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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

擬人化

作者: 弘田邦友

 丸いもの。角張ったもの。その両方を兼ね備えたもの。手のひらに乗るほどのもの。

 必要とする形の石を猿はイメージした。

 そして川原から掴み上げた拳大の石を仰ぎ見ながら口を開いた。


「なあなあ。石ってさ」


 その声を聞いたもう一匹の猿が、ぶりぶりに太った蠕虫(ぜんちゅう)と殻を黒光りさせる昆虫を口の両端に咥えたまま頭を茂みから突き出した。ずずっ、と勢いよく吸い込んだ虫を喉奥へと押し込み、うきゃっ、と鳴き、


「〈いし〉? あーはいはい、〈石〉ね!」


 また茂みの中へ引っ込んだ猿は蔓をドーム状に膨らませながら下を這い出た。すぐに起き上がると猿はまるでむく犬のように毛むくじゃらから土煙を吹き上げ走って、野原のふちでストップし、ひょいと川原へ降り立つともう一方の猿がしゃがみながら掲げている石に顔を近づけた。


「で、石がどうかした?」


「石ってさ、丸いの?平べったいの?」


 と石を掲げる猿が漠然とした言葉で訊いた。


「丸いやつが石じゃなかったっけ?」


「いや、何に使うかってことなんだけど」


「ほうほう?」


「まあ、平べったいのは石板用か」


「——〈せきばん〉って何?」


「え?〈もじ〉を書くやつ——。〈もじ〉って何だっけ?」


 二匹が顔を見合わせた。


「これ何だ?」


 と呟くと猿は石を掲げる腕を下げた。

 その様子を見ながら頭の毛に人差し指を絡ませたもう一方の猿の頭上に間抜けな形の土煙が上がった。


「なんか、めちゃめちゃ意思疎通できてる」


「——ほんとだ。僕ふしぎ」


 と頭上から手を離すと猿は足元に落ちていた骨のように白い枝を拾い上げてそれを振り回し跳ねた。土はだいぶ落ちたようで土煙は出なかった。

 猿は閃いた。


「俺ら、擬人化されてるんだ」


「〈ぎじんか〉?擬人。例えか。〈ひと〉って何だ?僕わかんない」


「俺らの孫みたいなもんだ」


「あー、そっか。そうだったね」


 石を片手に掴んだまま猿は、


「こんなに色々とわかるんだから目的のもの見つけるのもすぐでしょ」


 と川原の砂利を弄りだした。


「そうだね。で、目的のものって何?」


「石だよ」


「何で?」


「そりゃ——」


「何で石なんか探してんの?」


「——じゃあお前は何で枝なんか拾ったんだよ」


「遊ぶため!」


 その勢いの良い断定に返す言葉がなかった猿が、


「帰ろう」


 と川へ放り投げた石によって水面が破れ、どっぽん、と濤声(とうせい)が立った。

 適当に相槌を打ち合った二匹は垂れ下がる蔓を手繰り、森を登り始めた。

 猿に疑念が起こった。


「なあ、俺らさ、名前どうしよう」


「猿ですけれども?」


「違うよ。お前と俺の名前」


「僕の?〈サル〉でいいよ」


 サルと猿の微笑は次第に大きくなり、握る蔓の束が二匹の腹の膨張収縮によって靡くと、二匹は揺り返しをくらいながら果ては吠えるように笑った。

 サルと猿の位置よりも高所から猿たちの鳴き声が聞こえた。


「じゃあサル!」


 はつらつとサルが鳴き声をあげた。


「俺は〈モリ〉だ」


「おぉ!モリー、モリー」


 サルとモリは並々ならない期待と僅かばかりの不安を背負って(あし)を進めた。




 猿たちは喋らなかった。

 サルとモリはその様子を眺めながら毛繕いをし合っていた。自分たちの猜疑心を悟られてはいけないと直感し、なんとか雰囲気を和らげるために毛繕いをし始めたのだが、行為自体のやる気なしにすることではなかったようで割とすぐ二匹は示し合わせて自分たちと同じ歳ほどの猿たちの輪に入った。


