神都-5
神の塔で、この街の炎命者と会った後、セレインはショウソウに、ある質問をしていた。
それは、交神石が砕けて使い物にならなくなったのが、どうにかする事は可能か、というような内容だった。彼が住んでいた街は、交神石をただ美しい装飾品として、バラバラに砕いてしまった。ミカノの力もあり、何とか結界を張れる者は現れたものの、彼が亡くなってしまった場合、その先どうなるかが分からない。セレインの問いは、それを案じてのものだった。
「それでしたら、どうかこの街の交神石を砕いて、一部を持っていってもらうのは如何でしょうか」
ショウソウの言葉に、セレインはぱあっと顔を輝かせた。何度も首を縦に振り、両手を胸の前で合わせている。
ショウソウ曰く、この街の交神石は見上げるほどに大きいらしい。現物を見てみたい気もするが、大きく、神の塔に次いで目を引く建物であった、大聖堂の方へ行く事にした。
神の塔の長い長い階段を、足に負荷をかけながら、また長い時間をかけて降り、辿り着いた大聖堂の中は、前世で見た事のある、教会に似たような構造だった。
高い天井、長椅子がずらりと並び、中央にある大きな窓から、聖なる光かのように陽の光が差し込んでいる。昇って沈む太陽の光が、こうも綺麗に差し込んでいるとは、どうやら丁度いい時間に来たようだ。
ここが多様な信仰者が集う、大聖堂の大部屋のようで、何か統一された衣服を着た集団が、部屋にいくつか存在していた。
しかしそれよりも、そこに居る人達の様子に、俺は目を引かれてしまった。片腕の無い人、片目に眼帯をかけた人、両耳の無い人、うわ言をぼそぼそと繰り返す人、虚空に向かって大声で話をしているように声を出す人……それが数人ならば気にしなくとも、その数の多さは尋常ではないと思った。大部屋の7、8割がそういった人達だった。
「おや……あなたは炎命者様では……?」
そんな風に俺が大部屋を見回していると、奥から杖をついた老爺が話しかけてきた。
「見慣れぬ顔、そしてその佇まい、会った事があれば、儂が忘れやしませぬ。最近この街に来られたという旅の方でしょう。炎命者の方々で旅をしておられるとか……おお、近くで見ると何と神々しい……」
「そ、そうですかね……?」
「そうですとも、少なくとも儂にとっては、間違いなくそうですとも……」
老爺は深々と頭を下げた。俺はどうしたらいいか分からず、慌ててしまう。拝まれる経験なんて、ある訳も無かったから、どんな反応をすべきか見当もつかなかった。
「……不思議ですか、皆の様子が……」
きょろきょろと辺りを見回しすぎたか、老爺は俺にしゃがれた声で聞いてきた。
「いえ、そんな事は……いや、確かに不思議といえば不思議です。この広い街だ、様々な人がいるのは承知ですが……」
老爺は少し沈黙した後、白い髭をさすりながら呟いた。
「代償、でございます。ここに居る者の殆どは、かつて炎命者を志し、交神石に触れ……そして成る事叶わなかった者達です。代償だけを払って……」
「代償……」
「何、あなた様が気にする事ではありませんとも。それに、こうして幾人も挫折したからこそ、炎命者という存在の大きさを痛感出来るのです」
俺の表情を見てか、老爺は優しい声色で言った。炎命者は、誰にでもなれるものではない。言葉では分かっていたつもりだったが、いざ目にすると……
だが、それでも、俺は炎命者になった。そして、これからも炎命者として生き、そして死ぬ。彼らと俺の違いなど、一体何があるというのか。人間性、能力……きっとどれも、高位存在から見れば些細な話だ。炎命者になれるかどうかは、運、なのだろう。幸運と、そして今の自分とを噛み締めなければなるまい。
「なあ、炎命者さんよ」
長椅子に座った若い男が、こちらを振り向いた。男の片目に眼球は見当たらず、ただぽっかりと空いていた。
「あんた、なんで炎命者になったんだ?」
「……なりたかったから、としか。炎命者になって、炎命者であり続ける事、そして炎命者の力こそが、今も昔も俺の目的なので」
「失敗したら、なんて考えなかったのかい?」
「考えても尚、そうしたいと思ったから。もし失敗したとして……過去の事なので100%そう言えるかは分かりませんけど、失敗して後悔なんてしたら、その時決断した俺を馬鹿にしてる」
ふうん、と言うと男は前を向いて、しばらく言葉を発さなかった。俺は返事は無いと思い、教会の扉に手をかけると、ぼそりと小さな声で、まあ頑張れよ、と男は呟いたので、俺は大きく頷いた。
