原因は、自分の『鬼』に意識を支配されたと考えるのが妥当だろう

彼の『鬼』の特性は『eater』…つまり、相手の魂を食べて取り込むタイプ…佐木原君の『縫鬼糸』と同じだね」




(あれが…『鬼』…?)




体内に『鬼』を宿す者としてあれは少し異質だ…と劍には思えた




「最初の犠牲者となったチーム員は3人で、内1人が女性だった

その女性のみその心臓が抉られて無くなっていたんだ」




2番目以降の一般人の被害者達は全て若い女性で


性的暴行を受けた形跡が見られるケースも有るが


直接の死因はやはり全てが心臓を抉り取られた為であり


その他の外傷は殆ど認められていない




事件を察知した『組織』は被害の拡大を阻止せんと


『男』の進行ルート上の地域を担当する『ハンター』達に


『男』の情報を与えその抹殺を指示したが


全員が返り討ちに合い命を落とした




そしてその中の女性『ハンター』達はやはり全員心臓が抉られていた…




「我々が知る限り『男』の『鬼』は主に魂を喰うタイプなんだ

現に…これまでの事件現場に『コネクター』を派遣してみたけど、1人として被害者達の魂は残っていない

全員その『鬼』に喰われてしまったんだよね」


「じゃあ、何故心臓迄食べるんだ?」




再び劍が質問を挟む




「その『男』…彼自身がお腹が空くからじゃないか?」




曠は冗談めかす様な口調で言った




「『鬼』に意識を奪われたにしろ、本人が狂ったにしろ、肉体は生きてる訳だからね

食事もすれば排泄も必要という事さ

わざわざ人の心臓を食べる趣味は分からないけどね」




コイツの物言いはいちいち勘に触る…


劍は思った




光流の言動にも同じ様な苛立ちを覚える事が有るが


コイツに比べれば光流のそれは数倍可愛く思える




「何人殺られたんだ?」




劍は無愛想に訊く




「一般人の被害者が7人

『ハンター』は6チーム、21名…だったかな

そんな物だよ、多分」


「21名だってぇ!?

たった1人の相手にかよ?」




純由が思わず声を上げる




「そうだよ、強敵だねぇ」




曠は他人事の様に呟く




指を組んだ両手に隠れてその口元は見えないが


(何が嬉しいんだよ…)


劍には曠が笑っている様に見えた




「あのぉ…ハァイ」




舞姫が右手を上げながら初めて声を発した




「さっきの『鬼』ってぇ…今の話とは違う、別の『ハンター』さんの『鬼』ですよねぇ?」


「何だって?」


「『ハンター』の…?どういう事だ?」




純由と劍が続け様に舞姫に訊き直す




「『サーチ』した時にね、『鬼』の記憶が見えたのよぉ

さっきの『鬼』…『ハンター』に飼われていた『鬼』だと思うの…」




舞姫の言葉が終わらない内に


「素晴らしい感応力だねぇ」


と曠が言い


「その通り、あれは元々別の『鬼飼い』が飼っていた『鬼』だよ」


と言葉を繋いだ




「元の飼い主はどうした?

さっきの話との関連は?」




劍は訊きながら


光流と鳳羽の2人が先程から何も質問せず


ここまでの話に表情一つ変えていない事が気になっていた




(事情を知らねぇのは俺達だけか…)




その想像は間違いなさそうだった




曠は劍達3人の方だけを向きながら


「元の飼い主は死んだよ

『男』の討伐に向かった『ハンター』の1人なんだ

その後宿主を失った『鬼』は、『男』の支配下に入ってその『使い魔』になった…」




その後の曠の説明を要約すると


『男』自身は女性の心臓を喰らい


『男』の『鬼』は殺した相手の魂を喰らう




そして『鬼飼い』を殺せばその『鬼』を取り込み


『使い魔』として利用出来るらしい




『男』に殺された『鬼飼い』の1人は


8年前に京王市で発生した『鬼』に絡む事件を担当し


当時まだ『鬼』を持たない『一般ハンター』だった彼は


その闘いの中で偶発的に『鬼』と融合し『鬼飼い』となった




その事件の依頼人は


生前の『鬼』を集団で虐めていた同級生達であり


自殺した少年の『鬼』が


主犯格6人の内2人を殺した所で依頼となり


『ハンター』が『鬼』を体内に取り込んだ事で事件は解決した




『鬼飼い』となった『ハンター』はその後の転属で関西へ移り


そして今回の『男』の討伐を命じられた…




「彼が殺られた後、飼っていた『鬼』の行方が分からなくてね

他の霊魂同様喰われたのかと思っていたんだけど…」




その後討伐に向かい全滅した別のチーム員の遺体の中に


直接死因となる外傷の見当たらない者が居た




その遺体の異常点はただ1つ


胸の辺りに赤い発疹が見られた事だった




「それで分かったんだよ

8年前の2人の被害者にも、同じ発疹が有ったんだ」




そして『男』は東進を続け


昨日同じく胸に赤い発疹の有る変死体が密室で発見された




「昨日の被害者ね…多分今日のもだけど…8年前の依頼人の1人なんだよ

君達も見ただろう?

『鬼』が右腕から飛ばした霊気

あれが赤い発疹の原因なんだね」




『組織』は過去の事件データと依頼人情報と照合し


『男』が他人の『鬼』を自分の配下に置き


更にその『鬼』が果たせなかった過去の怨みを晴らす手助けをしているらしいと判断した…




「なる程…今夜の被害者も、ハナからある程度予測出来てたって事か

どうりで…当てずっぽうに走ってた割には、早く発見出来た訳だ」




劍は光流を見ながら皮肉半分に言った




「私も、今朝本部長から聞いたばかりなの

『鬼』の発見を優先すべきと思ったから…あなた達に隠すつもりは無かったわ」




釈明する光流に劍は


「そうかい?」


と返してから再度曠の方を向き


「その…『伝説の男』とやらの目的は?

東を目指す理由は何だ?」


と問い掛けた




曠はゆっくりと首を横に振りながら


「理由は今の所不明だ

その辺は、そこに居る佐木原君の方が詳しいかも知れないよ」


と鳳羽に目線を移した




「…?その『男』と何か因縁でも有るのか?」




劍が今度は鳳羽に問い掛けた




「彼女はね…その『男』の教え子の1人なんだよ」


鳳羽が直ぐに答えない為曠が代わりに口を開く




「『組織』は未だに『男』の正確な進路を特定する迄に至っていない

なのに佐木原君は、10日も前に皆天市への移動を管轄の支部に申し出た

まぁ…東日本の防御力を少しでも高めるに越した事は無いという判断から、住居の確保と、東条君達の学校への編入手続きをヘルプしたんだけどね」




曠の説明を聞き他の全員が鳳羽の言葉を待つ空気が流れたが


「…何となく、こっちかな、と思っただけや

根拠なんか有らへん」


鳳羽は素っ気なく言うだけだった




曠は


「フン…」


と鼻を鳴らしてから


「いずれにしても、さっきの『鬼』を消した事で、相手の次の行動が読めなくなった

本人の意志と違う所でまた、別の『使い魔』が動いてしまうかも知れないし…」


と言う




「…別の『使い魔』…?」




劍が訊き返す




「あぁ、言い忘れていたね

『男』の討伐に出て殺られた『鬼飼い』は全部で3人居るんだ」


「3人…?って事は…」


「そういう事だよ

少なくともあと2つは別の『使い魔』を連れている可能性が有るって事になる

大事な事だったね

いやぁ、うっかり、うっかり…」




曠は笑いながら言った




(だからっ…全然笑える話じゃないっての!)




光流は朝と同じく曠に対して苛つきを覚えた




『男』に殺害された『ハンター』の中に『鬼飼い』が3人居た…




これは迎え撃つ側にとって極めて深刻な問題だった




『鬼飼い』はその霊力の強さに於いて


他の『一般ハンター』とは確実に一線を画す言わば『超A級』の実力者である




それが3人も敗れているという事実は


『男』単体の底知れぬ強さをそのまま示す物と言える




加えて


他に2体の使い魔となる『鬼』を従えているとなると


まともにぶつかってこちらが生き残る確率は皆無に等しい…




「これで大体の事情は彼等にも飲み込めたと思います」




光流が立ち上がった




「先程本部長は、相手の進路は不明だと仰いましたが、京王市に使い魔を飛ばしているとなると、いずれにしても皆天市に接近している事は明白です

今回の敵は、彼等だけでは荷が重すぎると判断します

関東第7支部長として、速やかな他エリアからの応援を要請します」




曠は一瞬だけ光流を凝視してから


「応援ならホラ、連れて来たじゃない」

と鳳羽に目を向けて言う




「佐木原さんが実力者なのは分かります

ですが…」


「1人じゃ不満かい?」


「今回の敵による被害レベルが異常過ぎます

1チーム単位の人数では、それこそこれ迄のチームの二の舞になりかねません」




光流と曠のやり取りを劍達は黙したまま聞いていた




「実績を見る限り、東条君達の任務達成率は極めて優秀じゃないか

それに佐木原君のプロフィールは、中国拳法の達人な上に、『縫鬼糸』の使い手だよ?

その実力は並みの『ハンター』5人分に匹敵すると、僕は見ている」


「ですが…っ」




光流はそれでも食い下がろうとしたが二の句を飲み込んだ




この男には何を言っても無理…




「『男』の目的が不明な内は、未だ関東全域が厳戒体制下なんだ

全てのチームは『本部』直轄指示で動いている

大量に『ハンター』を失った、西日本への補充もままならない今、これ以上の人員は割けないしね

君の『支部』の他のチームも、勝手に持ち場から動かせないよ」




曠は駄目押しの様にそう付け加えた




「さて…今日はここ迄にしよう

君達にも明日からは『男』の捜索に動いてもらわないといけないし

佐木原君は、暫定的に東条君達のチームに編入だ

上手くやってくれたまえ」




曠はそう言うと立ち上がった




「彼等は学生ですから、放課後の稼働になりますが、よろしいですか?」










光流の言葉に曠は


「やり方は任せるよ

向こうも明るい内から動きはしないだろう

但し発見したら、敵の消去が最優先事項だ

それが無理だと判断出来た時点で、最低1人は生き残って報告をくれないと困るけどね」


と口元に笑みを浮かべながら言った




(どうして、そういう言い方するかな…)




光流は曠のデリカシーの無さに再び苛立ちを覚えた







倉庫から出て車を停めた場所へ移動しながら光流は


「明日から毎日放課後は、佐木原さんを含めた全員で、市内西側の巡回をしてもらうわ

敵を見付け出すには、藍沢さんの能力に頼るしか無いから、よろしくね

私もその間は支部に居るから、定時連絡を入れる様にして」


と指示を出し鳳羽はそれを受けて


「くれぐれもよろしゅう」


と劍達に向かって言った




「佐木原君は僕が送って行こう

他のみんなは桐生君に任せて良いかな?」




車の駐車位置に着いた所で曠が言うと


「俺はそっちに乗せてもらえないか?」

と唐突に劍が言った




「その関西人の女に話が有る」


「関西人言うなや!

わての名前は鳳羽や!佐木原 鳳羽!

それに生まれは中国やから、強いて言うなら関西人やのうて中国人や!」




劍の言葉に鳳羽が不機嫌さを露わにする




「構わないよ

東条君、乗りたまえ」




劍と鳳羽は曠の車の後部座席に並んで座り


3人共無言のまま車は走り始めた




「どの辺で降ろせば良いのかな?

東条君の家はどっちの方だい?」




車が広い通りに出た所で曠が訊いた




「オレはどこでもいい

市内ならどうとでも帰れる」


「なら、ウチの家の近くにしてな

まだ土地勘さっぱりやから」




曠はハンドルを切りながら


「君達さ、僕はあまり気にしないけど…目上の人への言葉遣いにはもう少し気を使った方が良くないかい?」


と言った




「礼儀とか習う前に親ぁ亡くしてるんでな」




劍が愛想無く言う




「あらま、あんたも『みなしごハッチ』なん?」




鳳羽の言葉に劍は答えない




「何かリアクションせぇや!」


「…全然面白くねぇからだよ

何だよ『ハッチ』って」


「別にウケ狙うて言うてへんわ!」


「そうか?関西人ってみんな漫才師なんだろ?」


「ウチは中国人やっちゅうねん!」




2人の会話に曠は


「ククッ」


と笑いながら


「君達はとても気が合うみたいだね

安心したよ」


と言う




「合わねーよ」


「合わへんわ」




2人が同時に言い


「ほら、やっぱり気が合う」


と曠は笑った




劍は憮然とした表情で外の景色に目を遣り


「お前の…『あれ』は『鬼』なのか?」

と鳳羽が使った黒い紐の事を訊いた




「何や、話ってその事なん?」


「いや、本題は別だ

そっちは、後で話す」




鳳羽は


「ふぅん…」


と鼻を鳴らしてから


「多分…アンタが言う『鬼』とは、ちぃと違う物やわ

あの子については本部長さんの方が詳しいんちゃうの?」


と言った




曠はその流れを受け


「あれは、ありきたりの『鬼』とは格が違うよ

けど、東条君のナイフもただのナイフじゃないよね?

本物の『ルーン文字』が刻まれている貴重な年代物と見たけど?」


と言った




「何や?『ルーン文字』って」


「俺の話はいい

それより、『鬼』じゃないなら、あれは何なんだ?」




曠はチラリと鳳羽を振り返り


「僕が説明しようか?」


と言った




「佐木原君の『縫鬼糸』はね、千年以上前に作られた…究極の人工生命体と言っても過言じゃない代物なんだよ」


「生命…?」


「メイド・イン・チャイナ…

中国の歴史は凄いね

建築、芸術、食文化、天文、占いに魔法…全てに於いて幅広く奥深い…」




相変わらず余計な前置きをしながら


曠は『縫鬼糸』についての説明を始めた…




正確な史実を示す文献は失われているが


『縫鬼糸』のルーツは中国の宋代に迄遡ると言われる




古代からの『神仙術』や『法術』等を発展させ


様々な研究や実験がその歴史の中で繰り返されていった




『縫鬼糸』はそれらの実験の中で生み出された魔具の1つだと言う




「『蠱毒コドク』というのを聞いた事はあるかい?」


「壺ん中に、色んな毒虫を詰めて共食いさせる…ってやつか」


「そう…最後に生き残った個体は極めて強い毒性を持つ…というあれだね

当時の研究者達は、それを人間でやったのさ」




罪人や捕虜…


その数は数百とも数千人とも伝えられる




それらを密閉空間の中で何日も争わせるのだが


相手を倒した者はその死体から毛髪を切り取り


一定の方法でその髪を編んで身に付けるというルールを課し


更に次の相手を倒した者はやはり髪を切り


身に付けている編んだ髪も奪い


それらを自分の手持ちの髪と繋ぎ合わせて更に編む…




これを繰り返す内に無数の人の髪で編まれた縄が形作られ


最後に生き残った者が手にしたそれは


殺されていった多数の者達の無念や怨念を纏い


その集積された霊力で本能的に人と魂を喰らう


数メートルの黒いロープになっていた…




「非常に大掛かりな霊媒実験だけど、1回で成功したとは考えにくいよね

恐らく何度も検証を重ねながら、繰り返し行われたんだろう

殺らなければ殺られるという極限状態の中で、狂人と化した者達の魂は生きながらにして『鬼』へと精錬される訳だね」




胸くそ悪い話だな…と劍は思う




最も


中国に限らず人類史の中でこれと似たような残忍な行為は


世界中で繰り返されて来た




戦争による『侵略』と『大量虐殺』




各国に伝わる『拷問』然り西洋の『魔女裁判』然り


ユダヤ人迫害や日本軍による南京での大虐殺は


たった何十年か前の事だ




同種間でこれだけ大量に殺し合う生き物は


自然界には存在しない




『ハンター』は


人に害を為す邪悪な『鬼』を消すのが仕事だが


その『鬼』だとて元は人




人を救う事は果たして正しい行為なのだろうか




劍には歴史が


人の中に宿る『魔性』を証明していると思えてならなかった




「そうして生み出された『縫鬼糸』は、人の手に余る霊力が故に、後に高名な僧侶の手に拠って、秘密の場所に封印された…というのが通説だけど、それをどういう経緯で佐木原君が手に入れたのか、実に興味深いね」




曠はルームミラー越しに鳳羽を見て言ったが


鳳羽はそれには答えなかった




車は皆天市内を進み北東部の閑静な住宅地に入っていった




「この辺で良いかな?話をするなら座る所も有るし…」




曠は公園に面した路肩に車を停めながら言った




「せやな、ここなら家にも近いわ」




劍と鳳羽はそれぞれドアを開ける




「じゃあ、明日から頼んだよ」




曠の言葉に劍は


「あぁ」


とだけ答えて車を降りた




走り去る曠の車のテールランプが見えなくなった所で


鳳羽が劍に顔を向けた




「…で?サシで話って何やの?」




劍は上目遣いに鳳羽を睨んでから


「『仕事』で組む以上…確かめておきたい事が有ってな」


と言った




「フン、何なん?」

「先ずは今回の敵についてだ

『組織』すら掴めてない『男』の目的を、お前は知っているんだろ?

