最初の街-2
野菜や肉などの食料を皮の袋に入れて、カレンが歩く。俺はその荷物持とうかと提案したが、やんわりと断られた。重そうなのに。
「無理しないでくれよ」
「ふふ、大丈夫です」
カレンは、お気遣いありがとうございますと微笑んだ。ううん…大丈夫だろうか。何だか彼女は危なっかしいというか、荷の重みにも負けそうで怖い。
というか、既に負けてる。よたよたと、酔っ払いの千鳥足のように足元がふらついているではないか。慌てて彼女の腰に手を回し(卑しい気持ちとかはない。反射的な行動である。行動した後に卑しい気持ちになってしまったが、それも又反射的で刹那的なものである)身体を支えた。
「……やっぱり俺が持つよ」
「……すみません、お願いします」
少し赤面して、申し訳なさそうに頭を下げカレンは言った。手早く袋を持つと、案外重い。そりゃよろけるよなあ。俺は改めて、彼女に大丈夫かと聞くと、カレンは苦笑いをしてこくりと頷いた。
「それで、これからどうするんだ?」
「宿をとりましょうか。私達は付近の情報収集をする必要がありますから、泊まる場所が必要なんです。トキトさんも、ご一緒にいかがですか?」
「情報収集」
「そう。私達炎命者の使命は、仇魔を討ち果たす事。仇魔は大きな拠点を作って、そこに集まる習性がありますから、近辺にそういう仇魔の拠点が無いか聞き込む必要があるんです」
成る程なあ。俺も手伝おうか?と聞くと、やんわりと断られたというか、はぐらかされた。まあ炎命者の仕事の一環としてするものだから、炎命者でもない俺にさせるものでもない、という俺への気遣いかもしれないし、彼女の、彼女達の、ある種のルーチンワークとして、聞き込みが行われているかもしれない。
荷物にふらついていた前科もあるので不安だったが、今度は本当に任せてくださいと息巻いている彼女に、いいから手伝わせろと突っかかるわけにもいかず、俺は大人しくカレンに任せる事にした。
しかしだ。俺も宿に泊めてもらうのは申し訳ない。そつカレンに告げると、他に泊まるアテも無いでしょう?とはにかんだ。全くである。今明確に頼れるのはカレン達だけだ。俺は礼を言って頭を深く下げると、カレンはそんな事をしなくても、と慌てた。
二人で向かったのは、街に一つだけあった、小さな宿屋だった。何だか家賃の安そうな、アパートみたいな外見だ。壁には所々傷が見受けられる。こんなんで大丈夫なのかと思うが、まあ他に選択肢は無いので仕方あるまい。
内装もかなりオンボロで、とても金を貰って人を泊める施設には思えなかった。端にぽつんと置いてある、傷だらけで、綿がぼろんとはみ出ているソファに座ってみると、ぎしぎしと嫌な音がする。俺の体重はそんなに重くないと思うのだが、このソファはそれでも、今にも壊れてしまいそうな、悲痛な叫び声を上げている。
カレンが、気だるそうに欠伸をしている宿屋の主人に、宿泊のための金を払っているが、入ったばかりでこれなら、泊まる部屋はどうなるのかと思う。玄関から汚い店に、(おそらく)客は来ないと思う。特に宿屋なんかは、清潔感が大事ではなかろうか。入り口すら綺麗に取り繕っていないのだ。部屋にカビなんかが生えてないといいけど。
不安だ。不安だが、とりあえず宿はとれたので、カレンと俺は、街の外れにある厩戸に馬と馬車を停めていた、アーシエ達を呼びに行った。三人の共に宿の部屋に入ると、これから泊まる部屋の様子を見て、ミカノは大げさに舌打ちした後、泊まれない事もないかもと、皆の雰囲気を悪くしないようにしたのか、慌てて、どうしようもなくボロっちい宿屋のフォローをしていた。
