000.プロローグ
「ゴアアアアアアアアアアアアア!」
大地が震えあがるほどの獰猛な雄たけびと共に巨大なドラゴンの口が大きく開く。
古代に生息していたとされる古龍、エンシェントドラゴン。
とうの昔に絶滅したはずのドラゴンがなぜ現世に復活したのか。
ドラゴンが吹き付ける灼熱の炎のブレスとは正反対。美しい大海のような青い髪をした少女はどこか悲し気な表情を浮かべながらずっと疑問に思っていた。
どこか焦燥感に駆られながらも華麗に攻撃を避け、持っている剣でドラゴンの体に強力な一撃を与える。
「ナイスだイーリス! ドラゴンの体勢が崩れた今なら俺の拳でめった打ちにできらぁ!」
「馬鹿者が。ただの拳で傷など与えられるわけないだろう。私の付与魔法でその拳を強化する。攻撃するのはそれからだエルダリオ」
攻撃の糸口を作り出したイーリスに、短髪で恵体の男性が声を荒げながらドラゴンに突っ込む。その男性とは対照的な長髪で目つきの悪い男がエルダリオに言葉を投げる。
「わりいわりい。早急に頼むわゼメルガルド」
「貴様はそのまま突っ込め。最高最適なタイミングで強化する」
その言葉を聞いてエルダリオは再び全力でドラゴンの方へ飛んでいく。
「いくぜ古龍! 俺の【巨大拳】からの乱打を食らいやがれ!」
「イーリス、貴様も一緒に攻撃に参加しろ」
「ええ、分かったわ」
ゼメルガルドの号令に二人は持っている力を全て使い切る勢いでドラゴンに攻撃を仕掛けた。強化魔法を付与された巨大な拳はドラゴンの硬い鱗に難なくヒビを入れ、それを砕く。そこにイーリスの華麗かつ強力な剣撃が砕かれた鱗の内側に絶大なるダメージを与えた。
「ふん、奴はもう虫の息だ。私も攻撃に参加し一気に畳み掛けるぞ」
ドラゴンは胴体が倒れる寸前のところで、ギョロっとその鋭い眼光で傷だらけになった一人の男性に視線を向けた。
『愚かしい人間共よ。貴様たちは昔から情に厚い種族だった……。ならば……』
ドラゴンは大きく息を吸い込み、口から灼熱のブレスを吐いた。
最後のあがきだったのだろう。
ドラゴンはブレスを吐いた後、その巨体が地面に重い音を立てながら倒れ伏した。
――ブレスが地面を溶かしながら一直線に一人の男性目掛けて進む。
「シュリフト!」
「おいイーリス! まさか庇うつもりか?」
ゼメルガルドの制止も聞かず、イーリスはこの戦闘ですぐに瀕死の重傷を負ったシュリフトという男性を守るようにして上に覆い被さった。
自分でも無謀だとは思った。
でも咄嗟に体が動いてしまったのだ。
守る体勢をとったはいいが、その後はどうする?