 が、しばらくしてモリがふいと輪を抜けた。それに気がついたサルが、


「モリ、遊ぼうよ」


 と周りに人語が聞こえてしまわないよう囁いた。


「俺ちょっと、いいや」


 サルは鼻をほじくりながらモリの顔を一瞥し、適当に鳴き声を発するとまた遊びの輪に加わった。


 モリは一匹の雌猿を目で追っていた。他の猿と比べて若干だが毛色の濃いその雌猿は見つけ出すのに苦労を要しない。歳はモリと同じであり、体格はやはり雄であるモリのほうが少し大きい。その雌猿が群を離れた拍子にモリは身を起こした。落ちている楠の実や団栗を一粒ずつ拾い上げ食べている雌猿に、モリは口をあんぐりとさせて飛びかかった。


 が、無理やりに前肢を地に叩きつけ、


「好きです」


 と雌猿の目前に着地したモリがぼそっといった。


 雌猿がモリに向けた警戒の目は徐々に不可思議なものを見る目へと変貌した。モリはその不可思議さへの言葉を雌猿が持ち合わせていないことを傍目に顔を寄せ、さらに「好きだ」と迫った。ふいと雌猿がモリに背を向けて群の中へと戻った。モリはその時、赤らみ始めている雌猿の尻を見た。


「モリー」


 入れ違いでやって来たサルは口に何かの枝を提げている。


「やっぱ誰も擬人化さてないわ」


 とサルはその枝を噛みしめながら舌足らずな口調でいった。


「そうかあ。ていうか〈誰も〉はおかしいけどな」


「——はっ!」


 と開けた口から枝が滑り落ちた。

 その枝の先端にはしわくちゃに萎んだ実が付いていた。


「それどこにあった?」


 食欲が湧き起こったわけではなかったが何の気なしにモリは訊いた。


「あー、知らね」


 とサルはモリの視線をなぞり眼下に捉えたその枝を摘み上げてまた咥えた。


「どういうこと?」


「貰ったの。僕、意外とモテるのよ」


 と顎を誇らしげに突き出すと、くいっ、と枝が立った。




 ボスの号令に従い、猿の群は移動を始めた。

 その移動の途中、モリはずっとあの雌猿を見ていた。モリの後ろにいたサルが、


「そんな気になるなら行きゃ良いじゃん」


 と吐き捨てるようにいうと、サルを見据えたモリの目尻が薄く引き伸ばされた。


「おいおい、そんな“わかってないなあ”って目ぇされても!」


 とサルはモリの表情を真似て『モリ』をモリに見せつけた。

 その行為に呆れて前方へ向き直るとすぐにモリは木枝の上から辺りを見渡して雌猿を探した。サルがその隣に降り立った。途中、適当に摘んで持っていた小さな実を手のひらに乗せモリの前に差し出し、


「でも、何で擬人化しちゃったんだろうね。僕らだけ」


 とサルは群の猿たちを見ながらいった。

 その一粒を貰って口に入れるとモリは考えを話しだした。


「あの時さ、川にいたじゃん?」


「正確には川原だけど」


「そう、俺らだけで」


 次の木枝へと飛び移って先を急ぐモリを追うためにサルは手のひらに残る実をいっきに口へ放り込んだ。


「だからさ、川なんじゃないかって」


「——じゃあ、あれだ。みんなを川に連れてけば言葉通じるようになるかもだ」


「かもな」


 ボスの号令が響き渡った。次の場所を見つけたらしかった。




 モリは策を講じることを後回しに、雌猿を追い回して、好きだ、好きだ、と言葉を投げつけていた。人語を叫んで樹の幹の空洞(うろ)を轟かせるサルへ他の目が向いているうちに。群は川沿いを移動していたため、モリはいつでも出来ると高を括っていたのだった。


