不死者と武人-8
「どうしたのよその怪我!?」
なんとか仇魔を倒し、傷を負った俺とトーエを見て、仲間たちと一緒に村の人々を保護していたミカノが、悲痛な声を上げた。
「生身で仇魔の攻撃を食らったの!?」
彼女は早足で近付き、俺たち二人の傷をまじまじと見つめた。炎命者というのは、程度の差はあれ、皆普通の人間とは比べ物にならないほどに回復能力がある。にも関わらず、トーエの火傷跡は癒えていない。俺はなんとか治ってきているが。
「傷、大丈夫?」
「俺は今、炎命者の力使って治してるよ。時間はかかるだろうが、まあ自力で何とかなる」
「いつつ……ううむ、妾は治る気配が無いのじゃ……」
炎命者の力は解除しておらんのじゃがなあ、とトーエは、痛みからか顔を歪めながら、傷跡をさすった。
「そんなに跡が残っちゃ辛いでしょ。治してあげるわ」
そう言って、ミカノが地面を足で叩くと、優しく光る式神が浮かび上がってきた。彼女はそれをトーエの傷に向けて押し出す。トーエの火傷跡が、淡く発光しだした。それから暫く発光を続けるトーエであったが、やがて首を捻って口を開いた。
「……うーむ、悪いがあまり効果は無さそうじゃぞ?」
「うえっ!?……おかしいわね、私の式神でも駄目なんて……トキトは本当に大丈夫なんでしょうね?」
「ああ、勿論」
そう言って俺は、自分の健康状態を示そうと、絶賛回復中の、仇魔に抉られた脇腹をぽんぽん、と叩いた。すると走る、激痛。思わずうずくまり、悶絶した。
「……大丈夫じゃないじゃない」
「いやあ、一時に比べりゃ、これでも随分良くなってるんだよ……」
痛いのは痛いが、傷自体は塞がってはいる。俺より先にトーエを、治せるなら治したらどうだ、とミカノに言うと、確かにねえ、と彼女はため息をついた。
「治せないって、癪な事。後方支援が取り柄の私がそれが出来ないと、もう私……自分の良い所が分からなくなるわ……」
ええ……旅を快適に続けられているのは、ミカノの力による所が大きいんだから、もっと自信持っていいのに……
心配せんでも、このままで問題ないぞ、と快活に笑うトーエだったが、意地になってさらに炎命者の力を解放させたのか、ミカノの頭に、狐の耳がぴょこんと生えた。
「無理をしなくても良いぞ、お主の寿命が縮んでしまう」
困ったような眉をしているトーエに、ミカノはふん、と鼻を鳴らした。
「ご心配なく。仇魔と戦う方がよっぽどよ」
式神の光が、輝きを増す。それでもまだ、トーエの火傷が完全に癒えないのを見て、ミカノはぴくりと眉を上げ、さらに炎命者の力を強めると、柔らかな毛並みの尻尾が、彼女に生えだした。
ゆっくりと、しかし確実に、トーエの傷が癒えていく。彼女は不思議そうな顔で、自身の身体から発せられている光を見ていた。
やがて、俺の腹の傷が殆ど塞がってくると、トーエの火傷跡も、ミカノの力によって綺麗に治っていた。トーエはミカノに、感謝の言葉を繰り返し、仕切りに頭を下げていたが、ミカノは吐血しながら、私がしたくてした事だもの、と途切れ途切れに言った。
「それと、炎命者の力は早く解除した方が良いわよ。その状態って、身体にとって凄まじい負担になってるから」
炎命者の力を解除した事で、ミカノの顔色は土気色に沈み、口元は鮮血で染まっている。それを見て、少し狼狽えた様子を見せながらも、トーエは何とか、その力を解除した。
瞬間、彼女は口から尋常ではない量の血を吹き出し、地面に倒れ込んだ。びくんびくん、と身体が痙攣している。どうも、力を解除した反動で、気絶してしまったようだ。炎命者の力を解放している時は、存外何ともないのだが、解除した時にそのツケが一変に来るのは、何とかならないものか。
それと、確か、この村の結界はトーエが張っているんだったか。そのトーエが気絶したせいか、村を覆っていた結界が、消えてしまった。おかげで村が無防備だ。