イーリスの顔には恐怖と不安の感情が表に出ていた。
「くそっ、あの馬鹿者が……」
灼熱のブレスが二人に到達する間一髪の所で、ゼメルガルドの魔法の壁が二人を守った。エンシェントドラゴンの攻撃にも耐えうる魔法壁を難なく生成するこの男も相当の手練れだ。
「悪いなイーリス……。俺が足を引っ張っているばっかりに……」
「いいのよシュリフト。私もあなたも似た物同士なんだから。今ここであなたが死にでもしたら、誰が家族を守ってあげられるんだ~って考えたら咄嗟にね」
明るく笑顔で振舞うイーリスに対し、シュリフトはどこか悔しさと、自分に対しての怒りが合わさり、なんとも言い難い表情をしていた。
「さ、行きましょう。私たち古龍を倒したのよ! きっと……きっと今回の報酬は今まで以上のが期待できると思うわよ!」
体を起こしながらパチンとウインクを決め、シュリフトに慰めの言葉を掛ける。
若干声が震えているようにも感じた。
目にも涙が溜まっていたようにも見えたな。
(可愛いなぁ……)
そんな姿を見て、シュリフトはじっとイーリスの顔を見つめる。
「な、なによ? 私の顔に何かついてる?」
「いいや……別に。ただ、こんな役立たずの俺に対して、あんたは平等に接してくれただろ? ゼメルガルドやエルダリオは……俺の事をただの荷物持ちや雑用係としか思ってないのにさ」
「役立たずだなんて、卑下しすぎよ! あなたの恩寵には助けられてるわ。今まで持ち物の管理も杜撰で、同じ荷物があったりしたらどれが誰のかなんて全くわからなかったんだから。でもあなたが整理整頓をしてくれているのと、あなたの恩寵のおかげで自分の持ち物に名前を刻んでもらってからは一目で分かるようになったのよ?」
「そんなの、目印を……つければいい話……だよな。ハハッ……」
「ううん、それ以外にもたくさんあなたには助けられていたわ! だから……」
イーリスは、シュリフトに泣きながら寄りかかった。
エンシェントドラゴンの巨大な爪で貫かれ、シュリフトの胴体には大穴が開いた。
出血も酷く、助かりそうにない。
「だからお願い……死なないで……」
「ごめん、イーリス。俺はもう助かりそうにない。こんな最果ての地でこの傷……だ。たとえ俺を助けたとしても……道中できっと死ぬ……」
「ほう、珍しく物分かりが良くて助かるよ。
私の回復魔法をかけた所で、貴様の傷は塞がらない」
ゼメルガルドが冷たい視線を二人に送りながら、何の情もこもっていない声色で言う。
「ゼメルガルド! 元はと言えば、あなたがシュリフトにもっと早く回復魔法をかけていればこんな重傷にならずに済んだはずよ!」
「馬鹿を言うな。相手は伝説の存在と言われていた古龍だった。こんな役立たず一人のために魔法を使う余裕など選択肢に入るはずがないだろう」
「あなた……! よくもまあシュリフトの前でそんな事が言えるわね!」
「ふん。当然の事を言っているまでだ。そもそもあのような攻撃ひとつすら避けられない実力者には当然の結果だったのだ。私たちと共に行動するには実力が足りな過ぎた。それだけだ」
「あなたには人の心がないの!?」
「イーリス、私がこの世で最も嫌いなのは何か分かるか?」
イーリスはゼメルガルドからの突拍子もない質問に若干困惑するも、そんなの知るわけない、興味がないと返答した。
だがゼメルガルドは返答をも無視し、話し続ける。
「いいかイーリス、よく聞け。私がこの世で嫌いなのは無能な者と実力が無い者。そして役立たずだ。どうにもその男には私の嫌いな要素が全て入っているゴミ虫当然の存在。人として見た事など毛頭ないのだよ。それ故に人の心を持って接する事など不可能だ」
イーリスは横柄な態度をとるゼメルガルドに我慢の限界が来た。
言葉で言い返すよりも先に体が先に動いた。
切っ先をゼメルガルドの喉元に付きつけた所で、エルダリオがそれを止めた。
「おいおいイーリス、なんの真似だ?」
「その手を離してエルダリオ! 私はこの男を……!」
「殺すか? まあ良い。だが貴様がこのパーティに居る条件を忘れたか?」