「よー大将!調子はどうよ!」
外に出てしばらく歩くと、カルロと出会った。何か良い事でもあったか、にこにこと満面の笑みを崩さない。
「楽しそうだな。何かあったりしたのかい」
「よくぞ聞いてくれたなあ、全く!いや実はな、街で綺麗な子に声をかけた所だな、何と!食事の誘いに乗ってくれたわけだ!いやー、参ったね!これも俺の話術の妙ってか!」
「へえ……!それで上手くいったって事か」
「まあな!さらにそれだけじゃなくてな!なんと明日も約束出来たんだよ!分かるかトキト?完全に脈ありだ!もうあっりあり!」
まさかカルロのナンパが成功するとは。いや、悪い奴ではないんだが、どうもこれまでの実績から、疑いの目を向けてしまう。良くないぞ、こういうの。しかし、気になってしまったものはどうしようもない。俺はカルロに一つ尋ねた。
「その女の子、お前を炎命者と誤解してる……ってオチはないよな?」
「……えっ?」
「俺たちは旅の人間なんだが……その旅の人間の中に、炎命者が何人いるかってのは、どうも街の人たちは、その細かな人数までは分かってないみたいなんだよ。それで、誰が炎命者なのか……そうそう見分けがつくと思うか?」
「な、なるほど……」
「まあ……俺は、誤解があるなら解いた方が良い、と思うなって、それだけの話なんだがな」
行き違い、すれ違い……言葉を尽くしたつもりでも、どうしたって起きてしまう事だ。そしてそれが生み出す結果というのに、どうも期待は持てない。
「いや、お前の言う通りだよ……俺、一目見た時から、彼女の美貌にやられちまってな……確かに、これから付き合うとなると、そういう誤解は無いようにしないといけないよな、うん」
「……付き合う気なのか?」
「ああ。明日、俺は彼女に告白するぜ」
「……まあ、成功を願ってるよ」
クソ真面目な顔でカルロが言うので、俺はもうそれ以上、何か言う事が出来なかった。成功して欲しいというのは本心だが……望みが持てるかは、怪しいものだ。後、彼は随分惚れっぽいみたいだが、浮気とか大丈夫かな。などと、もしカルロの告白が成功した時の事を、少しばかり考えたりした。
「あ、トキトさん」
次に会ったのは、カレンだった。いや、次と安易に言ったものの、その間は結構空いているが。なにせこの広い街だ。
さてそのカレンは、人だかりの中に居た。彼女の周りを取り囲むように、大勢の……若者から中年、老人まで様々な人が殺到する。そう慌てなくても、大丈夫ですから、とカレンがなだめて、ようやく人の波は落ち着いてきた。
「慕われてる……って事か。しかし、この熱は相当なもんだぞ。何かあったのか?」
「実は……」
曰く。街の人と話をしていた際に、カレンの礼儀正しくしっかりとした振る舞いを見た人が、自分の息子の駄目さ加減を嘆いたらしい。それで、一度息子さんと話をしてみたい、という事になり、その息子さんの話を聞いて話をすると、彼は見違えたように変わった。その噂を聞きつけて、街の人達がカレンに、俺も私も、と押しかけたらしい。一種の悩み相談室のように、彼らの話を聞いて話をしているのだとか。
「そりゃ、凄いじゃないか」
「私は特に、アドバイスなんてしていませんよ。もし私とお話して、何か変われたのだとしたら、それは偏にその方の力ですよ」
カレンは、にこにことしていた。
「ありのままを受け入れる。私がしたのなんて、本当にただそれだけ……ふふ、ごめんなさいねトキトさん。私まだ街の人とお話したいので、落ち着いたら、また」
「ああ、それがいいよ」
その後、少し後方で様子を見ていたが、カレンは本当に何の助言もしていなかった。ただ、街の人の話を聞いて、一切の否定をせず、これからどうしたらいいのかという、改善案のようなものも出さず、ただひたすらに、街の人たちを、褒めて、褒めて、慰めていた。
そんな全てを受け入れてくれるような彼女の包容力に、街の人たちは信頼を寄せ、そして己をさらけ出す。それをただ、微笑みを浮かべて肯定する。それだけだった。
ただ、街の人たちにとっては、それだけで十分だったのだろう。悩みこそあれど、それを自力で解決しようとする力は元々持っているみたいで、カレンが何か導くような言を発さずとも、自らの力で選択し、歩みを進められる。彼女は、その手伝いをしただけなのだろう。
カレンも、街の皆も、強い人達だな、と思った。