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 俺は大海原の上にいた。頭の上には星空。前も後ろも右も左もチャプチャプとたゆたう波。

 なんじゃ、こりゃ!?

 俺は何か黒くてつるりとしたものの上に、乗っている。俺はその謎の物体を、手でなでてみた。


「なんだ? これ?」


 俺のつぶやきに反応するかのように、その黒くてつるりとしたものがうごめきはじめる。


「うわ!」


 俺は思わずそこから転げ落ちそうになった。

 ぐぐっと水面から持ち上がり、次には下がっていく。海の中へ落ちる! 恐怖が俺を襲ったが、その黒くてつるりとしたものは、そこで動きを止めた。

 腹ばいになり身を伏せていた俺は、顔を上げて辺りをうかがう。


「ようやく目が覚めたか」

「うっひゃあ!!」


 突然の声に飛び上がった。

 四方八方波ばかりの、海ど真ん中で声がかかるなんて思わないだろ? 驚いたってしょうがないと思う。


 とはいえ、自分の発した奇声が恥ずかしい。

 振り返ると、長い髪の男がいた。その長い髪は真っ白で、月の光を受けてきらきら輝いている。めっちゃファンタジー!


「誰?」


 そんなマヌケな言葉しか出ない。

 白髪とはいっても、目の前の男は老人ではない。それどころか、裸の上半身はまるでミケランジェロのダヴィデ像みたいな筋肉だ。首には何本もの首飾りが下がっているし、額にあるものは、サークレット? とでも言うのだろうか。そして、下半身は鱗に覆われた魚の尻尾。


「人魚?」


 男の人魚は鋭い目で俺を見ていた。はっきりと澄んだ緑の目。


「リュリ……エデュヘル……サオン」


 そんなふうに聞こえる言葉を人魚がつぶやいた。


「リュリ……? りり? あんた! りりの知り合いか!?」


 俺が身を乗り出すと、男は後ろに下がり俺から一定の距離を保つ。


「リュリは、無事か?」


 発音は多少独特なものの、男の人魚はそうはっきりと言った。

「か」という言葉を言う時に軽くくぐもるが、それでもりりよりは聞き取りやすい。短い会話の中でも、それは感じる。


「あんた……日本語しゃべれるのか?」

「ツゥエン・イハン・サオン」


 男は俺を睨みつけたまま言った。


「ツゥエン……ギ?」

「妹は、リュリ・エデュヘル・サオン。私は、ツゥエン・イハン・サオン」


 えええええー。

 この人、つまり、りりのお兄さん!

 俺の肩から力が抜けていく。

 この人なら、りりの不調の理由がわかるのかもしれない。


「おにいさん! りりが……ぐったりしてるんだ。だから俺、海の水を汲んでいってやったら元気になるかと思ったんだけどさ」


 俺が話しているうちにもお兄さんは自分のしている首飾りを一つ外した。人魚の首飾りは、あまり見たことのないような不思議なデザインだ。真珠がはめ込まれた繊細な細工の施された首飾りが、人魚の手のひら上で、きらめいた。

 

「これをリュリに。魔力が込められている」

「ま……魔力!?」


 やれやれとでも言ったように、お兄さんは横を向いて嘆息した。

 あ、その表情。なんかすげーバカにされた気がする。


「わたしたち人魚の一族には、魔力がある。たいてい人魚は魔力の込められた装身具を身に着けているものだが、リュリは何も身に着けずに飛び出した。あの子はまだほんの子どもで、どこで何をきいたものか、人間の世界に憧れを持っていたのだ。必要以上に怖がらせてはならないと、人間が私たちにしてきた仕打ちをきちんと教えなかったのが良くなかったかもしれないな」


 俺は差し出された首飾りを受け取った。


「それをリュリに渡してくれ。一時的には良くなるだろうが、海の魔力は、陸に上がれば衰えていく。リュリは戻らなければいけない」


 お兄さんの、まるで宝石みたいな目が、俺を射る。

 確かにお兄さんの目には魔力があるのかもしれないな。なんだかすごい目力を感じる。


「人間が人魚にしてきたこと?」


 俺の知っている話といえば、おとぎ話の人魚姫くらいなものだ。人魚と人間が関わっていた話なんて知らない。


「人間は人魚を見ると、たいてい捕まえる。そして殺す」

「ころっ!?」

「海の魔力から離れれば、人魚は長く生きることは出来ない。長く海から離されれば、それだけで命の危険にさらされるのだ。それだけではない。時として人は人魚を食べる」

「た……たべる!?」


 リリのお兄さんは冷たい目で俺を見ている。でも俺、人間が人魚食べたなんて話、知らねえし。


「知らないのか? 人魚の肉を食べると、不老不死になると信じられているそうじゃないか?」

「ん?」


 あ、なんかそんな話、聞いたことある気はするけど。それってそんなに誰でも彼でも知ってるはなしじゃないだろ?


「食った方は忘れても、食われた人魚は忘れない」

「……すいません」


 まあ、一回でも食われればそりゃ、忘れないよな。

 お兄さんの口からまたもや大きなため息が吐き出された。


「とにかく、その首飾りをリュリに。お前、明日も海岸の岩場に来れるか?」

「へ?」

「だから、首飾りの魔力も、陸に上がればすぐに弱くなる。それにりりは弱っているのだろう? 新しいものを私が持ってくる。それをりりに渡せ。出来るか?」

「わかった! わかったよ。それでりりが元気になるんだな?」

「そうだ。そして、元気になったら、りりを、妹を、海に返してくれ」

「りりを? 海に?」

「そうだ、出来ないのか?」

 

 お兄さんは俺の目をじいいいっと見つめた。


 りりを、海へ――。


 その選択肢を、今まで気が付かずにいたほうがどうかしてたんだ。

 本当なら、りりが気を取り戻した段階で、すぐにでも海に返してやればよかったんだ。

 どうして俺は、そんな簡単な解決方法を、今まで一度も思いつかなかったんだろう?


「ははっ」


 唇からは乾いた笑いが漏れた。

 気が付かなかった?

 気がついて、それでも目をそらしていただけじゃないのか?


 ――巧、カブトムシ、もう逃してあげたら?

 ――やだよ! 僕が捕ったんだもん。僕のだもん。

 ――しょうがないわねえ。ちゃんとお世話するのよ。死んじゃったら、お墓作ってあげてね。


 耳の奥で、かつての母と自分の会話が聞こえた。

 ガンガンと痛む額を抑えて、おおきくかぶりをひとつ振る。

 俺の様子を、じっと、冷めためで見つめる人魚が目の前にいた。


「いや、もちろんだ。それでりりが元気になるなら……明日にも、りりを連れてくる……」

「約束だ」

「ああ、約束する。りり、そしたら元気になるな?」


 ツゥエンは俺に向かって力強く頷くと、俺達の尻の下にある、黒くてツヤっとしたものをトントンと叩いた。


「いさな……陸へ向ってくれ」


 すると、尻の下の黒いものがまたうごめいた。


「な、なんだ!」


 お兄さんはおもわず悲鳴を上げた俺に舌打ちをしながら覆いかぶさってきた。


「落ちるなよ。陸まで送ってやる」

「ここ、この黒いやつ何!?」

「だから、勇魚だ。お前たち人間が付けた名だろうが。なかなか気に入ったので私のクジラにその名を貰った」


 こうして俺と、人魚(♂)との不思議な邂逅は終わった。

 

 浜辺につくまで、俺の方は死ぬ思いだったけれど、俺に覆いかぶさるツゥエンの方は、嫌に楽しげだった。

 

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