だから、皆天市に来た

目的以外にも、あの皇って奴に喋ってない『男』についての情報が有る筈だ

それを知りたい」


「あらま、鋭いやん」


「それと、その『男』とお前の具体的な経緯と関係だ

師弟だと聞いたが、一度でも師と崇めた相手を、お前が迷い無く殺れるのかどうか

そして…」




劍は一呼吸置いて


「師匠だった相手に弟子のお前が技術的に勝てるのか…だ

こちらも命を賭ける以上、足手まといは御免だからな」


と言った




鳳羽は口元に笑みを浮かべて


「最後の質問は、そっくり返すわ

偉そうに言うけど『鬼』飼ぅてへんかったら、アンタ、ただの人やろ?

『師匠』は武術の達人やで

『鬼』出す前にあんたが死んだら、ウチはアンタの『鬼』とも闘わなあかん

一番のお荷物は自分なんちゃうか?」




劍は鳳羽を横目で睨んでから


「じゃあ、お互いぶつかって試してみるってのはどうだ?」


と言う




「オモロい男やねぇ

やり合うん?ここで」


「人気の無ぇ公園だ

好都合だろ」




2人は公園の中程迄進み


距離を取って向き合った




「ルールはどないすんの?」


「任せるぜ」


「先に、急所への寸止め入れた方の勝ちってのはどや?」


「依存は無ぇが…俺が寸止めをしくじったら、お前、怪我するぜ?」


「その台詞も、そっくりお返しや

ホナ、いくで…」




一瞬の静寂の後


先に動いたのは鳳羽だった




目にも止まらぬ速さで一気に劍に接近すると


右足を軸に回転し高速の後ろ回し蹴りを劍の首元に見舞う




劍はそれを難無く躱し


鳳羽のチャイナ服の裾が劍の眼前を掠めて一撃目は終わったかに見えた




ところが鳳羽は空振りした左脚が地面に着くや否や今度はそれを軸足に


失速する事無く右脚による2撃目を繰り出したのである




…!!




劍は咄嗟に体を後方に逸らしてそれを避けるが


こめかみを狙った鳳羽の爪先は劍の鼻先僅か5ミリの距離を通過し


その長い前髪を叩いた




さすがに劍はバックステップで距離を取る




「あちゃー、今の躱すん?

アンタの反射神経、異常やな!」




鳳羽は本気で驚嘆した様子だった




「異常はテメェだ

何て速さだよ…」




言い終わらない内に今度は劍が動いた




先刻の鳳羽に劣らない速さで間合いを詰めると


ジャンプからの前蹴りを仕掛ける




直線的なその攻撃を鳳羽はサイドステップで避けるが


劍は空中で体を捻って鳳羽の鼻先に向けて手刀を振る




…!!




予想外の攻撃に今度は鳳羽が肝を冷やす事になった




鳳羽は半身を翻してそれを紙一重で躱しながら


バランスを崩して片膝を付き


劍も体を回転させながら片手を付いて着地する




「チッ…躱しやがった」


「アンタ、アホちゃう!?

人間はなぁ、あんな姿勢から普通は回転せんのや!

もっと常識的に動けっちゅうねん!」




放ち合った攻撃は共に空振りに終わったが


それは互いに強烈なインパクトを与え合う物となった




「洒落ならん男やわ

もう手加減無しや…」


「強がらなくていいぜ

今のが全力じゃねぇのか?」




牽制し合いながら2人の口元には笑みが浮かんでいた




ブンッ…!!




空気が鳴った




劍と鳳羽が同時に相手に向かって駆け出したのである




劍の蹴りを鳳羽は屈んで躱し


低い姿勢から劍の顎を狙って伸び上がる様に掌打を繰り出す




劍はそれを左手で払いつつ


がら空きになった鳳羽の鳩尾に右の拳を打ち込もうとし


鳳羽は半身を引きながらそれを左手で払う




劍はその円運動から振り返り様に左の逆水平を斜め上から振り下ろし


鳳羽はそれを回避する動きから更に体を捻り


高速の裏拳を劍の顔面に向かって繰り出す…




相手の隙を突きながら正確に急所を狙い


また紙一重で捌き合う攻防がノンストップで繰り返された




両者は次第に相手の動きに慣れ


その攻防はより速度と密度を増していく…




「フンッ!」


「チィッ!」




劍の正拳と鳳羽の手刀が至近距離から同時に繰り出され


それぞれ相手の鳩尾と喉仏の直前で止まる




その時間差は皆無だった




「アイコ…やな」


「そうみたいだな…」




同時に腕を下ろす動作をしたその時…




(…!?)




劍には何が起きたのかすぐに理解出来なかった




鳳羽の顔がスゥッと近付き


次の瞬間には劍の唇と鳳羽の唇が重なったのである




余りに予想外の行動に劍は一瞬動きを止め


鳳羽は両腕を劍の首の後ろに巻く




時間が止まった様な数秒間の後


鳳羽はゆっくりと体を離し


「貰った…ウチの勝ちや」


と上目遣いに笑みを浮かべた




「なっ…お前…!」




劍はあからさまに動揺していた




「急所への一撃

どや、効いたやろ?」


「と…唐突に何すんだよ!」


「あらぁ…チュー位で赤なってんの?

彼女と毎晩もっと色んな事してるんちゃうん?」


「してね…い、いや、それとこれとは別だろ」


「大袈裟やなぁ、チューなんて西洋じゃ挨拶やで?」


「お前は関西人だろ」


「中国人やっちゅうねん!」




鳳羽は流れを変える様にフッ…と息を吐いてから


「今のはアンタを男として認めた印や

師匠以外にウチが勝てへん男がおるなんて、思いもよらんかったわ」




鳳羽はそう言うと劍にウインクをして見せた




「…ま…驚かされたのはこっちも同じだけどな…

こんなに苦戦するとは、思わなかった」



漸く冷静さを取り戻して劍が言う




「そっ、ほな両想いやね」


「だが…師匠である『男』の強さは、弟子のお前以上…って事だろ?」


「何?怖じ気づいたん?」


「覚悟は必要だって事さ」




劍は自分に『ハンター』としての全てを仕込んだ


化け物の様に強かった者達の事を思い出していた




劍は今もってあの中の誰1人にも勝てる気がしない…




「ほな、他の質問に答えよか

その前に…なぁ、お腹空かへん?」




時間は夜の8時を過ぎていた




「あぁ…こんな時間だしな」


「急にあの曠とか言うオッサンに呼び出されたから、晩ご飯買うてへんわ

この辺何か店知らへん?」


「食いもん売ってる店は駅迄行かねぇと無理だろう

ラーメン屋なら少し向こうに有るけど…」


「ラーメン?ええな!それ行こ」


「行こ…って、俺もか?」


「当たり前やろ

うら若き乙女に、酔っ払いしかおらんよーな時間に、1人でラーメン屋行かす気なん?」




素面のオヤジが十人束になったって平気だろう…


劍は思ったが口には出さなかった




「話は食べながらしよ

な、早よ案内して」




鳳羽は言いながら劍の腕に自分の腕を絡める




「馴れ馴れしいんだよ」


「えぇやんか、さ、早よ早よ」




2人は公園を出て腕を組んだまま通りを歩いた




(…ったく、なんて女だよ)




劍にとって鳳羽は体術のレベルも性格も


規格外で常識外れにしか見えなかった




その反面


先刻のゲリラ的なキスの記憶と左腕に触れる鳳羽の女性らしい弾力に


劍は異性を意識して内心の戸惑いを隠しきれなかった




それは17才の青年として


極めて健全な反応だった




「ちょっと、いいか?」




四つ角に差し掛かった所で劍が方向を変えると


公衆電話のボックスに向かって歩き出した




鳳羽は立ち止まったまま距離を置く




ボックスに入り


劍はポケットから小銭を取り出して受話器を上げる




この時間ならまだ2階へは上がっていないかな…


と考えながら番号を押す




呼び出し音が3回鳴った所で電話が繋がり


「はい、白石です」


と愛弓の声がした




「あ…俺…」


「劍君?また出掛けてるのね

どこに居るの?」


「うん…ちょっと、純由と

純由んちで飯食うからさ…今日、ご飯要らないっておばさんに言っといてくんないかな」



「あ、そっか…

純由君とこ、お好み焼き屋さんだもんね

いいなぁ、今度私も連れてってね」


「あぁ…けど、狭くて汚い店だぜ?」


「まぁ、そんな事言ったら悪いわよ」


「ン…そうだな

あ、それと…明日も遅くなるから晩ご飯いいって伝えておいて」


「うん、分かった

気を付けて帰って来てね」


「あぁ、ありがとう」




受話器を置いた劍は胸がキクン…と痛むのを自覚していた




愛弓に嘘をついてしまった事への小さな自己嫌悪…




愛弓は常に劍の言葉を微塵も疑わない




劍はボックスを出て


「悪い、待たせたな」


と鳳羽に言う




「彼女にアリバイ電話かいな

天涯孤独なウチには分からん苦労やわ

『仕事』ん時とか何て言ってるん?」


「大抵、純由と居る事にしてる」


「あぁ、あのナンパ君ね

今度からウチの事ダシに使ったらえぇやん」


「余計ややこしくなんだろ」


「キャハハッ…それもそやな」




鳳羽はさも可笑し気に笑った




(笑えば年相応じゃねぇか…)




キスの直後の大人びた小悪魔的な表情とはまるで別人の様に見えた




(こんなに無邪気に笑うんだな…)




新鮮な驚きと共に劍は


愛弓の事を思い再びキクン…という胸の痛みを感じていた




目的のラーメン店は明かりが灯り


遠目にも営業中である事が分かった




「なかなか、えぇ雰囲気の造りやね」




古びた建物と煤けた暖簾を見て鳳羽が満足気に言うと劍より先に


「ちわー!」


と声を上げながら入り口を勢い良く開けて店内に入った




店内に居た数名の男性客と店主は


長身で美麗な


しかもスリットの深いチャイナ服姿の鳳羽を見て


一様にその動きを止めて固まった




ところが後に続いて


やはり長身で目つきが悪く


黒のライダージャケットに身を包んだ劍が入って来た為


慌てて目線を逸らして再び動き始めた




2人は一番奥のテーブルに着き


店主がいそいそと水が入ったコップを運んで来ると


メニューを見ながら注文する物を決めた




「俺は醤油で」


「ウチは塩ラーメン

なぁ、焼き飯半分こせぇへん?」


「あ、あぁ…構わねぇよ」


「ほな、焼き飯もな」




店主はやはりいそいそとカウンターの奥へ戻る




「…で?何から話せばいいのん?」



「お前と、その『男』の経緯…それとお前が知っている『男』の全てだ」




鳳羽は一瞬思慮深い表情を見せてから


「そやね…どの辺から話そか…」


と遠くを見る様な目をした




「ウチな、親の顔知らんねん

物心付いた時には、同年代の子供らと一緒に、殺しを仕込まれとった」


「殺し?」


「せや、映画なんかに出て来るやろ?『暗殺組織』…

あんなん未だに実在すんねん、笑うやろ?」




鳳羽は言いながら自重気味に笑った




劍自身は中国という国については詳しくないが


マフィアだとかが暗躍しているイメージは有りはする




『コネクター』の舞姫だって現代に残る忍者の一族の後継者だ




国が違えば暗殺組織だって有り得るのかも知れない




「親には捨てられたのか売られたのか…死んでるかも知れへんけどね

とにかくウチは、自分の本当の誕生日も知らんねん」




言いながらテーブルに目線を落とす鳳羽を


劍は腕組みをしながら見つめていた




「来る日も来る日も、人殺しの講習と実技訓練の子供時代やった…

あ、こんな事訊いてへんな

ごめん、端折るわ」



鳳羽は苦笑いしながら更に話を続けた




鳳羽が7才の時その組織が突如公安の摘発を受け


鳳羽はその混乱に乗じて組織を逃げ出す事に成功した




幼い逃亡者は窃盗を繰り返しながら歩き続けたが


やがてそれも限界に達し正に力尽きようとしたその時


1人の僧侶に拾われそのまま寺院に引き取られ


そこで暮らす事になった…




「その寺に、ウチの可愛い相棒…『縫鬼糸』が封印してあったっつう訳や

細かい事は省くけど、そこでウチは相棒に気に入られてその力を手に入れた

それを正しい事に使え…ちゅうて、拾ってくれた坊さんが日本の『ハンター』の事を教えてくれたんよ」


「そいつは『ハンター』を知っていたのか?」


「『師匠』と知り合いやったんやね

丁度『師匠』が中国に来る事が有って、その時に始めて会ったんよ

目の前で相棒を使って見せたら『すぐにでも来い』ってなって、『師匠』が帰る時に一緒に日本へ来たんや

ウチが10才の時やったわ」




そのタイミングで店主がラーメンをテーブルに運んで来た




「来た来た!美味そやなぁ

な、早よ食べよ」




劍は改めて鳳羽の顔を見た




「うん、なかなかいい出汁や」




蓮華でスープを啜りながら鳳羽は満足気な笑みを浮かべる




今の話が本当なら


この女は何て凄絶な少女期を過ごして来たのだろうか…




10才


その頃劍はまだ


両親の加護の下で普通に子供らしく暮らしていた




その後の事態の急変で両親を亡くし


またその時に己自身が犯した罪によって心を閉ざし


人と不必要に関わる事を避ける様になった




背負った過去の重さは比べ様も無いが


この鳳羽という少女は己の不幸をおくびにも出さず


これ程迄に明るさを振りまきながら生きている




それは鳳羽という少女の強さの現れだと思えた




(こいつに比べて俺は俺は…)




劍は思いながら割り箸を割った




「尊敬…してたんよ

ウチにとっては、生まれて始めて心から信じられる人やった…」




鳳羽は丸く盛られた焼き飯を蓮華で半分に割りながら呟いた




「はい、半分こや

残さず食うてや」


「あぁ…」


「うん、これもイケるやん

あのおっちゃん、なかなかやるわ」




焼き飯を頬張りながら鳳羽は満足気に言う




「『師匠』はな…ウチが教え込まれた暗殺拳とは、まるっきり違う拳法を教えてくれたんや

人を傷付けたり、魂を消す行為っつう事の…心構えみたいなモンから仕込まれたわ

心・技・体って、よく言うやろ?

その全てが完璧やって思える人やった…

なぁ、焼き飯に胡椒振ってもええ?」


「あぁ…」「何訊いても『あぁ』しか言わへんな

ホンマにえぇん?」


「いいよ、好きにしろよ」




鳳羽は容器の蓋を開けて


皿の上の焼き飯にパラパラと胡椒をかけながら


「『師匠』のチームの人ら…つまり、ウチにとっては兄弟子に当たる人やね

みんなそれなりに癖は有ったけど、『師匠』の教えを忠実に守るえぇ人達やったんよ

ウチに日本語を教えてくれたんもその人達なんや」


と説明を続けた




「もうちょっと、普通の日本語教えて貰えなかったのか?」


「神戸はこれが普通なんや!

