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 そして次の日。俺はりりを連れて、夜中の海へと向かった。

 りりは緊張した面持ちで、口を一文字に引き結んでいたけれど、車に乗ると、どうしても興奮は隠せないようだった。


「うわあ!」


 と言いながら、目が大きくなり、口があんぐりと開いている。

 車にのるのは二度目なのに、気を失っていたからまったく覚えてないらしい。

 こんな時だというのに、りりの反応が可愛らしくて思わず口元が緩みそうになる。

 

 昨夜、あの後もりりは戻りたくないとぐずったが、俺は必死で説得した。

 もしりりが死んでしまうようなことになったら、それこそ二度と会えないんだってこと。俺だって、りりが死んだら、生きていけないってこと。だから海に戻って元気になって、また会いに来てくれよ、って笑って見せて、ようやくりりはわずかに首を縦に振った。


 りりの兄のツゥエンは、俺がりりを連れてきたのを見て、少し驚いたようすで、そしてものすごく喜んだ。

 だよな。

 行方不明になっていた妹が元気にもどってきたんだからな。


「ありがとう。いろいろ世話になったな」


 なんて、言うからさ。あれかな? 人魚って奴らはみんな人がいいんだな。俺なんて、人さらい扱いされたって不思議じゃねえもんな。

 まあ、この兄ちゃんの俺を見る瞳は、笑ってないけどさ。いっつも睨んでてこわいんだよ、ツゥエンのやつ。とりあえず妹の前では友好的な感じでいてくれるらしい。


「いくぞ、りり」


 岩場の間から、ツゥエンが海の中へと先に潜っていった。鱗に覆われた下半身と尾びれが、月の光でチラチラと光って見える。真っ暗な海を俺は怖いと感じるのだけど、きっと人魚にとっては安心できる場所なんだろう。


「たうみ……」


 俺の腕の中でりりが震えた。

 抱きかかえていたりりを、そっと海の中へと離す。

 最初はりりをお姫様抱っこをするのも大変だったけど、最近は慣れたものだ。

 りりを抱えた腕ごと海水に沈めれば、俺の腕の中から重みが消えていく。


「たうみ、たうみ」


 りりの深い緑色の瞳から丸い真珠のような涙が、次々にこぼれ落ちていた。


「りり。いい子でな」

「たうみ。わたし、いつくぁいっと……会いにくぅるから。もっとおとなになって、会いにくぅ……ら……それまで、たうみ」


 りりの腕が、俺の首へ絡む。


「ああ、いつか、また会えるといいな。りり」


 最後の抱擁。

 王子様のキスで魔法が解けるのは白雪姫で人魚じゃない。

 だから、俺達の間の魔法は、きっと解けない。

 昔話の中ですら、人魚は人間の世界じゃ幸せになれなかった。


「だいすい……だあいすきっ! たうみ。またね!」


 りりの発音は、とてもきれいだった。それからりりの唇が俺の唇に押し付けられた。はじめての唇の感触に俺はひどく驚いたけれど、りりを抱きしめて俺からも口づけを返す。何度もその感触を確かめながら、そして、ぬくもりが離れていく。体が離れ、唇が届かなくなり、腕が解けていく。

 少し沖の方で顔を出しているツゥエンは、何も言わずに、ただじっと俺たちを見守っていた。

 ほんの少し離れた波間にりりの頭が顔を出している。少し手を伸ばせば届きそうだ。けど俺は、きつく手のひらを握りしめる。


「人魚のキィスにはね、まほう、あるんだよ。いっと、たうみ、しあわせになる。ぜったいに! ありがとう。だいすきッ!」

「俺もだ! りり! 俺もりりが……!」


 二人の声が、重なっていた。涙をいっぱいこぼしながら、りりが沖に向かって泳ぎ始める。俺は波立つ海面に向かって叫んだ。


 大好きだ。


 その言葉は、闇の色をした空に吸い込まれて消えていった。

 広がる空、深い海。けっして混ざりあうことのない水平線。

 

 あっという間の出来事だった。

 りりの後ろ姿は、波間に消えた。

 


