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渡る世間は知らないことばかり  作者: 本間 晋藏
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目から鱗の雑学

    

日本とアメリカとの幼児期の躾


 日本は幼児期の子供の躾に対して大変甘いのではないでしょうか。

親だけではなく周囲の大人も「子供だから」と寛大に対応してしまいがちです。

子供は親や周囲の大人達に対して自分中心で甘える事が多く、我儘であったりマナーやエチケットにかけた行動を取り、親も我が子に対して叱ることはせず笑ってみているだけの人が多いような気がします。

 方やアメリカでは、幼児期から一人の人間としての人格を尊重し、社会的マナーや公共道徳などを厳しく指導し、他人に迷惑をかける事が無いよう躾けます。

親だけじゃなく周囲の大人も、子供であってもマナー違反や道徳心が無い行動を取れば厳しく対処しますし甘える事の出来ない精神的自立を育てます。


 日本の場合、親の希望に沿って食べ物の嗜好や行動を投影させ自分の価値観を押し付け、子供が自由気儘に振舞うことが愛情だと勘違いしているところがあります。

幼児期に身に付ける躾はおざなりになり周りに対する配慮や感謝の気持ちを育てる事無く育ち、大人になってからも自己中心の行動を取ります。

 ひとつには核家族化が進み、両親はおろか祖父母などと食卓を囲むことも無く、食べる前の「頂きます」や食べ終わって「御馳走様でした」などの食べ物に対する感謝の気持ちも交わされなくなったからではないでしょうか。

 日本人は古代から自然の恵みや農家の人達が育てた食べ物に対して感謝して暮らしてきましたが、今やスーパーやコンビニ等では食品廃棄が進み、大人から子供まで「もったいない」という精神は無くなりつつあります。

 

 子供が成長していく過程になると子供の能力や個性、希望を無視して勉強や習い事を無理強いする親が多くみられ、いい教育を受けさせることが親の義務だと勘違いします。

社会に出れば他人と競い合って生きていかなければいけないことや、学生のうちにどうして教育が必要なのか納得させる事無く偏差値の高い高校や大学を目指す事が出世の早道だと考えているのじゃないでしょうか。

子供の生活に勉強至上主義的な価値観を持つ親が多くなり、自分達の能力や生活力を顧みずに犠牲になるケースが多いのではないでしょうか。

人としての協調性は無視され、他人に対する思いやりの気持ちも育たなくなります。


 アメリカの子供に対する教育や躾は徹底され、親の価値観で子供に教育を受けさせるのではなく子供の自由な個性や能力を尊重し、それが何であるかを自由な生活環境の中から見つけ出しその能力を伸ばす事の出来る環境を造り出してあげる事が親の子供に対しての教育だと考えている。

家庭生活では他人に迷惑を掛けない躾を徹底し、子供も家庭を構成する一員として家事等を分担させることを当然だと考えています。

勉強するところは学校であり家庭は早く自立する為の教育を考えています。


 親子の自立といえば日本では子供が幼少であれば有るほど親は子供をどうにでもなると潜在意識があり、子供の個性を認めようとしません。

子供が学校を卒業しても成人になっても子供の社会的な責任は親が負うものと思っているし社会もまた子供が犯罪などを犯せば親の責任を求める傾向にあり親と子供は連帯だと考えます。

子供はいつまでも親に依存し、家庭を持っても精神的に自立できない大人が多いのではないでしょうか。

特に母親と息子、父親と娘は特殊な依存関係になる場合が多い気がします。


 アメリカは親の子供に対する責任はできるだけ早く子供を自立させ、社会に貢献する社会人に育てる事を考えています。

子供は一人の人格を持って生まれてきたと考え、自分と対等に扱おうとする姿勢が有り、自分と子供の間に一線を引き、子供を所有化しようと思わない。

子供も早く自立し社会に溶け込もうと常に考えています。

親は余程の事がない限り子供の人格を尊重し、子供は自分が取った行動は自分に責任があると考えながら行動します。

一般的に中学生の頃から精神的に自立し経済的に自立できるようになると家を出て一人で生活することが多く、いつまでも親に頼ろうとしません。


           『教育と職業』(日本)

  

 中学を卒業する迄が義務教育ですが、現在は殆どの人が高校、大学まで進学します。

それも何のために学ぶのか訳の分からない大学が多すぎて、国立大学も入学する時は大変だが卒業するときは容易です。

社会の見方もどこの大学で学んだかよりどこの大学を卒業したかで社会的価値観が優先されます。

就職の際には大学での専攻を活かせる職業より企業の規模の大きさ、有名度が優先され企業もどこの大学を出たかで採用されます。

教育は学生時代、就職すればその企業に従うという考え方で、入社後仕事に必要な業務知識は社員教育で指導しようと考えています。

大学卒業時期に合わせて企業を選択し、企業側もその時期に合わせて雇用し、何を専攻したかよりどれだけ有名大学を卒業したかを優先し個性は尊重されません。

企業に入れば熾烈な出世争いなどの競い合いが表面化しますが、学際時代にぬるま湯に浸っていた学生は途中で挫折し、引きこもりの人生を送る人が増えてきましたし、奮起して再び大学で学びなおそうとしてもその数は限られています。


            『教育と職業』(アメリカ)


 アメリカは高校までが義務教育です。

大学に入学するのは容易ですが卒業するには難易な論文などが必要になります。

高等専門教育は大学からと考えていて大学卒業後、大学院やビジネススクールに進学する人が多く、専門教育は常に市民に門戸が開かれ、年齢に関係なく何時でも誰でも教育が受けられるし成人教育は生涯に渡って可能です。