やはりと言うか何というか、予想通りにオンボロな部屋だ。お金を節約するために、俺も皆と同じ部屋に泊まる(まさかである)事になったのだが、気が滅入りそうだ。ぶんぶんと羽虫の羽音が聞こえるが、きっと疲れから来る幻聴だろう。そうに違いない。宿という管理された施設において、そんなバカな話があるものか。
そう思っていた俺だったが、鼻に何かが止まった感触に、思わずフリーズした。ハエだ。宿に、ハエ。ずさんな管理にうんざりする。腹が立ったので両手でハエを潰した。南無。今度は宿なんかで暮らすなよ。
しかしミカノや俺を除いた皆は、別段驚いた様子も無く、淡々と荷物を部屋に置いていく。ミカノも、こんなもので金を取るのかと、長らく不満気だったが、少しすると吹っ切れたように、この程度どうという事もない、という具合の顔つきに変わった。
それを見た俺も、何時までもうだうだとしていても何にもならんな、と気持ちを切り替える事にした。
しかしそれにしても酷い宿だ。ネット社会なら速攻で燃え上がって潰れてるぞ、と心の中で不平不満を愚痴愚痴と並べてみると、少し気持ちが楽になった。
皆荷を部屋に置き、ふうと息を吐く。旅で疲れた身体を労るように座りこんでいる。こんな状態の皆にこんな事を言うのは気が引けたが、意を決してはっきりと言った。
「炎命者に、なりたい。たとえどんな苦難が待ち受けていても。……どうしたらなれる?」
「……よしなよ、本当に。いいかい、代償を払えば好きに力を使える、ってわけじゃない。炎命者はね、戦えば戦うほどに命の残り火は小さくなっていく。死へ近づいていく。寿命が削られていく。
君はどこか憧れている節があるみたいだけど。力を行使するには、血反吐を吐きながらじゃなきゃならない」
アーシエが諭すような語気で咎めたが、こちらの決意だって固い。今の俺は、異な存在を渇望して仕方ない。前世での人生は、平穏無事といえば聞こえはいいが、思い返せば下らない。
かつての俺という男はてんで駄目で、どうしようもなくしがらみに囚われていたのだ。自分を抑圧し、弾圧していたのだ。止めだ。そんな事は止めだ。俺は感情を込めに込めて答えた。
「構わない」
「構わないって……!」
「それに、アーシエ達だってそうなんだろ?戦えば戦うほど、命は削られていく。寿命は縮んでいく。違うのか?」
「……それは……」
アーシエの沈黙を一種の肯定と受け取った俺は、そのまま続けた。
「なら、俺が炎命者になれたら。皆の負担も減るじゃないか」
皆、黙った。損得感情をすれば、彼女達にとって間違いなく得であるはずだ。それに俺の意思が固いと知ったのか、説得する気配も、みるみる萎んでいく。そんな俺を測るように、ミカノが問いかけてきた。
「後悔はしないのね?」
「自分で決めた事。後悔したら嘘だ」
そうだ。何もかも、自分で決めた事だ。誰かに促されたわけでもない。もし未来の俺がこの選択を悔いたのなら、それこそ馬鹿な事だ。
俺は後悔しないと決めた。それでも未来の俺が後悔するというなら、それは今の俺の否定だ。ならば躊躇いはない。誰のためでもなく、今の俺のために。自分を抑える事なく突き進んでやる。
そんな俺の気持ちが伝わったのか、カレンがゆっくりと立ち上がり、
「付いてきてください。炎命者になれるかどうかは分かりませんし、リスクも大きい。それでも、トキトさんの決意は揺るぎそうにありませんから」
そう言って歩き出した。俺もそれについていこうと、彼女の後を追った。
アーシエは、やれやれ大丈夫だろうか、といった心配そうな表情をしている。ミカノは、馬鹿は何言っても聞かないのよね、と言わんばかりに呆れている様子だ。リリィは、仲間が増えるのかとそわそわ、わくわくしている。
三者三様な炎命者達の反応を背に、俺は確たる決意を胸に歩を進めた。