「……くっ!」
「私を殺すのは構わない。だがその後どうなるかは貴様が一番分かっているだろう?」
そこまで言われ、イーリスは喉元に突き立てた剣を鞘に収める。
「……ごめんなさい。態度を改めるわ」
「物分かりが良くて助かるよ。君は冒険者の中でも卓逸した能力を持っている。恩寵こそ未覚醒だが、私は別にそれでも構わない。元が優れているからな」
ゼメルガルドは視線をシュリフトの方へ向ける。
「私も最初はこの男には期待をしたものだ。『文字を刻む』だけの恩寵など、どう考えても役に立てない。更には刻める文字にも制限があるんだ。そんな恩寵、誰がどう見ても無能で役に立つわけがない。だから私はあえてこの男のパーティ入りを承諾したのだ。もしかしたら隠された力があるかもしれないと考えていたからな」
ゼメルガルドは続ける。
「だが貴様はいつまで経っても無能のままだった。剣の腕は多少なりともましだが、その程度。魔法に関して言えば期待外れもいいところだった。まさか扱えないと来たからな」
ゼメルガルドはシュリフトを見下ろしながら言葉を投げ続ける。
「前線はイーリスとエルダリオ。後方支援は私一人で賄える。だが貴様にはそのどちらの役割も出来ない。よって貴様自身が今の自分の状況を作り出したのだ。碌に戦闘も出来ず、あまつさえ恩寵も無能。本人も無能。何もかもが無能の貴様には心底興味が失せ切っていたんだよ」
「はは……ぐうの音もでないよゼメルガルド。だけど、最後にあんたの口から俺が期待されていたっていう言葉が聞けただけども……良かったぜ……」
「貴様の代わりなど他にごまんといるのだ。その傷では貴様はどうやっても助からない。だから悪く思うな」
ゼメルガルドはそういうと、シュリフトに背を向けた。
帰還するための魔法を使うための準備に取り掛かる間、イーリスとエルダリオにはエンシェントドラゴンを討伐した証に翼と角の一部を取るように命じる。
「ゼメルガルド、シュリフトの傷の手当は……してあげないの?」
「もうそういつは用済みだ。それに私は忘れていない。そいつはこのパーティに入る際に『必要だと感じなければいつどこで捨てられてもいい覚悟です』と言っていたのをな。よって貴様は今この時をもってこのパーティから追放する」
「そんな……そんな事ってあんまりじゃない! それにあの言葉を本気で捉えるなんて……。あなたは……、あなたは自分勝手で幼稚だわ!」
「イーリス、貴様はこの男の肩を持つ気か?」
「……!」
答えられるはずがなかった。
本心ではシュリフトの味方でいたい。
だが、イーリスには家族が、お金が、どちらも必要なのだ。
ゼメルガルドに逆らえばそのどちらも失いかねない。
イーリスは自分の感情をぐっと殺した。
口から出かけていた言葉を表情に変えてゼメルガルドを睨んだ。
その後シュリフトの傍に移動し、体にそっと手を当てて呟いた。
「ごめんなさい、シュリフト……。私は……」
「いいんだ、イーリス。俺はいつこういう時が来てもいいように心の準備はしていた。だから君は悩む必要なんてない。俺はここで朽ち、君は生きる。それだけなんだよ」
「でもあなたを見捨てるなんて……。まだ助かるかもしれない命を見捨てる事なんて」
「俺はもうこのザマだ。どうあがいても助からない。だから君は行け。俺の事なんて忘れればいい。こんな役立たずで無能な男の事なんてきれいさっぱりな」
「そんな事、無理よ……。だって私は……」
「イーリス、貴様なにをしている?」
最後の言葉が喉から出る直前に、ゼメルガルドに呼び掛けられイーリスはその言葉を飲み込んだ。涙を流すその瞳でシュリフトを最後にジッと見つめる。
「ごめんねシュリフト……。私もう行かないと……」
「ああ、君は何も悪くない。だから何も気に病むことはないんだ」
「シュリフト、私はね――」
シュリフトにはもはやイーリスの顔など見えていなかった。
耳も段々と聞こえなくなっていっている。
あぁ……最後にイーリスは何を言いかけたのかな?