大学、ビジネススクールなどで何を学んだかが職業の選択に大きく影響し、就職の際、何処で働くかより専門に学んだ事を活かせる職業を優先させます。

企業は社員教育は行わず仕事に必要な知識などは個人で習得し大学で学んだ知識を活かす工夫をします。

企業は一年を通じて必要とする人材を求め具体的な職業と仕事内容を提示して雇用を行っています。


             『学校教育の方法』(日本)

  

 知識を記憶させることを中心にした理論中心の学問である。

実社会に反映した知識ではなく多くの定理や知識を暗記させ詰め込んでいく教育を行っている。

学生は教科に関係なく一般的知識は豊富になるが一律の知識になりがちで知識を記憶することが目的になりすぎ理論的知識が優先し、実社会とかけ離れた内容となり創造性に富んだ発想をしなくなりがちで学習する内容は文部科学省の学習指導要領で決められ学生の選択肢がなく平均的、一律的な教育環境になる。

学校を卒業して就職すれば仕事に必要な知識は身に付けるがそれ以上の学問を目指す人は少ない。


『学校教育の方法』(アメリカ)


 学生時代から実社会に関連した情報に沿って解析し理解させ教えるというより自分で学ぶことを中心にした実学である。

学生は理論を覚えるより実社会においてどのように機能するかという視点で指導を受け、知識を記憶させることはしない。

学習する教科も学生の興味を重視し好きな分野や科目を自分で選択しその分野を追求する。

平均的な知識を持つ学生は少ないが得意な分野では傑出した者が表れ、飛び級も認められている。


               『世間と風俗』(日本)


 日本の女性は嬉しくて泣き、悲しくて涙をこぼす。

感情移入と高揚が涙に繋がり、涙を流すことに抵抗が無くなる。

それに対して男性は人前で涙を見せる事は恥だと思っている。

女性が笑う時は口の中を見せて笑うのははしたないとされ口に手を当てて笑う人が多い。

服装の流行に関しては敏感に反応し、同じような服装をしたり同様の格好を好む傾向にあります。

余りにも目立った格好は周囲のひんしゅく買うと思っていて、人と同じだと安心する人が多い。

幼稚園から高校まで制服の所が多く職場に制服が無かったにしても同じ格好をしている人が多い。

制服は機能を重視するより形式的な価値観から導入されるところが多く、特に男性サラリーマンはスーツにネクタイが必須でそれが社会の常識だと思っている。

精神的、経済的に自立してない若い女性も多く、成人した後でも「花嫁修業」と称して親と同居している女性も少なくなく、親や周囲も肯定している。

若い女性の幼児性や頼りなさは「かわいらしい」と異性から受け入れられ、そういった女性は知らず知らずのうちに演技しているしそれが自分の個性だと思いがちです。


                『世間と風俗』(アメリカ)


 喜怒哀楽の表現は表に出すが涙を流すような感性の抑揚は繁茂に見られなく、感情の起伏は激しくても容易に涙を流すことはない。

男性も女性も笑う時は相手に顔を背けず正面を向いて大きな声を揚げながら喜びを表す。

手で口を覆いながら笑っている人は悪口や秘密の話をしている印象を与え卑屈で陰険だと思われる。

服装は個人の好みや個性の表現であり自由であるべきだと考える人が圧倒的である。

固定観念にとらわれず奇抜な服装の人も多い。

流行に関してはそれほど敏感ではなく、流行の中に個性を表現する人が殆どです。

制服の有る学校は珍しく、職場でも服装は自由である。

制服は形式的な価値観より機能的な視点から導入され、職場の上司も服装にこだわらない。

若い女性は自立している者が多く、高校までは親と同居しているがそれ以降は進学しようと就職しようが本人が決め、親から離れて暮らす。

高校卒業後は経済的にも自立し、幼児性や頼りなさは未熟の延長であるとして否定的に考えられ決して「かわいらしさ」とはとらえられない。

幼児性を伴う嗜好や依頼心の強い女性は男性から敬遠され、男性と肩を並べて対等に生きていこうとする姿勢がみられる。


                 『食事中の音』(日本)


 日本では食べ物を口の中に入れて話をしたり噛む際に「クチャクチャ」という音などは不作法と嫌われ周囲から敬遠されます。

家庭で食卓を囲む時は母親から茶碗の持ち方から箸の上げ下げ迄躾けられ、ご飯を残そうものなら「勿体ない」と怒られて育ちました。

けれど現在は核家族化が進み家族一緒に食卓を囲むことも少なくなり、ましてや祖父や祖母と一緒に暮らす家庭も少なくなり食事時のマナーもおざなりになってきました。

子供も自分勝手に食べる事が多く、人前でゲップを出したり歯の隙間から息を吸ったり食べ物を咀嚼する音を失礼なこととは知らずに当たり前だと思うようになってきています。

家族で食卓を囲む時には食べ始める前に「頂きます」、食べ終われば「御馳走様でした」と口に出して感謝の気持ちを表したものですが、今や母親でさえも食事時のマナーを知らない人が増えつつあります。

外国の人に不思議に映るのが蕎麦やラーメンを勢いよく啜り込む光景ですが、これは麺類を細かく噛んで飲み込むのではなく、麺そのものを咽喉に流し込んで楽しむからで、日本の風習です。


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