こうなっては仕方がない、と気を失ってしまったトーエを彼女が住む家に運び、仲間の皆で、村を仇魔から守る事になったが、今回俺は、それに参加出来なかった。
というのも、力を解除した時の激痛と負荷が凄まじく(傷を癒すのにかなり力を使ってしまったのかもしれない)、気を失いさえしなかったが、足取りおぼつかず、安静に、と寝込む事になった。
遠くで聞こえる、仲間達の戦いの音を、痛む頭で聞く。大丈夫かい、と見舞いに来てくれたアーシエに、来る仇魔は大した事ないのばかりだね、という事を聞き、安心したせいか、疲れもあり眠気が押し寄せて来た。うつらうつら、と瞳が開閉を繰り返す。
「いやはや、炎命者ってのは大変そうだねえ……」
野草を調理しながら、俺にはなれそうもないなあ、と呟いたカルロの声に、でも悪い事ばかりじゃないぞ、と言い返す間も無く、俺の意識は薄れていき、やがて深い眠りに落ちた。
目を覚まし、外に出てみると、漆黒が辺りを包む、夜だった。篝火が僅かに周囲を照らすばかりで、殆どが闇に覆われている。もう大丈夫そう?と俺を介抱してくれていたリリィが尋ねてくる。俺は感謝の言葉と共に頷き、少し辺りを散歩してくると言って、身を冷ます風が吹く、夜の闇へと歩き出した。
見ると、結界がまた張られている。トーエの意識が戻ったのだろう。仇魔を撃退したからか、笑い声が村の至る所から聞こえてくる。村は安寧を手に入れたのだなあ、とホッとしていると、少し遠くで、トーエとタムアが二人で話しているのが見えた。
何を話しているのだろうか、と気になって近付いてみると、俺の気配に気付いたのか、トーエが此方を振り返り、手招きをしてきた。二人の元へと行くと、タムアは陶器に注がれた、おそらく酒を飲んでおり、少しばかり顔が赤くなっていた。
「あの仇魔との戦いは激戦だったと思うが……随分早く回復したなあ」
「お主が先に戦っていたからのう。きっとそれのお陰じゃろうな」
感謝するぞ、とトーエが微笑む。
「口を開けば感謝感謝……オウムみてえだな」
酒を口に入れ、タムアがぶっきらぼうにぼやくと、トーエはそれを意に介さないかのような、満面の笑みを見せた。
「……妾はずっとこの村に居た。炎命者になれば外に出られると思っておった。仇魔と戦った事なぞ一度もない。炎命者になっても、変わらなんだ、何一つ。焦がれて焦がれて焦がれ続けて……ようやく今日その時が来た。ああ、妾は仇魔と戦った!……満たされておるよ。お主らのお陰じゃ。感謝してもしきれぬ」
「そりゃ何よりだ」
「ただ、そういう意味で、お主達が少し羨ましいのじゃ。生まれた時から、ずっとこの村を離れられなかった妾には」
「そうでもねえさ……特にオレの場合は」
タムアは、酒の匂いがする息を吐き、ゆっくりと話し始めた。目も半開きになっている。この様子だと、随分飲んでいたようだ。
「オレは、色んな街を転々と旅してる。だけどそれは、目的あってのものじゃねえ。自分と他人がクソに思えて、それで街を抜け出すのが一番多いパターンだ」
タムアは空を見上げた。夜空には、明瞭と輝く星々が瞬いている。基本的に、この世界の空はとても澄んでいる。タムアはその星空の美しさからか、それとも過去を思い出してか、深くため息をつき、また口を開いた。
「オレは炎命者だ。が……結構、変わった炎命者だ。分かるだろ?」
「不老不死、じゃったな!正直、それを聞いた時はたまげたぞ!」
「いや……それもあるが、一番は、自力で仇魔を撃退する能力が無えって点だ。炎命者ってのは、それが出来て当たり前……まあそうだわな、人並外れた力持ってんだから。その力で、街を、人を守る。それが普通の人間の、炎命者の認識だ。だが、オレは違う」
「ふむ、改めて聞くと、街や村の人を守る……何とも甘美な響きじゃのう」
そんなトーエの言葉を聞き、タムアは小馬鹿にしたように笑った。
「実際は、どうだかね。奴らはクソだぜ。大抵は守られて当たり前だと思っていやがる。信頼、期待……オレも随分、そんな甘美な響きの言葉とやらに振り回されてきた。