早よ焼き飯食いぃな

冷めてまうで」




鳳羽に促されて劍は焼き飯を口に運ぶ




「うん…?」


「どないしたん?」

「イケるな、胡椒」


「せやろ!始めは普通に食うのがミソやねん

…でな、家族を知らんウチにとっては、『師匠』が親でチームの人らは兄弟みたいなモンやってん…」




鳳羽は蓮華を持つ手を止めた




「『ハンター』っちゅう、特殊な『仕事』しながらやけど…人間らしい生活をいっぱい教えてくれた7年間やった…」




鳳羽はまた物憂い顔付きになり何か思い出す様に表情を変えなかった




「取り敢えず食っちまおうぜ

そっから先は、その後で聞こう」




劍の言葉に鳳羽は


「うん、せやな

ちょっと辛気くさい話になりそうやし、先に平らげよか」


と笑顔で答えたが


劍にはそれが精一杯の作り笑顔に見えた







食べ終えて店を出た2人は先刻の公園に向かって歩き始めたが…




「あ、雨や」




不意に降り出した雨は瞬く間に大粒の本降りになった




「こりゃ、あかんわ

ウチ行こ!」




鳳羽が先導する形で民家の軒下を転々と渡りながら


2階建てのアパートに辿り着く




「さ、ここや」




階段を上がり鳳羽は一番奥の部屋の玄関前に立つと鍵を差してドアを開けた




入り口横のスイッチを押すと部屋の明かりが点く




「狭いトコやけど、ま、入って」




鳳羽に続いて劍は無言のまま部屋に上がった




入った右手にキッチン


左側に浴室とトイレが有り


正面の掏摸硝子の奥が居間兼寝室になっていた




「ちょっと待ってや…」




居間に入ると小さな箪笥の引き出しを開け


鳳羽はタオルを2本取り出してその内の1つを劍に投げた




「塗れ鼠のままやったら風邪ひくで」




言いながら髪を団子に纏めている髪留めと長いリボンを外した




腰の辺り迄有る長い髪がハラリと落ちる




鳳羽は自分の髪をタオルで挟む様にして叩き


劍も頭とジャケットに付いた水気を拭き取った




調度品は壁際にビニールの衣装ケースと箪笥


反対側には畳まれた布団が置いてあり


部屋の中央に卓袱台程度のテーブルが置かれているのみで


床に古びたラジカセが置かれている以外テレビ等は無い



劍にとっては恐らく始めて入る女性の1人部屋だったが


普通以上に質素で殺風景な空間に思えた




鳳羽は座布団を指して


「座ってや」


と言う




2人は卓袱台を挟んで向かい合わせに座った




「えっと…どっからやったっけ?」


「お前が日本に来たとこ迄だよ」


「あぁ…せやったな」




鳳羽は頭の中を整理する様に表情を巡らせてから再び話を始めた




「そんなんで…『組織』の手配でウチは、日本国籍と佐木原の姓を手に入れて、『師匠』の家に住む様になったんや」


「一緒に暮らしてたのか?」


「うん、7年間ずっとな

せやから『師匠』は父親も同然なんや」


「奴が暴れ出した時は一緒に居なかったのか?」




鳳羽は横に首を振って


「変死事件の調査指示されて、ウチ1人だけ岡山との県境迄一週間程出掛けとった

その間の出来事やったんや…」


と呟く様に言った




「たった一週間の内に、尊敬される程の人格者が、突然『鬼』に魂取られて殺人鬼に変わったってのか?」




劍の問いに再び鳳羽は首を横に振り


「予兆は…有ったんよ」


と沈痛な面持ちになる




「予兆…?」


「こっから先は、ウチしか知らん事や

アンタ…口固い?」


「…お喋りに見えるか?」


「見えへん…けど、これは『師匠』を見付ける迄は、アンタの仲間にも言うて欲しないんや」




鳳羽は真剣な表情を崩す事無く言う




「秘密は守る、約束しよう」




剣は真っ直ぐに鳳羽を見て言った




「うん…嘘言うとる目とちゃうね

信じるわ、アンタの事」




鳳羽は一呼吸置いてから言葉を選ぶ様に喋り始めた…







その夜も『男』は魘されていた




襖一枚隔てた隣の部屋で寝ている鳳羽はその苦し気な声に目を覚ます




いつ頃からだろう


『師匠』がこうして魘される様になったのは…




初めの内は病気にでもなったのではないかと心配になり


襖を開けて名を呼んだり体を揺すって起こしたりもしたが


その度に『師匠』は


「何でもない、気にするな」


と言って再び横になった




触れられたくない部分なのかと思い気付かぬ振りを続けてきたが


『師匠』が魘される頻度は月日を追う毎に増え


今では毎夜の様にその呻き声を聞く様になった




家で2人で居る間も思い詰めた様に黙り込む事が増え


食欲も無くなった様に見える




但しそれ以外の『師匠』は普段通りだった




他のチームのメンバーと居る時等は


まるで変化を感じさせない振る舞いをしていた




それは『師匠』自身が自分の変調を


誰にも悟られたくないという意志の表れに思えた




それ故に鳳羽は他のメンバー達にはこの事を話すべきではないと判断し


誰にも相談しなかった




『師匠』自身が自分の変調を


誰にも悟られたくないという意志の表れに思えた




それ故に鳳羽は他のメンバー達にはこの事を相談しなかった




『師匠』は人の殺し方しか知らなかった鳳羽に


武術や『ハンター』としての知識だけでは無く


人とは違う力を持つ者としての在り方や


魂の処刑人という『仕事』をする上での心構え等も


自身の振る舞いと生き様で身を以て教えてくれた




日本語や生活習慣等を教えてくれたチームの先輩達も


『師匠』に心酔しその教えを忠実に実践する者ばかりで


鳳羽は彼等との関わり合いと


『組織』中では生ける伝説と迄呼ばれている事を知り


鳳羽は尊敬の念と憧憬の眼差しで彼に師事していたのだった




ところが


鳳羽にとっては全てに於いて強さの象徴だった筈の『師匠』が


いつからか悪夢に魘される様になり


自ら『仕事』に出る頻度も急速に減り始めた




「儂に頼らず自分達だけでの『仕事』に慣れなければな」




『師匠』は何かと理由を付けてはチーム員だけでの『仕事』を命じ


自分は参加しようとしなかった




ある夜


魘される『師匠』の寝言の中に鳳羽は


『ミナソラ』と言う耳慣れない言葉を聞いた




その日を境に注意して聞いていると


『ミナソラ』という単語はその後も何度か聞かれたが


それは鳳羽が知らない日本語だった




『師匠』が居ない所で鳳羽はチームの仲間達に


『ミナソラ』という言葉について訊いてみたが誰も答えられる者は居ず


それは学友達も同じだった




最後に社会科の教師に訊ねた時に唯一


「ミナソラ…?何や聞いた事有る言葉やなぁ…」


という反応が返って来た




「あぁ、思い出した!

何年か前に古代集落跡が発見されたって騒がれたとこや

他には何の取り柄も無い関東の外れの市やな」




関東…


そういえば


『師匠』だけが他のみんなと言葉遣いが違うのを不思議に思って


仲間の1人に理由を訊ねた時に


「『師匠』

と言われた事を思い出した




鳳羽は地図帳を開いて皆天市の場所を見付け


この場所に『師匠』の苦しみの要因が有るのではないかと


思いを巡らせた…







ある日鳳羽が学校から帰ると部屋の中には明かりが無く


『師匠』が薄暗い部屋に1人で座っていた




鳳羽が挨拶をしても


テーブルの横で胡座をかいて座る『師匠』の背中は返事すらしない




…?




横に回り込んだ鳳羽は一瞬我が目を疑った




『師匠』の脇には半分程空いた酒瓶が置かれ


テーブルの上には飲みかけのグラスが有ったのである




鳳羽が知る限り


『師匠』は酒を呑む人では無かった




飲酒に限らず


いつ緊急の『仕事』が入っても良い様に


常にベストな状態を維持するべきとの考えから


集中力や判断力の妨げになる行為は一切しない人だった




それが


まだ陽の有る内から1人酒を呷る事等


鳳羽には信じられない光景だったのである




『師匠』はフラリと立ち上がると


鳳羽に一瞥もくれずに財布を握り締めて家を出て行き


鳳羽はそれを追う事が出来なかった




鳳羽は暫く茫然とした後


気を取り直してテーブルの上のグラスを片付け始めた




室内をよく見回してみると


居間も『師匠』の自室も


床に物が無造作に散乱していた




生活の身だしなみにもあれ程気を遣っていた人だったのに…




鳳羽は『師匠』の自室に入り


床に散乱している衣類や書物を整理し始めた




最近目を通したと思える数冊の本を手に取った時に


その本の表紙にふと目が止まった




表題に『黒魔術』と有る




他の本を改めて見て見てみると


どれも秘術や魔術に関わる物ばかりだった




『仕事』の性質上その手の本は持っていて当たり前な物だし


鳳羽自身『師匠』に借りて何冊か読んだ事も有る




ただ最近読んだと思われるそれらの物は


どれもジャンルが偏っている様に思えた




更によく見ると


どの本にも数ヶ所ずつ折り目の付いたページが有る




鳳羽は


その折り目が付いたページを開いて見た






『若返りの秘術・黒ミサの儀式:

魔法陣の中心に裸で横になり胸の上に聖杯を置く

そこに執行者が幼児の生き血を注ぐ

若い個体の生き血はこの手の魔術には欠かせないアイテムであり…』


『不老長寿の薬・錬金術:

霊薬エリクサー万能薬パナケアにて長寿を得る方法が知られる

賢者の石自体が赤い粉末状の物でそれそのものが霊薬であり万能薬であるとする説も有る

賢者の石の製法上大量の血液や新鮮な人体が材料として必要であると言われ…』


『不老不死の妙薬・人魚の肉:

古来から人魚の肉を食べれば不死の体になると信じられている

但しこの肉は同時に猛毒でもあり体質に合わなければ死に至る…』


『吸血鬼の実態:

人の生き血を吸い不老不死の力を得る

吸血鬼が太陽光や十字架に弱いというのは後世の脚色である

また血液を吸う行為により、相手の生気や霊魂を取り込むという説も有り、それが不死の理由とも考えられ…』


『不老不死伝説:

世界中に伝わる不死伝説には、人の生き血や生き肝、心臓を使用したり食するスタイルが多く見られる

それも幼児の物や若い異性に限定される部分に於いて共通点が有る…』


『食人考察:

仏教以前の思想の中には、動植物を食べる事は物質的な栄養素を摂取するだけでは無く、その生き物の生体エネルギーも吸収出来るという考え方が有った

また食べる部位により、知識や能力もコピー出来ると信じられてもいた

猿の脳を食べる民族は有名だが、日本にも小魚を生きたまま丸飲みすると泳ぎが上手くなる等の言い伝えが残る地域も有る

また、生きた若い人間の血液を飲む、又は心臓を食べる事で長寿を手に入れるという伝承は世界中に存在し…』




それぞれの本の角を折って記しの付いたページはどれも


『不老不死』や『若返り』に関する内容が記載されていて


所々アンダーラインが引かれた箇所も見られた




『師匠』は何を思ってこの様な書物を読んでいるのか…




7年間


最も身近であり最も信頼していた人が


まるで何を考えているのか分からない




それは鳳羽にとって絶望的な悲しさと孤独感を感じさせた







翌朝になっても『師匠』は帰らなかった為


鳳羽は学校を休んで1人その帰りを待った




昼前になって漸く『師匠』は帰宅し鳳羽が居る事に気付いて


「学校はどうした?」


と訊いたが鳳羽は返事をしなかった




自室に入り部屋の中が整理されている事と


床に転がしてあった本が片隅に重ねて置いてあるのを見て


『師匠』は何かを悟った様だった




「他の連中の前では虚勢が張れても…一緒に暮らすお前には隠し通せぬか…」




『師匠』は独り言の様に呟いて


居間のテーブルの前にドカリと座り込むと鳳羽にも座る様促した




「お前にだけは、自分の弱さを見せとうなかったが…

儂は毎夜同じ夢を見る

その夢には儂が消して来た『鬼』達が出て来るのだ

『鬼』


鳳羽は無言のままその独白を聞き


『師匠』は更に言葉を続けた




「魂その物を消された『鬼』が化けて出るなぞ、馬鹿げておると思うだろう

これはな、儂の中の問題なのだ

儂には今、1つだけ怖い物が有る

それはな、自分の『老い』なんだよ…」




『師匠』は自分の右の掌を広げて見つめた




未だ大きく力強い手だが


そこには確かに五十余年を生きて来た年輪が刻まれていた




「『ハンター』として、『鬼』を宿す者として、己をコントロールする為に肉体と精神を鍛え続けて来たが…やはり年には勝てん

自分ではっきり分かるんだよ

肉体の衰えがな

お前は知っているか?『鬼飼い』の末路を」




鳳羽は首を横に振る




体内に『鬼』を宿す者が寿命を迎えたらどうなるか…


確かに鳳羽は考えた事も無かった




「宿主を失えば…いや、それ以前に宿主がその力を失えば、体内の『鬼』は暴走を始める

『鬼飼い』の制御を離れ、再び人を殺める邪悪な『鬼』に戻るのだ

その最初の犠牲者は…『鬼飼い』本人なのだよ」




それは


鳳羽にとってもショッキングな現実だった




「当然『組織』は『鬼』が暴走する前に消去しようとする

だが、その処置には宿主の魂も同時に消してしまうというリスクも伴う

いずれにせよ『鬼飼い』は…『鬼』を宿し続ける限り、魂の永遠の死を義務付けられるのだよ」




鳳羽は自分に置き換えて考えを巡らせた




鳳羽自身が倒れれば


恐らく『縫鬼糸』はその貪欲さを以て


鳳羽の肉体と魂を喰らい尽くすであろう




「儂とてまだまだ若い者には負けんつもりだ

だが人である以上、必ず終わりは来る

その時は確実に近付いているのだよ

夢の中で『鬼』達は儂に言うんだ

『次はお前だ』とな…」




老いと死への恐怖


それも復活の叶わない魂の永遠の死…




それは


実際に『ハンター』としての『仕事』をしている鳳羽には


何となく理解出来る物だった




ただ『師匠』程身につまされる思いにならないのは


鳳羽の若さ故であろう




「…気が付けば…不死や若返りの方法ばかりを気にする様になってな

だが伝えられる魔法は、人の道を外れた邪法ばかりだ

どれもまともな神経で試せる物ではない…

不老不死なぞ、儚い夢物語だという事がよう分かった」




鳳羽はいつの間にか涙を流していた




初めて知る『師匠』の苦悩と弱さが


一心にその背中を追い続けて来た鳳羽には


とても痛く悲しかった




泣きながら鳳羽は


『ミナソラ』について訊いた




「何故それを…?

そうか…悪夢の中の寝言だな

皆天市…関東の地名だ

そこは『ハンター』になる以前に、儂が生まれ育った場所なのだよ」




『師匠』は遠くを見る様に目を細めた




「戦争という混迷の時代だった…

戦地から命からがら帰ってみたら、家族は全員空襲で死んでいた

絶望感の中、儂に唯一の光を与えてくれた人が居たのだ」




『師匠』は遠い思い出を語り始めた…







焼け野原となった故郷で


彼は帰る家も無く生きる望みすら失っていた




元々霊感の強かった彼には


現世に未練を残して死んでいった者達の魂の悲鳴がどこに居ても感じられ


それも彼の絶望感に拍車をかける様だった




半ば自暴自棄になりながら


知った人間に会えないかと廃墟の街中を歩き回ったが


誰1人として見付けられず諦めかけた頃


廃墟の影から不意に自分の名を呼ぶ声がした




振り返ると1人の若い女性が立っていて


目が合うと再確認する様にもう一度彼の名を呼んだ




相手の名を聞いて漸くそれが


子供の頃近所に住んでいた幼なじみだったと分かった




彼女も戦災で家族を亡くし


路頭に迷いながら生まれ故郷の街に辿り着いたのだと言う




互いに頼る相手の無い2人は焼け跡に廃材を集めて家を造り


食料や必需品を何とか調達しながら生活を始め


やがて自然な流れで愛し合う様になった…




明日の食い扶持もままならず


何も食べられない日すら有ったが


それ故に2人は支え合い求め合い…




相手無しでは居られない程に愛を深め合い


やがて彼女は彼の子を懐妊した




彼には生きる上での大きな目標が出来た




幼い頃から空手や中国拳法等に精通していた為腕には自信が有る




愛する彼女と


その体に宿った新しい命をその腕で守り抜く事が


自分の人生を賭けるべき仕事なのだと思った




彼は必死で仕事を探した




仕事が無い時には遠方迄歩き回り


何とか食料を調達しようとした




誰もがその日を暮らす事に精一杯で


生きる為に盗みや騙しが当たり前の時代に在っても


曲がった事が嫌いな彼は


一切悪事を働く事無く日々動き回ったが


その努力が報われる事は少なかった




彼女の方がやりくりが上手いらしく


近所の人から分けて貰っただとか


米兵からの支給品を安く入手する伝を教えて貰っただとかで


彼が手ぶらで帰っても常に食べる物を欠かす事は無かった




彼はそんな彼女に感謝しながら


早朝から陽が沈む迄毎日休む事無く努力をひたすらに続けた




明日も知れない暮らしだったが生きる目的を得た彼は


絶望感に打ち拉がれていた毎日が嘘の様に生きがいを感じていた




戦争が終わり新たな復興に向かうであろうこの国での


自分と家族の将来を夢見る事が何より幸せだった




そんなある日…




夜更けに彼は食料調達からの帰路を急いでいた




いつもより遠方迄足た為にすっかり遅くなり


逸る気持ちから近道となる工場の跡地を抜ける事にした




そこは戦時中軍事工場として稼動していたらしく


今は米軍の管理下に措かれている為民間人は立ち入り禁止となっていたが


夜間は誰も居ない事を彼は知っていた




鉄条網の切れた壁を越えれば


敷地の中には簡単に入る事が出来た




…!?




