9話:甘い香り
ラガン冒険者組合の一階フロアの営業は、夕方に鳴らされる教会の鐘の音とともに終了する。
営業が終了すると言っても、あくまでも一階フロアの営業が終了するだけである。
冒険者が持ち込む採取物やモンスターの討伐を証明する特定部位を受領する鑑定課や冒険者からの救助要請が合った時に対応する支援課などは基本的に課としての休みはない。
一階フロアも営業時間が終了したからといって、その職員達も直ぐに勤務が終わるという訳ではない。
その日一日の売り上げを合わせる大切な仕事が待っている。
受付の金庫に入った硬貨を数えながらシャノンはピエリスの事を考えていた。
今日、初めて登録した男の子の冒険者は元気に毒消し草の採取依頼に行ったまま、結局、その日の営業時間中にアイテム受領証を持って受付に現れなかった。
もちろん、日付指定のある依頼以外は必ずしも同日に完了する必要もないし、また完了していても採取物を鑑定課に持ち込んでいないだけの可能性や、持ち込んでアイテム受領証が発行されたけれど、それを受付で換金していないだけという可能性も十分に考えられる。
きっと、きっと明日元気な顔をして『ちょっと簡単過ぎたよ!!』と自慢げに受付に来てくれるだろうとシャノンは必死に自分で自分にいい聞かせた。
「シャノンちゃん。ちょっといいかな?」
若手男性事務員のフロックスが声をかけてきた。
いつもの爽やかな笑顔はなく、真面目な表情をしていた。濃淡な青の瞳もどことなくいつもより濃い色をしていた。
「はい。…えぇと、なんのご用でしょうか?」
シャノンは戸惑いながら答える。
「ちょっと地下の整理課まで行って欲しいんだ。行けば分かるようになっているから」
「地下の整理課ですか?」
シャノンは整理課という名前の課を初めて聞いた。
ラガン冒険者組合に入職した直後に受けたオリエンテーションでは聞くことが無かった課だ。
「えぇと、でもまだ、受付の金額が合ってないのですが……」
「それは途中のままで良いわ。……私も一緒に行ってあげるから。フロックス、続きお願いね」
シスルが会話に割って入ってきた。シスルも普段の笑顔はなく、その端整な顔は少し寂しそうだった。
「わかりました」
フロックスは頷き、シャノンの担当していた金庫の硬貨を数えだした。
「えっ!?」
シャノンは事態が飲み込めないまま。シスルに手を引かれ一階フロアの扉を出た。
シスルは無言のままシャノンの小さな手をぎゅっと掴み、普段あまり使われていない廊下を進んでいく。
冒険者組合特有の喧騒さはなく、まるで別の建物のように廊下には二人の足音だけが響いていた。
廊下の先には薄暗い地下への階段があった。
普段使われていない、少なくともシャノンは使った事がない階段であったが、何故か綺麗に掃除されている階段であった。
階段の先には組合長室と同じような重厚な扉があり、壁には『整理課』と書かれていた。
扉の前には一人の男が立っていた。その男は銀縁の眼鏡をかけ、『高級そうな』黒のスーツを身に纏っていた。どことなく貴族の様な気品さえ感じられる男だった。
「シャノンさんですね。整理課のコニウムです。お忙しい所お越しいただき誠にありがとうございます。……シスルさんもご同行頂き大変助かりました」
コニウムはゆっくり、そしてはっきりと聞き取りやすい声をしていた。
「あ、あの。これはいったい…」
シャノンは戸惑いながら辺りを窺う。
「どうぞ此方へ」
コニウムは洗練された身のこなしで重厚な扉を開けた。
シャノンとシスルは勧められるまま、部屋へと入っていく。部屋に入る時、コニウムのほんのりと甘い『嫌みのない』香水の香りが二人を包んだ。
部屋の中は重厚な扉の割に、豪華な装飾品は一切無い殺風景な部屋であった。
いや、正確には、豪華な装飾品どころか、中央に置かれた白い作業台以外は何も無かった。
コニウムは中央の台の横に立ち、シャノン達もその 横に並んだ。
「…!!?」
シャノンは作業台の上にあるものを見て思わず息を飲んだ。そして、先程から握っていたシスルの手を強く握り返していた。
白い台の上には人間の右腕がそっと置かれていた。