まあ、死にゆく俺が知ったところでもう何も残らないのだから。
未練はある。家族の呪いを解くすべが分からなかったことだ。
俺がこのまま死ねば、この先ずっとあの呪いから解放されることはないな。
いや、きっとイーリスが……。
それも高望みかな?
あーあ、俺、最後に格好つけられたかな。
あぁ……死にたくなかったなぁ……。
▲▲▲
「イーリス、何か言いたげだな?」
「……」
「代弁してやろうかゼメルガルド? こいつはな、シュリフトの死体を持って帰れない事に腹を立てているんだよ。どうして持って帰らせてくれないのか? 墓を建ててあげる事も駄目なのか? ってな」
「下らぬ事を考えるなイーリス。あいつは捨てられる覚悟でこのパーティに入った。あいつにとってもこの最後が本望だろう」
「……」
「さあ帰還するぞ」
ゼメルガルドが帰還用の魔法を唱え始めた直後、倒したはずのエンシェントドラゴンが再び雄たけびを上げた。息を吹き返したのだ。
「なんだと!?」
『愚かしい、愚かしいぞ下賤な人間どもよ! 神に作られしこの我があろうことか人間に敗北するなど笑えぬ冗談だ!』
「まずいな……。この魔法が発動するまで私は攻撃に転じる事が出来ん。守る事も攻撃することにも転じられない厄介な状況となってしまったな」
「ならば私が足止めをするわ」
イーリスはエンシェントドラゴンの復活に驚きもせず、自ら足を進める。
「貴様、あの男と心中するつもりか? それだけは許さないぞ」
「勘違いしないで。私には家族の命を繋ぎとめる事が最優先事項。無理のない範囲であのドラゴンの注意を私に向けて攻撃対象を私に絞らせる。そのあと戻るわ」
「心配だな。エルダリオ、念のためイーリスと共にエンシェントドラゴンの注意を引いてこい。同行させても構わないな?」
「好きにしてちょうだい。エルダリオがいなくとも私だけでも何とかできるから」
イーリスとエルダリオが転移魔法の魔法陣から外に出ようとした瞬間、エンシェントドラゴンの周りにふわふわと文字が浮かび上がった。
「あれは……!」
イーリスが見覚えのある文字を見て目を見開いた。
「はぁ……はぁ……。俺の最後の役割だ! あいつらを……イーリスを無事に帰還させる! 最後の最後くらい、恰好つけさせろってんだよ!」
シュリフトの恩寵【刻字】で生み出した文字がふわふわとドラゴンを取り囲むようにして旋回している。それを見たドラゴンはイーリスと同様、目の瞳孔を細くして驚いた。
『これは……、この力は……!』
エンシェントドラゴンは浮かび上がっている文字を見て何かに怯えるかのように体全身を震わせながらその文字を読み取った。
全てを見る事は出来なかったが、把握できた文字は『帰還』『回復』『命』『犠牲』それぞれの文字が文章として意味を成す内容になっていた。
『これは……、この力は神殺しの力! なぜ貴様のような人間が……!』
「これが俺の最後の文字か……。願わくばこれが現実になってほしかったな……」
『やめろ……! やめろやめろやめろ! やめろおおおおお!』
ドラゴンが激しく動揺を見せた後、イーリス、エルダリオ、ゼメルガルドはその場からいなくなり、エンシェントドラゴンは再び地面に伏した。今度は完全に生命活動を停止させた。
そしてシュリフトは体の傷が完全に回復し、意識もはっきりと取り戻していた。
「……え?」
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イーリス、エルダリオ、ゼメルガルドの三人は強制的に王都へ『帰還』。その後、エンシェントドラゴンは自らの全生命力を『犠牲』とし、シュリフトの傷を『回復』。シュリフトは再び『命』を吹き返す。
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面白そうと思ったらブクマなどしてくれたらモチベに繋がります。
ボチボチ更新していく予定ですが、書き溜めはしていないので最初は多少更新遅めになるかもです。
反応次第でバリバリ執筆していきます。