建物の1つから物音が聞こえ


同時に今迄感じた事の無い性質の霊感を知覚した




その事が彼の中で


見つかったらまずいという警戒心よりも


物音の正体への興味を優先させた




建物の入り口は開いていて


中に入ると工作機械の様な物が雑多に置かれているのが分かった




高い位置に設けられた窓から月明かりが差し込み


人が居るのが見える




…?




直ぐには何が行われているのか分からなかった




濡れた床に人が横たわり


その脇にもう1人…恐らく男だ…がしゃがんで何かしている




クチャ…


ペチャ…




しゃがんでいる男の息遣いと共に


何かを食べる様な音が間断無く聞こえ


改めて目を凝らした彼は


その光景を頭で理解するのに更に数秒を要した




その男は


半裸で横たわっている人間の体に口を当て


その肉を噛みちぎり食べていたのである




床を濡らしていたのは


その傷口から流れ落ちる血液だと知れた




彼は余りの状況に恐怖し


込み上げる嘔吐を堪えきれずに呻き声を発してしまった




男は振り返り


彼の姿を認めるとゆっくりと立ち上がった




彼にはその男の目が赤く光っている様に見え


次の瞬間には男はこちらに向かって掴みかかって来た




相手の表情は明らかに狂人のそれだった




同時に彼の霊感はその男の体から


禍禍しい迄の邪気が吹き出ているのを知覚していた




殺られる…!




狼狽えている場合ではない




彼の格闘家としての本能が咄嗟の防御行動を取らせた




掴みかかる腕を払いつつ相手の鼻っ柱に渾身の裏拳を見舞う




それはまともに決まり


相手の鼻骨が折れる感触がはっきりと分かった




これならどんな人間でも激痛から動きが止まる為


その隙に距離を取るなりこの場から逃げ出すなりが可能な筈だ




ところが


その相手は衝撃で頭部が後ろへ仰け反ったものの


直ぐに体勢を戻して再度両手を伸ばして来た




表情1つ歪める事無く…である




慌ててその手を払い


顎への掌打から膝の正面に前蹴りを入れる




明らかに皿の割れる感触と膝関節が逆に折れる音が響き


男の体は大きくぐらついて不自然な姿勢で倒れた




それでも男は鼻からボタボタと血を流しながら立ち上がり


折れた足で歩こうとしてバランスを崩し再び倒れ


工作機械の角に頭部を強打する




首が折れた様に不自然に曲がり


よく見れば機械のパイプの1つがその脇腹に貫通していた




それでも呻き声1つ発する事無く


尚動こうとして手足をヒクつかせている




痛みを感じていない…?




それが『鬼』に体を支配された者だとは


当時の彼は知る由の無い事だった




男は体の自由が利かない事で


漸く肉体にダメージを負った事を理解した様子だった




首の曲がったまま目だけが動いて彼を見た




そしてその口元が笑った様に見えたと思うと


男の体から霧の様な物が立ち上がり


同時に男は表情を強ばらせて絶命する様に体を沈めた




彼にはその白い霧の様な物が


禍禍しく邪悪な気配の正体だと分かった




白い霧は一気に彼に近付き口や鼻からその体内に侵入する




勿論初めての経験だが


これが『取り憑かれる』という事だと判断出来た




何とかそれを防ごうと両手をバタつかせるが何の効果も無かった




急激な目眩と悪寒


全身を支配する違和感…




死への恐怖の中


取り憑いた者の記憶が自分の意識と綯い交ぜとなり


彼は愛する彼女を思い心の中で絶叫した




取り憑かれてたまるか!!!!




静寂が訪れ


彼は全身からオーラを発しながら上体を起こした




意識ははっきりしているし


両手を見ながら指を動かしてみると自分の意志通りに動く




ただ体中に


今迄とは違う大きな力が漲っているのが知覚出来た




そうして彼は


『鬼飼い』となった




『男』が家に辿り着くと彼女は


相変わらずの優しい笑顔で迎えてくれた




彼は先刻の奇異な出来事と自分の体の異変については


心配をかけたくなくて一切喋らず


そしてその夜は


自分の中に入り込んだあの邪悪な物が暴れ出して


彼女に危害を加えるのを懸念して一睡も出来なかった




翌朝彼は


努めて平静を装いながらいつも通り食料の調達に出掛けた




これだけ時間が経っても自分の意識ははっきりしているし


体調は寧ろ良くなったと思える程に力が漲っていた




昨日迄に顔見知りになった農家の夫婦から


野菜を幾つか分けて貰う事が出来た為


昼過ぎには切り上げてその日は早めに帰る事にした




途中


バラック建てが数軒並んだ一角に出ると


家の前ではモンペ姿の中年女性達が


洗濯をしながら大きな声で会話をしているのに出くわした




「今夜の炊き出しはどこだい?」


「ありゃ中止になったよ」


「本当かい?困ったねぇ…ちょいと、何か食べる物分けておくれよ」




戦争で働き手を失った人達なのだろう




これからの時代


こういった人達はどうやって暮らして行くのか…


等と考えながらその前を通り過ぎ様とした時…




「あんたも米兵連れ込んじまいな

缶詰めやチョコレートくれるよ」


「三本松の若妻の事かい?冗談じゃないよ

あんな売女みたいな真似出来るかい」




三本松…?


彼の家の有る場所だった




「米兵だけじゃなくて行商人や薬売りまで連れ込んで、物恵んで貰ってるって言うじゃないか

よくやるよ」


「旦那は何も知らないのかねぇ」


「毎日朝から晩まで食いもん探して歩き回ってんだろ

知らないんじゃないかい?

気の毒な話だよ」




何を…話してる?




彼が知る限り三本松には


彼女以外に若い妻は居ない…




まさか


そんな筈は…




心の中で懸命に否定しながらも


彼は次第に足早になっていた




元々廃材を集めて造った家には鍵など付いておらず


入り口をくぐり数歩も進めば


そこは2人の生活空間の全てだった




申し訳程度に立てられた衝立の向こう…


彼女と


明らかにもう1人別人の…男の声がしていた




彼は思考する余裕も無く荒々しく衝立を退ける




寄り添いながら寝そべる彼女と…


金髪に青い目


胸や腕が毛無垢じゃらの男が驚愕の表情で彼を見上げていた




青い目の男は何かを喋りながら慌てて軍服を着る




彼女は謝罪の言葉を連呼しながら


お腹の子供の為に仕方無かったという様な意味合いの言葉を


泣きながら必死に訴えるが


彼には理由なぞどうでも良かった




青い目の男が立ち塞がる彼の脇を抜けようとするのを


彼は捕まえて部屋の奥に突き飛ばす




ガタガタと物にぶつかりながら男は倒れ


彼は抑え様の無い怒りに体を震わせて男を見下ろした




男は早口で何か喚きながら体を起こすと


懐から拳銃を抜いて彼に向け


それを見た彼女は悲鳴を上げる




撃たれる…!




それを彼が明確に知覚した瞬間


彼の体から昨夜の白い霊気が飛び出し


今にも引き金を引かんとする男に向かって


人間の倍の大きさは在ろうかという腕の様な物を伸ばした




その腕は男の両肩を掴むと


男の体をバリバリと引き裂いた




部屋中に大量の生温かい血しぶきが飛び散り


彼と彼女の全身に降り注ぐ




白い霊気はその男の魂を即座に喰らったが


それは彼や彼女の知る所ではない




何が起こったのか理解が出来ず


恐怖に顔をひきつらせる彼女に対して


彼は復讐を果たした達成感と


強大な力に対する優越感や恍惚感に似た感覚を得ていた




そして彼の怒りの矛先は


自分を裏切った彼女に向けられた




彼と彼の『鬼』が


彼女の方を向くのは同時だった




許せない…!




絶対的に信じていた価値観を失った彼の中には


激しい怒りの感情しか存在しなかった




ところが…




血にまみれた彼女が自分の腹部を両手で覆うのを見て


彼は動きを止めた




両目を瞑り恐怖に全身を震わせながら


彼女は必死に腹の中の子供を守ろうとしている姿だった




彼から怒気が消えると共に


『鬼』はその体内に戻り姿を消した




彼には例え様の無い絶望感だけが残り


叫び声を1つ上げて


錯乱したまま家を飛び出した…







『師匠』のモノローグの様な思い出話を鳳羽は黙って聞いていた




「…それから…どこをどうさまよい歩いたのか…

全く知らぬ街で儂は『組織』の人間に声を掛けられ、この神戸の地で『ハンター』となった

二度迄も絶望感を味わった儂が、自暴自棄にならずに済んだのは、この『仕事』に出会えたからだ

それが…この歳になって『仕事』に苦しめられようとはな…」




『師匠』は自嘲気味に笑ってから再度鳳羽を見た




「…その後の儂は、将来に夢を抱く事を止めて、ただ無欲に『ハンター』としての道を極めんとして生きて来た

彼女とも、二度と会う事は無かろうと思っていたよ

ところがな…」




『師匠』は大きく溜め息を吐く




「お前がここに来るほんの少し前の事だ

追っていた『鬼』の1つが奇しくも皆天市に逃げ込んだ

現地で対応出来る『ハンター』が居なかった事も有り、儂は数十年振りに皆天市の土を踏んだのだ…」




その時偶然にも彼女を見掛けたのだと言う




向こうはこちらに気付かなかったが


同時の面影がはっきり残るその顔を見誤る筈は無かった




彼女は赤ん坊を抱いた30代と見える女性と幸せそうな笑顔で談笑し


一緒に1軒の家に帰って行った




表札迄は見なかったが恐らく違う姓に変わっていたであろう




一緒に居た女性は


あの時お腹の中に居た子が成長した姿ではないか




そして赤ん坊は


自分の孫…




「それは…今更思いを巡らせたところで詮無い事

彼女はあの後この時代に幸せを得た

それが分かっただけで充分だ

ただ…自分に孫が居るかも知れんという想像は、気持ちの老いを早めたかとも思うがな

…儂と『ミナソラ』との関係はそういう事だよ

さて…過去の話はこれ位にしよう」




そう言うと『師匠』は『仕事』の話をし始めた




兵庫と岡山の境の山村で発生した


連続変死事件の調査の指示だった




「儂と他のメンバーは別の『仕事』を片付けねばならん

調査にはお前1人で行く事になる

何日かかっても構わんから、必ず白か黒かを掴んで来い

やれるな?」




『師匠』らしい毅然とした言葉に


鳳羽はしっかりと頷いて見せた




その夜の内に旅支度を整え


翌早朝に鳳羽は現地へ赴いたのだった…






劍が鳳羽に訊きたかった事の内


『男』との具体的な関係と経緯


そして鳳羽がこの皆天市を『男』の縁の地と判断した理由は理解出来た




「…調査に何とかケリつけて、何も知らんとウチが神戸に戻ると…

兄さんや姉さんらはみんな死んでたんや

ウチがその事を『支部』のモンから聞いたのは、『組織』が事件が騒ぎにならんようアチコチに圧力かけた後やった」




自分にとって最も信頼していた人間が


同じく家族の様に7年間を過ごした仲間達を惨殺し


その内の一名の心臓をえぐり出して喰らった




たった数週間前に起きたその現実は


鳳羽にとってどんなにショッキングな出来事だったか…




その『男』が経験した絶望感や


劍自身の過去の凶状と同様に


その人生観や価値観を大きく変えてしまいかねないレベルの


深い心の傷を負っているに違い無い




なのに


知り合ってから今迄の鳳羽はあくまで明るく気丈に振る舞っている




自分の事も含めて


男は本質的に女性より弱いのかも知れないと


劍は思うのだった




同時に鳳羽に対して


慰めや同情の言葉をかけるべきではないとも思った




尋常でない悲しみに直面した者には


どんな言葉も救いにはならないどころか


悲しみの淵から立ち上がろうとする気持ちを萎えさせてしまう事を


劍は自分の経験として知っていたからだった




そんな劍だからこそ

鳳羽の心の傷に触れない話題を


敢えて変わらない調子で投げかけた




「お前の『師匠』と皆天市の因果は分かったが…自我を失ったそいつが、何故ここへ向かってるんだ?

復讐なのか?」




鳳羽は首を横に振り


「多分…『師匠』は完全に自分を失うてへん

老いへの不安や若さへの執着が残ってるから人の心臓を食べるんやと思う」


と言った




それは劍にも充分肯ける話だった




「『師匠』が読んどった本にな…」




鳳羽は少し言い澱んでから


「不死の呪法に一番効果的なのは…自分の血を引いた『子供や孫の心臓』って書いてあったんや…!」


と言った




「その家族の住所は聞いてないのか?」




劍は訊いてしまってからそれが愚問だったと気付いた




こんな事態を予測し得ない場面で聞いた思い出話に対して


住所は愚か名前すら訊ねる訳は有るまい




「ウチもここへ来てから、何とか調べようとしたんやけど…

まるで雲掴む様なモンやから…」


「『組織』の情報網なら当たりが付くかも知れないが…

それは、したくないんだな?」




鳳羽は無言で頷いた




「ウチにとっては、7年間世話になった仲間達の仇や

それに…『師匠』の暴走は、ウチの手で止めなあかんと思う

ウチが『師匠』の身内の唯一の生き残りやから…」




彼女が持つ情報を『組織』が知れば


近隣の『ハンター』を全て皆天市の警戒に集中させるだろう




『男』の暴挙と被害の拡大を阻止する事だけを思えば


どうすべきかは明白だ




だが…




「ウチ個人の感情で、アンタらを危険な目に会わすのホンマ悪い思うてる

けど、この『仕事』は、どうしてもウチがやらなあかんのや」


「自分の手で止めを刺したい…って事か」


「うん…図々しいって分かってる

けど、『師匠』を見付ける所迄手伝うて欲しい

その後は手ぇ引いてくれてかまへん

ウチ1人でやる」




鳳羽の気持ちは分かる




だが本当に…?




「…本当にやれんのか?

技術的に、じゃなく気持ち的に、だ」




『男』が完全に正気を失っていないというのが問題だった




その事が鳳羽の迷いを生む可能性が考えられる




「どんなに世話になった人かて、今は何十人も人を殺した『鬼』や

生前にどんな事情が有ったって、『鬼』は消さなあかん

そう教えたのは『師匠』自身なんや」




鳳羽は自分に言い聞かせる様に言った




「俺はともかく、敵が現れたら純由と舞姫は下がらせるぜ?」


「えっ…じゃあ、受けてくれるん?」


「仕方無ぇだろ

ここ迄事情聞いちまったんだ

俺は最後迄お前に付き合う

奴に付いてる別の2体の『鬼』位は引き付けといてやるよ」


「ホンマ…ありがとう

おおきに…」




鳳羽の瞳が初めて潤んだ




「但し…お前に少しでも迷いが見えたら『師匠』は俺が殺るぜ?」




鳳羽はしっかりと頷いて真っ直ぐに劍を見た




その瞳には


確かな覚悟を表す強い光が宿っていた…







翌朝劍が登校して教室に入ると


ざわついていた生徒達が一斉にシンとなり劍の方を注目した




妙なリアクションに違和感を感じつつ劍が自分の席に着くと


純由が慌てた様子で駆け寄り声を顰めて話し掛けて来た




「おい、劍

昨日あれから…何が有ったんだよ?」


「何って…

お前こそ何だよ、血相変えて」


「やべぇよ、見られてんだよ、クラスの奴に」


「…何だと?」




劍が改めて周囲を見渡すと


生徒達が遠巻きに劍の方をチラチラ見るのが分かった




鳳羽はまだ来ていない




(マズい…)




『ハンター』は極めて秘匿性の高い職種である為


『仕事』以外の人間関係は極力他人である事が望ましい




ただでさえ人と関わらない劍が


転校してきたばかりの女子生徒と


校外で会っているというだけで不自然なに思われるだろう




(どのタイミングで見られた…?)




