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人魚の歌 1 

 アパートに帰ると、まっすぐにりりの元へと向かった。

 ぐったりと横たわるりり。


「りり! りり!」


 抱き上げてられても、目を開かない。力なく腕は投げ出されたままだ。

 震えながら、りりの唇に頬を寄せた。かすかな呼吸を感じるが、反応を返さないりりに、恐怖を覚えた。


「りり! 目、開けろよ、りり。……りり」


 俺は、ポケットに突っ込んでいた首飾りを引っ張り出す。情けないことに指先が震える。


「ちくしょ……出来ねえ……」


 声まで震えてくる。首飾りを、今すぐにもりりにかけてやりたいのに、うまく手が動かないんだ。


「ああ……ちくしょう!」


 絶望的な気持ちになりながら、首飾りごと、りりを抱きしめた。

 りり、目を覚ませ。そう祈りながら。


「た う み」


 耳元で、小さなりりの声が聞こえた。

 はっとして、りりの顔を覗き込む。揺り起こされてもピクリともしなかったりりの目がうっすらと開いていた。

 深い緑色の瞳が俺を写し、そしてふわっと微笑んだ。


「どうしたの? たうみ、泣いてるの?」


 すっと持ち上がったりりの手が、俺の頬をなぞる。


「な、泣いてなんかねえよ。海で濡れただけ。一人にしちまってごめんな」


 まだ声は震えているけど、俺は必死で笑顔を作った。


「りりが元気になるもの、貰ってきた。ほら、これ」


 俺が掲げてみせた首飾りを見たりりの目が、次第に大きくなる。


「それ……!?」


 首飾りを持った俺の手をりりが両手で包み込んでいた。


「うん。りりのお兄さんに会ったんだ。すごく心配してた。りりにこれ持っていってくれって、渡されたんだ」

「おにいちゃん……」

 

 りりは、体温が低い。それでも抱きしめていると、ほんのりと温かみを感じる。細い肩に手を回して、そっと力を込めた。

 生きている。りりは、生きている。

 体の震えが落ち着いてくる。

 ズズッと鼻水を啜って、はっと我に返った。


「ごごご、ごめん、りり」


 抱きしめていた腕の力を抜くとりりは、なにが? とでも言うように首を傾げる。

 俺は気恥ずかしさを誤魔化そうと、早口で話し始める。


「いや、なんだ……水。海水も持ってきたんだ。あんまいっぱいじゃないけど。風呂に入れようか? 磯のにおいがするかもしれない」


 りりは静かに首を横に振った。


「ううん。もう大丈夫。それよりひとりぼっちで寂しかった……ら、そばにいて欲しい」


 こんな、知り合いもいないちっさなアパートで一人だもんな。寂しくもなるよな。


「たうみ? どうしたの? たうみ? やっぱり泣いてるの? たうみ?」


 眉根を寄せて俺を見上げている。

 ホントに、馬鹿だなりり。

 いいか? お前を捕まえて、ここに閉じ込めてんのは俺だぞと、言ってしまいそうになる。

 それなのに、俺の作ったかき氷なんかをうまそうに食べて、そんな心配そうな顔して俺を見ている。

 ホント、馬鹿だな。そんで、めちゃくちゃ……かわいい。

 でも、俺はりりを手放す。

 もう俺の腹の中ではそう決まっていた。

 ずっと考えてこなかったことを、考えれば考えるほど、答えは同じ方向に向かう。

 

「いや、なんでもないよ。ちょっと海が寒かっただけ。そうだ! りり、明日さ、りりの兄ちゃんと海岸の岩場でまた会う約束したからさ。一緒に行かないか? 近くまで大きなクジラ連れてくるよ、きっと」

「イサナ?」

「そう、いさなって名前なんだってな」

「……そう」


 そう言って、りりはうつむいてしまった。もっと、喜ぶと思ってたんだけどな。


「りりも……りりも一緒に……行くだろう? …………うみ」


 深い緑の瞳が、俺を写していた。多分俺の目には、りりが映ってる。

 時が止まってしまったかのようだった。

 りりの瞳に透明な幕が張り、蛍光灯の光を反射して、きらきらと輝いた。


「たうみ」


 小さな口元が、俺の名を呼ぶ。


「たうみは? わたし……行ったら、また、もどって……られるの?」


 戻る? 俺には答えることが出来なくて、りりの問をはぐらかす。


「何言ってるんだ、よ。りりの戻るとこって、海だろ? 兄ちゃんのいるところだろ?」


 俺はうまく笑えているだろうか?


「嫌だよ、たうみ。海は好ぅい。でも、もどって……ないのは嫌。わたし、たうみといたい」


 馬鹿じゃないのか、りり。

 俺は卑怯者だと思う。りりを拾って、ここに閉じ込めて。すぐに海に逃がしてやることも出来たのに、それもせずりりを所有した。

 りりにしてみたら、助けてもらったと思ってるのかもしれないけど、そんなたいしたもんじゃない。

 だけどりりを見ていると、そんなごちゃごちゃしたことはうっちゃって、ただただ愛しいと思う。これって、なんだろうな。

 腹の底から湧き上がる、わけのわからない感情を抑えることが出来なくて、俺はしゃがみ込むと精一杯の力でりりを抱き込んだ。このまま、りりが俺の体の中にズブズブと入り込んでしまえばいい。だけど……ぐしゃぐしゃにかき回した長い髪に頬ずりをするけれど、その髪の毛一筋だって、俺とりりが交わることはない。


「たうみ」


 りりの細い腕が俺の背に周り、指が背にしがみつく。


「りり。俺もだよ……りり。大好きだから。だから。りり……」


 りりの向こうに青い海がみえた。金色の波に縁取られて、青がたゆたっている。そして底なしの深い翠。人間が誰一人としてたどり着いたことのない、その世界。

 きっとそれが、りりの住む世界。


「帰るんだ、りり」


 ずっと、ずっと思ってるから。もしも会えなくなったとしても。りりのことを、思っているから。

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