常識、知ったかぶり、先入観……酷い話だぜ、信頼してると口では言っても、奴らはオレの言葉を信じようとはしなかった。オレには大した力は無い、自分の身を守るだけで手一杯だ、って言葉をな。奴らの頭にあるのは、性質、能力、象徴、記号、仮面。それだけさ。都合良く自分達を守ってくれる、絶大な力を持つ炎命者って仮面だよ。オレ個人なんか、見ちゃいねえし、興味も無かったんだろうさ。人の話を聞かないくらい、強烈な仮面に固執して、間抜けな連中だぜ」
そう言って、遠い目をしたタムアは、手に持った酒を一気に飲み干し、俯いて暗い表情で続けた。
「炎命者ってのは、なろうとする意志があれば、誰でも交神石に触れて、炎命者になろうと試みる事が出来る。実際なれるかどうかはサッパリ分からん、部の悪い博打だがよ。
だが……奴らはそんな意志すら見せない。ただ甘い言葉を投げかけて、そいつの都合は御構い無しに、困難をぶつける。自分達は動こうともせず、他人に丸投げしちまう。自分達の命がかかっているのにな。
そんなクソ共も、そいつらのお守りも何一つ出来ないオレも。皆、皆、嫌いだ。吐き気がする……」
そう言って、深くため息をつくタムア。俺がそれにどう声をかけるのが良いものか悩んでいると、トーエが破顔し、彼女に優しく告げた。
「では、お主もそうすれば良いではないか!辛い時は、妾に対して、困難を全部おっ被せてしまうのじゃ!どうかの?」
タムアは、キョトンとしてトーエを見上げていた。トーエは、それを本心から言っていた。何一つブレる事なく、ただ真っ直ぐにタムアを見つめている。
「何、妾はトーエ!この村を統べる炎命者じゃ!細かい事は気にせず、ドーンと頼るが良い!それでお主の心が安らぐのであれば、遠慮などせず、そして何も考えず、妾に甘えた方がずっと良いのじゃ!」
「……それだと、お前がいつか潰れちまいそうだぜ。第一、お前みたいな年下に甘えられるかよ」
「年上も年下も関係ないのじゃ!妾と、お主。それだけで良い」
トーエは高らかに笑い、タムアは呆れ果てたようにため息をついた後、僅かに口角を上げた。
人は一人でも生きていけるのだろう。だが、それでも誰かと関わるのなら、その誰かに、何か優れた物を要求するというのは、別段不思議な事ではない。それと同時に、そんな事を要求しない、利害関係を超えた信頼関係が、きっとあるはずだ。少なくとも、トーエとの間には、それが成立するように思えた。
翌日の朝。俺たちが出立の準備をしていると、タムアがやって来た。暫く気まずそうに頭をかくと、やがてようやく口を開いた。
「オレはさ、暫くこの村に留まろうと思う。色々と考えてな、そう決めた。その……悪かったよ、今まで変な態度取ってよ……」
「そこは全く気にしていませんが……村に留まるという話、本気、でしょうか?」
カレンは少し寂しげに、そう尋ねた。タムアと、今はそうでなくとも、これから仲良くなろうとした矢先の事だったのだろう。心から、別れる事を悲しんでいた。
「……あ、ああ」
「そう、ですか……」
そんな事を話していると、遠くの方からトーエが走って来た。
「おーい!……もう行ってしまうのじゃな。いやはや、この村も寂しくなるのう……いや、そうとも限らんか。そうであろう、タムア?」
トーエはタムアの肩を抱く。タムアはそっぽを向いていたが、そこには前までの厳しい表情は無かった。
「これから先どうなるかは分からんが、ひとまずオレはこの村に残って、確かめるとするぜ。オレに、相応しい場所と、人を……ま、駄目なら駄目でなんとかするがね」
そう言って、タムアは初めて、笑顔らしい笑顔を見せた。カレンも、それ以上引き止める事はしなかった。彼女の選択と、決心の固さを尊重し、お互いにこれからの生の無事を祈った。
タムアは、不老不死に近い存在だ。きっと、いつまでも探し続けるのかもしれない。自分の居場所を、一緒に生きる友を……