公園で争っている場面だとしたら説明が厄介だ




場合によっては鳳羽と事前に口裏を合わせる必要も出てくる




「…何を見たと言ってんだ?」




劍は勢い神妙な顔付きで純由に訊いた




その表情を見て純由は何かを確信した様に


「やっぱり…そーゆー事かよ

まさか劍に出し抜かれるたぁ思わなかったぜ…」


と半ベソの様な顔をする




「出し抜く…?」


「なぁ、劍…真面目な話、どこまで進んじゃったんだよ?

愛弓ちゃんどーすんの?」


「愛弓…?ちょっと待て、何の話してんだ?」




その時


「おはよー!」


と大きな声で鳳羽が入って来た




生徒達はやはり一斉に鳳羽を見る




「ん?何や、みんなどないしたん?」




雰囲気を察知して鳳羽は問い掛けながら机に鞄を置く




「あ、あの…佐木原さん…ごめんなさい

私…」



鳳羽の席に近い女生徒が申し訳無さそうに声を掛ける




「私昨日…見ちゃったの」


「ん?何を?」


「塾の帰りに…佐木原さんが…その…東条君と居るの…」




劍はその会話に聞き耳を立てながら


鳳羽と口裏を合わせる前にその会話が始まってしまった事に


内心舌打ちをしていた




鳳羽は一瞬驚いた様な表情を見せたが


「あ、そうなん?」

とすぐに冷静に答えた




「その事を話したら…みんな騒いじゃって…」


「何を騒いでんの?」


「だって…一緒に佐木原さんの家…だよね、あのアパート…

そこに入って行くのを見たから…」




そのタイミングでクラス委員の男子生徒が割って入り


「実は僕も、近くのラーメン屋さんで仲良く食事してるのを、窓の外から偶然見たんだ」


と口を挟んだ




鳳羽はすかさず


「あらぁ、そーやったん?

仲良く見えた?」


と言ってケラケラと笑った




見られた場面が食事と部屋に入る所だけなら


少なくとも『仕事』の発覚に絡む問題は無さそうだ




今の鳳羽の明るいリアクションも上手い




後はその理由付けだが


それは流れ的に鳳羽の機転に委ねるしかない




劍が会話の続きに神経を集中させていると


鳳羽が劍が居る事に気付いて


「あら、ケンちゃん来てたん?

おはよー、昨日はおおきに」


と笑顔で手を振った




「ケン…ちゃん…?」




教室中が大きくざわめき


純由のみならず劍本人も思わず目を丸くする




「劍〜?たった一晩でそこまで仲良くなっちゃったんかい…」




純由が信じられないという顔で劍を見るが


劍は固まったまま純由にも鳳羽にもリアクションが返せない




「ほら、ウチ越してきて間無しやからご飯に困ってな

腹ペコで外出たらバッタリ会うたから付き合うて貰った訳や

…で、店出たら雨降り出して家で雨宿りして貰ったんや」




鳳羽は淀み無く早口で状況説明をし


劍はそれを聞いて少し落ち着きを取り戻した




『ケンちゃん』はともかく


話の辻褄は合う…




「そう…そうよね、雨振ったもんね

雨宿りだけよね」




女生徒が周りにも念を押す様に言うと


クラス委員の男子も


「いやぁ…転校早々、不純異性交友の問題発生かって、冷や冷やしたよ」


と苦笑しながらフォローした




「ハハハッ…不純異性交友なんて大袈裟やわ!

昨日はチューしかしてへんし!」




一際大きく生徒達がざわめく




純由が再び劍を見て


「チ、チ、チュー!?

劍~?」


と涙目になって言う




(あの馬鹿っ…)




劍は心の中で頭を抱えたい気持ちだった…







「ちょっとツラ貸せよ」




1限目の授業が終わると劍は鳳羽を教室の外に連れ出した




2人が出て行くのを見て生徒達が嬉々として噂話を始める




階段の近くの給湯スペースに入り


劍は周囲を見回してから


「どういうつもりなんだ?」


と鳳羽に言った




「どういうって?

ウチ、何かマズい事した?」


「見られたのは俺にも責任有るから文句は無ぇが…見られてねぇ事迄言う事無ぇだろ」




「あぁ!チューの事かいな!」


「しっ!声がでけぇよ」




劍は慌てて廊下を振り返り再度周囲を見回す




「気に障ったらゴメンやで

せやけど『仕事』の関係誤魔化そう思ったら、ああしとくんが一番印象的かと思ったんや

そう思わん?」




鳳羽は悪びれる事無く笑顔で言った




「それにしたってだなぁ…」




劍が言い掛けると


鳳羽は劍の肩越しに廊下に向かって笑顔で手を振った




劍が振り返ると同じクラスの女生徒2人が


クスクス笑いながら教室の方へ戻って行くのが見えた




「気にし過ぎやって

今後の事考えたら仲良うしてた方が学校で打ち合わせとかし易いやろ?

こんなんしてると益々ウチら噂の2人やで」




鳳羽は悪戯っぽく劍にウインクして見せた




その表情には


昨夜の会話の悲壮感は微塵も感じられない




「彼女ちゃんにはバレへんやろし、大丈夫やろ?」




鳳羽は劍の肩をポンと叩くと教室に戻って行った




(…ったく…)




女性が男より強いのでは無く


鳳羽が特別に図太いだけなのかも知れないと


劍は思うのだった







その日の授業が終わる迄は


『男』に絡む新たな事件は発生していないと思えた




何か緊急の事態が起きれば


光流の所のスタッフが純由が所持する受信機に信号を送る筈だが


それらの連絡は一切無かったからだ




劍は純由に


その日の集合場所を伝えると共に舞姫と連絡を取るよう指示し


土地勘の無い鳳羽には


取り敢えずの待ち合わせ場所と時間を伝え


各々一旦帰宅し準備を整えてから集合する事にした




劍が白井家に帰ると


いつもの様に愛弓はまだ部活から帰っていなかった




通常の『仕事』前には


愛弓に嘘を言うのが嫌で極力顔を合わせたくないのだが


この日の気分は少し違っていた




会っておきたかった…




昨夜も帰宅が遅かった為二言三言会話を交わしただけだったし


今朝は愛弓が部活の朝練に行った為に一緒に登校していない




その事が


いつに無い後悔に似た寂しさを劍に感じさせた




それは


今日遭遇してしまうかも知れない敵の強さに対する


不安から来る物なのかも知れなかった




20名を超える『ハンター』がたった1人の敵に命を奪われ


その魂をも消滅させられている




同じ様に殺られてしまえば


二度と愛弓と触れ合う事も


あの優しい笑顔を見る事も出来なくなる…




その想像は


劍の生への執着と死への恐怖を生む




(…らしく無ぇ…)




若い女性を狙う今回の敵を仕損じれば


愛弓をも危険に晒す事になるのである




そう思えば差し違えてでも敵を消さねばならない




劍は自分をリセットする様な気持ちでホルスターからナイフを抜くと


刀身に刻まれた赤黒い古代文字を見つめ


クルリと逆手に持ち替えて再びホルスターに収めた…







劍は先ず鳳羽と合流し


そのまま線路を越えて南側へ出た




劍が純由に指示した集合地点は


矢吹町駅から見て南西に位置する住宅街の一角であり


その場所に着くと純由と舞姫は既に待っていた




「悪い、待たせた

早速だが、舞姫、ここに来る迄に怪しい気配は感じなかったか?」




劍は相変わらずピンクを基調とした出で立ちの舞姫に


真剣な表情で話し掛けた




「なぁんにも感じなかったわよぉ」




舞姫は劍に答えながらその顔をジッと見詰める




「…?どうした?」




視線に気付いて劍が舞姫に訊き返すと舞姫はマジマジと劍を見ながら


「劍君ってさぁ…もっと硬派な人だと思ってたぁ」


と言った




「何だよ、それ?」



2人の会話を聞きいて


純由は背中を向けてソロリと距離を取ろうとする




「確かに佐木原さん美人だけどさぁ…

何だか劍君も普通の男の子なんだなぁ…って思って」




劍はハッとして


「純由ぃ!てめぇっ」


と顔を向けると


純由はビクッと反応して恐る恐る劍に顔を向けながら


「いっいやぁ…だってよぉ

舞姫が昨日俺らと別れた後の事訊くからさぁ…そのぉ…

ごめんちゃい!」


と両手を合わす




「私はぁ、別に悪い意味で言ってないのよ

逆に安心しちゃった位なんだから

だって劍君ってば、他に興味ナッシングで、愛弓オンリーだったじゃない?今迄は」


「今もだよ!」


「えー!?じゃあ、気持ちも無いのに佐木原さんの唇奪った訳ぇ?

その方がショックかもぉ!」


「いや、そうじゃなくて…」




そのやり取りを見て鳳羽はクスクスと笑いつつ舞姫の方を向いて


「嬢ちゃん、大丈夫やで

ウチにとってはチューなんか挨拶みたいなモンやから」


とフォローを入れたつもりだったが


ネジの外れた舞姫は全く別の解釈をした




「佐木原さんってば偉いのねぇ

無理矢理キスされた相手を庇うなんて…

私もそーゆーとこ見習わなくちゃだわ」


「ちょっと待て、何で無理矢理って決めてんだよ」


「え?だってぇ…普通そうでしょ?」


「お前の『普通』の基準が分かんねぇ」




鳳羽はやはり笑いながら


「嬢ちゃんオモロくて気に入ったわ

堅苦しい呼び方止めて、ウチの事、鳳羽って呼んでや」


と言い


「本当?じゃあ私の事も舞姫って呼んで」


と舞姫も笑顔で応じて2人は手を握り合った




「か弱い女の子同士、仲良うしてや」


「うん、私こそ!

劍君は決して悪い人じゃないから誤解しないでね」


「それは平気や

ウチらもう『ケンちゃん、フォウちゃん』の仲やから!」


「すごぉい!じゃあみんな仲良しだね!」




劍は反論する気力すら失っていた







「さぁ、『仕事』に掛かるぞ

取り敢えず舞姫はアンテナを張りながら、ここら一帯を探索する

純由は念の為今から霊気を集めとけ」




劍は公衆電話から光流に開始場所の連絡を入れた後


2人に指示を出すと


「はぁい!」


「おうよ!」


と両名は快活に応える




舞姫が先頭を歩き


その後ろに3人が追従する形で探索を開始した




「けど…何でこの場所なん?」




鳳羽が街並みを見渡しながら劍に訊く




土地勘の無い鳳羽にも


探索の開始場所としては中途半端な地域に思えたからだった




「一応な、調べてみたんだ」


「調べた?何を?」




昨日の夜に経緯を説明して


今日は朝から学校に居たのを知っている鳳羽にとって


何をどう調べて地域を選んだのかが不思議だった




「昨日のお前の話の中に、手掛かりが無ぇかって思ってな」




劍はこの日休み時間を利用して


『男』と彼女が住んでいた地域を特定する為に


学校の図書室で古い資料を調べていた




キーワードは『焼け野原』と『軍事工場』




市内の高校である為皆天市の歴史に関する文献は沢山見付かった




その中から大戦以降10年以内の記事や航空写真等を選び


空襲被害が大きく軍事関連の製造施設が所在した場所を探した結果


該当する地域がある程度選定出来たのである




「…とは言っても、その工場と当時の家との距離や位置関係は分からんし、今もその近くに住んでるとは限んねぇがな」


「凄いな!そんなんしてくれてたんや」


「取っ掛かりが欲しかっただけだ

広い市内を闇雲に探すよりはマシだろ」




閑静な住宅街を4人はひたすらに歩いた




この近くに『男』の彼女やその娘達が暮らしているかも知れない




自分達に命の危険が迫っている事等想像する事も無く…




擦れ違う人の中に


その当人が居るのではないかと劍は思うが


当然それを確かめる術は無かった




2時間も歩かない内に陽は落ちて


辺りは宵闇に包まれ始めた




「…工場が建ってたのは、この辺だ」




劍が鳳羽に耳打ちする




工場は戦後間も無く取り壊され


一帯は今は小さな町工場が建ち並ぶ準商業地域になっていた




「ここで…『師匠』は『鬼飼い』になったんやな…」




鳳羽がポツリと呟やいた




依然舞姫は『男』の霊気をキャッチ出来ていない




彼女の感応半径は恐らく200〜300メートルだが


『男』が話通りの強さならその霊力の強大さ故に


通常の『鬼』以上にキャッチし易いと思えたが…




(まだ、市内に入っていないのか…?

それとも…)




『男』の目指す場所がこの地域ではないのか…?




『男』が最後に人の心臓を喰ってから3日は経過している




今夜辺り次の被害者が出てもおかしくない




いずれにせよ


そろそろ舞姫を休ませなければならない時間になっていた




『コネクター』が感応力を広げたまま長時間『サーチ』を続けるのは


非常に大きな精神的負担を伴う為である




工場の跡地を抜けて暫く進むと景色は急に閑散とし始め


次期宅地開発の為と思われる空き地が目立つ様になった




その中央に真っ直ぐ西へ延びる道が暗く続く




京王市と皆天市南部を繋ぐ古い街道である




街灯も疎らで人通りも車の往来も無く…いや


前方にこちらへ向かって歩く人影が1つだけ見えた




「駄目ねぇ…強い気どころか、霊の気配すら感じないわぁ」




舞姫が精神集中を続けながらため息を吐き


劍が舞姫の休憩と街中への引き返しを指示しようとしたその時…




「あれ!?何だこりゃ?」




急に純由が素っ頓狂な声を発した




「何だ?」


「あぁ…すまねぇ

それが…集めてた浮遊霊がどっか行っちまったんだ」


「何だと…?」


「いや、ちょっと待ってくれ

こりゃぁ…?」




純由が周囲を見回しながら召還の印を結びかけて


その動きを止めて急に真顔になる




「妙だぜ…」


「どうした?」


「この辺り一帯…霊が1つも居ねぇ」




自らの霊感で浮遊霊を召集する純由にとっては


霊の存在がまるで感じられない場所など有り得なかった




「ホントだ、何にも居ない…

変だよ、劍君」




舞姫も異変に気付く




(どういうこった…?)




劍は周囲を見回すが


動く物は前方から近付く人影のみで


道と暗い空き地が広がるのみだった




暗い為に性別すら判らなかった人影が


2つ向こうの街灯の下に達した時…




「『師匠』…!」




突然鳳羽が叫んだ




「なっ…?…んだと?」




余りに唐突過ぎる言葉に劍の理解が追い付かず


逡巡の後改めて前方の人影の方を見ると


既に人影はその風貌が判別出来る程に近付いていた




身長は180センチは有ろう




銀色に見える白髪が肩迄伸び


同じ色の髭を口と顎に蓄えているのが判る




中国拳法の胴着に似たシルエットの着衣は

幾多の血を浴びたと分かる程に赤黒く染められていた




『男』が劍達の存在に初めて気付いた様に立ち止まる




「…!!

舞姫!アンテナ塞げ!!」




劍が早口で叫び


舞姫がハッとして劍の顔を見上げたその瞬間…




ドンッ…!!




