10.聖女はホタテのバター焼きを食べてみる
料理はまず食べられそうに見えるか、食指が動くかが重要だ。おいしい、というだけでは手にとって貰えない。
色んな人に売り込むには、ここが大事だ。
各々の目の前に置かれたホタテは、とてもおいしそうに見えた。
でも、他の人はどうかな?
「おー! いいじゃない、いいじゃない! それっぽい出来上がりになっているわ」
「魚や肉とは大分見た目が違うのですね……貝を食べるのは初めてですが、バターの香ばしさは食欲をそそります」
「面白そうな弾力がありますね……! おいしそうです、聖女様!」
口々に誉められた! 良かった、おおむね好評のようだ。まずはそこにほっとする。
私にとっては食べ慣れていた料理でも、こちらでは全く馴染みがない。
とりあえずは食べてもらえるだけでも感謝だ。
「あとは、味ね……!」
身はかなり大きい。私はナイフをすっと動かし、フォークの上にホタテの身を動かした。
ぷるっとした身が震えるのを見て、ごくりと喉がなってしまう。
前世以来の貝料理だ。
「……いただきます!」
一気にかぶりつく。
ぱくり。じゅわっと汁が口内に広がり、バターのまろやかさが突き抜ける。
身も固すぎず柔らかすぎず、ちょうどよい弾力がある。噛めば噛むほど、焼けた身の旨味が体を痺れさせていく。
「おいしい……っ!」
ああ、これは確かに前世で食べた味だ。
二十七年間、遠ざかっていた日本の料理だ。
シエラももぐもぐと頬張り、噛み終えると――耳をぴくぴくと動かした。
知ってる、これはおいしい物を食べたときの反応だ。
「珍しい食感ね……磯とバターの風味が合わさっているのもいいし、これは当たるわ!」
「本当に……? ヴァレンストの人もそうだけど、他の国の人も食べてくれるかな」
「身は白くて、変な形はしてないわ。それに貝殻を取るのもそんなに難しくはないのよね?」
「うん、出来れば専用のこじ開ける器具を作れれば……最悪はナイフでも」
日本の家庭でもホタテの貝殻を開けるのは普通にできる。
エリアンも首をぶんぶんと縦に振り、おいしいとアピールしている。
「これは……すごいですっ、特別な調味料なしでしっかりと味わいがあります! ホタテなら沢山捕れるので、港の人もお腹一杯食べられますよ!」
「捕れる量は問題ないわけね」
「ええ……ああ、聖女様に感謝いたします! あと海にも! バターにも!」
最後に私はフォルトを見る。
エンブレイス帝国の皇子、六星教会の枢機卿である彼は相当な食生活を送ってきただろう。
私の人生の大半は魔物討伐に費やされており、本当の宮廷生活は短いものだ。
戦場では干し肉やパンがほとんど。よくて野菜のスープがちょっと付くだけ。
アステリア王国ではそこそこ良いものを食べていたとはいえ、世界的にどうなのかは判断がつかなかった。
フォルトもすでにひとつめのホタテは食べ終えていた。優雅にナプキンで口を拭う。それさえも絵になるのが恐ろしい。
固唾を呑んで反応を見守ると、真面目な顔をして呟いた。
「……素晴らしい。これは領地の大きな武器になります。他国にも輸出できるでしょうね」
「それは良かった……。でも、新しい食べ物ってそう簡単には普及しないんじゃないですか?」
特に世界的に貝を食べる習慣がないのだ。手軽に捕れるヴァレンストでは消費できても、売り出すにはハードルが高いように思えた。
しかしフォルトは自信たっぷりに、まるで勝利を確信したかのように微笑んだ。
「普通ならばそうでしょうが、その点については他の食材よりも簡単に行くでしょうね。ホタテは元々、教会の祭具として各国に出回っているのですから」
「あっ……! そうか、食べる習慣はなくても名前と形は知っている人が結構いるんだ!」
「教会に仕える者ならば、誰でも見て触っています。もちろん商人もホタテの貝殻だけは取り扱っています。身が食べられました、というだけなのです」
フォルトの言うことは尤もだった。
完全に未知の食べ物ではなく、すでに知られたものが食べられるというのが大きい。
宗教的にオッケーなら、売りにも出せる。
「……それを抜きにしても、実に興味深い食材ですね。食感がなんともいい」
「バターで焼いておいしいんだから、ワインで焼いてもおいしくなるんじゃないかしら?」
シエラがグルメらしく、早速日本でも使われているメニューにすぐに思い至る。
酒蒸しもちょっとした道具あれば案外できてしまう料理だ。
ホタテ自身が大丈夫ならきっとそれも好評だろう。
ああ……魅惑の貝料理。酒蒸しのホタテは今度、やろう!
「これもまた肉ならば、干したり漬物にすることで保存食品にもできるのでは……。貝殻とセットで売り出すなら……」
ぶつぶつと考え込むようにフォルトが呟いている。彼の聡明さはすでに様々な可能性を検討しているらしい。
少しの間そうすると、フォルトはエリアンに指示を出した。
「エリアン、至急ホタテの漁獲量と保存体制、輸出に伴う問題点の洗い出しをお願いしますね」
「はいっ! 大特急でやります!」
とりあえずは一安心だ。
フォルトの指示は私の考えが的はずれではなかった証。
勢いのままにホタテを焼いて食べてみたけれど、領地の問題解決の役に立てたらしい。
それが一番だったので、素直に嬉しい。
食料事情と財政、領主としての役割は果たせたのかな?
寝ててもいいと言われても、ヴァレンストは発展途上だ。一人だけ惰眠を貪るのは気が引ける。
エリアンとの打ち合わせが終わると、フォルトはすっと近づいてきた。
「感謝いたします、ニーア様。あなたのおかげで領地の経営と交易に可能性が見えてきました。まさかたった一日でこれほど進展があるとは思いませんでしたが、これが聖女としての御力ということなのでしょう」
「それは何よりです――ふぅ、足手まといにはなりたくありませんから」
「ニーア様が示した可能性は、必ずモノにいたします」
「私もいるわよー、メニュー開発や魔法具なら任せてよね!」
「ありがとう、シエラも頼りにしているよ」
とりあえずは第一歩だ。
領主としてのお仕事は始まったばかり。
それでも私はアステリア王国とは比べ物にならないほどの自由と手応えを感じていた。
自分の手で変えて、皆のためにうまくやること――これは何にも替えがたい喜びがある。
檻の中ではなかったこと、数年ぶりの達成感だ。
「……皆がおいしそうに食べてくれるのって、嬉しいですね」
ニーアはまだ知らない。
彼女がいずれ、東の名君と呼ばれることになることを――。