神都-1
トーエとタムアの村を出立して、俺が馬車の手綱を握ってから、何日か経ち、木々が並ぶ森を抜けると、やがて大きな湖の見える、開けた草原に辿り着いた。湖の向こうには、大きな壁に囲まれ、中央に高い塔のある大規模な街が、遠近法のせいで小さく、そこにあった。
「高えなあ、あの塔……何であんなに高いんだ?」
街には結界があるのだが、高い塔を覆うように張られているので、余分な力が必要ではないだろうか。結界を張るのにもかなりの力がいるのに……
そんな俺の言葉を聞き、ミカノがひょっこりと、幌から顔を出した。
「……ああ、そう。ついに、着いたのね」
「……?」
「高くて、煌びやかな塔。無駄に見えるあの塔をまだ保持出来るなんて、尋常の街じゃない。普通、あんなもんなんて結界張ってる人が音を上げて、取り壊しちゃいそうなもの。でも、あの街にはまだ健在してる。何故?当然、取り壊さない理由がある」
感慨深そうに、ミカノは言う。すると、続けて馬車の荷台から、セレインが顔を出し、神妙な顔つきで塔を眺め出した。
「……神都……!」
神都。確か、仇魔が出現する前の世界の、首都か何かだったか。セレインが探し求めていた都市でもあったな。
「天まで届く高い塔。それが世界の中心地である神都の、そして、権威と希望の象徴と聞いてるけれど。そんなに高い塔なのかい?」
アーシエが聞いてきたので、目を凝らしてみる。周囲に比較出来るものが少ないが……高さ50mはあるよな……?この世界には高い建物なんて殆ど無いわけで、相当高いように思う。
「はい、本当に……」
セレインは、ぼうっとして答えた。ただ、あの塔に目を奪われていた。この世界において、遠くからでも分かるほどに、あんなにも豪華絢爛で、高い建物なんて、それだけで人を魅了する力があるだろう。いや、この世界に限定せずとも、美しい塔である。
「んー……急げば一日で着くかもしれないけど……どうする?」
「僕は、早く着くことに拘りはありませんね」
「せっかく湖があるんだしさ、そこでゆっくり、水浴びでもしたいなあ」
たまにある川で、身体を洗う事はあっても、森の中では仇魔を警戒してばかりで、中々一息つけない。そう考えると、この開けた地にある湖は、そこそこ良い立地だと思う。カレンもそれに賛同してくれた。
しかし、湖、と聞いた瞬間、カルロが素早く反応した。水着か、それとも裸なのか!?と鼻息を荒くする。
「……なーんか知らないけど、カルロには見られたくないよーな……」
リリィの発言は、当然だと思う。カルロには下心しか無い。いや、かく言う俺も無いわけでは、決して無い訳で。
「なら、分けるの?」
ユイがそう言うと、それが良い、男と女で分けようか、という事になった。カルロは、大袈裟にため息をつきながらも、そりゃそうだよなあ、と自己解決していた。
「や、やっぱり何だか恥ずかしいですものね……」
「そういう事だ、何とか堪えてくれ。それと、向けられる視線というのは、意図せず気付いてしまうものさ。そこら辺も踏まえて、頑張って欲しい」
カレンは恥ずかしそうに苦笑し、アーシエはいたずらっぽく微笑んだ。
湖は、水面の土が見えるほどに、澄んでいた。日光に照らされ、水の温度も心地よく冷たい。水草が、水底でゆらゆらと揺れていた。
湖で泳ぐにあたってだが、水着なんてものは無い。残念ながら、なのか、幸運な事に、なのかは分からないが、とにかく無いものはない。が、カルロはそれに全く躊躇わず、服を全て脱ぎ散らかし、湖に飛び込んだ。
「うひょー、冷たい!気持ちいいぜー、早く来いよ!」
カルロは、はしゃぎ倒していた。白昼堂々、全裸で透明の水の中を、大袈裟に水飛沫を上げながら泳いでいる。
「確かに、気持ちよさそうですね。では僕も……」
そう言って、セレインがシスター服にかけたが、少し脱ぐのを躊躇った。カルロがその様子を、真剣な目付きで、じっと見つめているからだ。
「あ、あのう……」
「いや、おかまいなく」
そんなに凝視されたら、どんな事をするにしてもお構いあると思う。カルロのそうした、熱の入った視線を浴びて、セレインは困ったように言った。
「僕の骨格は、確かに女性寄りかもしれませんけど……その、筋肉があったりするので、見てもあまり面白いものでは」
「いや、あり。むしろウェルカムではなかろうか?」
「そ、そうですか……」
カルロはセレインに、恥じらいつつ焦らしながら早く脱いでくれ、と事細かな要求を送る。セレインはそんな要求に、ただ苦笑で答えるだけだった。いや、セレインの反応も仕方ないと思う。
随分飢えてるな……いや、健全な人間の青年であるカルロにとっては、仕方ない事か。炎命者になってからも、確かにそうした気持ちが芽生える事もあるが、気付けば露と消えている。悲しい事に、と言うべきか、幸運な事に、と言うべきか。現状、性欲が消えて困る事は無いのだが、大切な何かを失ってしまったのかなあ、と思いを馳せる事が無きにしも非ず。
そんな事を考えていた時。湖の底から、大きな泡が次々と浮上してきた。水面を埋め尽すほどの、大きな泡だった。悪寒に突き動かされ、俺はカルロに早く湖から上がるように叫ぶ。
湖底の砂が、激しく揺れた。砂と泥が、美しく澄んだ水の青を埋め尽くした。直後、湖底から、ナマズひげのようなものが生えた、鯨のような巨大な仇魔が、視界を閉ざすような水飛沫を上げて、天高く飛び上がった。
鯨のような姿をした仇魔が、ここら一帯が呑み込まれてもおかしく無いほどの大口を開け、俺たちに向かって降って来た。すかさず俺とセレインが構える。しかし、空から飛来するこの巨体。どう対処すべきだ……?
次の瞬間。おそらく神都の方向から、何か眩い光が瞬いた。かと思えば、仇魔の図体に、熱で焦げた風穴が開いていた。その軌跡は見えなかったが、おそらく光は湖に着弾した。水は光に包まれ輝き、先程よりも一段高い水飛沫を上げる。
仇魔は、既にその閃光で息絶えていた。最早形骸となった仇魔の死体だが、その質量は依然として残っており、それが俺たちに向かって降ってくるという現実は、残念な事に据え置きである。
「ここは僕が!」
炎命者としての力を解放したのか、悪魔のような姿をしたセレインがそう叫ぶ。それに対し、いや、ここは二人で、と俺が言おうとすると、既にセレインは仇魔の巨体を、強靭な両手で持ち上げていた。
ゆっくりと、地面に衝撃が伝わらないように、翼を羽ばたかせて、セレインが仇魔を両手で掲げながら、地面に降り立った。
俺たちの服は水飛沫でびしょ濡れだ。カルロは鼻と耳に水が入った!と大騒ぎしているが、俺とセレインはそこに注意を向けていなかった。
ただ、仇魔を倒したと思われる、光が飛んで来たであろう神都を、二人でじっと見つめていた。