特殊な感応力を持たない劍にも


はっきりと知覚出来る程の強大な霊的圧力が


まるで突風が吹く如く4人に襲いかかった




完璧な迄に抑えられていた『男』の霊気が


一気に解放された瞬間だった




劍の中の『鬼』と鳳羽が所持する『縫鬼糸』が


その霊力に過剰反応を起こし防御行動の為に姿を現す




劍は自分の『鬼』を制御しつつ舞姫を気にした




感応力を拡大させた状態でこれ程迄に強力な霊圧を受ければ


確実に神経が破壊されてしまう




幸い舞姫は劍の言葉に素早く対応した為に


圧力を受ける前に感応力を絞るのが間に合った様だった




こんなに強大な霊気を


『男』は感知されないレベルまで抑制する能力を有していた…




これでは日本中の『コネクター』を集めたって


『男』を見付けられる訳が有るまい




そして4人は今


こちらから見付ける前に『男』と遭遇してしまった…




「純由!舞姫を連れて逃げろ!」




劍は叫びながら自分の声が震えているのが分かった




そして


未曽有の力に気圧されてしまっている純由と舞姫には


劍の言葉が聞こえていなかった




いや


聞こえていた所で既に手遅れかも知れなかった




(こいつぁ…マジでヤバい…)




既に4人全員が『男』の射程圏内に入ってしまっている事を


劍は本能的に感じ取っていた




いつ仕掛けて来るのか


誰が一番最初に狙われるのか…




昨日この『男』の話を聞いた時から


劍は見た事の無い敵の強さをイメージし


頭の中で何度となくシュミレーションをしていた




これ迄にこの『男』に殺された人数を考えれば


恐らく大半の『ハンター』が自分の死の瞬間を知る間も無く


ともすれば痛みすら感じる間も無く殺られているのではないか…と




そしてその想像は


今こうして敵と対峙してみて確信に変わっていた




動くのを待っていれば殺られる




しかし先に動いても殺られる…




「『師匠』…ウチや

鳳羽や…何で…」




鳳羽がフラリと『男』に向かって歩み寄る様に前へ出た




その瞬間『男』の姿が消えた



いや


目にも止まらぬ速さで数メートルの距離を一気に詰め


鳳羽に急接近したのである




その勢いのまま『男』が鳳羽の胸元に手刀を入れようとするのを


劍の動態視力は捉えていた




(チッ…!)



反射的に飛び出した劍は『男』の側面に蹴りを繰り出し


察知した『男』は地面を蹴って後方宙返りをしながら鳳羽から離れた




「正気か!!この馬鹿!」




劍は鳳羽に向かって叫ぶが


鳳羽にとっては


『師匠』が自分に攻撃を仕掛けた事へのショックの方が大きかった




「分からへんの…?ウチが分からへんのん『師匠』…?」


「今のでハッキリしたろう!

奴は完全に正気を失っている

殺らなきゃ殺られるぞ!」




劍は『男』の動きに警戒しながら


「お前らは早く逃げろ!」


と純由と舞姫の2人に再び叫んだ




「お…おう…けど…」




自分達が居たら足手まといにしかならない事は


純由にも舞姫にも分かっていた




悲しいかなこの場を離れて


光流に連絡をするのが唯一自分達に出来る事なのだ




「すっ…すまねぇ…

舞姫!」


「う、うん…劍君、ゴメン

お願い、死なないで」




2人が踵を返して走り出すのを


『男』の赤く光る目が追う




それを劍は見逃さず『男』と2人の間に入り進路を塞ぐ




死なないで…




舞姫の悲痛な言葉が劍の胸に残る




(ちょっと…自信無ぇ…)




劍はホルスターからナイフを抜いた




「佐木原!同時に仕掛ける

いけるか!?」




劍は『男』を睨んだまま鳳羽に言った




止めを刺すのを譲る等と考える余裕は無い




まぐれ当たりであろうが何であろうが


1秒でも早くどちらかが決定打を打ち込まなければ


こちらが殺られる確率が上がるだけだった




「う、うん…ゴメン

殺るしか無いんやな…」




鳳羽は攻撃の構えをに入り


胸元から飛び出したままの『縫鬼糸』が呼応してオーラを発する




劍の『鬼』もその霊力を劍の右手に収束させ


ナイフが紫色のオーラに包まれる




シュッ…!




劍と鳳羽はアイ・コンタクトで同時に駆け出した




劍が『男』の右側からナイフで切り付け


それをかわそうと左に動くのに合わせて鳳羽が蹴りを繰り出す




『男』はその連携攻撃を体を斜めに高速回転させて回避しつつ


振り返り様に劍の首に逆水平を見舞う




劍にはその動きが見えず


右からのプレッシャーを感じて本能的に後方に跳ぶ




鼻先を何かが行き過ぎた事すら劍には分からなかった




着地した後鼻の頭に微かな痛みを感じ


指で触って血が出ている事に初めて気付いて


超高速攻撃に因る裂傷を負ったのだと分かった




鳳羽は『男』を挟んだ反対側に跳んでやはり距離を取る




(クッ…!見えねぇとはな…)




今の手刀をまともに喰らっていたら簡単に首は飛んでいただろう




早さは向こうが数倍上手


後は…




鳳羽の胸元から伸びている黒い紐




物理干渉が可能なら


あれがどの程度使えるかに期待するしか無い




劍は微動だにしない『男』越しに


未だ『縫鬼糸』を握ろうとしない鳳羽を見た







「そーなんだよ!バッタリ遭遇しちまったんだよ!」




やっと見付けた公衆電話の受話器に向かって純由は叫んでいた




「バッタリって…事前に察知出来なかったの?」




電話の向こうで光流が戸惑いながら言う




「霊気を消してやがったんだ

目の前に来る迄分からなかった」


「東条君は?相澤さんは無事なの?」


「俺と一緒に劍が逃がしてくれたから舞姫は無事だ

劍と佐木原は奴と闘ってるよ」


「そう…場所は?」




純由は早口で現在地と目印の建物を伝える




「さっきの定時連絡の場所の近くね…

分かったわ

とにかくあなた達は動かないで

無茶して命落とす様な真似しない事

いいわね?」




それだけ言うと光流は一方的に電話を切った




「光流さん…何だって?」




純由が受話器を置くのを見て舞姫が訊いた




「ここに居ろ…命粗末にすんな…ってよ」




純由は吐き捨てる様に言った




「そう…そりゃ、そう言うしか無いわよねぇ…」




舞姫が俯き加減に言うのを見てから


純由は自分達が今し方走って逃げて来た方向を振り返った




「舞姫、お前は帰れ」


「え?純由君は?

…もしかして、引き返そうとか考えてる?」




純由はフッ…とため息を吐いてから


「しゃあ無ぇな…

足手まといにしかならねぇって分かってっけどよ

ダチ見捨てるみてぇなのは…ちょっとな」


と言った




「本当に死んじゃうよ?

あの人の周りって浮遊霊逃げちゃうでしょ?」


「生身の相手なら針投げて牽制位出来んだろ

それでも駄目なら石でも投げるさ」




純由のセリフを聞いて舞姫はニコリと笑いながら


「良かった!じゃ、早く行こ」


と言って歩き出そうとする




「行こって…お前は帰れっつったろ?」


「私だって見捨てるみたいの嫌よぉ

それに霊力無しなら、純由君より私の方が絶対強いもん!」


「そっ…そうかも知れねぇけど…

そーゆー問題じゃ無くてだなぁ…」




純由の言葉を無視して舞姫は元来た道をスタスタ歩き始め


純由は慌てて後を追う




その時…




「無謀だな」




背後から急に声がして2人は思わず振り返った




「こんばんは、お邪魔しまぁす」




別のもう1人が手を振りながら言う




「てっ…てめぇらは…!?」




純由は信じられないという顔をした




「『鬼飼い』相手に素人が立ち向かおうなど、気が知れん」




そこには霜月と翳が立っていた




「な…何でお前らがここに居やがる?」


「そちらの『支部』の方から『仕事』回して貰ったんですよ

喜んでお手伝いしちゃいまぁす」




純由の問いに翳が笑顔で答える




「『支部』…?光流か…」




戸惑う純由に霜月は


「案内しろ

気の進まん『仕事』だが、手助け位はしてやる」


と不機嫌そうに言った







劍と鳳羽による二度目の連携攻撃も『男』は難無く躱し


2人を同時に狙って今度は高速の蹴りを繰り出して来た




これを辛くも回避した劍は


「体術だけじゃ無理だ!

そいつは使えねぇのか?」


と『縫鬼糸』を顎で指して言った




鳳羽は逡巡を見せるが


「『師匠』には使いとうなかったんやけど…言うてられへんな…」


と自分に言い聞かせる様に呟く




出来る事なら『師匠』への止めは


自分自身の手で刺したいという思いが鳳羽には有った




しかし人を殺める事への迷いも罪悪感も無い『師匠』の攻撃は


鳳羽が知るより何倍も強く凶暴であり


素手の一撃は思う様に決められそうに無いと思えた




それに自分の感傷に付き合わせて


これ以上劍を危険な目に合わせ続ける訳にもいかない




「しゃあ無い…!」




意を決した鳳羽の右手が『縫鬼糸』を握ると


その黒い紐は歓喜して悶えるかの様にその身を捩らせ


数歩離れた位置に立つ劍に迄


その禍禍しさが感じ取れる程の強い霊気を発散した




(…ったく…もっと早く使いやがれ…)




劍は心の中で舌打ちしながらも


これなら決定打になり得るかも知れないと期待を持った




少なくともリーチの長さを考えれば


『男』の間合いの外から攻撃が可能だ




「行くで!」




鳳羽は『縫鬼糸』を掴んだ腕を大きくスイングさせると


バック・ステップしながら投げの姿勢に入った




その時『男』の体からオーラの塊が飛び出し


カーブを描きながら鳳羽に向かって高速で飛んだ




『男』への攻撃姿勢に入っている鳳羽は防御行動に入れない




「チィッ…!!」




劍はジャンプして鳳羽の前に出ながら


オーラの塊にナイフを斬り付ける




塊から腕の様な物が飛び出してナイフに触れ


ナイフが纏う劍の『鬼』の霊気と干渉し弾き合う




オーラの塊は鳳羽から離れて停滞し


ぼんやりとした人型を形成した




「使い魔か…!」




『男』はもう一体の使い魔も自身の右側に実体化させていた




2対3…




これで射程外から『男』だけを攻撃する事が出来なくなった




形勢は圧倒的に不利…




劍の脳裏に不意に愛弓の笑顔がよぎった




『縫鬼糸』による『男』への決定打を決める為には


やはり2体の使い魔を劍が引き付けておく必要が有る




しかし『男』の強さと反応速度が予測を遙かに越えている為


それも上手く行くという保証は無い




劍か鳳羽


どちらか一方が殺られれば次の瞬間には2人目も命も無いだろう




劍が使い魔の動きを1秒でも長く封じ


その隙に鳳羽は『男』を『縫鬼糸』で捕らえる




但しそれを成功させるには寸分の狂いも無い連携が必要になる…




これらの事を劍と鳳羽はコンマ何秒かで思考し


互いに相手も同じ事を考えてくれていると期待するしか無かった




言葉による意志疎通の余裕は無い




劍は先刻ナイフで弾いた『鬼』に向かって斬り込み


鳳羽は再度『縫鬼糸』を回して『男』を狙う動きを取ると


もう1体の使い魔が鳳羽の動きを阻止しせんと飛び出す




一撃目を躱された劍は逆方向に跳ねて


新たに飛んで来た使い魔を迎撃せんと斬りつける




鳳羽は劍がそう動くと信じて


防御行動を取らずに『男』への攻撃動作を継続する




鳳羽が投げた黒い紐は


2体目の使い魔に斬りかかる劍の体と交差する様に


真っ直ぐに『男』へ向かって飛ぶ




劍と鳳羽の無言の連携だった




どちらかが思惑と違う動きをしていれば


或いは動くタイミングが少しでもずれていれば


絶対に成立し得ない攻撃だった




『男』にとっては劍の体が死角となり


『縫鬼糸』の軌道が見えずに僅かに反応が遅れた




右へ移動して躱そうとする『男』の動きに対し


『縫鬼糸』は自らの意志で追尾するかの様に動いてその左腕に絡み付く




(捕まえた!)




劍と鳳羽は同時に心の中で喝采を上げた




劍は2体の使い魔が鳳羽に近付かぬ様に間断無く攻撃を仕掛け続ける




「喰らうで!」




鳳羽は『縫鬼糸』を掴んでいる右腕を引きにかかる




その時…




「ふ…鳳羽…!」




確かに『男』が声を発して鳳羽の名を読び


それは鳳羽には勿論


使い魔とやり合う劍にもしっかりと聞こえた




「えっ…?『師匠』…?」




鳳羽の表情から覇気が消え


『縫鬼糸』を引きかけていた腕が止まると同時に


握っていたグリップを緩めてしまった




『縫鬼糸』も呼応するかの様に霊気を弱め


『男』それを振り解くと後方へジャンプした




「…っか野郎!!」




劍は鳳羽に叫ぶ




師に名前を呼ばれた事で一気に情が戻ったか…




いずれにせよ


敵を倒す千載一遇のチャンスを


2人は完全に失してしまった




「『師匠』…!ウチや!鳳羽や!」




力を失った様に地面に落ちた『縫鬼糸』を


手繰り寄せるのも忘れて鳳羽は『男』に向かって叫んでいた




名前を呼ばれた事で


『師匠』の正気が戻るかも知れないという期待が


完全に鳳羽の戦意を喪失させてしまっていた




劍はその間も2体の使い魔を牽制しながら


動きを止めてしまった鳳羽から遠去ける様に攻撃を繰り出し続け


その思惑通りに使い魔達は劍に集中したものの


マックスの速度で長時間動き続けた事で


劍の息は次第に上がり始めていた




「佐木原!迷うな!」




使い魔2体からの攻撃をギリギリで躱しながら


劍はそれだけ叫ぶのがやっとだった




『男』は『縫鬼糸』が巻き付いていた左腕に


爛れた様な螺旋状の痕が付いているのを気にする仕草を見せ


手首を数回動かしてから鳳羽に目線を移した




「『師匠』…!」


目が合うのが分かり鳳羽が更に声を上げた瞬間…




『男』は残像が残る程の高速で鳳羽に向かって突進した




気が付くと『男』はすぐ目の前で赤く光る目をギラつかせながら


鳳羽の胸部を狙って掌底を放とうとしていた




意識よりも先に


武闘家としての反射神経が鳳羽に防御行動を取らせる




そして『縫鬼糸』も主の危機を察知して更に早く動いていた




鳳羽は咄嗟に両腕をクロスして体をガードし


霊力を迸らせた『縫鬼糸』がその腕を守る様にその前に出る




強烈な閃光と衝撃が空気を震わせる




『男』の霊力の乗った掌底が『縫鬼糸』の霊力とぶつかり合い


鳳羽の肉体にも物理的ダメージを与える




衝撃波で鳳羽はその衣服の一部を散らせながら


5メートル以上後方へ吹き飛ばされ


アスファルト上を数回バウンドした




「佐木原ぁ!!」




使い魔との攻防で全てを見ていなかった劍には


鳳羽が絶命した様にしか見えなかった




2体の使い魔のレベルは


明らかに通常の『鬼』とは違っていた




一定期間『ハンター』と同化して


その支配下で『仕事』を共にした経験値は


『鬼』自体の練度を上げるのであろうか




2体が劍に対して行う攻撃は


掴みかかるか体当たりかといった単純なな物だったが


その速さと狙いの正確さは


自分が霊体となった事に気付いてすらいない通常の『鬼』等とは


完全に一線を画していると思えた




劍が一度もナイフを当てる事が出来ていないのも


そのレベルの高さを証明している




攻防を続けながら劍は


倒れたまま動かない鳳羽を目の端に捉える




『男』はゆっくりと鳳羽に歩を進めている様だったが


そちらをフォローする事も


鳳羽の安否を確認する事も劍には出来ない




(…駄目か…!)




僅かでも失速すれば確実に殺られる




しかし自分の肉体の限界は劍自身が一番自覚していた




既に両足の筋肉と関節は悲鳴を上げ始めている




使い魔の体当たりを躱そうと劍はジャンプしたが


着地で足がもつれて背中から倒れ込んでしまった




すかさずもう一体が劍を目掛けて迫る…




(殺られる…!)




