20話:先輩の金遣い
「事務局長、これが本日の売上明細書と現金の残高書です」
エノメーナはそう言うと、恭しく二枚の書類を机の上に置く。
「ああ、ご苦労」
エノメーナと漆塗りの豪華な執務机を挟んで座っている男性は無機質な声で応える。
事務局長と呼ばれた中年の男は、焦げ茶色の髪を油でピッタリと七三に分け、四角い銀縁の眼鏡をかけていた。
薄い唇をへの字に結び、エノメーナを一瞥もしない。
事務局長は、目の前に置かれた二枚の書類の合計額だけを確かめると、雑に検印を押す。
「金庫はいかが致しますか?」
「十日前に見たばかりだ。そんなことわざわざ聞かなくても分かるだろう?」
エノメーナの問いに、事務局長は明らかに不機嫌な声で答える。
一向にエノメーナへ視線を向ける気配すらない。
「そうしましたら、本日は施錠させて頂きます」
「ああ、そうして君もさっさと帰りなさい」
事務局長は吐き捨てるように言うと、右手でヒラヒラと出ていく様に促した。
「……失礼します」
エノメーナは深くお辞儀をして足早に事務局長室を後にする。
重厚な扉が閉まりきる直前、
「全く、何年やってるんだ。ダラダラと無駄に長く居るだけで、新人と代わり無いじゃないか」
という、事務局長の声が隙間から漏れてきた。
◇◆◇◆◇◆
ラガン冒険者組合から徒歩で15分程の場所にラガンの街の歓楽街がある。
キャバレーやスナックといった店はもちろん。多種多様な飲食店、風俗店があり、ラガンの街の魅力の一つとなっている。
ラガンの街は、長い間、魔物達に占領されていた街を、伝説の冒険者であるラガンが奪還し再興した街だ。
場所も王都から遠く離れており、初めは主となるような産業も無かった。
そこでラガンが力を入れ誘致したのが今の歓楽街を形成している飲食店と風俗店だ。
飲食店はともかく、風俗店を領主であり、貴族のラガンが表立って誘致するこに、王都にいる一部の貴族からは「貴族の品格を落としている」や「野蛮な冒険者は目先の金しか目に入らない、街を治めるのは無理だ」などの意見が出ていた。
実際にラガンの爵位剥奪の運動も有ったそうだが、当の本人はそんなことは気にも止めず、新しい街に金の匂いを嗅ぎ付けてきた商人達と瞬く間に商談を纏めていった。
そして商人達と同じく新しい街を縄張りにしようとコソコソと動き回っていたチンピラ達を見つけては、丁寧に説得をして風俗店の切り盛りをさせるようにしたのだ。
好奇心溢れる冒険者達は放って置いても未開の地への最前線であるラガンの街にやって来る。
その時のに如何に街に金を落とさせるか。
『食欲』と『性欲』。伝説の冒険者ラガンが出した答えは単純だが、実に合理的であった。
常に危険と隣り合わせで、明日をも知らぬ冒険者達は稼いだ金を湯水の如く使う。
その恩恵に与ろうとする商人が街の開発に金を出す。
そんなWIN-WINの関係でラガンの街は急速に発展を遂げ、気が付いた時には如何に王都の貴族であっても下手に手を出すことが出来ない状況になっていた。
冒険者により造られ、冒険者により育てられた街『ラガン』。冒険者組合が表の顔だとするのならば、歓楽街は正にラガンの街の裏の顔と言える。
その歓楽街の中にある一軒の酒場に居心地が悪そうに座るシャノンの姿があった。
美しい黒髪の美少女が一人で酒場のテーブルに座る。
明らかに周囲から浮いている事をシャノンもひしひしと感じていた。
「うぅぅ。何か見られてる気がします。」
シャノンがゆっくりと目を向けるとそっと目を反らす周囲の客達。そしてシャノンの目が逸れると再びシャノンを見て小声で何かを話している。
何を言われているか分からないが、恐らくは自分のことについて話しているのだろうと、シャノンは駄々でさえ小さい体を更に小さくし、フードをすっぽりと被ってうつ向く。
「シャノンちゃ~ん。お待たせ。遅くなってごめんね」
急に名前を言われ、ビクンと体を跳ねさせたシャノンが恐る恐る前を確認すると、そこには私服姿のエノメーナがにこやかに微笑んでいた。
「あっ、エノメーナさん。お疲れさまです」
「すっかり待たせちゃってごめんね~。って何も頼んでなかったの? 何か飲みながらつまんでてくれて良かったのに」
エノメーナはそう言うと、シャノンの向かえの席に座り、親しげに若い男性店員を呼んだ。