 *~*~*~*~*~*~*~*~



 これが、俺とりりの物語だ。


 まあ、あれが恋だったのか愛だったのか、なんだかもうよくわからないんだが。


 ただ、俺はあのあともずっとりりにとらわれて生きている。この海から離れられずに。


 特にこんな、嵐の後の早朝は、海を訪れずにはいられなくなる。

 誰もいない海岸を、一人で歩く。


 特に頭が良かったわけでも、すごい資格を持ってるわけでもない俺だから、就ける職業だってそうそう選べやしない。海岸近くに立つリゾートホテルに上手く就職できたのは、りりの魔法のおかげかもしれない。

 特に趣味があるわけでもないから、しゃかりきに働いた。

 最初は会社の寮に入った。

 別に特別給料が高いわけじゃなかったんだけど、遊びもしないで、寮に入ってもくもくと働けば、そこそこ金はたまる。


 あと、ラッキーだったことがある。

 とある皇族がお嫁入りの際に身に付ける宝飾品のデザインを、一般から広く募集するという公募があって、それに俺のデザインが選ばれたのだ。

 はっきり言うと、そのデザインはりりの兄貴がつけていたアクセサリーを参考にして描いた。まあ、パクリなわけだが、人魚が文句は言ってこないので、それは俺のデザインとして取り上げられた。

 公募には賞金も出たし、あのアクセサリーをデザインした俺のデザインのものを売り出したいという奇特なジュエリーブランドがあって、まあ、時々デザインを書かせてもらっている。お小遣い程度には金が入る。 


 そんな金と、仕事でためた金を使って、俺は海の真ん前に家を一軒買った。

 あのときは周りから散々いろいろ言われた。

 

「そんな海の真ん前で、津波とか来たらどうするんだ」


だとか


「結婚でもするのか!?」


 という声まであったが、人の噂も七十五日と言うやつで、今では誰も何も言わなくなった。


 あ、あれだぞ? 告白とか。一回くらいはされたことある。ちらっと付き合って自然消滅したけどな。

 いい年の男と女が付き合ってりゃ、結婚と言う二文字が大きくなってくるし、俺には結婚をする気なんて、さらさらなかったんだから、仕方ない。

 だってさ、頭のなかからりりが、消えなかったんだ。


 仕事一筋で、みんなが休みたい時にシフトを代わってやる俺は、経営陣にも重宝がられたし、今のところ会社の居心地は悪くない。それに今の時代、ずっと独身なんていうやつはそれほど珍しくないので、奇異の目で見られることもない。あ、でも俺、まだそれほど年くってねえし。

 まあ、自分にこれから誰かと恋に落ちて結婚するなんて未来があるとは思えねえ。それだけ。


 りりがまた会いに来ると言ったことを信じているのかって?


 それを考えると、俺の頭の中は真っ白になる。

 でも不思議なんだ。記憶って次第に薄れていくはずなのに、あの笑顔とか、あのしゃべり方とか、あの暖かさとか、そういった断片的なことが時々、びっくりするぐらい鮮明に思い出されるんだ。そして、じわっと胸の奥が熱くなるんだ。

 

 人魚の魔力に囚われちまったのかもしれないな。

 人魚の肉。赤い蝋燭。セイレーンの歌声。ローレライ。

 人魚の伝説は、どこか仄暗くて恐ろしい。

 なのに、人魚を思う時、俺達はどうしようもないくらいの青い空と青い海を思い浮かべる。美しさに心を奪われて、惹かれてしまう。


 俺は咥えていたタバコをもみ消して、携帯していた灰皿に吸い殻を落とした。吐息と一緒に吐き出した白い煙が風にさらわれる。

 

 今日みたいに、りりと出会った時のような生暖かくて風の強い朝には、波間からひょっこりとりりが顔を出しそうな気がして仕方がないんだ。


 アホだって? わかってる。笑うしかねえよな。


 別に、毎日毎日アイツのこと思い出して暮らしてるわけじゃねえよ。

 でも、でもさ、こんな日はだめなんだ。


 ほら、聞こえないか? 遠くから「たうみ」って、叫ぶりりの声。

 ざざん、ざざんと、寄せては返す波の彼方から、聞こえてくるのは、きっと人魚の歌声。

 りり。俺はここにいる。聞こえるか?


「りり!」

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