劍が死を覚悟しようとしたその時


突如目の前に人影が躍り出て


使い魔に向かって刀を一旋した




使い魔は素早く反応してそれを回避しようとしたが


刀は腕に当たる箇所を掠めその一部を霧散させた




「何…?」




状況が飲み込めない劍の右横に


別の人影が躍り出てもう1体の使い魔を牽制しながら


「間に合いましたね

怪我は有りませんか?」


とやはり刀を構えながら振り返った




「お前は…」




それは『はぐれハンター』の『愛想の良いチビ』だった




「悪いがこいつらは俺達の獲物にさせて貰う」




背中を向けたままもう1人が言う




そのボーイソプラノは間違い無く『生意気なチビ』の声だった




2体の使い魔は


突如現れた霜月と翳に戸惑う様に空中で動きを止めた




「何しに…来やがった…」




劍は体を起こしながら言い


「『仕事』だ、報酬も受け取っている」


と霜月は背中を向けたまま答える




「『仕事』…だと?」


「そんな事より、あそこに転がっているのはお前の仲間じゃないのか?」




霜月は鳳羽と『男』に目線を向けて言った




「あっちの方がヤバそうですよ

行ってあげて下さい!」




翳も劍を促す




『男』は鳳羽の前方2メートル程に近付いていた




劍は無言のまま翳の横をすり抜けて『男』に向かって駆け出した







鳳羽がかろうじて目を開けると


アスファルトの地面と


不安定で弱々しい霊気を発している『縫鬼糸』と


その向こうにこちらへ近付く『師匠』の脚が見えた




車と衝突した程度の衝撃は有っただろう




全身の神経がパニックを起こしているのか


指一本動かす事も出来ず


腕や脚がちゃんと繋がっているかどうかすら判断が出来ない




(…『師匠』…)




あの赤い目と容赦の欠片も無い攻撃は


鳳羽の知る『師匠』とは明らかに違う




けど…


『師匠』は確かに名を呼んだ…




『縫鬼糸』も相当のダメージを負ったであろう




未だ霊気は発しているものの


ヒクヒクと痙攣する様に動きながら


それでも鳳羽と『男』の間に入ろうとその身を移動させようとしている




幾百


幾千の霊気の集合体である『縫鬼糸』だが


その何割かは今の一撃で四散したのではないか…




(ゴメン…ゴメンな…)




身を呈して鳳羽の身を守り


今も又近付く敵に対して盾になろうとしている『縫鬼糸』に


鳳羽は心の底から謝罪し


両目から涙を流した







劍は鳳羽の生死確認の前に


先ず『男』の注意を自分に向けさせ


鳳羽から引き離すべきだと考えた




(…?)




劍が威嚇の為の投擲用ナイフをブーツから抜こうとした時


急に『男』が立ち止まりバックステップする仕草を見せると


次には右手を振って何かを払う様な動作を見せた




『男』が弾いた物の1つが劍の手前に落ちてアスファルトに突き刺さる




「手裏剣?」




それは舞姫が使用する十字手裏剣だった




『男』の足元の地面を見ると


そこには純由が投げたであろう掛け針が刺さっているのが分かった




「あいつら…!」




どういう経緯で『はぐれ』の2人を連れて来たかは分からないが


逃げろという指示に反して引き返して来た事は明白だった




「馬鹿が!」




姿の見えない2人に劍は叫んだ




絶対的な危機状況からせっかく逃れる事が出来たというのに…




『男』が斜め前方に顔を向けると


その方向から再度掛け針が飛ぶ




空き地の暗がりの中に走りながら位置を変える純由が見えた




『男』は顔に向かって飛んできた2本の掛け針を片手でキャッチすると


それを純由に向かって投げ返そうとするが


直ぐに斜め後方から舞姫の手裏剣が迫るのに気付き


回避の為に身を翻しながら方向を変え


純由が投げた時の何倍もの速さで舞姫に向かって掛け針を投げた




ズガッ!




ハイスピードの針が命中する音がハッキリと聞こえると同時に


舞姫のピンクのカーディガンが闇の中で両腕を広げ


半回転しながら地面に倒れ込むのが見えた




「舞姫ぃ!!」




劍が舞姫に駆け寄ろうとすると


全く別方向から手裏剣が飛び『男』がそれを払う




…?




舞姫が倒れた場所に近付くと


ピンクのカーディガンを着て倒れていたのは


2本の掛け針が刺さった建築用の角材だった




劍も見るのが初めてとなる舞姫の『変わり身の術』だった




純由と舞姫なりに鳳羽の状態を見て


懸命に『男』を足止めしようとしているのは分かる




しかし


子供騙しの攪乱がいつまでも通用する相手ではない




『男』と声を掛ける




鳳羽は答えずにゆらりと一歩前に出て


「『師匠』ぉ…!!」


と『男』に向かって声を発した







一方2体の使い魔と対峙した霜月と翳は


相手の予想外の攻撃速度に手を焼いていた




先刻の様な不意打ちなら兎も角


正面を切っての斬り込みは全て躱されてしまい


また向こうからの反撃も速かった




「ちょっと違いますね、この『鬼』…」




互いに背中合わせで敵との間合いを取りながら翳が言う




「まったく、割の合わん『仕事』だ」




霜月が相変わらず不機嫌そうに呟く




「あの、劍って人…1人で2つとも相手してたんですよね

凄いなぁ…」




翳の言葉に霜月は答えなかった




(揃いも揃って無謀なだけだ)




霜月は自分をそれで納得させた




「フェイントが必要だ

場合によってはあっち側も面倒見る事になる

さっさと片付けるぞ」




霜月は言い放つと両腕を下げて無行の型に入った




アイツが1人で闘えた相手に


2人掛かりで時間を掛ける訳にはいかない…




霜月自身は認めたく無かったが


心の内には劍へのライバル心に似た感情が


確かに存在した…











「『師匠』…!!

ホンマに狂うてもうたんか!?

ウチの事忘れてもうたんか!?」




鳳羽は涙を流しながら掠れ声で叫んだ




『男』は相変わらず自分に向けて飛んで来る針と手裏剣を捌きながら


顔は鳳羽に向けたままだった




「『師匠』!!」




鳳羽がもう1度叫んだ時


『男』は猛然と走り出し鳳羽に攻撃を繰り出した




劍は咄嗟に鳳羽の前に出て『男』の掌底をナイフで受け止める




『男』が気付いて速度を落とした為


先刻鳳羽が受けた程の威力は無かったが


やはり閃光と高圧の衝撃が周囲を震撼させる




劍は全身の筋肉を硬直させてその衝撃に何とか耐えるが


鳳羽はその圧力に圧されて再び後方に倒れ込み


『男』は後方へ跳んで間合いを取る




両手をついて体を起こしながら鳳羽は再び『男』に顔を向け


「…なら…そんなら何でウチの名を呼んだんや!?

ウチが憎いなら…殺したいなら、何で名前なんか呼ぶんや!?」




鳳羽の悲痛な叫びは


離れた位置に居る純由と舞姫にも届いていた




2人は『男』と劍が接触した際の霊圧に気圧され


攻撃の手を止めてしまっていた




「目を覚ませ佐木原!

こいつはもう、お前の知ってる『師匠』じゃ無い!」




劍は鳳羽を振り返って叫ぶが鳳羽は答えない




「しっかり目ん玉見開いて前を見ろ!

このまんま仇討ちも出来ずに無駄死にすんのか!?

テメェの苦しみはテメェで消すしか無ぇんだよ!」




前を…見ろ?


苦しみを…消す…?




鳳羽の中に


『師匠』と過ごした7年間の思い出が一気にオーバーラップした




そして


その『師匠』に殺された仲間達の思い出も…




その温かい記憶が


変わり果てた今の『師匠』から目を背けさせ


鳳羽を迷わせ苦しめている




目を背けてはいけない




『師匠』は今


大切な仲間達を惨殺したのと同様に


自分を殺そうとしている…




鳳羽はゆらりと立ち上がった




「ホンマや…な…

ウチが終わらせなアカンのや…

目ぇ…覚めたわ…」




鳳羽は涙を拭うと『縫鬼糸』を握り


両目を見開いて『男』を見た




『縫鬼糸』がブンッと震えて霊気を発散する




鳳羽の眼に映るのは


敬愛する『師匠』では無く


敵である『男』だった…











霜月と翳は2体の使い魔との攻防を続けながら


劍と『男』が激突した時の霊圧と


間を置いて新たに発生した得体の知れない霊力を


両方とも感じ取っていた




1つ目の霊圧は劍が『男』と激突し


その攻撃を受け止めた事に依る衝撃だと知って


翳は心の中で感嘆の声を上げた




(あの人、本当に凄い!)




2つ目の禍禍しい霊力は


先程迄


ボロ雑巾の様に地面に転がっていた少女から発せられていると知って


そちらにも新たな興味が湧く




そして霜月の方も


その少女が発している明らかに異質な霊気を感じていた




(『鬼』ではないのか…)




それは


初めてサクヤの力に遭遇した時と同種の感覚だった




『鬼』や通常の霊魂とは違う霊体…




サクヤと『縫鬼糸』の持つ霊力の共通性を


この時の霜月と翳は知る由も無い




2人はアイ・コンタクトを取り


それぞれが対峙している使い魔を誘導し始めた




直線的で且つ反射速度の有る敵の回避パターンを


逆手に取る作戦に出たのである







『縫鬼糸』から迸る霊気は


最初に比べて若干パワーが落ちた様に感じるものの


充分にその威力を発揮し得ると劍には思えた




「俺が仕掛ける

お前は奴に止めを刺す事だけ考えろ

もう、迷うんじゃ無ぇぞ!」




言い終わるや否や劍は飛び出していた




劍の肉体も限界を超えているが


受けたダメージは鳳羽の方が遥かに深刻だ




肉弾線による攪乱は劍がやるしか無い




高速の横跳びによるフェイントを入れながら


劍は『男』に斬りかかり


鳳羽はその隙に乗じて『縫鬼糸』を飛ばす




『男』は劍の攻撃を悉く躱しつつ


カーブを描きながら追って来る『縫鬼糸』をジャンプで回避する




1度不意打ちを経験した『男』は


スピーディーな連携にも簡単には引っ掛りはしなかった




(クッ…これ以上長引くと…)




これ以上長引けば今の攻撃速度を維持するのは不可能だ




劍が動けなくなる前に何とか動きを止めなければ…




劍と『縫鬼糸』による矢継ぎ早の攻撃に


逆に『男』は攻撃を仕掛ける事が出来ず回避と防御のみに終始していた




手数はこちらが上




だが…




『男』の体から突然オーラが消えた…否


『男』と『鬼』が分離したのだ




…!!




分離した『鬼』は劍に向かって白い腕を伸ばし


劍はそれをナイフで弾く




(『鬼』の遠隔攻撃だと…!?)




『鬼』は間違い無く『男』自身が飼っていた…つまり


『男』に取り憑き支配していた『鬼』だと判断出来た




『男』の体から『鬼』が離れた




しかしその両目は


邪悪な赤い光を宿したままだった








劍が距離を取ると


『男』から分離した『鬼』はそこ迄追っては来なかった




『男』との微妙な距離を維持したまま


劍が近付かない様に牽制している




使い魔程の遠隔攻撃は出来ないのだろう




だからといって劍と鳳羽が不利な状況に変わりは無い




要は『男』の手数が倍に増えたという事なのである




『鬼』は劍の動きを妨害せんとし


『男』は鳳羽に攻撃の的を絞る




次に『男』が動けば満身創痍の鳳羽は確実に殺られる…




状況は最悪の局面を迎えていた







離れた場所でその光景を見ていた純由と舞姫にも


その危機的状況がはっきりと分かった




「やべぇ…マジでやべぇぞ、こりゃあ…」




少し前から


劍の攻撃速度が明らかに落ちている事にも純由は気付いていた




「何とか奴の動きを止めねぇと…

よしっ、やるしか無ぇ!」




純由は思い切る様な表情をして舞姫の方を向く




「よぉ、舞姫

お前、1度に最大で手裏剣幾つ投げられる?」


「うーん…2秒有ったら30個位…かなぁ」




純由は思わず目を丸くして舞姫を見る




「ン?少ない?」


「い…いや、充分過ぎて涙出らぁ

…いいか?駄目元で俺が飛び出すから、有りったけの手裏剣投げて援護してくれ

それで奴の動きを止める!」


「超無謀ー!…けど、やるっきゃ無いわね」


「おう…何か有ったら骨は拾ってくれや」




純由は


1本だけ残った掛け針を強く握り締めた…











霜月と翳はそれぞれが対峙する使い魔を引き離し


敵を挟んで距離を置いて向かい合う位置に立った




霜月から見れば


自分が対峙する使い魔の後方にもう1体の使い魔の背中が見え


更にその向こうにこちらを向く翳が見える…


つまり霜月と翳が使い魔を挟み込んで一直線に並ぶ格好となった




そして再度同時に攻撃を仕掛け


後退する使い魔を更に追う




2体の使い魔が剣戟を躱しながら退がり続け


背中合わせに接近しながら交錯しようとしたその瞬間


霜月は翳が追っていた方の


そして翳は霜月が追っていた方の使い魔に向きを変え


同時にそれぞれの背中に刀を一旋した




前方からの攻撃に捕らわれていた2体の使い魔は


全く警戒していなかった背後からの攻撃に対して完全に無防備だった




霜月の突きと翳の居合い斬りはそれぞれの真芯を捉え


2体の使い魔に刃が突き刺さる




そのまま2人は擦れ違う様に交錯しながら刀を振り抜き


霊力の乗った刀の直撃を食らった2体の使い魔は


その斬り口から体を霧散させ


阿鼻叫喚の悲鳴を上げながらその霊体を消していった




「…上手くいきましたね」




翳が納刀しながら霜月に言い


霜月は


使い魔を追っている内に距離が離れてしまった劍達の方を見た




その時2人の耳に意味不明な絶叫が聞こえた







「うぉぉらぁぁぁぁぁぁ!!」




突然『男』の背後から


闇をつんざく様な絶叫が聞こえた




劍も鳳羽も


そして『男』もその方を振り向く




…!!




劍は我が目を疑った




純由が掛け針を振りかざしながら


『男』に向かって全力疾走して来るのが見えたのである




「男は度胸ぉぉぉ!!」




雄叫びを上げながら


純由は真っ直ぐに『男』を目掛けて突進する




そしてその後方から舞姫の投げる手裏剣が


走る純由の体の数センチ横をすり抜けて


カーブを描きながら『男』に向かって正確に飛ぶ




舞姫は素早く横移動を繰り返しながら


『男』に対して純由の体が死角になるギリギリの軌道を狙って


コンマ5秒間隔で計32個の手裏剣を飛ばした




『男』は立ち位置を変えながら手裏剣を手で払い


『鬼』は劍の


『男』自身は鳳羽の動きに対しての警戒を強める




そして『男』の間近に迫った純由が


3度目の雄叫びを上げた








『男』を挟んで一番離れた位置に立つ鳳羽にも


純由の無茶な特攻が見えていた




そして『男』がそれに気を取られ


且つ


大量に飛んで来る手裏剣の回避に追われる様子も…




今なら…!




鳳羽は傷付いた体に1度きりの気合いを入れ


『男』に向かって猛然と駆け出した




『男』がそれに気付くと同時に『鬼』が反応して鳳羽に向かって動き


そしてそれを劍は見逃さない




「獲物はアッチや!!」




走る鳳羽が『縫鬼糸』を投げるのと劍がジャンプするのは同時だった




『鬼』が劍の気配に気付いて振り返った瞬間


『縫鬼糸』が『鬼』の脚部を捕らえ


動きが止まった『鬼』に向かって劍は一直線にナイフを突き立てる




閃光と衝撃波




紫色の霊気を纏ったナイフは確実に『鬼』の胸部を貫いていた




『鬼』は悲鳴を上げ


劍はその胴体を突き破り着地する




「消えろや!この苦しみと共に!!」




鳳羽は叫びながら


自分自身の手で『男』に引導を渡す為に一気に間合いを詰め


劍はその援護の為に賺さず次の動作に入る




最後の5発の手裏剣を捌いた『男』は


鳳羽の突進を避ける為にサイドステップに入ろうとする


が…


『男』が不意にバランスを崩して膝を落とした




(…!?)




その不自然な動きに劍は『男』の足元を見ると


地面に無数の小さな突起が付いた物が転がっている事に気付く




「『撒き菱』か…!」




舞姫の手裏剣は純由の援護のみならず


『男』に気付かれずに撒き菱を散らす為の目眩ましでもあったのだ




『男』はその1つを踏んでバランスを崩したのだった




『男』の動きが止まった…!