「シャノンちゃんは何か苦手な物はある? それとお酒は飲めるんだっけ?」
「えっ、あの、……辛いのと苦いのじゃなければ、何でも食べます。それとお酒は苦手で……」
「うふふ。姪っ子と同じ事言ってるわね。それじゃあ、料理はこれとこれ。あとこれも頂けるかしら。私は白ワインで、彼女にはグレープフルーツジュースを」
エノメーナは慣れた手付きで次々と注文をしていく。
「エノメーナさんは良くこちらのお店にいらっしゃるんですか?」
「う~ん。最近はちょっぴり足が遠退いちゃってるけれど、月に二回位は来るかしら。このお店、魚介の料理が美味しいからお薦めよ。シャノンちゃんはあまりにこっちのお店には来ないのかしら?」
エノメーナは仕事中とは違い、実にイキイキとシャノンに話しかけてくる。
深紫色の髪は軽くウェーブがかかっており、青いワンピースはエノメーナの地味な顔立ちには少し派手な印象であった。
「ええと、……食事は冒険者組合の食堂で食べているので、夜は殆ど出歩かないです。それに最近はシスルさんの課題も一杯ありましたし」
「シスルさんもシャノンちゃんを可愛がるのは良いんだけど、もう少し優しくしてあげなくちゃね。入ったばかりなのにあれだけ課題出されると大変でしょ?」
「ええと、その、大変ですけど、熱心に教えて頂いているのでありがたいです」
シャノンはモゴモゴと小声で答える。
「シャノンちゃんは真面目ね~」
エノメーナはそう言うと、美味しそうにワインを口にする。
その後、当たり障りの無い会話をしながら暫く料理を楽しんでいると、
「あ~美味し。お兄さ~ん。これお代わり!」
かなりのピッチでワインを注文するエノメーナ。頬に朱が入り、声もかなり大きくなっている。
「エノメーナさん…大丈夫ですか?」
シャノンは不安そうに尋ねる。
「大丈夫、大丈夫。まだ全然飲んでないから。ヒック。ほら~シャノンちゃんは、ヒック。飲んでないんだからもっと食べなさい。そんなちょっと、ヒック。しか食べないから大きくなれないんだぞ。」
エノメーナはしゃっくりをしながら、もっと料理を頼むようにメニュー表をシャノンへと渡す。
「ボクそろそろお腹一杯……えっ!」
シャノンはメニュー表を目にし、思わず驚きの声をあげる。
「えっエノメーナさん……そのワイン、一杯で銀貨五枚も、りょ料理も最低でも銀貨三枚もします」
シャノンは今まで口にしていた料理の値段を慌てて確認すると、大きな黒い瞳を更に大きく見開き、驚愕の表情でエノメーナを見つめる。
「大丈夫よ。ここはお姉さんに任せて。若い娘はそんなこと気にしないで一杯食べなさい」
「でっ、でも……」
シャノンはざっと今までの金額を頭の中で計算する。
……最低でも金貨八枚。シャノンの首筋に冷たい汗が流れる。
シャノンの……新人の冒険者組合の……給料の約十日に相当する金額をたった一回の食事で使ってしまう。
シャノンの金銭感覚では到底考えられなかった。
冒険者組合の食堂だったら銅貨五枚も出せばお腹一杯食べられる。
もともと食も細く、どちらかと言えば食事に対してに無頓着なシャノンは一刻も早くこの店を出ようとする。
「エノメーナさん、ホントにボクお腹一杯で……時間も結構遅くなりましたので……そろそろ……」
シャノンの言葉でエノメーナも時計を確認する。
「あらっ、やだ。もうこんな時間なのね。そうね。私もこの後、行かなくちゃいけないとこがあるから今日はこの辺にしましょう」
エノメーナも何か予定があるようで、バタバタと帰る用意をする。
その後、会計を頼むと金貨八枚と銀貨六枚。一人分で金貨四枚と銀貨三枚。
レジの前で、お金は要らないと言うエノメーナに、シャノンは強引に半分の金額を押し付ける。
苦笑いする店員に見送られ、二人は店の外へ。
「全くシャノンちゃんは頑固ね~。お姉さんに任せなさいって言ってるのに~。それじゃあ、今日は楽しかったわ。また飲みに行きましょうね」
エノメーナは赤い顔をして、陽気な声でそう言うとフラフラと覚束ない足取りでネオン街へと消えていった。
「はぁ~。エノメーナさんと食事に行ってたらお金が持たないです……」
エノメーナを見送った後、シャノンは深いため息をついてから、独りトボトボと家路についた。




