18.聖女は醤油を手に入れる
「ニーア、もしかして読めるの? すごくない?」
シエラが驚いたように聞いてくる。
とはいえ私もすぐには答えず、もごもごと口ごもった。
しまった、思わず言っちゃった……。
この世界の共通文字はアルファベットのような表音文字。漢字のような表意文字は使われていない。
多分、東の大国は漢字を使う国だったのだ。しかし、今ではそんな基本的な情報さえも忘れられ、失われてしまった。
鳥居と狛犬もそうだし、かなり日本に近い文化だったのは間違いなさそうだ。
でも普通の人は読めないはずなわけで……。
壺に醤油と書いてあるが、それをいきなり読めるのはおかしな話である。
何か、うまく理由付けを……!
「……んー、ん~……何か本で読んだっ!」
もーいいや。うまい言い訳なんて思い付くかっ。
勢いでごまかそう。
私は即断すると満面の笑みで答えた。
「すごいですね、聖女様……! この大国についてはほとんどわかっていなくて、古い記録も少ないのに……」
「アステリアには古い本が一杯あるけど、よく読めたわね……。その根気強さに感服するわ」
嘘は付いていない。
本で読んだ――前世の教科書で勉強したことだから読めたのだ。
この世界で読んだわけではないけど。
「……合っているかは自信ないけど」
「現状、他に手掛かりもないしねぇ。うーん、これは……中身は液体かなぁ……?」
壺を揺すりながらシエラが首を傾げる。封印は厳重で、振っても音はしない。
中身は外からわからないだろうに、シエラは正確に言い当てていた。
「振ると重心が動くんだけど、固体や粉じゃないっぽいのよね……。さらっとした液体だと思うわ」
「開けてみますかっ!?」
「そうね、何かあっても私達なら対処できるし……屋敷でやるよりここでやる方がいいでしょ」
私も中身はすごく気になっていた。
もし醤油なら――なぜこんな所にあるかは置いておくとして、大きな収穫だ。
なぜなら魔法技術で増やせるから!
素晴らしき異世界と魔法!
もちろん莫大な魔力がいるし、普通ならやらないけれど。
錬金術に秀でたシエラなら、いずれはこの醤油を量産することも不可能じゃない。
私の生きている間に醤油に囲まれた生活ができる……!
もし本当にそうなれば、料理のラインナップが大幅に増やせる。
壺を地面に置いていざ封印を解こう――という時になって、ユキが私の袖を軽く引っ張った。
こっちを見て、という感じで。
「わふぅ、わふっ!」
「えっ……どうしたの?」
駆け出したユキが少し走って立ち止まる。そして地面を軽く掘り出したのだ。
「わふ……わふわふ!」
「ここにも何かあるよ――ってことかな」
「では、私が行ってきます!」
エリアンがユキのそばに行くと、ユキはすっと退いて場所を譲る。
「どうやらあそこを掘って貰いたかったようね」
「だね。他を掘るのは任せるとして――封印をひとつ解いてみないと」
壺の封印はしっかりとしてある。
魔力が多重に組み合わさり、不可視のサランラップで巻いたかのようだ。
ちまちまやると、意外と時間がかかりそうだった。
ここまできてお預けとは……。
うぐ、早く中身を……!!
「そうねー、ぐるぐる巻いてある感じだし、私がちょっとずつほぐしていって――」
「むんっ!」
ぱりんっ!
私が右手に魔力を込めて壺に触り、封印を一発で粉々にした。
さようなら、醤油に立ちはだかる封印よ。
お前は邪魔だったのだ……。
かなり力任せというか、まぁ強引ぽいけどうまくいったようだ。見事に封印だけが解かれて、壺には傷ひとつない。
シエラがぱちくりと目をしばたたかせるが、すぐに満足そうに頷いた。
「……ま、細かい過程はどうでもいいわ。ええ、早く正確に出来れば問題なしよ」
「シエラならそう言ってくれると思った」
「アステリアの七面倒くさい儀礼や慣行で長年生きていればね……。でも、よく一発で出来たわね。魔力操作にさらに磨きがかかってるわ」
そう言ってシエラは私を撫でてくる。
子ども扱いされてるかなぁ、と思わなくもない。しかし気分は良かった。
どちらかと言うとシエラの方がお姉さん気質だし。今の世界でこうしてくれる人は他にいない。
「それで中身はどうかしら……っと」
「開けてみるね」
壺は蓋まで黒塗りの陶器で出来ている。
ごくりと喉を鳴らしながら、ゆっくりと蓋を開けて――特に何も起こらない。
「すんすん……腐ってはないようね。なんだろ、少ししょっぱい匂いがするわ」
感覚の鋭いシエラは開けて、すぐにすんすんと匂いをかぐ。
続けて壺を覗いた私も、慣れ親しい匂い――醤油の匂いを感じ取った。
ああ、懐かしい……!
本当に醤油だ! ついに出会えたのだ!
「……うん、そうだねっ」
思わず顔を綻ばせた私に、シエラが小首を傾げながら問いかける。
グルメなシエラは中身もある程度推測しているらしい。
「間違ってなければなんだけど…………これってソース?」
「そうそう! よくわかったね!」
「魚醤に似てるし、各国にこーいう液体調味料はあるから……でもずいぶん匂いがまろやかで気品があるわ。王公貴族向けだったのかしら……?」
醤油は比較的新しい調味料だ。確立したのは江戸時代――こちらで作られたことがあっても、かなりの高級品だっただろう。
つらつらとシエラも自分の考えを口にしていく。
「……うーん、でもどんな料理に合うかなぁ。例えば――ビーフシチューとか?」
あっ! と私は小さく叫んだ。
ビーフシチューで思い出した。醤油だけでも作れる料理を。
確かその料理はビーフシチューを作ろうとして生まれたと聞いたことがある。
本当はみりんがあった方がいいんだけど、レシピ的には問題なく再現できる。
他に砂糖と肉と野菜があれば……。
そう、魅惑の肉じゃが……!