鳳羽は密着する程に『男』との間合いを詰め


渾身の手刀を『男』の胸に突き入れる




ズガァッ!!




鳳羽の右手は『男』の胸に手首迄めり込み


肋骨を折り左の肺を突き破った




指が突き抜けた『男』の背中から鮮血が吹き出し


鳳羽が手首を引き抜くと


『男』は血反吐を吐きながら後方へと倒れていった








『縫鬼糸』は劍が貫いた『鬼』の霊体に絡み付き


その残留霊気を余す所無く喰らった




鳳羽は倒れゆく『男』の目から


邪悪な赤い光が消えていくのを見た




そして


「鳳羽…」


『男』が再度自分の名を呼ぶ声を聞いた




劍はそれを見届けてから霜月達に目線を移す




あちらも無事に片付いた様だ




(終わった…か…)




劍は急速に全身から力が抜けるのを感じ


そのまま地面に座り込みたい衝動に駆られたが


霜月達の目を気にしてそれはしなかった




やがて純由と舞姫が劍の傍らに駆け寄る




「『師匠』…?『師匠』!」




鳳羽は仰向けに倒れた『男』の横に座り込み


顔を覗き込んで話し掛けた




「鳳…羽…」




『男』は血を吐きながら鳳羽の名を呼んだ




「何で…何でや?

何でみんなに…仲間やのにあんな酷い事したんや!?

『鬼』に取り憑かれてたんちゃうの…?」




鳳羽の両目から大粒の涙が流れる




「取り…憑かれたのでは…ない…

儂自ら…『鬼』と同化…したの…だ」


「同化…?何でなんよ…?」


「老いと…死への…恐怖…

それに…儂は勝てなかった…」




『男』は大きく咳き込み


更に大量の血を吐き出した




劍は2人を見下ろしながら


人であるまま『鬼』となった『男』の心理を思った




この『男』が取り憑かれたのは『鬼』では無く


不老不死への強い憧れの念だった




それを手に入れる為の究極のアイテムとなる女性の心臓


それを喰らいたいという欲求を満たすには


何人もの弟子達から尊敬される程の人格者としての理性が


一番の邪魔者であったに違い無い




『男』の中に飼う『鬼』は


人も魂も喰らう『人喰い』




老化への恐怖に耐えきれず


『男』は苦しみの果てに『鬼』と同化し


自らが『人喰い』となる道を選んだ…




「鳳羽よ…」




穴の開いた『男』の肺から空気が漏れて


出来損ないの笛の様な音が漏れる




「儂を…儂の体と…魂を…『縫鬼糸』に…喰わせ…ろ…

儂は…余りにも罪を…重ね過ぎた…

儂が死ねば…その魂は…新たな『鬼』に…なる…」




鳳羽は返事をする事が出来なかった




「死して尚…罪を…重ねたく…ない…

この…老いた体も…晒しとうない…

最…後の…頼む…」




鳳羽は無言のまま頷くと


立ち上がって『縫鬼糸』を握った




「喰らい…」




鳳羽の心中を察しているかの様に


『縫鬼糸』は迷ってすぐに動かない




「いいんよ…『師匠』の最後の頼みなんや…

喰ろうてやって…」




『縫鬼糸』はゆっくりと『男』の体に巻き付いた




劍達3人は背中を向けて


その場面から目を逸らす




「サヨナラ…『師匠』…」




鳳羽が呟くと同時に


『縫鬼糸』が肉と骨を潰す


バキバキという音が聞こえ始めた…








「帰るぞ」




霜月は翳を促すと背中を向けた




「えー?挨拶くらいして行きましょうよぉ」




劍達の方を気にする翳に


「必要無い

俺達は俺達の『仕事』を片付けただけだ」


と霜月は冷たく言って歩き始めた




(何て不細工な『仕事』だ

気に入らん)




セオリーの欠片も無い様な劍達の闘い方に


霜月は心の中で不満を唱えながら


決してセオリー通りで倒せるレベルの敵では無かった事も


本当は良く分かっていた…







霜月と翳が立ち去る姿を


劍は遠くから暫く見送っていた




結果的には全員が命を救われた訳だが


後を追って礼を言う気にはなれなかった




『縫鬼糸』は『男』を喰い終え


座り込んでむせび泣く鳳羽の傍らに寄り添う様に


その身を横たえていた




「純由、舞姫」




劍は声を低くして2人に声を掛けた




純由も舞姫も


次に劍が何を言おうとしているのか分かっているらしく


劍の正面に並んで直立の姿勢を取った




「言いてぇ事は分かってるな?」


「あぁ、すまねぇ」


「反省してまぁす」




2人は手を後ろで手を組んで肩幅に脚を開く




「俺はお前らに、逃げろと言った筈だ

事件の報告者として、2人が生き残る必要が有ると判断したからだ

それを引き返すってのは、重大な命令違反を犯した事になる」




純由と舞姫は劍の言葉を黙って聞いている




「二度としねぇと誓えるか?」




劍の問いに2人は


「自信無ぇ」


「右に同じぃ」


と答える




「上等だ、歯ぁ食いしばれ!」




劍は純由と舞姫の頬に一発ずつ張り手を見舞った




リーダーの命令に違反した者への


制裁の儀式だった




純由と舞姫は避けようともせず直立のままその痛みに耐えた




「以上だ!

…ったく、無茶しやがって…

だが…2人ともよく…生き残ってくれた…」




劍は最後に本音を口にした




劍は鳳羽に向き直り


ジャケットを脱いで近付くと


鳳羽の肩に羽織らせた




「こいつが立てる様になったら撤収する」




劍の言葉を受けて


「純由君、手裏剣拾うの手伝ってぇ」


と舞姫が言う




「俺だって掛け針の回収しなきゃいけねぇんだぜ

自分でやれよ」




純由はそう言うと


アスファルトに刺さった掛け針を抜いて懐に入れる




「有りったけ投げろって言ったの純由君じゃんかぁ!」




純由は舞姫を無視して残りの掛け針を探してフラフラと歩き始め


舞姫はその背中にアカンべーをする




「痛ぇー!!」




純由が撒き菱を踏んだ様だった…











「そう…みんな無事なのね?」




受話器の向こうから光流の安堵の気持ちが伝わる様だった




『男』との死闘の現場を離れて市街地迄戻った所で


劍は公衆電話から光流に報告の電話を入れていた




「あぁ、多少の怪我はしたが全員生きてるよ」


「敵は?」


「全部片付けた

…使い魔2つは、『はぐれ』野郎共に持ってかれたがな」




劍は敢えて遠回しな言い方をした




『2人のチビ』…霜月と翳があの現場に現れた理由は


光流による手配だというのが明白だったからだ




「そう…気に入らないんでしょうね?

分かると思うけど『組織』の指示じゃないわ

私の独断で彼等に応援を要請したのよ

…恨んでくれていいわ」




支部長として任務を完遂したかったからなのか


劍達の身を案じての事だったのか


或いはその両方なのか…




劍は理由を訊くつもりも無かったし


恨み言を言う事もしなかった




理由はどうあれ『組織』から正式に下された任務に


それが仮に『ハンター』であれ第三者を介入させた事が明るみに出れば


それは光流が重大な規則違反を犯した事になる




光流が予め劍達に霜月等の事を教えなかったのは


発覚した時に自分1人で責任を被る為の布石であろう




「ま…任務は完了した

細かい報告は明日でもいいか?

今日はもう、クタクタだ」


「ええ、それでOKよ

みんなの怪我の状態は?」


「俺はかすり傷程度だ

佐木原のダメージが大きいが、骨や内臓には異常無さそうだし深刻な外傷も無い

あとは…純由の足の裏だな」




言いながら劍は純由を見ると


純由はバツの悪そうな表情を浮かべ


その隣りで舞姫が悪戯っぽく笑った




「足の裏…?」


「まぁ…とにかく引き上げる

明日連絡する」




劍は受話器を置いて純由と舞姫に解散を指示し


少し離れた植え込みに座る鳳羽を見る




(送ってってやるか…)




劍は鳳羽に歩み寄った







「みんな、無事…」




1人きりの事務所で受話器を置いた光流は


大きく息を吐いて椅子の背もたれにもたれかかった




夕方以降


彼等からの定時連絡を待つのは気が気では無かった




発見出来ずの電話を受ける度に


彼等の無事を知って光流は内心ホッとしていた




出来れば今回の敵とは永久に遭遇して欲しくない…


本気でそう思っていた




「みんなよく無事で…

本当に…良かった…」




光流は1人


嬉し涙を流していた




その涙を


劍達が知る事は無い…











劍と


劍のジャケットを羽織った鳳羽は


ゆっくりとした歩調で無言のまま街を歩いていた




歩き始めてから30分以上経って


鳳羽が両腕を前に伸ばしながら漸く口を開いた




「あーっ、駄目や!

喋らんと息詰まる!」




鳳羽は未だ涙の跡が残る頬に


精一杯の笑みを浮かべていた




「終わったわ!仲間の仇討ち

アンタらのお陰や

ホンマありがとうな」




劍は


「あぁ…」


とだけ答える




「もう大丈夫やで

涙は終いや

これで心おき無く神戸に帰れるわ」


「神戸…帰んのか?」


「うん…この『仕事』が終わる迄っちゅう約束で『組織』に無理聞いてもろたからな

それに、みんな死んでもうて…神戸の街、ウチが守らなあかんやろ?」


「いつ発つんだ?学校は?」


「体ボロボロやし、明日は休んで、そのまま退学するわ

未練残すの嫌やし」


「そうか…」




2人の横をトラックが唸りを上げながら通り過ぎ


2人は再度沈黙する




鳳羽のアパートに近付き


2人が格闘した公園に差し掛かる




「あ、アンタに唇奪われた場所や!」




おどけて言う鳳羽に


「その辺の誤解、ちゃんと解いてから消えてくんねぇか?」


と劍も冗談混じりに返す




「あのラーメンと焼き飯、ホンマ旨かったな」


「あぁ…」


「次にこっち来る事有ったら、また一緒に行こな」


「あぁ…それまで潰れねぇ様にしっかり見張っとくよ」




アパートの下に辿り着いて


鳳羽はジャケットを脱いで劍に返す




「おおきに、助かったわ」


「年中着てっから、汗臭さかったろ」


「ううん…『師匠』と同じ匂いやった

強い男の匂いやね!」




鳳羽はあどけない少女の笑みを浮かべた




「じゃ…とりあえずこれで顔見るの最後って事だな」


「せやね…舞姫嬢ちゃんと、ナンパやけど男らしい純由君にも、よろしゅう言うといて」


「あぁ、その言葉聞いたら純由泣いて喜ぶぜ」




鳳羽はフフッと笑ってペコリと頭を下げた




「ホンマありがとう

アンタらの事、忘れへん」




鳳羽は踵を返すと階段を駆け上がって行き


上がりきった所で一度だけ振り返り劍に手を振る




劍は右手を上げて挨拶を返すと


背中を向けて歩き出した











翌朝


劍は全身に残る疲労感と痛みを隠しながら


愛弓と一緒に白石家を出て学校に向かい


その後いつもの路地で霜月らと擦れ違ったが


当然言葉を交わす事も


目を合わす事すら無いまま互いに他人のふりをして通り過ぎた




鳳羽は言っていた通りに学校を休み


その翌日の土曜も欠席扱いのまま


担任からは何の説明も無く週末を迎える事となった




劍はこの間に光流と接触して任務完了の報告をし


その際に鳳羽の動向について訊ねてみたが


元々管轄外の光流は何も知ろう筈が無かった




そして日曜を迎え


皆各々の平穏な休日を過ごす事になる…







月曜の朝


純由はいつもより早く家を出て


『バイオレット・サイクロン』を駆りながら


その懐に花束を携えて


普段とは違うルートで学校への道を急いでいた




見通しの悪い四つ角で


人にぶつかりそうになって思わずバイクを停める




「あー!おはよーございまぁす!」




にこやかに挨拶する翳の横に霜月が立っていた




「ま…また、お前らかよ?」




純由は自分の不注意を謝りもせずに憮然とした態度で言った




「この間は大活躍でしたね!

お疲れ様でしたぁ」


「フンッ…皮肉かよ」


「とんでも無い!あそこで飛び出して行ける勇気って凄いと思いますよ」




純由は横を向いたままの霜月を見て


「劍はきっと言わねぇだろうから、代わりに言っとくぜ

この前はありがとな

お陰で全員死なずに済んだ」


と礼を言った




霜月は横目でチラリとだけ純由を見たが


「礼など要らん

俺達は自分の『仕事』をしたまでだ」


と愛想無く言った




「ま、そーだろーけどよ

大事なダチの命を救ってくれたんだ

真面目に感謝してるぜ」




霜月は心の内で


(嘘を言うな)


と呟いた




自分より大事な他人の命なぞ有る筈が無い




コイツの言っている事も偽善だ




所詮…人間なんて…




「それはそうと、今朝はどうしたんです?花束なんか抱えて…」




翳に言われて純由は


「あー!!いけねぇ!」


と叫ぶ




「1組の聖子ちゃんが今日で転校すんだよ!

学年イチのマドンナなんだ

早ぇとこ行って餞別の花渡さねぇと」


「どうして転校しちゃう人に?」


「決まってんだろ?引っ越し先の住所聞くんだよ!

熱き遠距離恋愛の幕開けってこった

じゃあな!!」




純由はスロットルを目一杯回すと


何やら奇声を上げながら走り去って行った




「いつも1人で賑やかな人だなぁ…」




笑いながら見送る翳に霜月は


「余りアイツと口をきくな」


と言う




「どうしてです?別にいいじゃ…」


「馬鹿がうつる」




霜月は不機嫌に言うと


翳を置いて歩き始めた











登校した劍が教室に入り窓際の自分の席に着くと


毎朝の習慣で純由が立ち上がって劍の前に横向きに座るが


明らかに表情が暗く沈んでいた




「どうした?元気無ぇな」




劍が訊くと純由は大きな溜め息を吐いて


「住所教えてくんなかったぁ…

トホホのホだよ

また玉砕だ

熱き遠距離恋愛の夢よサラバ…」


と独り言の様に呟くが


劍にはまるで意味が分からない




「あ、そりゃそーとよ…」



純由は気を取り直した様に劍の方を向き


「アイツ…佐木原さぁ

もう行っちまったのか?」


と訊ねた




「さぁな」


「さぁなって…お前知らねーの?」


「知らねぇよ、アイツとはあれっきりだ」


「マジかよ?キスまでしといて、連絡とか取らねーの?」


「だから…ヤツとはそーゆーんじゃ無ぇって…」




その時


「おはよー!」


と大きな声が聞こえ


劍と純由は入り口の方を見て同時に声を上げた




「佐木原…?」




鳳羽がにこやかに入室して


当たり前の様に自分の席にドカリと鞄を置く




「佐木原さぁん、先週どうしたの?」




何人かの生徒が鳳羽に駆け寄って話し掛ける




「あぁ、ちょっと風邪ひいてもうてな

熱出して寝とったわ」


「まぁ、大丈夫なの?」


「うん、全快したから心配せんといて

今日からは皆勤やから、仲良うしてや」




(今日から…皆勤?)




鳳羽は呆気に取られる劍と純由に気付くと


生徒達を振り切って2人に近付いた




「ケンちゃん、おはよー

先週はありがとな

お陰ですっかり元気になったわ」




鳳羽のその一言で生徒達の何人かは確実に


この週末に劍が鳳羽を看病していたのだと誤解した




劍は勘弁してくれと言いた気な表情を浮かべながら


「どういう事だ?

神戸に帰るんじゃなかったのかよ?」


と声を落として言う




「あっちはな、他に対応出来るチームが居る言うから任す事にしたんや

『組織』も元の学校に復学とかって手続きとか、ややこしいらしいわ」


「こっちに残るってのか?

…て事は…」


「せや、『仕事』もアンタらのチームに正式に編入や

つぅ訳でヨロシク」




鳳羽はウインクをして片手を振って見せると


自分の席に戻って行った




劍と純由は顔を見合わせた後


互いに苦笑いする




「辛かったろうによぉ…

元気みてぇで良かったな」




純由が言うと


「あぁ…また、やかましくなるな」


と答えて窓の外を見る




間も無く梅雨に入る事など感じさせない程に


雲1つ無い青空を見上げて


劍はその眩しさに眼を細めた…







第4話『凛憂』







次話へ続く…









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