 しかしモリは楽しんでいるはずなのに、声量が違うだけでサルと一緒になって『人』を楽しんでいるはずであったのに、言葉の無実さに信を置く日々がだめになりつつあった。


「モリ!遊ぼ、遊ぼうよ」


 とモリが座る木枝の真上の木枝にゆらゆらとぶら下がりながらサルがいった。


「いや眠たいからいい」


 とモリは背を丸めてうずくまった。

 すると、突然にサルがその丸まった背中へ飛び掛かって肩に噛み付いた。

 モリは歯茎を剥き出しにして叫び、それと同時にサルは顎を離したがモリは構わず振り払い、サルに蹴りを一発くれてやった。


()ってえ」


 とモリは噛みつかれた右の肩を摩り、サルから離れて幹に背を預けた。

 危うく落ちかけたサルはモリの座る木枝にぶら下がり、


「ごめん」


 と蹴りが入った腹を押さえながらいった。


「どうした?どういうこと?」


 モリの問いに対してサルは黙り込み、しばらくするとサルが口を開いた。


「なんか、ムカついてつい」


 決心を迫られていた。


「——やるか」


「何を?」


「陽動作戦」


 その言葉に目を輝かせたサルが肢で木枝を揺すると木末(こぬれ)であったがために折れた。

 そのままサルは折れた木末と連れ立ち木下(こした)へ、ぴゅー、と落ちていった。




 練習を重ねて段取りも練った。後は実行のみになった。

 川へ追い込むために群を『川・群・煙』と挟むように位置づけた。

 円形に盛った土の中心に木枝を積んで煙を焚いた。より煙が立つように枯葉を火に被せ、追加の薪にする枝と消火用の土も用意した。


 できれば雷雨の日に、と計画していたのだが天候は小雨に留まった。大降りの雨が消火の一助になるし、氾濫のために群は川を渡れない、とサルとモリは考えていた。しかし、そもそも氾濫していれば群は川を避けかねず、サルとモリにとって小雨は恵まれた天候だった。

 たちまちに煙は辺りの樹木の背を超えた。


「じゃ、行ってくるわ。気を付けろよ?」


 と木に登ったモリが火の管理のために残るサルに快活といった。


「おう!後は任せとけ」


 木枝から木枝へと飛び移るたびに揺すられる、暗く垂れ下がった葉からモリの顔をめがけて滴が跳ねる。湿った木枝といい、降りかかる滴といい、モリにとってあまり快い感触のものではない。その滴は小さな木屑を携えていて、モリの体毛を汚して皮膚にはむず痒さを与える。だがそんなものは些細なことだとモリは白を切って群の元へ急いだ。


