最終話 天才JKは恋の定理が導けない
「うへえ……昨日は散々だった……」
事件の翌日、桜井ユリは早朝の教室にいた。
机に突っ伏してぐったりとしている。
あのあと、水本たちはアヤカが呼んだ警察に連行され、ユリも事情聴取のために警察署に連れて行かれた。アヤカが一部始終を録画していたのでそちらは短く済んだのだが、両親が大変だった。明け方まで涙ながらに説教をされ――結局、一睡もできないまま逃げるように登校したのである。
そしてなにより、一番しなければならなかったことを忘れていたのだ。
普段言い慣れない言葉を伝えるために、頭の中をぐるぐると文字が踊っている。
「あー……もう……なんて言えばいいんだろ……」
と、思わず漏らしたときだった。
「おはよう! 一番乗りかと思ったのじゃが、先を越されてしまったのう」
「げえっ、アヤカ!? なんでこんな朝早くに!?」
元気のいい挨拶が、ユリの思考をぶった切る。
亜麻色の髪を揺らしながらずんずんと元気よく歩いてくるのは、制服姿の天元院アヤカだった。
「げえっ、とはご挨拶じゃのう。まあよい。質問に答えるとだな、日本の文化では新人は一番最初に職場に来るのが望ましいとテキストにあったからの。職場と学校は近い性質を持つのではないかと仮説を立てて、それを実証するために――」
「あーっ、もう! そんなことは聞いてないんだって!」
「む、『なんでこんな朝早くに』と言っておったぞ?」
宙空にホログラムが浮かぶ。
┏━━━━━━━━━━━━┓
┃なんでこんな朝早くに!?┃ \
┗━━━━━━━━━━━━┛ \
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そこにはユリが映し出され、ご丁寧にテロップまでついていた。
「だーかーら! それは言ったけどさ、そういう意味じゃないんだって!」
「なんと、意味を取り違えておったか。まだネットでも話題になっていない新しいスラングかの? 若者言葉にはよくあることじゃろうし、よかったら意味を教えてくれると助かるぞ」
「あああああー! もう、なんでそういちいちそんな感じなの!?」
「すまんな。なぜと言われても、これがワシだとしか言いようが――」
「そういうことじゃなくって!」
ユリは、大声でアヤカの言葉を遮る。
それから、深呼吸をして。
深呼吸をして。
繰り返して。
息を止めて。
小さな声で。
「……昨日は、ありがと」
「なんじゃ? 聞こえんぞ?」
「き・の・う・は・あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た!」
「わっ!? 急に大声で何じゃ!? びっくりするではないか」
やけくその大声に目を丸くするアヤカを見て、ユリはなぜだか楽しくなってくる。
そういえば、アヤカが驚く表情なんてはじめて見た。
お腹の底から、くつくつと笑いがこみ上げてくる。
「ふふふふふ……はははは、あはははははは!」
「なんじゃ? 唐突に笑い出して。なにか悪いものでも食べたのか?」
「ひひひひひ! ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
訝しむアヤカをよそに、ユリは腹を抱えて笑う。
徹夜明けでテンションが少しおかしくなっているのかもしれない。
腹筋が痛くなるほど笑って、ぜえはあと息切れをしながら涙を拭く。
そして、もう一度言う。
今度は、小声でも大声でもなく、普通の音量で。
「昨日は、ほんとにありがとね」
「なに、礼を言われるまでもない。市民の義務を果たしたまでじゃ」
アヤカは気にした風もない。
実際、彼女にとっては小さな事件に過ぎなかったのだろう。
そう思うと、ユリはなぜだか寂しい気持ちにもなってくる。
なんと続ければいいかわからなくなり、鞄からチョコ菓子を取り出す。
朝食代わりのつもりでコンビニで買った、ごく当たり前のものだ。
「これ、あげる」
「おお! ブラウンサンダーではないか。ワシはこれに目がなくてのう。感謝するぞ!」
差し出したチョコ菓子を、アヤカはうれしそうに受け取ってさっそく包装を破く。
口いっぱいに菓子を頬張り、無邪気に味わう様子はまるでリスだ。
つい先ほどの馬鹿笑いとは違う、温かい笑みがユリの顔に浮かんだ。
「あーあ、大人の恋愛とかはしゃいでた自分がバカみたいだよ」
小さな子どものように菓子を食べるアヤカに、自分の恋愛がまやかしであることをあっさり見破られてしまったのだ。
あんなことで優越感を得て、大人になったつもりでいた自分が馬鹿らしく思えた。
「む、恥じることなどなかろうよ」
しかし、そんなユリの独り言に天元院アヤカという生き物は真顔で返事をする。
「なにしろ恋愛とはこのワシにもわからん難問じゃからな。そうじゃ、よかったら共同研究をしてくれんか? ワシの親しい連中はみな『恋愛などわからん』と言うでのう……。困っておるところじゃったのだ」
ユリは、ため息をひとつつく。
「悪りぃけど、男はもうこりごりだわ」
「なんじゃ? ユリはもう恋愛はしないのか?」
「あー……そういう意味じゃなくって」
「おお、なるほど! 相手は男である必要はないものな! むう、その観点をすっかり見落としておったぞ! 鋭い着眼点じゃ!」
「はぁ!? えっ!? そういう意味じゃなくて!?」
アヤカはタブレットに向かい、猛然と何かを入力しはじめている。
色素の薄い琥珀のような瞳。
なめらかに、しかし素早く動く細い指。
しばしば動きを止め、口元に手を当てる仕草。
そのひとつひとつから、ユリは視線を外せない。
まるで魔法にかかったかのように。
金縛りにあったかのように。
じっとアヤカに見入ってしまう。
「うむ、粗々だが素案ができたぞ! 聞いてくれぬか!」
「えっ!? う、うん。あーしなんかでよければ聞くけど」
アヤカがガバッと顔を上げるので、ユリはびくりとしてしまった。
「おお、助かるぞ。まず、女同士、男同士での恋愛で問題となるのは、通常の方法では子どもが作れんことじゃ」
「そ、そりゃそうでしょ」
どんな難しいことを尋ねられるのかと身構えていたら、そんな当たり前の話だったのでユリは少し拍子抜けした。
「つまりじゃな。女同士でも男同士でも子どもを作れるようにすれば、出産可能人口の底上げが可能になるというわけじゃ。方法はいくつか考えられるが、効率面から第一候補として考えられるのは人工子宮の開発じゃな」
「は?」
話の雲行きが怪しくなってきた。
「組織培養により作った子宮をじゃな、工場に大量に設置するのじゃ。なに、倫理面が気になるのであれば人間の細胞にこだわる必要はないぞ。3000グラム以上の胎児を育養できる高等哺乳類の子宮であればなんでも問題はなかろう。女性同士であれば、一方の卵子と、一方の幹細胞をXY遺伝子に改変した精子で受精させてじゃな――」
「ちょっ、発想が怖すぎるんだけど!?」
その日、大平本高校1年B組に登校した生徒たちが最初に目撃するのは、「赤ちゃんがどうの」「愛がどうの」とぎゃーぎゃーと激論をかわす亜麻色の髪の少女と、金色の髪の少女の姿だったという。
(了)
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