5話:意外な能力
「えぇと、ニーサ湿地はここ、バダナ樹海はここ、こっちはスリポペルセ洞窟です」
営業時間が終わり、誰もいないフロアに一ヶ所だけポツリと明かりがついている。その下で大きな地図をシャノンの細く透き通るような白い指が滑らかになぞる。
仕事中、いつも周りの男性を虜にする『笑顔』を崩さないシスルが思わず真顔で、シャノンの流れるような指先を見つめている。
「な、何で冒険者組合のそれも新人受付嬢のあなたがこんなにも周辺の地理に詳しいの?」
シスルは当たり前の疑問を口にせずにはいられなかった。
普段とは違う、シスルの真面目なトーンの声にシャノンは思わず肩を狭め、うつ向きながら
「えっ、だっ、だって初めてお会いした時、あの、ちゃんと、ボクは本当は冒険者希望だって、その、言ったじゃないですか…」
シャノンはまるで先生に怒られている生徒のようにモジモジと小声で答えた。
シスルから出された最初の課題の『追試』を何とかクリアしたシャノンは次に出された課題に早速取り組んでいた。
先程「『しっかりと』仲介手数料を貰うには冒険者の事を覚えるだけじゃ足りないんだけどね」
そう言ってシスルはシャノンにラガン冒険者組合があるラガンの街周辺の大きな地図を見せ、
「冒険者に依頼の内容を説明するときには当然にその目的地の地理や環境を理解してないといけないわ」
とシャノンに新たな課題を出してきたのだ。「今日は追試があったので『出来れば』明日中、『遅くとも』明後日までには覚えておくように」とシスルが言ったら、シャノンから「あの…それでしたら今日でも…」と思いもよらぬ答えがあった。
そこで急遽テストをする事になったのだが、常連の冒険者のプロフィールを覚えるのに四苦八苦していたシャノンを見ていたシスルには信じられない光景がそこにはあった。
追試の時とは別人のようにすらすらと周辺のフィールドの名前や気候・そこに生息する植物やモンスターしかも時間帯や季節によって変わる生息域まで事細かく説明するシャノンの姿があった。
地図の端から端まで全て説明したシャノンにシスルはそっと後ろから抱きつき右手でシャノンの左の頬を触りながら
「冒険者か。そう言えばそんなこと言ってたわね。でも予想以上に良くできててビックリしちゃった」
と、まるで血のように紅に染まったシャノンの耳元でそっと囁いた。そしてシャノンと初めて会った時のことを思い出した。
シスルがシャノンを最初に知ったのは、半月程前にシャノンが冒険者組合の受付嬢として入職する前日のことであった。
その日、何故かシスルは組合長から直々にそしてこっそりと呼び出しがあったのだ。
普通ならば冒険者組合一階のフロアは受付を含め、事務局長の管轄である。人気ナンバーワンの受付嬢であるが、『多少』やんちゃな所があるシスルが『ちょっとした』問題を起こした時はいつも事務局長が対応をしている。
何か隠している事がバレたのかと内心少しだけドキドキしながらシスルは組合長室の重厚な扉をノックし中へ入った。
「おお。ようやく来たか。ちょっとそこにでも腰かけてくれ」
部屋の中には上半身裸になり汗だくで鉛製の大剣を片手で振る組合長のラガンがおり、野太い声でシスルを豪華なソファーへと促した。
歳は既に六十を過ぎているが、とてもその年齢には見えない張り裂けんばかりの筋肉にはおびただしい数の傷痕が刻み込まれている。その中でも左の首筋から右の脇腹までくっきりと残る三本の爪痕は見るものを釘付けにする。
ラガンと言えば、このラガン冒険者組合を含めたラガンの街そのものを、若かりし頃、その身ひとつで切り開いた英雄だ。
遥か昔にモンスターにより占領され、捨てられたこの街をモンスターの手から解放した実績が認められ、名誉貴族の称号と街そのものを領地として国王から拝領した伝説の冒険者である。
そんな伝説の冒険者がシスルの前にいた。
ラガンは鉛製の大剣を壁に立て掛け、汗を拭きながら、ピシャンとスキンヘッドの頭を叩いた。
「わざわざ呼び出してすまんな。お前さんとちょっと話したい事があってな」
ラガンは鋭い眼光をシスルに向けた。
「どの様なご用件でしょうか?」
シスルは笑顔で、そして努めて冷静に対応していた。しかし頭の中では隠している様々な事について、何がバレていても大丈夫なように、それぞれの言い訳を必死に考えていた。
ただ、隠し事は思い出すだけでもキリがなかった。ついこの間も、ラガンの街に視察に来たクルウ王国の王子がシスルの美貌に一目惚れをして、王子に求婚されるという事件があったが、あまりにもしつこかったので『丁寧に、キッパリと、完膚無きまで徹底的に』お断りをしたことがあった。あれは正当防衛というかなんというか…
「正当防衛がどうかしたか?…いや、ワシはこのボーズの世話をお主に頼みたくてな」
ラガンはそう言うと、自分の執務机の方を振り返った。