 たどり着くとモリはすぐさま危険を知らしめるために吠えた。それはサルへの合図でもあった。群はモリへ訝しげな表情を向けるだけであった。


 モリは見える限りで幹が一番太い木を登り出した。

 枝葉の隙間から見えたボスは既に煙の方を見ていた。

 その姿を見上げるモリは木枝にぶら下がりながら、その俄然さに見惚れてしまっていた。

 モリはただ一声だけ吠えた。それを聞いたボスはモリを一瞥だけして下降し始めた。

 ボスの咆哮をすぐさま聞き入れて群はボスの後を追った。


 サルとモリの思惑通りに群は川の方へと動き出した。それをサルに知らせるためにモリは一度だけ吠えた。全くもって計画通りである。

 しかしモリの熱情は冷めていた。それは雨のせいではないように思われた。




 何も起こらなかった。猿は人にならなかった。

 モリは落胆した。

 川辺には猿の群しか居ない。

 モリがまた以前のように、好きだ、と雌猿に言葉を投げつけ出した。


 唐突に雌猿がその言葉に反応を示した。モリの顔をまじまじと見つめ出したのだ。


「わかるの?」


 とモリは雌猿に話しかけた。

 しかし雌猿の眼差しがうるおいを帯びていることに気が付いたモリは咄嗟に藪の中へ身を隠した。

 その直後、仕事を終えて追いついたサルが、モリに、


「なんか計画違いでもあった?」


 と背後から囁いた。


「何も」


 とモリは振り見もせず静止した。

 サルはモリの背に慰めを込めて片手で触れた。

 その背の丸まり具合はまさに猿のそれだった。


「どうする?」


 モリが黙り込んでいると、どこかの木の上からボスの吠えが轟いた。それに付き従い、群れは元々居た方向へと移動を始めた。


「——俺、もう一回やってみるわ」


 と慌てた様子でサルがいった。

 サルは森の中へと歩きながら二、三度ほど振り返ったが何の反応もモリは見せなかった。

 群もサルも居なくなり、川原の砂利の上にぽつんとモリは座り込んだ。


「なんでなんかな」


 とモリが砂利を掴み上げ、川へと放り投げた。その波紋は渦流に消えた。


「もう嫌です、『人』が嫌です、『猿』に戻してください!」


 対岸に向かってモリは叫んだ。


「言葉なんかいらない。文字なんかいりません。他の奴らのことなんてわからなくたって良いんです。もう良いんです。猿の頃でも、サルと仲良くやれてたんだから。

 俺はあの雌猿に好きになってもらいたくない。両思いになりたくない。俺は自分の恋心が愛おしい。もう嫌なんだ、届きもしない告白の悦に浸るのは。

 これ以上、擬人化が進んだら」


 モリはそれだけいうと浅瀬に立ち尽くした。

 すっかり雨は止んで快晴となった頃にサルが戻って来た。


「よっしゃ、モリ。火ぃ点けてきたぞ」


 返答もせずじっとしているその背中をサルは軽く叩いた。

 振り向いたモリは呆けた表情を浮かべ、鼻をほじくり回していた。


「モリ?なんか、どうした?——擬人化、してないの?」


 モリは怪訝な表情を浮かべているサルの顔をまじまじと見つめ鼻を鳴らした。ふいに川中へと歩き出したモリの後を追ってサルは、


「なあ、ほんとにわかんないの?」


 とモリの歩幅に合わせて川ぶちを歩いた。


「冗談きついんだけど!」


 サルに向かって、おああ、とモリが吠えた。


「僕だけになっちゃったぞ」


 モリは川中に両手を突っ込んで何かを探している。


「僕だけじゃ、誰が僕のことをわかってくれるんだよ」


 とサルはその場で座り込んで俯いた。

 モリが川中から持ち上げた石を、


「——でも、モリのことわかってやれるのは僕だけだよな」


 サルの頭に振り下ろした。

 割れた頭の中から湧き出した血が砂利の上にそそがれた。倒れ込んだ身体を見下ろしてまた石を振りかぶった。その時、血を垂れる身体が痙攣し、ざっ、ざっ、と砂利の音がした。石と石の隙間を通って血が川へ流入するのにそう時間は掛からなかった。


 猿が石を振り下ろした。鈍い音が鳴った。

 剥き出しになった頭骨の中から湧く血の勢いが収まった。そうなるまでの間、猿は頭骨の中の血溜まりをずっと見ていた。その静かな血溜まりからふと、傍の砂利の上にできた血溜まりに目をやるとそこに白い光が反射しているのを見て猿が顔を上げた。


 木の間(こ ま)からほのかに光る夜鳥の目のような何かを猿は睨みつけた。

 が、これではないと目を離すと見上げた樹頭を優に超えて立ち上る煙と火を猿は見据えた。火の手は徐々に川原へと迫り来ている。牙を生やした獣の如く喉を鳴らして森を喰い千切ろうと迫っていた。


 火の爆ぜる音を聞くたびに猿が石を抱えたまま吠えていると、その音に紛れる別の音を聞いた。それは鳴き声だった。

 森の奥から火の粉を掻き分けて川原へ飛び出したのはあの雌猿だった。

 雌猿は肢を震わせながら煤だらけの身体を大きく膨らませて一息吐いた。


 猿の両手から石が滑り落ちた。猿は川へ向かった雌猿へと走った。

 そして水浴びをし始めた雌猿に噛みつき、挿入し、果てた。

 口をつんと突き出し一声だけ吠え、雌猿から陰茎を抜いた。雌猿を押し退けてすぐさま対岸へと渡った猿が森の前で立ち止まり、後ろを振り返った。


 雌猿はもう居ない。

 一匹の猿の死骸が横たわっている。

 それら全てがあの獣の口に飲み込まれるのは時間の問題だと思われる。

 猿はたった一回その口に向かって歯茎を剥き出して見せると、森の中へと姿を消した。

 猿はいつまでも猿のままだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

宣伝になりますが、noteというサイトで映画考察などの記事を投稿しています。

もしよろしければ見てやってください。

リンク先↓

https://note.com/9kunitomo_kouda9/

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